こましな宿を決めて郊外ツアーに出かける。
***このブログについて***
書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。
2007年12月31日月曜日
2007年12月30日日曜日
day 9 Danang Museum
昨夜早く床についたので、今朝は六時半には目が覚めてしまった。雨の音。大雨だ。本日が移動日でよかったなあ。
八時に頼んであったタクシーでダナンへ。朝のすいている道とはいえ、大雨の一般道路を90キロでとばされるのはいい気分ではない。博物館でおろしてもらった。
ダナンの博物館は、古チャンパの石彫では世界一のコレクションだそうだ。ほとんどがヒンドゥーの神々。目がハート型になりそうな展示であったが、ここでもネックは小僧。まあ、子供が見て楽しいもんでもないよなあ。
飴玉などを与えて、なだめすかしなからじっくり見る。ベトナム中南部にはチャムの遺跡が数多くあり、日本からだと遺跡専門に周るツアーなどもある。
博物館は光線をよく取り入れるように設計されていて、解放感にあふれた作りだった。現在のチャム族の風俗の紹介などもあった。北にキン族(ベトナム)、南にクメール(カンボジア)という手強い敵に挟まれ、一時はジャワの王族から王妃と迎えるほどに強大だったチャンパ王国は、今は跡形も無い。チャム族もまた両国にまたがるイスラム系の少数民族として生きるのみである。
いい博物館であったが、小僧連れではそうそう長居もしていられず、あきらめて食事に向かう。歩いていける距離にあるはずだったレストランは移動だか閉店だかでなくなっており、仕方なく向かいの現地めし屋に入る。期待していなかった旨さ。腸粉に葱頭の揚げたのと肉鬆をかけてたべる小食が、大VND12K、小10K。さつま揚げに似たものが12K、コーヒー4Kx2、バナナ1K。合計VND59K、HKD29.5ナリ。
タクシーで駅へ。この大雨ではどこへもいけない。
ベトナム語では駅は「ガー」と言うのだろうか。小僧が赤ちゃんの時の小僧語では、汽車と電車は全部まとめて「ガー」であったよ。
ダナンは軍港でもあるので、休暇で里へ帰るらしき水兵さんがたくさんいた。
待合室は11:08のHCMC行きを待つひとでいっぱいだった。列車は一時間遅れで12時過ぎにやって来た。我々が乗るのは13時の便、やっぱり一時間ぐらい遅れてくるのかなあと考えていたら、15分程度の遅れでやってきてくれて助かった。
八時に頼んであったタクシーでダナンへ。朝のすいている道とはいえ、大雨の一般道路を90キロでとばされるのはいい気分ではない。博物館でおろしてもらった。
ダナンの博物館は、古チャンパの石彫では世界一のコレクションだそうだ。ほとんどがヒンドゥーの神々。目がハート型になりそうな展示であったが、ここでもネックは小僧。まあ、子供が見て楽しいもんでもないよなあ。
飴玉などを与えて、なだめすかしなからじっくり見る。ベトナム中南部にはチャムの遺跡が数多くあり、日本からだと遺跡専門に周るツアーなどもある。

博物館は光線をよく取り入れるように設計されていて、解放感にあふれた作りだった。現在のチャム族の風俗の紹介などもあった。北にキン族(ベトナム)、南にクメール(カンボジア)という手強い敵に挟まれ、一時はジャワの王族から王妃と迎えるほどに強大だったチャンパ王国は、今は跡形も無い。チャム族もまた両国にまたがるイスラム系の少数民族として生きるのみである。
いい博物館であったが、小僧連れではそうそう長居もしていられず、あきらめて食事に向かう。歩いていける距離にあるはずだったレストランは移動だか閉店だかでなくなっており、仕方なく向かいの現地めし屋に入る。期待していなかった旨さ。腸粉に葱頭の揚げたのと肉鬆をかけてたべる小食が、大VND12K、小10K。さつま揚げに似たものが12K、コーヒー4Kx2、バナナ1K。合計VND59K、HKD29.5ナリ。
タクシーで駅へ。この大雨ではどこへもいけない。
ベトナム語では駅は「ガー」と言うのだろうか。小僧が赤ちゃんの時の小僧語では、汽車と電車は全部まとめて「ガー」であったよ。
ダナンは軍港でもあるので、休暇で里へ帰るらしき水兵さんがたくさんいた。
待合室は11:08のHCMC行きを待つひとでいっぱいだった。列車は一時間遅れで12時過ぎにやって来た。我々が乗るのは13時の便、やっぱり一時間ぐらい遅れてくるのかなあと考えていたら、15分程度の遅れでやってきてくれて助かった。
2007年12月29日土曜日
day 8 @Hui An
起床。泊まり心地は悪くなかった。延泊を申し込みに行くとなんてこと、Full。会安に4泊して4泊とも違う宿に泊まるとは。アホアホな私達であるがコレも行き当たりばったりの旅の醍醐味、よしとしよう。
とりあえず朝食。オープンエアのレストランでブッフェ。ぼろぼろのサッカーボールが転がっており、そのボールと、朝食を食べ終わってぶらぶらしていた同い年ぐらいの白人の男の子を交互に凝視していた小僧、意を決して立ち上がり、なけなしの英語力を振り絞った。
小僧:「いずでぃすゆあぼー?」
男子:「No.」
