***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2002年10月19日土曜日

カンボジア・アンコール遺跡群

空港に早朝5時半集合なのに、きっちり参加してしまった前夜の飲み会。泥酔状態で帰ったら1時半。超人的な精神力で4時半に起きたら、まだ二日酔いに移行していないナマの酔いで世界様がグルグルしていらっしゃいました。風呂ぬきで飛行機に乗るのは人としてどうよと思ったので、意思の力で風呂へ(その努力を仕事に生かせたら・・・)。熱いシャワーに打たれて酔いがゆっくりと醒めて…くればよかったのだが、現実は過酷で、見事なまでの二日酔いに順調に移行しただけであった。

空港までのタクシーの中、念のためにビニール袋をにぎりしめ、ジーンズの前もブラジャーの金具もはずして後部座席で死んでいた私は、娘の皮をかぶったオヤジである。だから誰が娘だ。何とか寝ゲロを回避して空港到着。助けてくださるよう冷たい豆乳の神様におすがりしつつ、空港のバカ高いレストランのメニューショーケースに何はばかることなく堂々と陳列されている出前一丁(袋そのまま)を撮影しようとして悲鳴。


デジカメに電池はいってません。


やる気モードがスイッチオフになりましたので、あとは箇条書きです。

■ 先週の汕頭の旅でもうすっかりウンザリおなかいっぱいのパッケージツアーです。
■ 3泊4日なんですが我々以外全員スーツケースです。
■ うち3人は機内に持ち込めないサイズでした。

■ 機内食に一口もつけられなかったのは生まれて初めてです。
■ とりあえず爆睡しました。
■ でも着陸と同時に目が醒めたら絶好調でした。
■ 翌日からオプショナルツアーをぶっちしようとするプチ嫌な客なのでした。

■ 国内線はプロペラ機でした。
■ 満席で最後の二人はコクピットに座らされていました。
■ 激うらやましかったです。なんで嫌そうな顔するんだよ、アンタら!

■ アンコールワット。ヒデキ感激~!
■ っていうか心理的に鼻血ブー(谷岡ヤスジ)!
■ っていうか脳内BGMちゃらりらら~♪っていうかいやはや。
■ もうすこしマシな感想はないんですか。

■ 生きててよかったっス。バガンよりボロブドゥールよりよかったっス。
■ 三大仏教遺跡これでコンプリート。

■ ここでも集団活動をぶっちしようとしてプチ嫌がられました。
■ ので、団友に根回しして遺跡見学時間を2時間延ばしてもらいました。
■ バンテイアスレイもちゃんと行きました。かなりほっとしました。

■ でも一日チケットで二日間まわったんですが、黙っといたほうがいいでしょうか。


■ 遺跡を離れるそのときに相棒が小さく叫びました。「あ、フィルム回ってない」


■ 20年前に買ったそのニコンはもう腐ってるから捨てろ。私が捨ててやるからよこせ。

■ 国内線機内誌を熟読してみました。
■ 「物乞いやみやげ物売りの子供の87%が観光客から性的な接触を受けている。」
■ 空港の観光パンフレットの裏表紙は「幼児売春は犯罪です」でした。

■ 最終日に内戦の虐殺被害者の遺骨を納めた虐殺記念塔に行きました。
■ 同行の女性が頭蓋骨を手にとってピースをして写真をとりました。
■ ツアーメイトは「好大膽~」と騒ぎました。
■ 神経反射的に「不是大膽、是没禮貌」と吐いてしまいました。
■ ただでさえ浮いているガイジンなのにさらに浮きました。
■ ちなみにこの女性はピンクのキティちゃんスーツケース(機内持込超過サイズ)でした。

■ 意地が悪いですかそうですか。

■ 旅の恒例、自分用に絵葉書2枚を買うことを忘れていました。
■ 仕方なく空港で一枚1ドル、2枚で8000リエルも払ったことが痛恨の極みです。
■ こんなことならどうしてあの時、両手首のない老婆に500リエルしか渡さなかったのか。

■ 全行程食事つき。全食事が中華でした。もう二度とこんな旅はするもんかと思った。


到着したその夜から遺跡と内戦の夢を見続けた。灼熱の太陽の下、赤い土の上の栄光と悲惨が、夜ごとに私を苛み続けた。あの土地を離れてからもその夢は続いている。夜中に小用に目がさめても、あの国のことを思う。


     この水はカンボジアの水
       カンボジアで飲んだ水
         カンボジアの赤い土を濾して飲んだ
           トンレサップの水



今回は写真はございません。























ウソです。ちょっと話作ってます。ほんとは行きの空港で買っていった使い捨てカメラの写真が一応あります。でも今回はカンボジアの神様と仏様がもう一回来なさいと命じてらっしゃるんだと思うな。次回は小僧連れて伺いますんで、よろしく。ペコリ。

2002年10月14日月曜日

汕頭と潮州 みっかめ

9時出発。9時半にはうなぎ養殖工場の市内出店に停まって見学。うなぎは群生性だそうで、長モノ嫌いの人にはきゃーっな水槽がどっさり。ほら、これ。養殖工場紹介ビデオでは大人の頭ほどの練り餌を養殖池に落とすシーンがあり、下から横からびちびち集まってきた数万本のうなぎの圧力で、練り餌、沈んでいかない。運良く喰らい付けたうなぎはそのまま練り餌に食いもぐっていったりして、総毛立つとはこのことである。あんな映像見せといて、食い物としてのうなぎを売るつもりかい…とげっそりしつつ映像室を出たら、香港人、買う買う。私にはげっそりなあの映像も、香港人には「生猛ら~」と食欲をそそったのかもしれない。

