***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2012年1月2日月曜日

day 11 フマユン廟&ニザームッディーン廟 そして帰国

起床。寒い。本日はフマユン廟→ ニザームッディーン廟→チベットハウス→クラフト・エンポリウム→風呂→帰国、である。

朝のパハルガンンジ。



朝食を例のピカイチのレストランでとり、フマユン廟へ。ムスリム・イスラム様式の初期の傑作だそうで、赤い砂岩と白い大理石の組み合わせが美しい。こ の廟の形式は、後にタージ・マハルの原型になったとか。



これは展示物コーナーにあった上空からの写真。



こちらのご家族はサリーは着ているものの、顔が完全にモンゴロイド。私たちと同じ顔。ネパール人かよほど東の方のインド人かどちらであろう?



廟入り口のドーム。美しいですね。



内部から外を見る。静謐でありました。



フマユン廟脇には、家臣や使用人の廟もあり、これは伝説では皇帝の散髪師の廟だとか。墓守が入り口でうたたね中・・・



敷地は広大なのだが、あとで入り口の説明文をみてオドロイタ。ここが公園のように整備される前は、 周り中びっちりと貧民街であったそうだ。ここの修復プロジェクトは、同時に周囲の住民の雇用を生みだすプロジェクトと連動しているそうである。とはいえ、追い出された後の住民にはきちんとした代替の住居地は提供されたのだろうか。




次に、紀元後1345年に94歳で亡くなったイスラム教スーフィ派の聖者の墓にお参り。入ったところに体を清めるためと思しき池(こういうのもガートと呼ぶのだろうか?)があり、



その脇のトンネルのような参道をくぐって聖者廟へ。参道のの両 脇には巡礼者が横たわったり座ったりして喜捨を請うていた。



トンネル参道を抜けるとモスクとその真ん前に聖者廟があった。なんというか、アラブ辺りの純粋 なイスラム信仰からすると、こういった聖者崇拝はかなりけしからん信仰形態なのではないかと思う。この聖者廟は多分神仏混交みたいな感じで、近所のヒン ドゥー教徒もお参りに来ているのではないかとなんとなく推察する。(←あとで調べたらその通りであった。)









赤い砂岩のモスクの前で、聖者廟は真っ白な大理石で作られていて神々しい。外にかかっている看板や注意書きなどがアラブ文字とヒンドゥー文字が半々ぐらいなのが普通のモスクと違う感じ。土産物屋で売ってる本のほとんどがヒンディー文字。



聖者廟自体には女性は立ち入り禁止で、男性も頭を覆わないと入れない。男たちは赤い薔薇の花びらやお香や香油などを捧げてお祈りをしていた。中に入れない女性たちは聖者廟を取り囲むように座り、なにやらお経のようなものを読み上げていた。コーランではないのではないかと思う。例えて言えば浄土真宗の白骨の御文章みたいなやつなのではないかなー。これも単なる推察。





門前町では祈祷用の薔薇の花びらを売っていた。わたし的には死んだ場所より生ける者たちの信仰の場所の方が面白かったので今回の参拝は満足。簡単な伝記に小冊子を一冊もらって帰ってきた。後で調べたら、インドのスーフィズムにおける三大聖者の一人だそうだ。



ここがムスリムの住む地区であると如実に実感するのが魚屋。ヒンディであればたとえノンベジでも魚は食べんと思う。特に川魚は。



オートでチベットハウスへ。 小さな展覧室があり、ダライラマ亡命時にいっしょに持ち出されたタンカや仏像類が展示されている。タンカは精密で、読めるだけの知識(仏典とかジャータカとか)があればとても面白いのだろうと思う。チベット美術の仏像には正直言うとさして魅かれないのだが、曼荼羅は素晴らしい。宝剣があり、鞘には子供の握りこぶしほどの陸珊瑚がみっつも象嵌されていた。見たこともないような大きさだった。ここの入場券が手漉き紙に版木二色刷り(黒と金)の、素朴ながら大変美しいものであったのであとで画像を載せる。

