***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2011年1月20日木曜日

day12 博物館めぐりの日

チェックアウトして荷物を預け、博物館めぐりに出発。まずはオーストラリア博物館。

動物の全般の展示と、恐竜の展示が充実。有袋類のコーナーで、すでに絶滅した最大の有袋類の復元模型があった。カバぐらいの大きさのウォンバット。赤ちゃんポケットが後ろ向きについていました。大きさと見た目のかわいらしさのギャップにびっくりだ。
階下では先住民の文化に関する展示と、オーストラリアにおけるマイノリティの展示。考えるところ大有りだが、それは小僧の人生に関することだ。
特別展示は鉱物。私には見ごたえあったが、小僧がほとんど興味を示さないので残念ながら駆け足。


昼食をチャイナタウンで。



路面電車が走ってました。




それからパワーハウスミュージアム。特別展示はABBA。オーストラリアではABBAはものすごくポピュラーで、オーストラリア人でもないのに国民的歌手だったらしい。シドニーオリンピックの開会式で、オーストラリア人歌手が歌ったのが国歌でも自国の歌でもなく、"Dancing Queen"だったという。なの
で、チケット売りのお姉さん(わたしよりちょっと年上っぽい、つまりど真ん中ストライクで「ABBAが青春の歌なの」世代)は、「すごく充実した展示なのよ!」と説明してくれたが、小僧を見て「でもお子さんにはどうでもいいかも・・・」と口調を変えた。

すんません。私、ついこないだまでABBAとGenghis Khanは同じグループだと思ってました・・・。私にも猫に小判です。

【参考】あばとじんぎすかん。








さてメイン展示。蒸気機関の展示のの充実がすばらしく、スチームパンク好きならヨダレと鼻血で脱水症状を起こしそうなパラダイス天国に息子も昇天(←もはや正気を失っています) いや、息子より母が夢中になったざんすよ。うっほー。

この博物館のためだけに、もういちどシドニーに来たいぐらいだ。

さいごに海事博物館(マリタイムミュージアム)。パワーハウスでもっと遊ぶか、ここまで足を伸ばすか迷ってのだが、まずます来てよかった。鮫の展示が充実していました!

満足の一日なりなり。

ホテルに戻り、荷物をピックアップし、テイクアウェイのすし屋で夕食を大量に買い込んで、空港へ移動。搭乗。夜便なり。早朝5時に香港到着なのさあ。夫と母と小僧は明日は一日休みだが、私は風呂に入って出社である。40過ぎてこの体力、牛のように頑丈な体に生んで育ててくれた母に感謝ですな、というところで、親孝行オーストラリアの旅は終わりである。G'day!

2011年1月4日火曜日

day11 ブルーマウンテンズへの一日ツアー

本日はブルーマウンテンズへの一日ツアー。7:25にピックアップのバスが来た。郊外を一時間ほど走って小さな動物園へ。例によってカンガルーやらワラビーやらの放し飼いがあり、エサをやる。シドニーのある州では観光客のコアラだっこは禁止であるが、触るのはいい。頭を触ってはだめで、背中をなでる。コアラはストレスに弱い動物で、ここのコアラは一日に30分だけ仕事をすることになっているそうだ。

カンガルーの赤ちゃんかわゆす・・・。有袋類ってフシギだなあ。






ウォンバット。"WE BITE"(オレらは噛むで)



エミュを息のかかる距離で見た。でかっ。



バスに戻り、近所の自然公園へ移動。ブーメラン投げの体験。私が投げても飛ばんのに、小僧が投げると結構飛ぶので大変むかつく。私が出来ないことを彼が出来るということは、私が出来ることを彼がが出来ないということもあるわけで、机の上の作業のことでガミガミ言うのは母として不適切な言動である、と肝に銘じよう。





さてバス移動。本日のハイライト。Three Sister Rocks. なんか岩。なんか絶景。すみません。私は自然の奇景というのにほとんど全く興味がないので、こういう場所ではたいした感想が出てこないことが多いのです。ウルルに感動したのは、あれが先住民の聖地だと知ったからでございます。「エアーズロック」だったら感動せんのです。



トロッコ列車とやらでほぼ垂直に近い斜面をほぼ直立したまま650mくだり、林の中の遊歩道を一回りした後、ゴンドラで元の位置に戻った。ここは昔、石炭の鉱山があったそうで、労働者は165cmを超えると雇ってもらえなかったそうな。頭にオイルランプをつけて酸素の量を確認しつつ一日中しゃがんでつるはしを振るうという過酷な仕事だったそうだ。