さて中国では「天然」「緑色」「環保(環境保護)」などのタームが現在大はやり中である。しかし 養殖うなぎのキャッチコピーにまでそれが使われているのはいかがなものか。養殖うなぎ。いかなる意味においても天然でも緑色でも環境保護でもないだろう。

まあいい。乗車。あとは深センに帰るだけ。つーか領隊(添乗員)が導遊(ガイド)と相談し、「皆さんお疲れのようですから、予定では行くことになっている最後の観光地を省略します。了解の印にこれにサインを。」と、一番前の客にテキトーにサインをさせた。「予定」もなにも、初日から予定とはぜんぜん違った行程だったのだが。なんか来週のカンボジア旅行にちょっと暗雲が。女皇廟(バンテイアスレイ)まで行くという行程を見て他社より高いツアーを選んだのだが、ちゃんと行ってくれるのだろーか。

昼、例の裏口、じゃなかった后門で高速を降り、行きの后門飯店よりちょっとこましな新しめのドライブインで食事。けっこう豊富。再び乗車して深センへ。梅林で第二ボーダーを越え、福田の農林センターで植木を見てから、明るいうちに羅湖解散。値段の割りに豊富な行程ではあったが、やはりパッケージツアー、しんどいなあ。精神的に。

羅湖の駅裏に昔よく食べた桂林米粉屋がまだあり、酸筍がなつかしくて入って食う。んまかったが昔とやや味が違う。気がつくと老板が潮州語を話していたりして、ああ、オーナーが変わったのね。時は流れる。変わらぬものはなにもない。税関の外国人カウンターが激混みで、怒り狂いつつ過関。かえって風呂入って寝ました。(もはや小学生の夏休みの日記帳と化した旅行記。)

2002年10月13日日曜日

汕頭と潮州 ふつかめ

7時起床。7時半朝食で8時には出発のはずが、時間どおりに朝食を始めて終え たのは我々だけ。団友どもがちんたらいつまでも朝めしをむさぼりやがって結局 8時45分。昨日気がついたことだが、ツアー行程どおりにゼンゼン進めておら ず、訪問すべき場所をぜんぜん訪問していない。。それはちんたらバスのせいも あるし、私も別に行きたいところはないし、私自身は別に かまわないのだが、団友から全く抗議の声が出ないのはナゼだろうと思っていた が、徐々に理由がわかってきた。彼らもツアーの行程に従う気はあんまりないの だ。なるほど、そういうことなのか。(学習学習)

本日は潮州へ。汕頭から1時間ほど、人口は汕頭より少ないがあちらのほうが内 陸で街が古く、私としてはゆっくり歩いてみたい街である。廈門=汕頭・泉州= 潮州みたいなもんか。そして潮州にも泉州と同じ名の開元寺がある。関係あるん だろうな。どっちがご本家だろうか。

8時45分出発のバスは9時にはさっそく玉器(翡翠アクセサリー)屋に停まってし まった。ここで半時間。ツアーって安いんじゃないよなあ。私の貴重な時間を切 り売りしてるだけだよなあ。香港なら5ドルとか10ドルとかで売られていそうな 安物の玉が、みすぼらしい陳列台に並べられて500ドルとか800ドルとかの値札が ついている。誰が買うねん、こんなもん。相棒いわく、「里帰りのタイ華僑とち がうかなあ。タイ華僑は香港人やシンガポール人と違ってこういうの見慣れてな いし、おばあは旅先でてんこもりに買いモンするからなあ。」ということであっ た。

バスに帰り、30分ほど走って汕頭郊外の証果寺へ。建物は新しいが創建は宋代だ という。門をくぐって最初の建物は純中華風。キンキラキンの布袋さん=弥勒菩 薩が鎮座ましましており、両脇は阿形と吽形。











「阿形で~す。」


















「吽形で~す。」(鼻息ぶーん)



















壁には羅漢さんが並んでいらっし ゃったが、どうやら本殿タイ・ビルマ華僑の寄進で新築されたらしく、本尊の釈 迦牟尼佛はタイ風のお顔をなさっており、裏側の観音娘娘の脇時にはタイ独特の 四面佛がいた。その奥には明らかにビルマ風の玉佛が2体。

が、ここでの最大の収穫は門前町のタバコ屋の老人。あまりにもかっちょええの で目が眩みそうであった。竹の根で作った素敵なパイプにタバコを挿して吸って いて、そのパイプのいい感じの古び具合といい、よれよれの唐服の前をはだけて シャツを見せた着こなしといい、帽子といい、娘だか嫁だかが切り盛りするタバ コ屋の店先で、長椅子の上に方あぐらをかいてくつろいでいる風情といい、老人 本人の容貌といい、もはや完璧である。人生の成功者だ。相棒、頼むからこんな ふうに年とってくれ。





竹パイプ。お手製らしい。いい具合にあめ色に光っていた。

実は団友にもこれに負けず劣らずいい味の老人がいた。16人家族一家総出でご参 加の家庭の長である。つるっぱけの頭、仙人ひげ、バスツアーなのになぜか背広 (よれよれ)、はだけたカッターシャツの下にはきっちり丸首シャツ、そして杖を ついて残りの15人にかわるがわる支えられており、とどめが全部金歯。 前も。奥も。写真撮りたかったが、香港人は他人に写真を取られるのをものすご く嫌がるのが普通なので断念。

出発の遅れやみやげ物やなど、朝から機嫌の悪かった私はタバコ屋老人のおかげ でですっかりごきげんに。るんるんるん。潮州までのドライブをぐうすか眠り、 目がさめると11時半。なんか橋。何ぞいわれがあるのだろうが、寝てたのでよう わかりません。橋の中ほどに牛の銅像があった。相棒はここで潮州名物みかんを 購入。甘くはないがジューシーでおいしかったぞよ。



