***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2009年1月4日日曜日

じゅういちにちめ 帰港

昼食後、搭乗。


サテー・チャンプルー



スマトラ風チキンカレー



ナシゴレン



う…うどん?


11時半の予定が11時40分ごろ到着。荷物が出てくるまでに時間がかかり、タクシーに乗ったのが12時20分。1時前に帰宅。めだかは健在でやや大きくなっておりましたが、窓際のスイートバジルが枯れていた。ううう。私のバジル。これがないとパスタの味が全然違うのに…。ミントと紫蘇は無事であった。風呂にも入らずにばたりと就寝。

2009年1月3日土曜日

とおかめ ヌサ・ドゥワ

午後からビーチへ。首尾よく日本人の男の子と友達になったが、まずは英語で話しかけてみたのだそうだ。「韓国人かも知れんから。」とのこと。昨日の韓国人にはほんとに驚いたようで、慎重である。

釣りができるようです。船は凧です。








最後の夜は地中海レストランに行ったのだが、正直「ん?」な味であった。「大家楽?」って感じ。値段は大家楽の5倍ぐらい。



2009年1月2日金曜日

ここのかめ ヌサ・ドゥワ

プールサイドで小僧が同じような年の男の子に果敢にアタック。三連敗でうなだれて帰ってきた。「英語、いっこも通じへん…。ぜんぜん遊ばれへん…。」とな。私もなにやら感ずるところがあったので、目が合った白人に会釈とかHi!とかMornin'!とかを試してみたが、ことごとく無視された。いくらなんでもここまでの経験は初めて。そこで耳を済ませてよく聞いてみると、どうやらロシア語。ロシア人。ロシア人てそうなんかい。旧東側でも、前のホテルのブルガリア人とかハンガリー人はフレンドリーやったけどなあ…。

小僧、日本人を見つけて話しかけようとしたら、韓国人だったので驚く。小僧はチャイニーズと日本人ならだいたい見分けがつくのだが、韓国人はほんとに日本人と見分けがつかなくて驚いたようである。

ええホテルなのであるが…








今夜のオレのベッドはここ。

2009年1月1日木曜日

ようかめ ヌサ・ドゥワ

デンパサールの博物館と、を見物してから、三軒目のホテルへ。

博物館の庭の睡蓮と石像





ウル・ワトゥ寺院




今度のホテルはアメリカ系。相棒が「ここの白人、えらいアジア人を見下してるような気がするで…」と言い出した。そうなの? 

プールサイドで、どこかで見かけた男前が寝そべって本を読んでいた。誰だっけ…と思いながら部屋に帰ったら、母が「さっきのは榎木孝明さんやったなあ」と。おお、そうか!10年日本のテレビを見ていないので、思い出せなかったよ。