小僧:「れっつぷれい?おーけー?」
男子:「OK!」
いい意味でいい性格ですよね、小僧。
食後に近隣の宿を見て回るも、いずこもFull。もしくは普段は使ってないようなひどい部屋しかなく、あきらめてチャリを借りて違うタイプの宿を探しに行く。中級クラスの宿はニューイヤーの団体客受け入れでいっぱいいっぱいのようなので、方針を変えてバックパッカーが泊まるような安い宿を当たる。会安古城内の安宿を当たると、最後の一室が残っていた。USD15。安いし、時間ももったいないのでここに決定。なんと昨日泊まっていた宿と同じ経営だという。昨日の宿に預けてある荷物は昼までに運んできておいてくれるというので、借りたチャリでそのまま遊びに出かけた。対岸の会安半島へ。
いい天気だ。安楽寺というベトナム大乗仏教の寺があり、参拝。というより、寺らしき建物に”Chua An Loc”という看板がかかっていたので、これは安楽寺という意味だろうと推測しつつ入ったらその通り、本堂内部に漢字表記があった。ダナンの仏教徒が寄進したという、大きな大理石の観音像があった。
さらにサイクリング。小さな祠があった。中国風ではあるが、やはり中国のものとは違う不思議なエキゾチックさ。半島をくるりと一周りして旧市街へ戻り、ホテルに帰って水着に着替えた。本日はビーチの日だ。天気もいい。
またしても5キロのサイクリング。途中の店”ZON”でランチ。魚をバナナの葉で包んでBBQにしたものは香ばしくておいしかったが、トマトソースのペンネはいまひとつ。ソースじゃなくてケチャップでしょこれ。
ビーチに行くと朝食の時に遊んだ男の子の家族がいて、向こうも小僧に気づいて遊びたそうに寄ってきた。セパタクローのボール、二度目の出番である。家族の両親はシンガポール在住のベルギー人で、10月には香港に旅行したそうな。シンガポールよりもずっと中国的で面白かったという。そうだろうな。香港は最近、MTRの広告などもこれまで必ず中英文両表記だったものが、漢字一辺倒になりつつある。コスモポリタンではなくなった香港というのは、存在価値の危機だと思うのだが。
夕暮れまで遊び、うみっぱたの海鮮レストランで食事。蟹USD10/kg。二杯選んだら1.1kg。新鮮でお肉むっちりで美味美味。冷凍ではない鶏肉のBBQ、シーフード炒飯、ビール。
チャリでチャリチャリっと帰りました。
とりあえず朝食。オープンエアのレストランでブッフェ。ぼろぼろのサッカーボールが転がっており、そのボールと、朝食を食べ終わってぶらぶらしていた同い年ぐらいの白人の男の子を交互に凝視していた小僧、意を決して立ち上がり、なけなしの英語力を振り絞った。
小僧:「いずでぃすゆあぼー?」
男子:「No.」
小僧:「れっつぷれい?おーけー?」
男子:「OK!」
いい意味でいい性格ですよね、小僧。
食後に近隣の宿を見て回るも、いずこもFull。もしくは普段は使ってないようなひどい部屋しかなく、あきらめてチャリを借りて違うタイプの宿を探しに行く。中級クラスの宿はニューイヤーの団体客受け入れでいっぱいいっぱいのようなので、方針を変えてバックパッカーが泊まるような安い宿を当たる。会安古城内の安宿を当たると、最後の一室が残っていた。USD15。安いし、時間ももったいないのでここに決定。なんと昨日泊まっていた宿と同じ経営だという。昨日の宿に預けてある荷物は昼までに運んできておいてくれるというので、借りたチャリでそのまま遊びに出かけた。対岸の会安半島へ。
いい天気だ。安楽寺というベトナム大乗仏教の寺があり、参拝。というより、寺らしき建物に”Chua An Loc”という看板がかかっていたので、これは安楽寺という意味だろうと推測しつつ入ったらその通り、本堂内部に漢字表記があった。ダナンの仏教徒が寄進したという、大きな大理石の観音像があった。
さらにサイクリング。小さな祠があった。中国風ではあるが、やはり中国のものとは違う不思議なエキゾチックさ。半島をくるりと一周りして旧市街へ戻り、ホテルに帰って水着に着替えた。本日はビーチの日だ。天気もいい。
またしても5キロのサイクリング。途中の店”ZON”でランチ。魚をバナナの葉で包んでBBQにしたものは香ばしくておいしかったが、トマトソースのペンネはいまひとつ。ソースじゃなくてケチャップでしょこれ。
ビーチに行くと朝食の時に遊んだ男の子の家族がいて、向こうも小僧に気づいて遊びたそうに寄ってきた。セパタクローのボール、二度目の出番である。家族の両親はシンガポール在住のベルギー人で、10月には香港に旅行したそうな。シンガポールよりもずっと中国的で面白かったという。そうだろうな。香港は最近、MTRの広告などもこれまで必ず中英文両表記だったものが、漢字一辺倒になりつつある。コスモポリタンではなくなった香港というのは、存在価値の危機だと思うのだが。
夕暮れまで遊び、うみっぱたの海鮮レストランで食事。蟹USD10/kg。二杯選んだら1.1kg。新鮮でお肉むっちりで美味美味。冷凍ではない鶏肉のBBQ、シーフード炒飯、ビール。
チャリでチャリチャリっと帰りました。
2007年12月28日金曜日
day 7 @Hui An