11時45分、陶器工場へ。香港人の家庭によくある、キンキラキンの仏像とか神像 とかをつくっていた。

















ぱっと見には兵馬庸のようだが、

















前に回ると大量の財神(福の神)とか寿星(八笑福の一人・日本の七福神の福禄寿か?寿老人?)だったりしてひざが笑う。















もちろんひとつひとつハンドメイド。小ぶりの天后があったら買おうかとおもったが見当たらず、花瓶で もと思って物色したが、いいもんはやはり高い。これはと思うのはやはり4ケ タ。相棒はるーが龍年に生まれてから龍モチーフのものを集めることにしたらし く、龍のレリーフの壺を見ている。(それまでは蓮のモチーフのものを集めていた)









龍レリーフの壺は色の濃い紫砂(工夫茶器に使う茶色の粘土)をベースに、明るい 茶色の粘土でこしらえた龍と雲を貼り付けてある。はっきり言って私の好みでは ない。が、ハンドメイドでひとつひとつ違うレリーフが気に入ったらしく、380 元を280元に値切って買っていた。(私は200元くらいかなあと思ってみておりま した。) タイで買ったセラドン焼の花瓶を割って以来、商売繁盛の幸福竹を日 本城で買った10ドルのまにあわせ花瓶に挿していたのが、どうしても気になって いたらしい。かわいいやつ。


12時半、市内の公園の中にある素食屋で昼食。あまりうまくない。食が進まず、 思わず食後に焼き芋を買ってしまう。バスに乗るなりこんどは「身障者リハビリ センター」というとことで降ろされ、お気楽パッケージツアーがこんな所になん の用?と思いつつ建物に入る。











これは香港の大富豪、長江実業の李嘉誠の寄付で建てられた施設だそうだ。しかし何の用が。

















入ってびっくり。身障者リハビリセンターの中は土産物屋でした。なぜ に。どうして。なにがいったいどうなっておるのだ。写真は中に入るのもイヤで 外から様子を伺っている相棒。うまいこと寄付を得てハコモノを作ったあと、商 売人に承包(下請け)させてテラ銭を取っておるのだな。う~ん中国奥が深いって いうか考えが浅い。観光客がどういう感想を持つかぐらい想像せんかったのだろ うか。とも思ったが、香港人観光客、気にも留めてやがらねえ。





日本のODAも世界中でこんな使われ方をしておるのだろうなあ。(詠嘆) でもアタシもう長いこと日本で税金払ってないですから、エラそうなこと言う資格ないか。消費税ちょこっと分ぐらいだな。



リハビリセンター土産物屋を出て、そこから三輪(自転車タクシー)に乗って開元 寺へ。テラスハウスの軒下に商店の並ぶ旧市街を抜ける。ああ、歩いてみたいな あ。開元寺は泉州のよりは規模が小さかったので、やっぱりあっちが本家なので はないか。ちがうかな。一瞬「開元鎮・国禅寺」かと思ったが、ちかいます。「開元・鎮国・禅寺」です。











中国南部のお寺は、門、もしくは門をくぐって最初の建物の正面に布袋様(弥勒 菩薩)が鎮座ましましている。その背中あわせには決まって護法剣持(韋駄天かな あ?)が立っている。剣の持ち方にはいろいろなスタイルがあり、相棒いわく、 それで寺の金銭的余裕がわかるのだそうだ。剣を地面に付けている場合は寺に旅 の僧を泊める金銭的余裕が無く、一泊でお立ち去り願いたいという意味。やや空 きがある場合はしばらくの逗留ならかまわないという意味。 ここのように肩に乗せている場合は僧侶を受け入れる余裕まだまだありありと いう意味、意味。ほんまかいな。















朝方行った証果寺では、地面と剣の間にやや隙間が開いていた。ここ開元寺では 肩に剣を乗せている。金銭的余裕というより、寺の格と関係あるんじゃないのか なあ。だって金銭的余裕なんかその時々でちがうでしょうが。知らんけど。













「おみくじは封建的迷信なので寺に要求しないでください」という看板がござい ました。

お寺もよかったが、お寺の中で何するとも無くくつろいで時間をつぶしている老 人たちがよかったなあ。ああいう場所があるところで歳をとりたいものだ。小一 時間ほど見物して、バス乗車。本日の行程はこれで終わり。あとは汕頭へ帰るだ け。ぐうすか寝ているうちにバスはホテル到着、4時。自由時間だほういほい。



屋台は多いが食べ物の屋台が見つからないという昨日の失敗を鑑み、ホテルのス タッフに事前調査をしてから出発。龍北市場の周りがにぎやかだよという情報に 基づいてるんるんるんと歩く。時間が早く、屋台はあまり出ていないが、壁無し 半野外レストランがどっさりあってるんるんるん。何を食べようかなー

広東風とはちょっとちがった味付けのガチョウ。肉とレバーと腰(腎臓)を切ってもらってつまんでみた。美味い。ガチョウの血を固めたものも。ぷりぷり。それからこれも広東ではなかなか見ない、見事な大きさの包子&饅頭(マントウ)売り。茶色のは香ばしい高粱味で、中にはこしあんが入っていた。








どこも店先に食材を並べている。


















貝4品。

















あめ色の豚煮。



















広東ではよほどの貧乏人しか食べない白粥だが、潮州は好んで食べる。相棒がおかずに頼んだのは豚の大腸。私は黄花菜という、まだ開いていない長い花のつぼみを食べる野菜を、味の濃いスープで湯通ししてもらった。それから揚豆腐。大腸は7塊で黄花菜は4塊、揚豆腐が3塊でお粥がなんと一碗5毛。合計ちょうど15元。やすっ!