ドライバー兼ツアーガイドの人が「お土産屋がいいですか、それとも別の展望台まで行ってみますか?」とツアー客の要望を聞き、多数決で別の展望台へ。Three Sister Rocksのちょうど反対側の展望台に回ることになった。バスを降りて少し山道を歩くことになったのだが、それが楽しかったなあ。空気はいいし、見たことない植物はたくさんだし。滝もあった。



さて昼食。なんとかカントリークラブという、こぎれいで程よくカジュアルなところ。ちゃんと真っ白なテーブルクロスのかかった席だった。でも出てくるのはフィッシュ&チップス。プラス、チキンカツとグリーンサラダ。コーヒー&紅茶。デザートもあった。


乗客の中にゲイのカップルが一組いた。内気そうなごっつい白人と、「いかにもゲイ」な小柄で細いチャイニーズ。このチャイニーズが常に歌ったり踊ったりしていて、かつ必ず集合時間に遅れるので、「またあの歌ってるヤツがおらん」とドライバーはぶつくさ言っていた。このチャイニーズは小柄で、細くて、いつも歌ったり踊ったりしていて幸せそうで、そして英語がネイティブではなかった。ネイティブではない英語で白人のパートナーに甘えていた彼が、携帯にかかってきた電話を取ったときに話し出した中国語があまりにも端正な北方語だったので、私は胸を突かれた。中国系なのはわかっていたが、まさか北方人だとは思わなかった。彼の性向のみならず、その身長や外観や物腰では、元いた場所での彼は間違いなくUgly Ducklingだっただろうと思う。オーストラリアへの移民は、確実に彼を幸せにしたことだろう。

満腹して再乗車。ゲイの彼はまた遅れてきて、白人の彼氏がおろおろしていた。

次に向かうのは、Lauraという軽井沢のような街。Laura郊外は、リタイア後のシドニー市民が移り住む高級住宅街なのだという。特に、ガーデニングが趣味の老夫婦が多いとか。道理で、町並みが大変美しい。絵に描いたような風景だ。街の中心で自由時間。キャンディ・ストリートという小さな通りに、そのとおりキャンディばかりを売るかわいらしい店があった。





ちょっとまて。オーストラリアではこれをフレンチトーストと呼ぶの?



朝も早かったし、みなさん程よく疲れたところで、シドニーへ向けて出発。あっちこっちにANZAC橋やらANZACストリートがあり、だれぞオーストラリア史の有名な人なのだろうなあとぼんやり思っていたが、現地で聞きそびれた。今調べたらAustralian and New Zealand Army Corpsで、第二次世界大戦中に日本軍と戦ったんではありませんか!聞かんでよかった・・・。えらい地雷を踏むとこであった。

シドニーオリンピック公園という万博公園みたいなところに連れて行かれるが、下りて見たいというほどでもない。そのままフェリーピアへ。帰りはサーキュラー・キー行きの普通のフェリーに乗せられて帰ってきた。ドライバー氏とはここでお別れ。風光明媚な住宅街を抜けて、ハーバー・ブリッジをくぐって到着。いい一日でございましたよ。




サーキュラー・キーからロックスを少し歩く。ハーバー・ブリッジのたもとに、橋の歴史の展示があり、見る。なんと、1932年の開通とは!戦前から先進国だったんですなあ。同時代の日本に、同じ工業力と資金があったとは思えない。もっともこのころオーストラリアも深刻な不況で、建設にはニューディール的な意図もあったそうです。ハーバー・ブリッジの紹介映画も見た。

ぶらぶらあるき、けっこういい時間になったのでタクシーでチャイナタウンへ。フードコートで適当なごはん。私にとってはうまくもなし、まずくもなしだが、みなさまやはりコメツブが食べたかった模様。小僧はチャーハンに大喜び。


ビールなぞ。



ホテルに戻り、風呂入って洗濯して就寝なり。

2011年1月3日月曜日

day10 シドニーへ移動

月曜だ。小僧のガッコは本日始まりのはず。(もはや破れかぶれな母)

朝食。冷蔵庫に残っていた羊肉と野菜でがっつり朝から肉スープ。



タクシーで空港へ。運転手がシドニー在住かと聞いてきた。中国系移民と思われたようだ。「シドニーにはチャイニーズがたくさんいるだろう。ケアンズにはチャイニーズはあまりいないが、ブラックがたくさんいる。やつらは怠け者だ。99%が怠け者だ。俺は州に最低60時間は働いているのに、70時間働くこともあるのに、あいつらは働きもしないで政府の金だけ受け取りやがる」と、lazyをライズィと発音しながら、体格のいい初老の白人の運転手はぶつぶつ言い始めて止まらない。よっぽど「ポーリーン・ハンソンの支持者なの?」と聞きたかったが、余計なことはやめにした。それでも夫が料金にチップを足すと、トランク(オーストラリアでは"boot"というようですな)から荷物を降ろして建物まで入れてくれ、「善き人々に善き新年を」と、耳障りのよい挨拶をしてくれた。

"Racism, for me, is being a second-class citizen in my own community." だったかな。あとでシドニーの博物館のマイノリティに関する展示の視聴覚素材で、インド系の住民のインタビューを聞いた。肌の色の違う人々が主導権を握る国に住むとは、どういう経験なのだろう。私の一生にその機会はなかった。小僧にはあるかな?