荷物を宿に預け、8時ピックアップで美山遺跡へ。昨日とはうって変わって、インド文化の影響を強く受けたチャンパ王国の遺跡である。覚悟していたことだが、バスは市内をあちこち回って本日のお客をピックアップし、バスが会安を出たのはもう9時であった。
Singhapra(←これってシンガポールの語源と同じで、サンスクリットの獅子城だよね)という街を経由して、一時間ほどで美山(My Son)到着。エントランスから遠く離れた場所にある土産物屋で降ろされた。小雨の中を歩く。遺跡入口からはヴァンもしくは小型のジープに乗って遺跡の中心部へ移動。中ではチャム族の民族舞踊によるパフォーマンスなどを賑々しくおこなっており、兵どもが夢の跡・・・風情を味わいに来た私にとってはかなり幻滅。
古チャム族によるチャンパ王国は、同時代のヒンドゥー・マジャパヒト王国と同様、東南アジアにおける中世インド化国家である。チャム族はその後マレーシアやインドネシアの各民族と同様イスラム教を受け入れている。
こーゆーのみるといかにもインド文化の影響って感じ。

シヴァリンガ三連発でした。すんません。
まともな写真はガイドブックを見てくれい。本来であれば半日ほど滞在したい場所ではあるが、集合時間は12時。小僧がいると自分たちだけで動く旅は難しい。
バスで大きな橋のある川べりまで戻り、バスで帰るひとはそのまま、ボートで帰る人は村の船着場からボートに乗った。船の上で簡単なランチ。ご飯と野菜とパイナップルなど。ボートはゆっくりと川を下り、雨模様でさえなければ素敵なクルーズになっただろうが、生憎の雨。
川の中州に、一面にスイカが植わっていた。
帰って適当な宿を見つけて移動。やはり予算オーバー。
Singhapra(←これってシンガポールの語源と同じで、サンスクリットの獅子城だよね)という街を経由して、一時間ほどで美山(My Son)到着。エントランスから遠く離れた場所にある土産物屋で降ろされた。小雨の中を歩く。遺跡入口からはヴァンもしくは小型のジープに乗って遺跡の中心部へ移動。中ではチャム族の民族舞踊によるパフォーマンスなどを賑々しくおこなっており、兵どもが夢の跡・・・風情を味わいに来た私にとってはかなり幻滅。
古チャム族によるチャンパ王国は、同時代のヒンドゥー・マジャパヒト王国と同様、東南アジアにおける中世インド化国家である。チャム族はその後マレーシアやインドネシアの各民族と同様イスラム教を受け入れている。
こーゆーのみるといかにもインド文化の影響って感じ。

シヴァリンガ三連発でした。すんません。
まともな写真はガイドブックを見てくれい。本来であれば半日ほど滞在したい場所ではあるが、集合時間は12時。小僧がいると自分たちだけで動く旅は難しい。
バスで大きな橋のある川べりまで戻り、バスで帰るひとはそのまま、ボートで帰る人は村の船着場からボートに乗った。船の上で簡単なランチ。ご飯と野菜とパイナップルなど。ボートはゆっくりと川を下り、雨模様でさえなければ素敵なクルーズになっただろうが、生憎の雨。
川の中州に、一面にスイカが植わっていた。
帰って適当な宿を見つけて移動。やはり予算オーバー。
2007年12月27日木曜日
day 6 @Hui An
起床。蚊がいました…。
私と小僧は一箇所ずつ、相棒は無傷。ホテルで朝食を食べ、まずは今夜の宿を探しにゆく。蚊が出るのなら蚊帳付きの部屋じゃないとな。しかし中国でもめっきり見なくなりましたね、蚊帳付きの部屋。むかしは南中国なら標準装備だったものだが。
歩いて近所のホテルに入り、部屋を見せてもらう。割と大規模なホテル。
USD20で広い。バスルームもまあまあ。ベランダ付き。だが明日からのニューイヤーホリデーで団体予約があり、一日しか空いてないとのこと。困ったね。ま、しかし明日は明日の風が吹く、’めんどくさいので泊まることにして、今日はチャリを借りておでかけでもすることにしよう。

素敵なプール付きだが、寒すぎて入れない。
ホテル前の雑貨屋で声をかけると、店番の女性がどこやらへか電話。しばらくすると、綺麗な英語を話す娘さんがチャリを2台持ってきた。うち1台は気の付くことに子供が座れるような荷台付き。いいですね。とりあえず会安観光だ。
まずは福建会館。なかに天后がいらっしゃった。HCMCの天后廟ではくるくる線香がVND6Kだったので早速三人分奉納したのだが、ここではなんとUSD20/巻と言われ、すごすご引き下がる。古い木造の建物の中の焼物博物館、陳氏先祠などを見学。陳氏先祠は200年ほど前の建造、屋根は日本の技術だそうです。
それからJapanese Bridge。別に日本の技術が、とか日本風とかいう橋ではなく、かつて華人地区と和人地区を結んでいたのだとか。日本人町はもちろん残っていません。
中国風の屋根の付いたゆるやかな太鼓橋。るんるんスキップしているのはウチの息子ちゃんです。
戻って昼食。イタリア人オーナーのイタリアめし屋でパスタとサラダ。私と小僧には大大大好評であったが、相棒の受けはもヒトツであった。食後は旅行会社に寄って列車の手配。やはり軟臥は取れず。ベトナムでは硬臥と軟臥の価格が殆ど変わらないので、軟臥から先に埋まってしまうようだ。