大満足で帰途につくも、甘いもの屋があってそこにも入ってしまう。相棒はかぼちゃとウベを甘くたいたもの、私は蓮の実と銀耳のおしるこ。両方とも2塊/碗。満腹満腹。でも高粱こしあん饅頭もまだあるんだよ。旅先の買い食いは楽しいなあ。

2002年10月12日土曜日

汕頭と潮州 いちにちめ

初めての汕頭&潮州。初めての香港人むけパッケージツアー。楽しみなような楽 しみじゃないような。来週のカンボジアもパッケージツアーなので、今週は「練 習」である。練習。何の。

6時半起床。7時40分に上水駅向かいの公屋にてバスを待つ。初めての落馬州過 関だ。るんるんるん。連休初日なのだがさくっとイミグレを越えて、中国側皇崗 でバス乗り換え。案内されたバスを見てやや憮然。古ぼけた珠海製の国産車。狭 い車体に47人詰め込んで出発だ。はめごろしで開けられない窓なのに、クーラー の効きが悪くて空気がどんより。








9時出発。案の定スピードの出ないバスであった。広東省の主要都市を結ぶ高速 道路は日本なみにコンディションがよく、制限速度は一応100キロだが出せる車 はもっと出してびゅんびゅん走っている。HINOやHYUNDAIやDAEWOOや廈門金龍の 新車に追い越されるのはまだ納得もいくが、10年モノの楊州臥舗車に抜かされる っつーのはいったいどういうことやねん。80キロ出てるのかこのバス。ぶつくさ 言ってるうちにタンクローリーにまで追い抜かされ、一同唖然。しかしツアー料 金を考えると一分銭一分貨か。ファイブスターホテルに2泊して、香港-汕頭- 深センの交通つきで、食事6回付きで一人599ドル。

朝が早かった我々はぐうぐう寝てしまった。起きると昼食。11時半。后門という 汕尾に近い町で、ドライブインレストランがどっさり並んでいる。我々のバスが 止まったのは、その名も「后門飯店」。裏口でこっそりメシを食っているような 落ち着きの悪さである。后の字は正式には魚偏なのだそうだが、そんな字普通語 にはないんじゃないかな。

食事は覚悟していたほどひどくはなかった。豚のラードでがっつり炒めた野菜は 独特の香ばしさであり、ピーナッツオイルやカノーラオイルの香港では食べられ ない味だ。コレステロールとか的には最悪なわけだが。しかし団友(ツアーメイ ト)がみんな料理の数を真剣に数えるのでちょっとびっくり。皿数はツアーの食 事においてはきわめて重要な項目なのだそうだ。料理の数に関する言葉が「一汁 一菜」ぐらいしかない貧しい島国から来た田舎モノの嫁には、ようわからん感覚 です。

食後は高速に乗らずにそのまま汕尾の天后廟へ。このあたりの言葉は、も はや広東語ではなく、どうやら潮州語に近そう。天后廟はかなり大きく、福建風 の装飾屋根が美しい建物でした。相棒は早速お線香を買って焼香していた。半時 間ほど見物して出発。












再び高速に乗って汕頭へ。またしても後続車に追い抜かされ続ける。途中の恵来 という街に大きな教会があり、多分カソリック系。小さな教会も結構たくさん見 たので、このあたり、戦前の布教活動がよく成功した地域なのだな。相棒の故郷 にも新旧問わずクリスチャンはけっこういる。伯父たちもそうだし、香港で一番 親しい同級生は牧師だ。日本では私の身のまわりにはあんまりいなか ったなあ。

汕頭に近づくにつれ、豊かな水田に点在する農家の建物が美しい。30分ぐらい走 るごとに建築様式が微妙に違ってきて、それも見ていて楽しいのだが、古い建物 だけではなく、どう見ても最近立てられた家も、全中国どこでも見られるタイル 張り3階建ての味気ない建物ではなく、その地方の伝統的な様式にのっとって建 てられている。コストを考えても、利用できる面積(伝統的家屋は平屋建て)を考 えても、どうみても割に合わないと思うのだが。美意識とかメンツとか、なにか 理由があるのだろうか。相棒仮説:景観保護地域に指定されていて、このスタイ ルの家しか建てられない。<真偽は如何。

汕頭に到着したのはもはや夕暮れ時。深センから300キロしか離れてないのにな あ。泊まるべきホテルの前を通り抜けて、バスがまず泊まったのは茶芸館。お茶 屋です。工夫茶を何種類も飲まされ、おいしかったりおいしくなかったりだ ったが結局何も買わず。だって高いもん。スワトウ名物刺繍もあった。ハンカチ 一枚いちまんえんぐらい。さすがに綺麗だけどね。 茶屋を出てこれでホテルに入れるかと思ったら、バスはなぜかさらに郊外へ走 り、薄暗い汕頭大学の敷地内に入って一周、バスに乗ったまま構内を見学。なん か面白いですか?大学。それからもはや暗くなった街を走ってレストランへ。

レストランはいっぱいで席がなく、しばらくバスの中およびレストラン入り口で 待つことに。半時間ほども待ってやっとこさ着席。ここでも団友の皆様方は皿の 数を数えていた。味は馬虎。魚のすり身を竹輪ふうにしたのがたくさん浮かんだ スープがおいしかった。9時ごろホテルにチェックイン。客のほとんどはタイ& シンガポールの潮州華僑。部屋はシンガポール系のホテルらしく、体を洗うシャ ワーがバスタブの外についていてるんるんるん。新しくてキレイでよかったよ ん。

オプショナルツアー「夜の汕頭と風味小吃」に誘われたが不参加。すまんのう。 バスの中からめっこをつけていた繁華街へ。しかし食べ物屋台はあまりなく、不 本意。小さいつまらん物を売る屋台がたくさん出ていて、にぎやかだった。三輪 (自転車タクシー)ホテル近所まで帰り、ホテル向かいのタイ料理屋で魚頭カレー と豚の首の肉とパラッタ(インドの主食の一種)というわけのわからん取り合わせ でビール2本飲んで、今日はおしまい。

