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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2019年6月28日金曜日

Day 06 台南観光で14キロ歩く

コンビニ朝食。



さてさて今日は街歩き。台南の街は三歩歩けば御廟に当たる。このお布施一覧を見ていると、名前の付け方がやはり香港の好みとはちょっと違うなあと思う。



水仙宮市場を歩く。







水仙宮というても、ヒュアキントスみたいな美青年が鎮座ましましてるわけではないだす。市場の二階に上がれるようになっていて。とても静かでいい感じ。









愛玉があったので食べました。これは厦門にはないので、夫は台湾の愛玉のことをずっと海藻から作っていると思っていた。愛玉の材料は実際には木の実で、木の実の内側のつぶつぶを乾かしたものを袋に入れて水の中で揉むと、常温でゼリーのようになるのだという。









すぐ近くの神農街を歩く。静かなところでした。どんつきに藥王廟があり、藥王って神農だから神農街なんだろかと思ったが、これには諸説があるらしい。









おひるごはん。お魚と野菜。老夫婦にはこのくらいでいいです。ごちそうさまでした。





数限りなくある廟を見物したりしなかったり。このコンロみたいなガスのお香の火つけ、すごく便利でしかもかっちょいい。(中華厨二)





關公廟と天后廟の間を縫う路地のお茶屋の親父さんと、少し話をした。先祖は150年前に福建南部の農村から移民してきて、当時は台南のこのあたりが一番賑やかだった。その中でも特に商売人が拝む關公と一般人が拝む天后の間のこの道が一番人通りが多くて、ここに店を構えたら商売繁盛だろうと店を開いたところ、その後からこのあたりは寂れる一方だと笑った。静かな古い店で、いかにもいいお茶を置いていそうだった。親父さんと息子さん(息子さんだって良いお年である)のふたりが店に出ていた。また来て今度はゆっくりお茶の試飲をしたいな。



磨剪刀



沙卡里巴(さかりば)



バスに乗って安平古堡へ。オランダ人が築いたゼーランディア城の遺跡。見たかったのはこの城壁に残るコレの跡。壁鎖、もしくは鐵剪刀といい、鉄筋コンクリートの鉄筋と同じ発想のもの。台南の古建築にはこれを利用した建物が多いそうです。










これを見て夫と驚いたのが「馬、安くね?」ということ。一匹布と変わらんがな。一擔米は清朝にはだいたい60kgだそうで、ということは米俵と同じぐらい。 中國勞工と公司水手が同じ給料ってほんとかなあ。当時の欧亜貿易通貨はスペインリアルだそうです。こう見ると厦門と平戸は遠くないね。









この日本□□に入ってた単語はなんだったのだろう。「倭寇」かな。





バンダ島って調べたら、スパイスアイランズのめっちゃちっこい島やないですか…。アンボンのちょっと南。Wikipediaの記事を読んでいたら、ちょっとしんどくなってきた。




Banda Islands
https://en.wikipedia.org/wiki/Banda_Islands


徳記洋行という、イギリス系の貿易会社の建物を保存した洋館を見物。お茶のパッケージ可愛いいいいいい。こんなトートバッグほしい。













建物の後ろの旧倉庫が全面的に榕樹(ガジュマル)に覆われて腐海みたいな不思議な光景で、ここは徳記洋行と言うより「安平樹屋」という名で地図に乗っている。徳記洋行の建物はその後日本に接収され、製塩会社が置かれたとか。ここで生産された「煎熬鹽」は主に北海道に販売されたと書いてあるが、煎熬鹽って鍋で煮る製法なのかな。



樹屋のガジュマルの中の紹介パネルには、愛玉も榕樹の仲間だとあった。海抜1000~1800mに自生するのだとか。



可愛い絵だけど浜田弥兵衛事件。



台南史跡限定の鄭成功ビール。「絶対成功します!!」暑くて冷たくて、最高においしかったです。







この可愛い軽トラは、日本で言うチンドン屋さんなのだろうか。



バスに乗って赤崁樓のあたりに戻る。この「擇日」という単語、香港では見たことがないような気がするんだけど、算命の意味ですよね。いっぱいあった。







武廟の奥の觀音廟。



その横の全臺第一所共立幼稚園園址之碑。



武廟昭和八年修建時の奉納者名簿。佐藤覚一さんが十円奉納してる。





お名前を検索すると、多分この方。

臺灣總督府の官報データベース
http://ds3.th.gov.tw/ds3/app007/list1.php?KW1=%E4%BD%90%E8%97%A4%E8%A6%BA%E4%B8%80&RecKW=1

台糖社史に昭和18年に取締役就任とある
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=1150&query=&class=&d=all&page=44


國立臺南藝術大學の学生さんが、鳴り物を練習していらっしゃいました。今夜、隣の大天后廟の前で演奏するらしい。


鄭成功祖廟。ムスコは台湾人から「福建人の父と日本人の母の子なら、ウチにとっては親戚同然」と豪快なくくり方をされたことがあります。





またしても豆腐花を食べました。紅豆と緑豆でいつも迷う。



豆腐花屋の壁にあった、高雄慶應脳科神経内科醫院の広告入りの高雄駅の時刻表(民国53年)



台南駅の切符売り場、超素敵じゃありませんこと皆様。右と左に「14代同堂」「薪火相傅」と書いてあります。完全にトーマスで予習したやつやで…。小さい息子を寝かしつけるのに、Little blue train, he's always there whenever you need a hand~(キミら手ないやろ…)って何夜歌ったことか。









林百貨に行ってちょろっと見物し(何も買わず)、鴨肉姜絲と鴨腎湯で本日はおしまいでござる。






今日は14キロ歩いた。彰化と鹿港の日は12キロ。池上の貸しチャリは34キロ走った。いずれも全然疲れないし翌日にも残らないので、日々の運動を習慣づけることって、この歳でもすごく効果があるのだなあと思った。


忘れてた。私は絶対はんこ押すマン。安平古堡,安平開臺天后宮,安平書屋。