5キロほどのサイクリングで最寄りのビーチへ遊びに行けた。はじっこが見えないぐらいのながーいビーチ。残念ながら本日は波が荒くて海遊びは出来ない。Hueで買ったセパタクローのボールが役に立ち、小僧は砂浜で転げまわって遊んだ。
夕暮れちかくなってから帰途につき、途中のあばら屋レストランでコーヒーを飲みながら落日を見てから、ホテルへ帰った。
私と小僧は一箇所ずつ、相棒は無傷。ホテルで朝食を食べ、まずは今夜の宿を探しにゆく。蚊が出るのなら蚊帳付きの部屋じゃないとな。しかし中国でもめっきり見なくなりましたね、蚊帳付きの部屋。むかしは南中国なら標準装備だったものだが。
歩いて近所のホテルに入り、部屋を見せてもらう。割と大規模なホテル。
USD20で広い。バスルームもまあまあ。ベランダ付き。だが明日からのニューイヤーホリデーで団体予約があり、一日しか空いてないとのこと。困ったね。ま、しかし明日は明日の風が吹く、’めんどくさいので泊まることにして、今日はチャリを借りておでかけでもすることにしよう。

素敵なプール付きだが、寒すぎて入れない。
ホテル前の雑貨屋で声をかけると、店番の女性がどこやらへか電話。しばらくすると、綺麗な英語を話す娘さんがチャリを2台持ってきた。うち1台は気の付くことに子供が座れるような荷台付き。いいですね。とりあえず会安観光だ。
まずは福建会館。なかに天后がいらっしゃった。HCMCの天后廟ではくるくる線香がVND6Kだったので早速三人分奉納したのだが、ここではなんとUSD20/巻と言われ、すごすご引き下がる。古い木造の建物の中の焼物博物館、陳氏先祠などを見学。陳氏先祠は200年ほど前の建造、屋根は日本の技術だそうです。
それからJapanese Bridge。別に日本の技術が、とか日本風とかいう橋ではなく、かつて華人地区と和人地区を結んでいたのだとか。日本人町はもちろん残っていません。
中国風の屋根の付いたゆるやかな太鼓橋。るんるんスキップしているのはウチの息子ちゃんです。
戻って昼食。イタリア人オーナーのイタリアめし屋でパスタとサラダ。私と小僧には大大大好評であったが、相棒の受けはもヒトツであった。食後は旅行会社に寄って列車の手配。やはり軟臥は取れず。ベトナムでは硬臥と軟臥の価格が殆ど変わらないので、軟臥から先に埋まってしまうようだ。
5キロほどのサイクリングで最寄りのビーチへ遊びに行けた。はじっこが見えないぐらいのながーいビーチ。残念ながら本日は波が荒くて海遊びは出来ない。Hueで買ったセパタクローのボールが役に立ち、小僧は砂浜で転げまわって遊んだ。
夕暮れちかくなってから帰途につき、途中のあばら屋レストランでコーヒーを飲みながら落日を見てから、ホテルへ帰った。
2007年12月26日水曜日
day 5 Hue city tour, move to Huian
八時のはずのピックアップが来たのは8:45、そして九時出発。
まずはTu Tac陵。それからMin Mang陵。最後にKhai Dinh陵。どれも趣が’ちがっていて楽しかった。中国に似ていて、でも中国とは違っていてエキゾチックという点で、酒見賢一の『後宮小説』を思いだした。そうなるともう全部後宮小説に見えてくる。半日ではもったいない見物でした。
←中国に似てるが中国ではない。でしょ?
おみやげ屋さんで帽子とお香作りの実演でツアーは終了。ホテル近所で昼食。瓜とひき肉のスープ、キャベツと人参ときくらげと豚肉の炒めもの、ゆでえび。果物の盛り合わせ。なんだか中国の家庭料理を食べているかのよう。
歩いてホテルに戻り、バスでHui An(会安)へ。Da Nang経由で夕方6時頃到着。宿を探す。16ドルと安い宿が見つかったが、どうにも泊まる気がせず、少し離れた場所にある美しく手入れされたフレンチコロニアルスタイルのブティックホテルで部屋を見せてもらった。スタンダードUSD30、ミニスイートUSD35。5ドルの差で広さが全然違ったので、奮発して広い方に泊まった。
バルコニーに続く広い共有スペースに、くつろいで座れる場所もあった。日差しが強くなければ、外に座るのも気持ちがよさそう。プールもあった。
しかしながら昨日に引き続き予算オーバーではあるので、明日以降は別の所を探さねば。これも小僧が歩きたくないのどうのこうのとゴンタをたれるせいである。
夕食をとりに外へ出る。old townの中のてきとーな店で食べたら、全然うまくなくてガッカリ。Hui Anは麗江や陽朔に似た観光地になっていて、多分昔を知る人にとっては辛い感じなのだろうなあ。
ちんたら歩いてホテルに戻り、風呂に入って本日は終了。この部屋、見た目は素晴らしいのだが水回りがダメダメなことが発覚。明日には別の宿を探さねば。
まずはTu Tac陵。それからMin Mang陵。最後にKhai Dinh陵。どれも趣が’ちがっていて楽しかった。中国に似ていて、でも中国とは違っていてエキゾチックという点で、酒見賢一の『後宮小説』を思いだした。そうなるともう全部後宮小説に見えてくる。半日ではもったいない見物でした。
←中国に似てるが中国ではない。でしょ?
