***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2000年2月7日月曜日

セブ島 よっかめ

7時起床。休日は常にあっという間に終わる。思えば新婚旅行だってあっという間だった。

朝食後、ビーチを散策する。ゆうべの海賊が来て、Tシャツをくれという。 持ってきたTシャツはタンタンのが二枚、アーニーとバートのが二枚、どれもお気に入りなのであげられない。

埠頭で葉巻を吸う。まったくおいしくない。チョコレート味のしないやつは安物だよ、と海賊たちに言われ る。チョコレート味などまったくしない、煙いだけ。そういえば卒論の教授がパイプ党で、甘い、いいニオ イを始終あたりにまきちらしてたなあ。15分以内ならニオイで追跡が可能と言われていた。

8時半、時間だ。空港へ向かう。軽のワゴンに12人きゅうきゅうに載せられて、空港まで15分。

総括して(別にせんでもヨイが)、今回のセブは総じて満足ながらやはり時間の制約が大きく、 食い足りないという印象が残った。相棒は今回の好印象で前回マニラの印象を描き換えることができ、 フィリピ ンへの心象を大きく変えだようだ。

我々が移民を夢見ている国、タイと比較して言うと、セブの場合は市街地があまり密集しておらず、夜 の治安にやや難があってタイほどお気楽に夜のそぞろ歩きが楽しめない点で、減点が大きいかと 思われる。しかしながら、これはセブへの印象であって、別の土地ではまたちがうかも。いや、マニラの 治安はもっと心配かなあ。

公共交通機関を試してないのも、これからの宿題である。

今回は「観光地のリゾートホテルに泊まる」という我々らしくない振る舞いに及んだせいもあり、100%楽 しめたとは言い難い旅であった。次回はぜひぜひ、普段どおりのお気楽きままな旅で、もっとフィリピン を味わってみたい。でも、そのためにはまとまった時間が必要なんだよなあ。

飛行機が水平飛行に入ってしばらくも、眼下にはすばらしいさんご礁の島々が広がる。これは、文句な しにフィリピンの最大の魅力である。また来よう。必ず。

と言うわけで、壊れた靴をフィリピンに捨ててきた私は、 ダウンジャケットにビーサンという超ク~ルな格好で香港に帰還、 「エアポートホテルでごはん食べて帰ろうよ~」という相棒を怒鳴りつけて (ジブンはまともな靴はいてるからええやろうけどなあ・・・)、帰宅したのであった。


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後記。
飛行機の中にカメラを忘れてきたという大失態が判明。航空会社に電話をかけていると、 「こういうもんが見つかると考えている国民は世界中でオマエんとこだけやぞ」と相棒に言われる。 果して見つからない。福引であたったカメラは惜しくないが、 セブ篇に貼り付ける画像が ジ ョセフ・エストラーダ現大統領の ブロマイドしかなくなってしまい、残念を通り越してあほらしい。

2000年2月6日日曜日

セブ島 みっかめ

朝食後、ビーチを散策。貧乏性の私および相棒にはきわめて不思議なのだが、 どうしてプライベートビーチのあるホテルで、人々はプールでしか泳がないのだろう。 ナゾだ。ひょっとすると世界的なTPOでそう決まっているのだろうか。 海で泳ぐのはちょっと外れた行為なのだろうか。しかし天気も良く、波もなく海は透明で 小魚が群れをなして泳いでおり、いい感じなのだがなあ。ナゾだ。

香港人家族が、ホテルの隣村の青年(日焼けしてハラがでっぷりしており、 ヒゲ面で頭をタオルでくるんでいる。以後「海賊」と呼ぶことにする)相手に、 一日ツアーの交渉をしているので、混ぜてもらうことにする。 ソルベ島という島までボートでつれて行ってもらい、BBQと椰子水の昼食をとり、食後は沖でスノーケル兼 釣り兼 うに食べ放題・・・といった内容で一人400ペソ。がんばればもっと安くなるが、その分がBBQランチの食材に正直に反映してくると経験者の香港人が語るので、そのままにする。 離島への上陸代一艘290ペソと、椰子の実以外の飲み物は別料金。

そうと決まれば私のビーサンを調達せねばならない。ホテルの売店で物色するも、 ちょっとこじゃれたサンダルしかなく、値段も480ペソだの750ペソだの信じられない設定なので、 私が水着に着替えている間に相棒が公道の雑貨屋までひとっぱしりする。 無事、普通のビーサンをゲット、25ペソ。しかしなんでオレンジ色のんなんか買うねん。