2002年3月31日日曜日

無事の航程に感謝


目が覚めると雨。荷物の整理をしてるーにミルクをやっていると、だんだん小降りになってきた。るー、パパイヤ匂いのうんこ。9時ごろに雨がやんだので、散策に出かける。宿のすぐそばに観音廟があり、無事の航程を感謝し、帰途の安全を祈願して丁重に拝む。

裏の公園でるーを少し歩かせてから、チャイナタウンへ朝食に出かける。相棒、もはや我慢できなくなったらしく、飲茶屋へ入る。帰ったらいくらでも食べられるのに…。果たしてたいして美味くない。551の蓬莱とみまごうばかりのサイズの肉まんがあり、香港では見ないサイズなので注文してみたら、これはおいしかった。

相棒と私の職場の土産用に、肉乾(はちみつを塗って焼いたやわらかいジャーキー)を購入。300gのが4袋、500gのをひとつ。500gのは自宅用だ。でへへ。干しマンゴーとするめも買った。シンガポール航空のフライトアテンダント制服布で作ったるーパジャマを探すも、どれもこれも大きすぎる。相棒は福建語TVコメディのVCDを2枚、私は「小さい靴」というイラン映画のが投売りに出てたので購入。全然シンガポールみやげとちがうやん。3枚で10ドル。残っていたマレーシアリンギットをシンガポールドルに替えると、もう時間だ。


チェックアウト。まあまあの宿であった。 タクシーで空港へ。チャンギ国際空港は本当によくできた空港だ。堅苦しさの全くない、くつろいだイミグレーション、にもかかわらずきわめて効率よく合理的なデザインと運営。香港空港の無機質さに比べるとやはり私はシンガポールに軍配をあげてしまう。






るーは空港を暴れまくり。走り回り、免税店に突進し、階段があれば登り、降り、清掃用ワゴンが通ると自分も押したがり、電動カートが有れば自分も乗りたがる。疲れ果てた私は空港内のおもちゃ屋で、つまらんおもちゃを9ドルも出して買ってしまった。これでおとなしくしてくれ、頼む…。おもちゃをもらったるー、大興奮でおもちゃをもって走り回り、挙句にところかまわずおもちゃをぶんなげる始末。あかんやん、るー。

やっとこさ登上時間。行きと同じ機体でおなじアテンダント。席もほぼ同じ。行きはもらえなかった子供用おみやげをもらう。ウォレスとグルミットのウェストポーチに、トランプと色鉛筆と鉛筆削りとぬりえ絵本と迷路のおもちゃが入っていた。るーには早すぎ…なのでママがもらってあげよう。うはははは。旅の終わりに誕生日プレゼントもらっちゃったよ。あとはるー、到着までおとなしくしててくれ…ってあかんか、やっぱり。


支出まとめ。
エアチケットHK$4,060(JPY69,233)
フェリーHK$1453(JPY24,781) 
シンガポールでのタクシーHK$269(4,584)
ティオマンでのボートチャーターHK$483(8,236)
交通費総計HK$6,265(JPY106,883) 

ホテル一泊平均HK$242(JPY4,118)
宿泊費総計合計HK$1,932(JPY32,945) 
おみやげ HK$420(JPY7,162)
食費その他 HK$1,485(JPY25,323)
出費総合計HK$10,228(JPY174,412) 

るーを0.1人として一人HK$4,870(JPY83,053) 以上だホイ。中級レベルの旅行であった。

2002年3月30日土曜日

明日は帰国だ


朝から大雨。なんてこと。どうやってシンガポール行きフェリー乗り場までたどりつけばいいのだ。道がないので小船を出してもらうより他は無いのだが。ううう。

荷物の整理をして、るーを遊ばせる。昨日の宿より広いテラスでよかった。空がだんだん明るくなってきて、12時過ぎ、雨はほぼあがった。チェックアウトして船を出してもらう。飛行場へむかうアメリカ人夫妻とまとめてもらったので、屋根のある大きい方のボートになった。信じられないほど透明な水の上をボートはかっとばし、フェリーピア到着。

そこはベルジャヤ・ティオマン・リゾートというファイブスターホテルの敷地内で、前は素敵なビーチである。泳ぎ足りないままに海パンはきっぱなしの相棒は早速走っていった。(で、そのまま海パンはいたままシンガポールに帰った。) 私は荷物とるーとともに取り残され、炎天下にはしゃぎまわるるーを追いかけて死ぬ思いをし、とうとうるーを座らせる必殺技「かっぱえびせん」を乗船前から繰り出さざるを得なかった。えびせんぱーんち!えびせんきーっく!えびせんすくりゅー!えびせんぼんばー!ぎゃらくてぃか・えびせん!

船に乗ると同じような月齢の子が2人ほどいた。どちらもオーストラリア人で、中華系オーストラリア人のママに、一方のご主人はオーストラリア白人、もう一方はインド系。む、よく考えるとるーもハーフか。将来言うんかい。「俺、ハーフやし。」どの口が言うねん。この口か。ひねったろか。今ひねっといたろか。そして17ヶ月だと言ったらでかい白人パパに「う~ん、Big boy!」と言われるるーのでかさよ。ほんとはFat boyと言いたかった…なんてことはな

だろうな。

美しい夕焼けとともにシンガポール・タナメラ・フェリーターミナル到着。タクでホテルへ。もう日が暮れてしまった。夕食はチャイナタウンの屋台街で。私は薄餅とサテー(マレー風味の串焼肉)、相棒は羊肉スープと揚げ豆腐。鬼畜な両親が先に満腹してから、おっとり刀でるーミルクを探すも、いつも飲んでるやつがなく、同じブランドの廉価版しかない。るー、飲むかなあ? 明日の飛行機内用のかっぱえびせんとあわせて購入。