シドニーへはジェットスターで。機内食も飲み物もエンタメも有料。いっそさっぱり。でも安いから。
到着。到着時のホテルより張り込んで予約しました。そしたら思ったよりよかった。入って順に、右手にバスルーム、


(洗濯機と乾燥機付き)、


ベッドルーム(クローゼットとTV)


  


階段を降りてフルキッチン(電子レンジはもちろん、皿洗い機にオーブンまで!)、


最後がリビングダイニング。4人がけのダイニングテーブル、ソファ(→エキストラベッドに)、TVセットにはDVD/CDプレーヤー付き。まいった。該有都有!




キッチンはキチネットを予想していたのだが、ディスポーザーまでついた本格的なキッチンで、食器はワイングラスもシャンパングラスも完備でした。はうう。おままごとに励もうっと。

遅い昼食をとりに外へ出るも、ランチの時間を外れるとレストランはいったんしまってしまうらしく、結局バーしかない。若い白人ばかりで確かに場違いなのだが、カウンターで並んでいると明々白々に無視され、抗議しようとした瞬間、私を飛ばして注文を聞かれた白人男性が「この人俺より先に待ってるじゃん」と言ってくれた。being a second-class citizen って、こういうことだよな。一言言ってくれた客に礼を言い、注文する。後で席に戻る彼を目で追うと、彼のテーブルにはインド系とおぼしき連れが座っていた。なんとなく、納得した思いを抱く。

サーモンのステーキ、シーザーチキン、チップス、ワイン(大人)、りんごジュース(小僧)で一息。お味はよかったですわよ。

宿に戻り、昼寝の母を部屋に残して、食材の買い足し。酒類を買おうと思ったら、スーパーのリカーセクションの檻が目の前でガラガラガラと閉まって行きました・・・。販売は7時までみたい。オーストラリアって、全土ドライステートなの・・・?

夕食は小僧リクエストによりハンバーガー。クリームチーズとベーコンのペンネ。ベビースピナッチとトマトとキュウリと米のサラダ、じゃがいものサラダ。



小僧たっての願いでハンバーガー肉を買ってきたら、もんのすごいにんにく&たまねぎ臭。こんな臭いのがデフォルトか。油がないので、バターを使ってオーブンで焼くと、こんがりふくふくでいい匂いに焼けました。バンズを切り、トマトとベビースピナッチをはさんで完成。母用にオーストラリア製のレンジでチンごはんを買ってきたら、プラスチックみたいにぼそぼそで食べられたものではなく、思いつきでグリーンサラダに混ぜてドレッシングをかけたら、これが意外なうまさに化けた!

明日は一日遠出なので、今日は早めに寝ましょう。

2011年1月2日日曜日

day09 ケアンズ最終日

本日は予備日なり。朝食後、海っぱたを歩く。泳げる海ではなかったが、散策は気持ちよかった。



ラグーンという名の市民プールに向かう予定が、その手前のMuddy Parkという水遊びの出来る子供公園に小僧がつかまり、結局夕方6時過ぎまでここに足止め。公園の売店のフィッシュ&チップスが昼食になってしまった。コーヒー(例によってFlat White)がたいへんおいしかったのであるが、これでこの夜全く眠れなくなるとは・・・。ディキャフェにすればよかった。




割とどこでも誰かと仲良くなれる性格の小僧、本日も白人系オージー、アボリジニ系オージー、Korean移民、イタリア人観光客などにさっさと声をかけ、楽しく遊んでいた。








夕刻、公園を出て移動。浜辺にペリカンがいて、最近メタボ気味の小僧が毎晩祖母にやらされている「筋トレ」とそっくりのポーズで両手を広げて片足立ちしており、大笑い。




市内のフードコートで雑多なお食事。ビュッフェプレート(お皿におかずを載せ放題、皿の大きさで値段が決まる)でチャーハン、えび、ムール貝、子だこ煮、イカリング、鶏のから揚げ、野菜など。さらに巻き寿司(サーモンアボカド巻、照り焼きチキンアボカド巻)など。フードコート横のお土産屋でお買い物。

小僧、クロコダイルのペンダント。夫アオザメの歯のペンダント。女性陣はオパールで、母と弟の奥さんはネックレス、私はピアス。そして小僧はコアラとカンガルーのぬいぐるみ。小僧はそれ以来毎晩ぬいぐるみと寝ています。そういうタイプだったとは意外・・・