おみやげ屋さんで帽子とお香作りの実演でツアーは終了。ホテル近所で昼食。瓜とひき肉のスープ、キャベツと人参ときくらげと豚肉の炒めもの、ゆでえび。果物の盛り合わせ。なんだか中国の家庭料理を食べているかのよう。
歩いてホテルに戻り、バスでHui An(会安)へ。Da Nang経由で夕方6時頃到着。宿を探す。16ドルと安い宿が見つかったが、どうにも泊まる気がせず、少し離れた場所にある美しく手入れされたフレンチコロニアルスタイルのブティックホテルで部屋を見せてもらった。スタンダードUSD30、ミニスイートUSD35。5ドルの差で広さが全然違ったので、奮発して広い方に泊まった。
バルコニーに続く広い共有スペースに、くつろいで座れる場所もあった。日差しが強くなければ、外に座るのも気持ちがよさそう。プールもあった。
しかしながら昨日に引き続き予算オーバーではあるので、明日以降は別の所を探さねば。これも小僧が歩きたくないのどうのこうのとゴンタをたれるせいである。
夕食をとりに外へ出る。old townの中のてきとーな店で食べたら、全然うまくなくてガッカリ。Hui Anは麗江や陽朔に似た観光地になっていて、多分昔を知る人にとっては辛い感じなのだろうなあ。
ちんたら歩いてホテルに戻り、風呂に入って本日は終了。この部屋、見た目は素晴らしいのだが水回りがダメダメなことが発覚。明日には別の宿を探さねば。
2007年12月25日火曜日
day 4 @Hue
朝、雨の音で目が覚めた。この時期は乾季のはずなのだが。緑の水田が雨にけぶっている。大きな駅で停車。ものすごいベトナム訛りなので途中まで気づかなかったが英語の車内放送だった。この駅での停車時間は15分、その間はトイレを使わないでくださいとというところが聞き取れた。
停車時間が15分というとかなり大きな駅のはずなので、まさかもうHue到着だろうかと心配になり、乗務員に確認。Danangだった。心配そうに駅を見つめていたどう見ても日本人女性に話しかけると、やはり日本人。会社をやめてご主人と数ヶ月の旅行中だそうだ。朝食はおかゆ。VND10K/碗。
海沿いの素晴らしい眺めのルートを走り、Danangから四時間ほどでHue到着。めっこを付けていたホテルまで、タクシーでUSD2。その宿はガイドブックにはUSD12-15とあったが、最初に見せてもらった部屋はUSD25、これより安いとなるとUSD22の部屋があると言われたが、見せてもらった部屋が充分に広く、見晴らしの良いベランダ付きで、天井が素晴らしく高かったのでOKとする。綺麗なバスタブにシャワーカーテン、ホットシャワーにクーラーにテレビ付きという至れり尽くせりの部屋であったが、なによりすんばらしいのはラブリーな螺鈿の家具。安い(軽い)木に座りの悪い雑なつくりとはいえ、アジアン家具好きの私としては気分がよろしい。
これは部屋からの眺め。
チェックインしつつ、Hue郊外ツアーの話と、次の目的地への交通の話を尋ねる。郊外ツアーは半日USD3、Full DayでUSD7。Huian行きのバスはUSD3。相棒はバスが安すぎるのでやや心配という。別のオペレータでもあたってみることにしよう。
とりあえず昼食。適当に入ったレストランが、地元の人が洋食っぽいものを食べる用の店で、ベトナム料理屋を期待して入った我々はガクゼン。Noodleとあるので当然Pho(フォー)を予想して頼んだら、インスタントラーメンのお湯をかけたものが出てくるとは一体誰が…(以下略)。結局まあまあおいしかったのはコーヒーだけ。インスタントラーメンx2、チャーハンx1、コーヒーx2で計VND120Kほど。一食損した…。
とりあえず腹の虫をなだめたので、故宮へ向かう。橋をわたってちんたら歩いてゆく。途中でシクロにたくさん声をかけられた。タイや中国ではもうなかなか見なくなった商売だ。インドにはあるだろうけど。三輪やサムローやリクシャを見ると常に、老舎の『駱駝祥子』を思い出す。We should try to have some sympathy to this poorly paid trade.