るーが突っ込んでいったみやげ物屋の店員にいきなり「あんた何人だ?」とマンダリンで聞かれた。「どこだと思う?」と聞き返すと、「中国のどこなんだ?」と。香港だと答えて立ち去ろうとすると、私がるーに話し掛けている日本語をしっかり聞いていたらしく、香港にそんな「語言」があるのか?としつこく聞いてきた。私のベタな大阪弁を、中国のどこかの方言だと誤解したらしい。珍しくショージキに答えてなごんでみた。

果物をどっさり買い込んで宿に戻った。甘い、ねっとりしたジャックフルーツ。パパイヤ、黄色いのと赤いの。メロンはマレーシアのとオーストラリアの。このオーストラリアのメロンがほっぺたが落ちるほど甘く、るーに食べさせるとおいしがっておいしがってぱくぱく食べた。どんどん食え。もっと食え。パパイヤもやわらかいなりに歯ごたえのある食感がおもしろいらしく、ひときれほとんど全部食べてしまった。食え食え。

食って寝た。明日は帰国だ。

2002年3月29日金曜日

ティオマン最後の日


朝8時ごろ、次の客が到着したからなるべく早くチェックアウトしてくれと頼まれてむかっ。ベイベエ連れになんてこと言うんだ。昼寝の場所が必要なんじゃわいとゴネて居座りつつ、今夜の宿が空き次第移ることにする。


宿が空いたので移動。


















今夜の宿はバルコニーが広く、椅子のほかにハンモックがついているというラブリーさだ。さっそくるーを昼寝させる。小さいので網の両脇が余ってしまい、押さえていないとるーが完全に中にくるまって繭状になってしまう。それはそれでかわいいが。















そんでもて目の前が海!
美しいビーチ!!!


さて暑い日中は昼寝で過ごし、夕方からボートをチャーターしてスノーケリングにおでかけ。コーラルアイランドといういかにもな名前の離島に行くのだ。ちび連れで行くので屋根つきの大きなボートをチャーター。送迎だけではなく3時間程度借りっぱなしにしたので、RM150と高くついた。小さいほうのボートだと
RM100。チャーターではない場合、コーラルアイランド往復がRM30 、モンキーベイ往復一人RM20、ティオマン島一周一日ツアーが一人RM35。


るーに海パンをはかせ、水とおやつを持ってさあ乗船。宿のオヤジが自ら運転するようで、私たちに「友達を乗せていってもいいか?」と言い出した。私は相棒と顔を見合わせ、「その「友達」とやらからもカネを取るんなら、私たちはこのボートをチャーターしたんだからお断りする」と言いかけたところ、水中メガネと浮き輪を抱えてやってきたのは彼の奥さんと姪と3人の子供たち。それって「友達」じゃなくて「家族」じゃん!子供とるーは毎日遊んでいるうえ、おもちゃを貸してもらったりもしているのでもちろん快諾。

というわけでアイランドホッピング。かっとばして20分程度、ここがベストスノーケリングポイントだと島沖の岩場に船をとめてくれた。確かに珊瑚は見事で、3-4mの水深に見事な枝サンゴの群生が見え、ダイビング中の船も何艘か停泊している。たがここだと子供たちは船から下りられないし、女性2人も島の人なのになんと泳げないようで、救命ベストを着込んでいる。ビーチ近辺に珊瑚礁があるならビーチに行ってくれとお願いし、美しいビーチに付けてもらった。

薄力粉のように粒子の細かいビーチから、数歩ですぐに珊瑚礁。引き潮なのでサンゴでおなかをこすりそうである。気をつけて少し沖まで出た。ん~。ん~んんん~。あーもうイヤになってしまう。なにこのラブリーな枝サンゴは!ああ、2年ぶりなのでちょっと興奮しているのねワタシ。でも2年前のフィリピンはセブ沖でダイブだったのであんまりたいしたことなかったぞ。香港のサンゴはたいしたことないし、その前のピーピー島がよかったな~、ボートのチャーター代は安かったしな~、特大の石班を2条もモリで付いてもらったしな~、でもサンゴはこっちのほうが上かな~。

などとすっかりハイになりつつも堪能し、相棒と交代。ビーチ奥の日陰で遊んでいたるーを波打ち際に連れ出し、水につけて遊ぶ。ってるーを遊ばせているというより、あたしがるーで遊んでるのか。足元まで寄ってくる魚をひゃあひゃあ言いながら指差するー。ママの支えつきで背泳ぎを楽しみ、波打ち際のサンゴを拾ってはかんかん打ち合わせて喜び、波に足をすくわれてすってんころりんし、宿のおっちゃんが拾ってきた黒ナマコを不審そうにみつめ、触り、けっこう楽しんでくれたのであった。

さっきの沖合の岩場に未練があり、やはり行ってもらうことにする。オヤジがるーは見ていてやると言うので、相棒と2人で飛び込んだ。う~ん。お見事。もう日がかげってて太陽光の入角度が浅いのが惜しいが、それでも楽しめた。るーといっしょに楽しめるようになるにはあと10年かなあ。ダイブは15年。それまではこうやってちまちま楽しむか。 船にあがると、すっぽんぽんのるーはバスタオルにくるまれ、体格のいいおっちゃんに抱かれて
まったりしていた。全く人見知りをせんヤツよのう。帰って夕食とって本日は終わり。ティオマン最後の日はなかなかいい日であった。

2002年3月28日木曜日

人見知りってなんじゃらホイ?


の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ。



人見知りってなんじゃらホイ?


左から、1歳・3歳・4歳。



猫と俺。


ん~、水がウマイ。


疲れたらそのへんのハンモックでお昼寝。


こうやって三日が過ぎた。

2002年3月27日水曜日

A boy meets a boy.


