***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年5月14日水曜日

バスに忘れ物


北京時間9時発のはずのバスは9時半にやっとバスターミナルを出発した。出たのはいいが、出るなり別の駐車場のような広場に入っていき、運転席前の行き先の看板を掛け変えた。「皮山行き」。皮山ってどこ!?そしてなぜ???和田はどーなったの!?

運転手と切符もぎの話を総合するとこういうことらしい。乗客は八割ぐらい乗っているがそのうち和田まで行くのは我々含めて6人だけ。少なすぎて採算が合わないので途中の皮山行きに変更し、後の皮山→和田間は切符代は負担するから皮山で別のバスを探して乗り換えてもらうう、と。中国語ではこういうのを「売猪(豚を売る)」と言う。いいけどさあ…。

このバスは超おんぼろで全くスピードが出ず、三時間かかって通過した地点の看板に「カシュガルまで87キロ」と書いてるのを見た時にはめまいがした。時速30キロ切っとるがな!500キロ走るのに何時間かかるの実際…。今から本気出したら10時間ぐらい?と楽観していたら、結局9時間半かかって皮山という町にやっとこさたどり着いた。

すでに夕方6時半、ここでバスを乗り換える。中型バスでさっきよりは走りそうな見かけである。しかし香港なら厳格に定員16人にバスに、38人乗せて走るからなあ。きっちきちだ。7時半にやっと出発の運びとなり、いくつかのオアシスを縫うようにして砂漠を突っ走った。ほどなく日が暮れた。

揺られること4時間、すっかり真っ暗になった深夜11時半、バスは停車し、道端で乗客を下ろし始めた。バスターミナルには入らないらしい。慌ててバスを降りた私たちは真っ暗な道端でかろうじてオート三輪を拾い、宿にたどり着いたのは良いがそこで相棒が声を上げた。「カバン忘れた!」

なんてこと!慌てて同じオート三輪に乗りさっき下車した地点へ引き返すが、時すでに遅し、カバンを荷棚に載せたまま、バスはいづこともなく消え去っていた。ここは実はバスターミナルの真ん前だった。さっきのバスは公営でなく私営だったので、ターミナルに入らなかったのだ。バスターミナル職員に救いを求めるも、ウィグル人で漢語があまり通じず、「明天明天!」と繰り返すばかりでどうしようもなかったので、仕方なくホテルに引き返す。なにしろ夜中だし。ふうぅ。

四人部屋は18元/ベッド、三人部屋は20元。外人ばその倍。私たちは「香港人は中国人だ!」と言い張って、1.5倍で折り合った。そして三人部屋に60元で泊まり、かつフロントの小姐は相客を部屋に入れないと明言してくれたので、結局三人部屋を国内人士が包したのと同じ費用。安くはないが納得して止まることにする。しかし、歯磨きと歯ブラシは忘れた鞄の中だ。