だったら乗ってやれとも思うのだが、ベトナムのシクロって三人では乗れんのよね。で、歩く。故宮は寂れた感じがなかなかよかったが、相棒にとってベトナムのこういう観光名所は規模の面で明らかに中国に劣り、かつ印象の面で中国の変な真似っこみたいに見えてしまうらしく、あまり感心していない模様。
Hall of Mandarins(文人堂・官人堂)の壁に漢詩があり、小僧と二人で解読していると、ミシュランのガイドブックを持ったフランス人に読めるのかと尋ねられた。「これはとても標準的な古典中国語の文法に沿っているので読める」と説明。中国語の古文は東アジアにおけるラテン語なのだとも。
故宮のとなりの博物館へ。展示館は昼休みで閉まっていたが、庭に展示してある共産党の戦車が小僧には素晴らしいアトラクションとなった。
さて、相棒も小僧も美術館には行ってくれそうにもないので、次は市場。ぐずる小僧におやつを買い与え、なだめすかしながら歩かせたが、市場を一目見て「街市はイヤ!」と怒りだした。仕方なく、ビタミン補給のための蜜柑だけを買ってホテルへ帰る。風呂。寝台疲れが出て少し横になる。
が、眠ったのは年寄りの相棒だけで、小僧はテレビのカートゥンネットワーク、私は無料で使えるPCでメールだけチェック。もちろん仕事のメールはチェックしない。電話も切ったままだ。
いい時間になったので夕食へおでかけ。ハズレくじを引いた昼食の埋め合わせをすべく、フレンチ・レストランへ。といっても、LPのOn a Shoestringに載ってるぐらい安い店だが。
チキンと豆類の料理、グリル三種(鴨、えび、イカ)、海老のフリッター、チーズのパスタ、なんだかすんごくおいしいバゲット、ハウスワインを赤白二杯ずつ、小僧はホットチョコレート。以上がVND450K、HKD225ほど。どれも大満足なお味でした。隣のテーブルの英国人の家族は、我々の食欲(皿が次から次から運ばれてくるので)をオドロキの横目で見ていた。食べ過ぎてデザートもコーヒーも頼めなかった。
暗い夜道を歩いて帰り、小僧、転倒。
停車時間が15分というとかなり大きな駅のはずなので、まさかもうHue到着だろうかと心配になり、乗務員に確認。Danangだった。心配そうに駅を見つめていたどう見ても日本人女性に話しかけると、やはり日本人。会社をやめてご主人と数ヶ月の旅行中だそうだ。朝食はおかゆ。VND10K/碗。
海沿いの素晴らしい眺めのルートを走り、Danangから四時間ほどでHue到着。めっこを付けていたホテルまで、タクシーでUSD2。その宿はガイドブックにはUSD12-15とあったが、最初に見せてもらった部屋はUSD25、これより安いとなるとUSD22の部屋があると言われたが、見せてもらった部屋が充分に広く、見晴らしの良いベランダ付きで、天井が素晴らしく高かったのでOKとする。綺麗なバスタブにシャワーカーテン、ホットシャワーにクーラーにテレビ付きという至れり尽くせりの部屋であったが、なによりすんばらしいのはラブリーな螺鈿の家具。安い(軽い)木に座りの悪い雑なつくりとはいえ、アジアン家具好きの私としては気分がよろしい。
これは部屋からの眺め。
チェックインしつつ、Hue郊外ツアーの話と、次の目的地への交通の話を尋ねる。郊外ツアーは半日USD3、Full DayでUSD7。Huian行きのバスはUSD3。相棒はバスが安すぎるのでやや心配という。別のオペレータでもあたってみることにしよう。
とりあえず昼食。適当に入ったレストランが、地元の人が洋食っぽいものを食べる用の店で、ベトナム料理屋を期待して入った我々はガクゼン。Noodleとあるので当然Pho(フォー)を予想して頼んだら、インスタントラーメンのお湯をかけたものが出てくるとは一体誰が…(以下略)。結局まあまあおいしかったのはコーヒーだけ。インスタントラーメンx2、チャーハンx1、コーヒーx2で計VND120Kほど。一食損した…。
とりあえず腹の虫をなだめたので、故宮へ向かう。橋をわたってちんたら歩いてゆく。途中でシクロにたくさん声をかけられた。タイや中国ではもうなかなか見なくなった商売だ。インドにはあるだろうけど。三輪やサムローやリクシャを見ると常に、老舎の『駱駝祥子』を思い出す。We should try to have some sympathy to this poorly paid trade.
だったら乗ってやれとも思うのだが、ベトナムのシクロって三人では乗れんのよね。で、歩く。故宮は寂れた感じがなかなかよかったが、相棒にとってベトナムのこういう観光名所は規模の面で明らかに中国に劣り、かつ印象の面で中国の変な真似っこみたいに見えてしまうらしく、あまり感心していない模様。
Hall of Mandarins(文人堂・官人堂)の壁に漢詩があり、小僧と二人で解読していると、ミシュランのガイドブックを持ったフランス人に読めるのかと尋ねられた。「これはとても標準的な古典中国語の文法に沿っているので読める」と説明。中国語の古文は東アジアにおけるラテン語なのだとも。
故宮のとなりの博物館へ。展示館は昼休みで閉まっていたが、庭に展示してある共産党の戦車が小僧には素晴らしいアトラクションとなった。
さて、相棒も小僧も美術館には行ってくれそうにもないので、次は市場。ぐずる小僧におやつを買い与え、なだめすかしながら歩かせたが、市場を一目見て「街市はイヤ!」と怒りだした。仕方なく、ビタミン補給のための蜜柑だけを買ってホテルへ帰る。風呂。寝台疲れが出て少し横になる。
が、眠ったのは年寄りの相棒だけで、小僧はテレビのカートゥンネットワーク、私は無料で使えるPCでメールだけチェック。もちろん仕事のメールはチェックしない。電話も切ったままだ。
いい時間になったので夕食へおでかけ。ハズレくじを引いた昼食の埋め合わせをすべく、フレンチ・レストランへ。といっても、LPのOn a Shoestringに載ってるぐらい安い店だが。
チキンと豆類の料理、グリル三種(鴨、えび、イカ)、海老のフリッター、チーズのパスタ、なんだかすんごくおいしいバゲット、ハウスワインを赤白二杯ずつ、小僧はホットチョコレート。以上がVND450K、HKD225ほど。どれも大満足なお味でした。隣のテーブルの英国人の家族は、我々の食欲(皿が次から次から運ばれてくるので)をオドロキの横目で見ていた。食べ過ぎてデザートもコーヒーも頼めなかった。
暗い夜道を歩いて帰り、小僧、転倒。
2007年12月24日月曜日
day 3 Long distance train
マジェスティックホテル
屋台で貝。私なら絶対に食べないね。しかし夫は試した。
このアサリによりでかくハマグリより小さい貝。
ゆでて甘酸っぱ辛いタレで食べる。後果自負。
さーて、寝台列車でフエまで北上するよ!