の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ。


"A boy meets a boy."



浅黒い肌の彼と出会った。



年上の彼は積極的だった。(僕もヘソを出してこたえてみた。)



僕らはすぐ親しくなれた。



砂遊びをして遊んだ。



誰だ、ぼくらのことをむちむちブラザーズと呼ぶのは!?

2002年3月26日火曜日

の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ


の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ。




 「仲間に入れてよ。」

「身長おんなじくらいだね。」


「あっちにだれか来たよ。」

「みんなで遊ぼう。」

 「それ、おいしい?」

「あげようか?」

 「ぱくっ。」

「なにこれっ、おいしいおいしいっ。はぐはぐはぐはぐっ。(人生初ポテチ)」


「そっちもちょうだい。」












などとしているうちに一日が過ぎます。

2002年3月25日月曜日

ティオマン島に移動


6時前に起床。タクでフェリーピアへ。船が出るのは8時半だが、イミグレを越える必要ありなので念のため。タク内でるーの朝ミルク。早すぎたのだろうか、フェリーピアの待合室ではしゃぎまわって全部吐く。自分が病弱な相棒が「風邪か!?」と血相を変えるが、何事にも鷹揚な母は「いつもに比べて早かっただけじゃい」と気にも止めない。果たして、乗船後にもういちどどっさり飲み、ぶりっとうんこをたれて元気一杯であった。








1時、ティオマン島に到着。神秘的な起伏を持つ島である。

フェリーの乗客が皆、五ツ星級リゾートホテル差し回しの迎えの車に乗るのを見送りながら、屋根もない、公園の遊覧ボートにエンジンつけただけのような船でエア・バタンビーチを目指す。一人RM20もしくは S$10も取られてしまった。岸を遠く離れた海上で何度もエ
ンジントラブル、けっこうはらはらした。いつもなら笑い話だが、今回はるーがいる。









さて目指していたABC(エア・バタン・コテージ)が混んでいて、RM45の狭い部屋しか空いていない。人気のバンブー・コテージはもちろん満室、隣のNazri IIでエアコンとホットシャワー付RM100の部屋を見つけるも、4泊分しか空いていない
のだと。週末からのイースターホリデーにシンガポールから大量に行楽客がくるのだなあ。それにしてもたった4時間でこんなところに来られるシンガポール人のうらやましさよ。

←とりあえず4泊をRM320に値切って部屋を確保。一泊RM80、HK$162、邦貨2700円。タイやインドネシアと比べるとやはり高いなあという感は否めない。




まあいい、とりあえず洗濯だ。

部屋はなかなかよかった。エアコンはリモコン付き、ホットシャワーとともになんとシャープ製。ベッドはダブルで、ソファとテーブルに鏡台もあった。コンセントがあって、るーミルクが作れるのも大助かり。特大のスーツケースを開けられるだけのスペースもあった。そして目の前が海。むふふ。のほほ。ひょへへ。










昼食は鯖のフライ、いかとたまねぎのいためもの。るーごはんはバナナミルクシェイク。魚の皿がテーブルに到着したとたんに、猫が足元にわらわらと集まってきて、生きて動いている猫を初めて見たるー、大興奮。宿の子も出てきて、るーと遊び始めた。遊べ、るー。社会性を身につけて来い。












ビーチ沿いの小道を散策。せせらぎやラグーンを越える木橋をいくつも渡る、気持ちのよい道であった。

















←バンガローがいくつもあったが、今夜の宿よりよさそうなところはなさそうだ。安いことは安そうだが、狭かったり、隣のバンガローとくっつきすぎていたり。見たところ一番よさそうなのはビーチ端の バンブー・コテージだが、ここを2ヶ月前に調べたときに
は、もう予約は一杯であった。次の機会があれば泊まってみたいなあ。












宿で50センチぐらいのトカゲを見かけ、「スリランカで見たやつより小さいなあ」などとぬかしていたら、散歩の途中の川べりで見てしまったのが、なんとびっくり2メートル。もっとか。













私:
「ぎゃー、草食やろなこいつー!」

相棒:
「おお?マレー人はトカゲは食わんのか?」

全く正反対の発想である。










で、でけえ…。こんなんが民家の周りをうろうろと…。
















さて夜。おむつをはずしてもらってすっきりおけつのさっぱりるーちゃん。さっそくママのひざの上でちっちをたれただけではあきたらず、たちあがってそのままうんこ。パパがシャワールームにかっさらっていったが、パンツの横からぽろりとおちた、モンキーバナナそっくりの黄色いにゅるっとしたやつに、わあわあ言うだけで手が出ない。見かねた私がためらいなく素手でつかんで便器に放り込むと、相棒は静かにショーゲキを受けたようだ。アホですかあんたは。私はるーのママなのよ。

2002年3月24日日曜日

シンガポール動物園へ

朝食は麺。

日曜で、航空会社もどこの旅行会社も休み。旅行会社が休みなのは、商売第一の香港では考えられん。ティオマン島行きの飛行機が予約できないので、やはりフェリーで行く事にする。子連れだからゼイタクしてみたかったのに。くっすん。

MRTとエアコンなしバスを乗り継いで、空港そばのタナメラ・フェリーターミナルへ。大人往復S$150+ターミナル使用料S$2、あかんぼ往復S$42の計SP$346。ををを、HK$1500近いではないの。けっこうするなあ。チケット購入し、明日の分のボーディングパスまで先に取ってしまってから、またしてもエアコンなしバス +MRT+エアコ
ンバスと乗り換えて動物園へ。っていうか全然ゼイタクしてない、あいかわらずのみみっちい旅行だ。おまけに昼食はKFC。動物園には他に選択はなかったのだ。

