***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年3月31日日曜日

香港出発

当日朝もまだ荷造り…しかもパスポート行方不明…

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【前回までのあらすじ】 香港在住のすちゃらか夫妻。新婚旅行として一年の旅に出る資金も無事なんとかなり、あとは脱兎のごとく鉄砲玉のごとく出発するのみのはずだったが、嫁の方が前の職場からどうしてもと慰留され、フラットの契約が切れるからと断ってみたものの、では宿は手配しますからと、とうとう夫婦そろって一ヶ月のホテル住まいまですることになってしまい、ラッキーなのだかあんらっきーなのだかさっぱりわからなくなってしまった夫妻だが、そんな日々ももう終わり。両名ともすっぱりきっぱり念願の住所不定無職の身となり、ラブラブ新婚旅行へ出発である。しかし・・・
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本日から一年程度の予定で旅行。2時に廈門行きの船に乗船するためには、 12時にはイミグレを通過してチェックインせんとあかんというのに、 相棒のCI - Certificate of Identity、やはり行方不明。マジでどうすんねん・・・

Certificate of Identityとは、中国生まれで香港に7年以上居住した香港人が、パスポート代わりに使用するTravel Document(旅行書類)。中国から香港へ来る移民は中国パスポートを持たず、「単行証」という書類で国境を越えてくる。彼らに対し、返還以前の英国植民地政府が発行していたのがDI - Document of Identity。これも旅行書類だが、渡航できる国が非常に限られる。

彼らが犯罪暦なども付かず、無事7年の居住期間を満たすと、香港居住権が香港永久居住権に昇格する。そしてDIの代わりにCIを申請できる。相棒は長い間このCIを使って世界各地を旅行してきた。日本やヨーロッパなども問題なく行けるので、使い勝手が悪いものではない。しかし、あくまでもパスポートではないので、海外で事故になど巻き込まれた場合、どこの大使館保護も受けられない。

そこで私は相棒に、BNO - British National Overseasという英国植民地パスポートの申請を提案していた。もっと実用的な理由として、CIではインドネシアに渡航できないからというのもある。インドネシアは共産テロを弾圧した歴史があり、大陸中国人に対してはビザが非常におりにくい。CIにビザは下りないが、BNOならビザ無しで渡航できる。そのBNOの申請はすでに済ませた。だが要は国籍を変えるのと同じ手続きであり、いつ認可が下りるのかはわからない。わからないままに予定通り長い長い旅行の出発日となってしまい、とりあえずはCIで出発せねばならない。
が、そのCIが行方不明なのだ。

香港人は中国大陸へ行く際には「回郷証」という別の手帳を使用するため、本日の乗船はとりあへずなんとなかなるのだが。なんとかなるってったって、永遠に何とかなるって訳ではない。つーか、どうにもならんぞ、おい。

考えてもしょうがないので(考えろ!)、荷造りに精を出すことにする。私の作業着(仕事用のスーツなど)は、相棒が叔母の家に預けに行ってくれた。私は職場に連絡し、もし私物(寄贈した書籍など)の中から相棒のパスポートが発見されたら預かっておいてもらえるようお願いする。職場の人、ゲラゲラ笑う。仕方なく私もゲラゲラ笑う。

相棒が叔母の家から帰還。このくそいそがしいのに、「はっ!銅鑼湾の天后娘娘に旅の安全を祈願しに行かなくては!」 くっくう~、わかっとんのかこいつぅ~。

以上のことをそっこーですませて、正午、チェックアウト、タクシーを拾う。船は2時の離港だが、国際線の飛行機とおなじで2時間前チェックインなのだ。タクは12時半にチャイナ・ホンコンシティ(中国行きフェリーターミナル)に到着し、イミグレをさくさく越えると、1時前、無事チェックイン。ほっと胸をなでおろす。

日本の実家に電話。誰も出ない。50ドル分のテレカ買ったのに。

2等の二人部屋はとても狭かった。しかし洗面台にせっけん、歯ブラシが付いている。ベッドはダブルデッキ。

船はやや遅れて2時半に離港した。2年間住んだ香港を、ゆっくりと離れてゆくこの感覚といったら・・・うう、ヨダレがでるほど幸せ。船上の空気は冷たいが甘かった。今日からしばらく、当日と翌日のことしか考えなくていいのだ。

船の上から国際電話がかけられるかと思ったが、そこまでの設備はないようだ。例によって船酔いが始まったのでとっとと寝る。