途中で事故。農耕用運搬車が線路上でスタックしたところに、列車が突っ込んで行ったらしい。運搬車の運転手が怪我をして、血まみれのまま三角座りで泣いていた。
今日ははクリスマスイブ。小僧へのプレゼントはまだ買っていない。予算はいくらいくら。私は小僧にゆっくりと話しをした。小僧は納得し、うなずいた。 せめて病院代ぐらいにはなればと思う。
2007年12月23日日曜日
2007年12月22日土曜日
2007年12月21日金曜日
2007年8月29日水曜日
Day06 旅は終わった
起床。朝食をとって空港へ。空港で本と地図を購入。飛行機で読む。1949年まで麗江に27年も住んだオーストリア系アメリカ人植物学者のジョセフ・ロッ
ク氏、納西族の女性との間に二人も男の子を設けていたそうだ。で、今その村にはジョセフ・ロックそっくりの納西族のおじいさんがいるというわけだ。
私は長いこと誤解していたのだが、十数年前に読んだ『被遺忘的王国』は の作者はロシア人Peter Goullartであり、Joseh Rockではなかった。Peter Goullartも麗江に10年ほど住んだ人である。ずいぶん納西族に好意的な記述が多く、白族に意地悪な目線であったよーな記憶がある。面白い本だったか ら処分はしていないと思うのだが、いったいどこにあるのだろう。(本を詰め込んだいずれかの段ボール箱のなかだ。老後の楽しみだ。)
深セン到着。フェリーで帰港。4時には自宅に着いた。夕食はたこぶつ、かますの開き、菜心のごまあえ、まつたけごはん。
小僧、寝る前に食べたものを全部すっかり吐き、夜中いっぱい下痢をしまくった。なんで一ヵ月半ぶりに母の手料理を食べるなり腹をこわすか小僧っ。
私は長いこと誤解していたのだが、十数年前に読んだ『被遺忘的王国』は の作者はロシア人Peter Goullartであり、Joseh Rockではなかった。Peter Goullartも麗江に10年ほど住んだ人である。ずいぶん納西族に好意的な記述が多く、白族に意地悪な目線であったよーな記憶がある。面白い本だったか ら処分はしていないと思うのだが、いったいどこにあるのだろう。(本を詰め込んだいずれかの段ボール箱のなかだ。老後の楽しみだ。)
深セン到着。フェリーで帰港。4時には自宅に着いた。夕食はたこぶつ、かますの開き、菜心のごまあえ、まつたけごはん。
小僧、寝る前に食べたものを全部すっかり吐き、夜中いっぱい下痢をしまくった。なんで一ヵ月半ぶりに母の手料理を食べるなり腹をこわすか小僧っ。
2007年8月28日火曜日
Day05 麗江一日ツアーの日
本日は麗江一日ツアーの日。
車をチャーターして、一日ツアーです。のどかな田園風景を眺めながらのドライブ。まずは白沙の壁画。昔は何にもないところだったのに、土産物屋がずらりと 並んでいました。母はここで藍染めの大きなベッドがバーを購入。それから観光地の草原へ行って見ました。でも昨日で懲りたので、あまり標高の高いところは パス。美しい高山草原をつぶして、でかい駐車場とみやげ物屋と民族舞踊ショー大劇場とゴルフ場を作ってあり、失われた生態系などを考えるとあまりといえばあまりのことに 声も出ません。
人口の滝と湖を見て、言葉少なに帰途へ。時間が余ってしまったので、民族舞踊ショーとか、馬に乗って写真とか、みやげ物屋とかには全く興味のない私たちが 「もっぺん白沙へ行ってくれ」と頼むと、運転手は「じゃあ、束河古鎮でも行くか?」と、束河(龍泉村)へ車をやってくれた。束河、入り口のあたりは『たっ た今建てたばかりの太秦映画村』なのだが、奥へ分け入るとちゃんとしたホンモノの古鎮があった。規模は麗江より小さいが、そもそもこちらの鎮(中国語で 村)の歴史の方が古いらしい。もちろん麗江と同じく観光開発はされているがその度合がまだマシで、そして水の汚い麗江とはちがってどこまでも透明な水が滔々と流れており、気持ちのいいことこの上ない。
ぶらぶら歩くと、民家を趣味よく改造した旅館や店が並んでいた。
草原の環境破壊に凹んでいた母はこんな→(・∀・)アヒャ!!顔になり、本日は終わりよければすべてよしだ!