予備日を美しく終了。明日はシドニーへ。

2011年1月1日土曜日

day08 元旦を高原の避暑地で



あけましておめでとうございます。本日のハイライトはロープウェイと高山鉄道の旅。ケアンズ郊外のクランダという町までお出かけである。ゆうべ12時から海辺で花火があり、15分ぐらい爆音がとどろいていた。ホテルは海辺からわずか1ブロックなので、翌日寝坊できるなら見に行ったが、本日は8:25にピックアップの車が来るので、そのままぐうぐう寝ていた。


7時さわやかに起床。8:25、Skyrail社のミニバスがピックアップに現れ、2軒ほどほかのホテルを回ってから、郊外のSkyrail始発駅へ。郊外にはサトウキビ畑が広がっていた。駅のカウンターで、インターネット予約客(我々だ)がプリントアウトしてきた予約表を機械にかざすと、Skyrail(ロープウェイ)、高山鉄道、Fleshwater駅からホテルまでの送迎、以上の3枚のチケットがつづりになったものが4人分出てきた。よくできてるなあ。

ロープウェイ乗車。急上昇でケアンズ郊外がぐんぐん後ろに遠ざかってゆく。すばらしい景色である。







ま、高所恐怖症の私なおは尻がむずむずすることもまた事実であるが。最初にRed Peak駅で熱帯雨林の遊歩道を散策。蚊がどっさり。ここへ行く人は虫除けを忘れないようにしましょう。




再乗車。すぐに最高地点。これを超えてからしばらく緩やかに下降すると、滝の音が聞こえてきた。アーロンの滝というそうで、この滝の駅で下車。滝への展望台へ行く。雨が続く天気でもあり、滝の水流は十分で、壮観だった。



再び乗車。滝を見下ろしつつロープウェイはさらに下降し、川を一本越えてクランダ駅到着。あっという間であった。


ここでは小僧のオーストラリア訪問の最大の目的、コアラだっこ写真が取れるはずである。ほんとはちゃんとした動物園に行きたいのだが、母の体力を考えると広い動物園を一日歩くのはちょっと無理かな・・・。お土産屋の奥にしょぼい動物ランドがあり、トカゲやらクロコダイルやらを見た後、カンガルー放し飼い地区の手前にコアラ抱っこ写真屋があった。





先にカンガルー。よく慣れていて、えさを持って立っていると、びょんびょん跳ねて集まってくる。東大寺の鹿や、これ。一生分のカンガルーの写真を撮る。






それからコアラ。私の感想は「くさっ!」であったが、小僧は「かわいー(Love、かわいー(Love」と大喜び。意外とこういうもんが好きなのか。コアラの爪は結構痛かったそうである。


動物ランドを出ると、中の檻から逃げてきた?というようなトカゲがのっそり歩いていた。



ランチをカジュアルな店で。昨日のBLTがおいしかったので今日も頼んだだら、ぜんぜん違う出来のものが出てきた。脂っこくてべっとり。夫が頼んだカンガルーバーガーが、これまた臭いのなんのって。私はたいていのものは食べるほうだが、これは食えんかった。小僧はチキンバーガー。私は3皿からの少しづつつまみ食い。


クランダは、陽朔に似ていた。観光地郊外の観光地。日帰り観光y客がどっさりで、土産物屋がどっさり。そういうところであった。元の住民には心外であろうが。


鉄道駅に戻る。復刻列車というので、座り心地悪いカチカチ椅子を心配していたが、ふかふか椅子でヨカッタ。私はいいが、骨川筋衛門の夫と、60過ぎて体重をごっそり減らした母が、長時間座っていると尾骶骨の部分の皮膚に床ずれを作っちゃうのだ。行きの飛行機ですでに出来てしまった。



クラシカルな列車は定刻どおり出発。アーロンの滝でしばらく停車。天気がよかったら絶景だっただろうなあ。無数の橋とトンネルを経てFleshwater駅に到着。私たちはここで下車、ホテルまでバスで送ってもらう。さよなら、もう見ることのない光景たち。













ホテルに帰ると小僧以外は疲れきっていて、夫と母は部屋で爆睡、私は一応小僧の監視があるので、プールの見えるベランダでやはり爆睡。体力無尽蔵の小僧だけが再びプールで遊びまくり。日が落ちるまで遊んで、今夜はホテルのレストランへ食事に行く。


小僧はキッズメニューのフランクフルト+チップス。大人三人は子羊の腿肉、魚のフィレ、シーフードのスパゲティの三品をシェア。地元のビールで乾杯。で、元旦の夕食といたしました。