さて、これで所定の観光も終了である。この重たいセットを持ち歩くのもおしまい。



本日が月曜日で、国立近代美術館と鉄道博物館に行けなかったことだけが心残り。特に鉄道博物館。

再びオートで、クラフト・エンポリウムへ。政府経営のお土産屋で、主に北インドの工芸品を扱っている。私は机の上で使うチーク材に真鍮象嵌の筆箱、夫は細密画のカレンダーを二種買った。小僧はホテルの下のみやげ物屋で、真鍮の秤を買うそうだ。

ホテルに帰り、風呂に入り、余ったルピーをみやげ物屋で使い切った。真鍮の秤、象の象嵌のある小箱、手漉き紙のノート2冊、マサラ入りのチャイリーフ2パック、野趣溢れるビーズの入ったミサンガ10本。雑貨屋でインドのビスケット(←おいしい)、インドの石鹸を何種類か。

タクシーを呼んで空港へ。たいした渋滞もなく到着。インド空港は香港空港並みによくできた美しい空港であった。空港まで40分のタクシー代は300ルピー、HKD50・500円弱。またしてもインドの極端を見る。

キャセイの機内食はまたしてもベジタリアンカレーのみであった。食し、眠り、早朝6時には香港到着。私は帰宅して着替えて出社である。またしてもひとつの旅が終わった。

2012年1月1日日曜日

day 10 デリーの赤い城(Lal Qila)

正月は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

だっけかね。昨夜はニューイヤーの瞬間にホテルの前の道でカウントダウンとものすごい花火の音がしていたが、目を覚ましてそれを聞いていたのは私だけのようだ。夫も小僧もぐっすりであった。

起床。本日は雲り空。ラール・キラー(Red Fort, 紅堡)へゆく。オートで50rps。運転手にはラホール門を指定したのに、デリー門で下ろされてしばらく歩く。しかしドラクエの城壁そのままの赤い壁を見上げながら歩くのは悪い気分ではない。



ここは中国で言えば天安門広場的な場所なので、チケットカウンターには正月の佳き日をナショナル・イコン的な場で過ごそうとするインド人観光客が押し合いへし合いにならんでいてげんなりしたが、よく見ると一番右に外国人窓口があり、並ばずに買えた。例によって250rps。



外壁の雄渾さと比較すると、内部はアグラ・フォートやファテーブル・シクリほどの見ものではなかった。夏を涼しくすごすことにのみ主眼を置いた建物。往時にはもちろん、真ん中に水が流れていたはず。


天井


天井アップ。大理石に半貴石の象嵌。





柱アップ。たいへんうつくしいでごじゃります。




天気も悪く、夫の具合が思わしくなく歩くのも辛そうなので、ラホール門前のチャンドニ・チョーク(月光市場)の散策も付近のヒンドゥ寺院やジャイナ寺院、 ジャマー・マスジッドの見物は諦めて、パハルガンジへ帰る。道の反対側からヒンドゥ寺院だけパチリ。



オートを拾って宿に帰る。デリーでは始めてみる大きなオート三輪が走っていた。色は同じ黄色と緑。乗り合いだろうか?手前のムスリムの若い核家族はバイクに家族で四人乗り。



運転の様子はこんな感じ。



運転席には神様。右からシヴァ、カーリー、ハマヌーンかな?





部屋に入るなり、夫は薬を飲んで爆睡、小僧はソニーの薄型テレビでひとこともわからんヒンディ 吹き替えのドラえもんに腹を抱え、私は「The Truth About Me」を読み進める。まさかと思ったが、著者自身がセックスワークに従事していたころの記述が赤裸々につづられてあり、静かに驚く。いくら英語版とはいえ、保守的なインド社会でこれを出版するのは大変な決意であったことだろう。ぐいぐい読み進める。


遅い昼食兼夕食を、Tadkaで。おいしかったよ!



夕暮れのパハルガンジをぶらぶら歩く。これはほおずき売り。



スパイス屋さん。サフラン買っとけばよかったな。



貴金属。



この日取った写真で、私が一番気に入っているのはこれだったりする。牛乳の集配所。店先はいつ見ても忙しかった。従業員たちは、私がシャッターを切るとにっこり笑った。インドの男性たちは被写体になるのを嫌がらない。私もにっこり笑って手を振りかえす。




明日は最終日である。