るーは始めてみる動物に興奮しっぱなしだったが、最後にゾウに至近距離でぱおーんと吠えられて一瞬固まったあと爆泣き。周り中の大人に笑われていた。私はオランウータンに再会できてうれしかったし、るーよりちいさいコビトカバの赤ちゃん(まるまるしていて、つるつるしている)にも会えてうれしかった。

←これは普通のカバ。だからでっかい。





ここにサルがいる↓





夕暮れ、チャイナタウンに帰って夕食。ちょっとは美味いものも食いたいが、一方が食べている間は一方がるーを連れてその辺を歩いておらねば成らず、ドアのある店ではだめなのだ。というのは口実で、なんとSP$2のハイナニーズチキンライス(海南鶏飯)を私が発見、指差すと相棒が突進。チキンライスを2皿と揚げ豆腐を注文。この安い鶏飯がしかもけっこう美味かったのでさらに一人分打包してお持ち帰り。今日の夕食はそれでも全部で550円…

またしても果物をどっさり買い、持ってかえって鶏飯弁当といっしょに夜食。シンガポール、英語と普通語が共通語なので、いつも香港で不自由な思いをしている私にとっては外国に来たとは思えないお気楽さ・お便利さである。

2002年3月23日土曜日

カンタスでシンガポールへ

日本への里帰りで、なんとか4時間以内のフライトならヨソ様にあまり迷惑をかけないでも済むんではないかと判断したため。他に候補に上がったのはプーケット・クラビ・パタヤ・ラヨーン・ホアヒン・コタキナバル・クチン・ランカウィ・パンコールなどだった。とにかく海に行きたかった。

最も安易なプーケットは、そのうち実家の両親などと合流していく機会がありそうなので今回はパス、コタキナバルとクチンは10連休が取れてしまい、シャングリラなんぞに泊まった日には予算オーバーなので見送り。結局、るー連れでどのくらい機動力があるかわからないので、とりあえず安易なところを第一地点とし、動けそうだったら我々好みの田舎へ行くという判断で、シンガポールからティオマン島へというルートになった。

飛行機はQF、カンガルーのマークのカンタスエア。ガルーダが最も安く、1200ドル台(この円安でも邦貨二万円ぐらいっスよ)と激安で私は食指が動いたが、なぜか相棒が強硬に嫌がり、1600ドル台のカンタスとなった。以前にジャカルタからシンガポールまで乗ったときの印象がよかったらしい。あの時はキャビンクルーが全員ポロシャツに短パンと、めちゃカジュアルな雰囲気で、それはそれで居心地よかった。

さてチェックイン。前が広めの席をリクエストしたが、もう無いと言われた。乗ってびっくり。ここは託児所かー!というぐらいあかんぼがいる。子供もいる。隣とその後ろはそれぞれふにゃふにゃの新生児ちゃん。とにかくそこらじゅう子供だらけで、イースターで里帰りのオーストラリア人+オーストラリア在住香港人たちと見た。この便はシンガポール経由でパースへ向かうんである。ちなみに乗務員はちゃんとした服を着ていた。

というわけでるー連れでもちょっと気がラク。とはいうものの、周りに迷惑をかけないように全力でるーの世話をしていたため、機内食は食べはぐった。(相棒はしっかり食っていた。)飛行機は2時44分に離陸、6時に着陸。なんと私は自分で予約した安ホテルの名前がどーしても思い出せず、空港の無料地図でめっこをつけてタクシーで乗りつけるという暴挙に。あはは、ビンゴ!タク代は空港からだと何かの費用がちょっと加算されて、S$19とちょっと高かった。

ホテルはSP$80のダブル。3階建ての小さな宿であった。部屋は狭いが清潔で、シンガポールではこんなもんが相場だろうと思う。裏が公園で結構静か。シンガポールでいつも小さな幸せに浸ってしまうのが水道水。美味いのだ。むかしむかしの日本の水のように。歯磨きをするたびに幸福感に満たされる。香港の水はひどいからなあ。シンガポールでは私は生水を平気でごくごく飲んでいる。ローカルもそうなのだろうか?

ささいなことだがホテルの便器。 SANITONというメーカー製である。サニタリーなマートンかい!とベタな突っ込みを入れてしまった私であるが、きっとそのまんまのベタなネーミング。(衛生的馬桶…)

さてこのホテル、チャイナタウンという場所柄、安い食事には事欠かない。 「お、これは福建菜(福建料理)?」と相棒が選んで入ったできあいメシ屋で、相棒は魚の切り身のフライ、たたき肉とピーナッツの炒め物、魚のすり身を蒸したもの、私がナスの水煮、豆とひき肉のいためもの、ひき肉とくわいを湯葉でくるんで揚げたもの、を注文したところ、すべてがバナナの葉の上にてんこもりになって出てきた。もちろん全部辛い。な~にが福建菜。相棒、とりあえず第一戦目は敗北である。

夕涼みにぶらぶらする人々にまじって我々もそぞろ歩き。串売りのパパイヤ・ジャックフルーツ・パイナップルを買い食いし、冷たい豆乳を飲んでから、小さいシャンプー&リンスを買って帰ってきた。私は今日32歳になった。いい誕生日だ。


←ホテル。ベッドの幅と部屋の幅がだいたい一緒。

相棒シャワー時にるー、うんこ。こぶりの鶏卵大のがふたつ、ごろっとでていたので、今日は固かったわねと思いつつおむつをはずしておしりを拭き、相棒と入れ替わりにシャワーなのでそのままおけつまるだしにしておいた。目を離していると妙な予感。っていうか妙なにおい。るーのいる方を見ると、うずらの卵大のやつがキレイな等間隔に、ぽとんぽとんぽとんと3つ落ちており、その先でるーがしっかり中腰でよっつめをふんばっていた。るー!産むなー!