車をチャーターして、一日ツアーです。のどかな田園風景を眺めながらのドライブ。まずは白沙の壁画。昔は何にもないところだったのに、土産物屋がずらりと 並んでいました。母はここで藍染めの大きなベッドがバーを購入。それから観光地の草原へ行って見ました。でも昨日で懲りたので、あまり標高の高いところは パス。美しい高山草原をつぶして、でかい駐車場とみやげ物屋と民族舞踊ショー大劇場とゴルフ場を作ってあり、失われた生態系などを考えるとあまりといえばあまりのことに 声も出ません。
人口の滝と湖を見て、言葉少なに帰途へ。時間が余ってしまったので、民族舞踊ショーとか、馬に乗って写真とか、みやげ物屋とかには全く興味のない私たちが 「もっぺん白沙へ行ってくれ」と頼むと、運転手は「じゃあ、束河古鎮でも行くか?」と、束河(龍泉村)へ車をやってくれた。束河、入り口のあたりは『たっ た今建てたばかりの太秦映画村』なのだが、奥へ分け入るとちゃんとしたホンモノの古鎮があった。規模は麗江より小さいが、そもそもこちらの鎮(中国語で 村)の歴史の方が古いらしい。もちろん麗江と同じく観光開発はされているがその度合がまだマシで、そして水の汚い麗江とはちがってどこまでも透明な水が滔々と流れており、気持ちのいいことこの上ない。
ぶらぶら歩くと、民家を趣味よく改造した旅館や店が並んでいた。
草原の環境破壊に凹んでいた母はこんな→(・∀・)アヒャ!!顔になり、本日は終わりよければすべてよしだ!
2007年8月27日月曜日
Day04 さっさと山を下りる
夜中に頭痛で目が覚め、止痛薬を飲む。ついでに母にも飲ませ、酸素も吸わせる。観光なのか苦行なのかわかりません。気合でゴー。
起床。午後のバスで帰るつもりであったが、母が苦しそうなので10時のバスに変更。相棒はバスの待ち時間に市場へ走って行き、まつたけを箱一杯と、ライオンの口に輪がはまった銅製のドアの取っ手を購入。
ぼろいミニバスに乗車。バスの中でも酸素を吸う母。標高が下がるとてきめんにラクになる。気温も高くなるが。
豊かな農村風景が続く。
羊が草原の草を食む。この羊、おいしいだろうな・・・
これは村のお寺かな?
さようなら、シャングリラ。
予定通り4時間、2時に到着。古城の中の宿はコリゴリなので、外のグランドホテルにする。ツイン+エキストラベッドで360+120ドル(朝食つき)。広くて天井も高く、眺めも良くて悪くなかったです。
適当に食事をし、またしても古城を歩いているうちにもう夜。8時から納西古楽のコンサートに行く。一人160ドルと大変な値上がりぶりで驚く。地元の人か ら買うと2割程度割引がある模様。小僧を連れてコンサートはまずいので、母と私だけが入る。ドラゴンボールの亀仙人そっくりの爺さんがたくさんいた。音楽 が始まると、母、それなりに感動。とくに最初の一曲目はパーカッションがばかばか入った派手な曲でよかったです。女性ソブラノの民謡もよかったし、フルー トのソロもよかった。しかし、途中から出てきた宣科先生の講談が長く、私が中国語で聞いてても別に面白くもなんとも無いのに母ときたらなおさらである。結 局、先生のおしゃべりの最中に出てきました。
過橋米線を食べてホテルへ。風呂入って就寝。

ぼろいミニバスに乗車。バスの中でも酸素を吸う母。標高が下がるとてきめんにラクになる。気温も高くなるが。
豊かな農村風景が続く。
羊が草原の草を食む。この羊、おいしいだろうな・・・
これは村のお寺かな?
さようなら、シャングリラ。
予定通り4時間、2時に到着。古城の中の宿はコリゴリなので、外のグランドホテルにする。ツイン+エキストラベッドで360+120ドル(朝食つき)。広くて天井も高く、眺めも良くて悪くなかったです。
適当に食事をし、またしても古城を歩いているうちにもう夜。8時から納西古楽のコンサートに行く。一人160ドルと大変な値上がりぶりで驚く。地元の人か ら買うと2割程度割引がある模様。小僧を連れてコンサートはまずいので、母と私だけが入る。ドラゴンボールの亀仙人そっくりの爺さんがたくさんいた。音楽 が始まると、母、それなりに感動。とくに最初の一曲目はパーカッションがばかばか入った派手な曲でよかったです。女性ソブラノの民謡もよかったし、フルー トのソロもよかった。しかし、途中から出てきた宣科先生の講談が長く、私が中国語で聞いてても別に面白くもなんとも無いのに母ときたらなおさらである。結 局、先生のおしゃべりの最中に出てきました。
過橋米線を食べてホテルへ。風呂入って就寝。
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