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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2003年12月24日水曜日

広州 ふつかめ

さて本日は本来の目的の大旗頭古村に出発。「中国古鎮遊」によると、広州汽車站から大溏行きのバスで途中下車とのことだが、省汽車站にも市汽車站にも大溏行 きがない。客運站はほかに何箇所もあるが、ひとつひとつ当たるわけにも行かないので、とりあえず三水行きに乗る。久しぶりの老爺車。小 僧、「あっちのきれいなくるまのるー!」と正直に騒ぐのであった。三水まで一時間弱。途中、高速道路沿いに譚秋という古鎮を見た。素敵だった。自前の交通があったらなあ。




三水で氾湖行きのさらにぼろっちいミニバスに乗り換えて40分、楽平鎮を過ぎて少しすると大旗頭村到着。村の前に小さな池があり、 溶樹が両端をふちどっていた。その下には石造りの腰掛が並んでおり、いい憩い場となっている。池の右には三階建ての塔、左は駄菓子 屋。村の正面には廟がいくつも並んでいた。







門票5元。ピカピカの自家用車で村の中まで乗りつけ、すんごくでっかいサイバーショットでばしばし妻子の写真をとりまくっていた中国人が村人にどう催 促されてもその5元を払わず、見ていた私たちは絵に描いたようなさもしさに苦笑せざるを得なかった。でも今の中国で金を掴んで成り上がっていこうと思ったら、 このくらいえげつない神経の持ち主でないと淘汰されるのも事実。やですね、どうも。





城壁に囲まれた村はすでに住居として は使用されておらず、農機具などの物置として使用されているようだ。門には見事な木彫りの装飾が残り、家と家の間には滑らかに磨り減 った石畳が敷かれていた。








一時間ほど見物してで帰途につく。村の前で広州行きのバスを止めた。本来乗る予定だった広州-大溏路線の反対方向。行きのバスよりさらにボ ロで、しかもところどころ舗装もされていない土の道を走るのでケツの皮の薄い相棒はさあ大変。でも私と小僧は爆睡しました。眼が覚める と広州で、沙面対岸の芳村汽車站が終点であった。路線バスで広州站(旧駅)前に。昔、中国旅行を終えて広州まで帰ってくるたびに食 べていた、懐かしの駅前の民航酒楼で昼食。改装して典型的な広東菜から中国各地菜なんでもありに変わっていて、その分味が落ちていた。それともこっちの舌が肥えたか。

この時点で人民元の懐が乏しくなり、両替に向かいの流花賓館へ。しかし両替所はつぶれていた。ホテルに聞くと中国大酒店まで行けというが、こないだ出張でここに泊まったとき、泊り客ではない日本人が両替を断られたの見たことがある。駅前には闇屋も多いが、信用ならんのでやめておく。なにしろ民航酒楼から流花賓館まで歩くだけでひったくりを2件も見た。香港とは違って、誰も犯人を追っかけない。公安も見てみぬ振り。相棒は小僧を抱え込み、私はカバンを抱え込んで歩いたが、なかなか気が気ではなかった。流花賓館からタクシーで動物園へ。郊外の野生動物園は次回にしよう。ごめんね小僧。

せっかく入った動物園だが、入るなり象が寝る時間。きりんさんなどを見る。「きりんさんねー。くび、ながいねー。ごはん、たべてるねー。くさいねー。」ま、そのとおりといえばそのとおりなのだが。