10時半に船の上に集合したが、「BBQの材料がまだ集まらないんだ」と海賊が言い、 その間に椰子の実取りでも実演してやろうと言って、細身の手下に椰子の木登りをさせた。アンタは? と海賊に聞くと、「俺はこの腹だから登れない」だと。

そうこうしているうちに食材と炊事係がトライシクルで帰ってきた。客が8人+子供一人に対し、 なんと向こうも8人、一行は総勢17人となった。内訳はガイド(海賊ともう一人、英語が出来る)が二人、 炊事係のおばちゃんが3人(海賊ママとおばさんたち)、船を操るのが3人である。 海賊は10人兄弟、イトコは合わせて50人を下らないという。しかし彼自身の子供はただ一人。6歳の男の子。どこでもそうなってゆくのだなあ。

さて出発。40分ほどの楽しい船旅のあと、ソルベ島到着。ここで食にウルサイ香港人、おしきせのBBQ食材 だけでは飽き足らず、ソルベ島に女子供を残して海鮮を探しに近隣の小島をめぐることにした。私も付いて 行く。となりのココ島(Nothing but Coco!)沖で猟師のカヌーに声をかけ、あるものを見せてもらう。 石班魚(ハタ)が2条、あわびが20匹などなど。残念ながらおめあてのシャコはなかった。

あわびを2000ペソから840ペソに値切って買う。さすが香港人。 我々なら1000ペソあたりで手を打っちゃうだろうなあ。交渉の間、私は時間がもったいなくて 船の周りで泳いでいた。海草だらけの海底で、この海草は輸出されてゴムの材料になるのだそうだ。 海草からゴム?ゼラチンの間違いだろうか。

ソルベ島に帰るとBBQが焼きあがっていた。予想していたのよりずっと豪勢である! ワタリガニがひとり1はいずつ、よく焼けて味のついた鶏と豚がバナナの皿にてんこもり、魚いろいろ、 新鮮で歯ごたえよいイカがどっさり、笹のかわりに椰子の葉で巻いたちまきごはん、 マンゴー・バナナ・パイナップル・パパイヤが山盛りである。それに、たった今買ってきたあわび20匹、 あっさり湯がいて醤油とわさびでいただく!そして冷たいビール!!!

しかしここでもフシギだったのが香港人。全員食べておしゃべりに夢中で、食後も誰一人泳がない。 コドモだっているのに、波打ち際で遊ぶことすらしない。テーブルの横で水鉄砲で遊んでいるのみである。 (水鉄砲用の水は母親が波打ち際まで汲みに行く。コドモは行かない…) なぜだ!? 習慣なのか、民族性のちがいなのか。

鯨飲馬食後、船を沖に出して釣り&うにタイムである。やはり泳いだのは私と相棒のみ。 海賊が潜ってうにを取るのを、いっしょに潜って横から見物。私はフィンなしでは3m程度しか潜れないが、 彼は7mは潜れると言う。一時間ほどスノーケリング。香港人は全員船の上。釣りにもさっさと飽きて、 おしゃべりをしているのみ。ひょっとしてこの人たち、水着も着てきてないんじゃなかろうか。 そういえば魏志倭人伝に「倭人ハ能ク潜ル」といった意味の記述があるが、 今もワタクシ、船の上の人たちにそう思われてるんだろうな。

4時、帰路につく。楽しいアイランド・ピクニックであった。

速攻でシャワーを浴びて、外出。ホテルの車が出払っていたので、ちんたら公道まで歩き、 タクシーを拾う。SM CITY CEBUという大きなショッピングセンターへ行く。たらたら見て歩くも、 こういった場所で売っているものは、本質的に香港とかわらない。 (というか、もはや東京でもバンコクでもソウルでも変わらない。)

本屋で絵ハガキを購入。フィリピンでは歴代大統領の絵ハガキがとても一般的らしく、 どの店でも売っている。フェルナンド・マルコスさんとコラソン・アキノさんが仲良く並んでいるのは なかなかフシギな感じだ。我々も敬意を表し、歴代大統領のなかでもっとも絵になる男、 ジョセフ・エストラーダ現大統領がシブく前歯を見せている一枚を購入。 ラモス前大統領はプミポン国王とよく似ているなあ。



また、フィリピンの国樹、国鳥、国花、国獣などの絵ハガキもあった。ちなみに国獣は水牛。

相棒、特価に惑わされてXLのTシャツを購入。99ペソ。キミは自分の体格をわかっとらん。私はひとめ ぼれしたカニ模様のシャツを購入。220ペソなり。

相棒が葉巻を一本買う。48ドル。葉巻が特産品なのはスペインの植民地だったからなのか? (キューバからの連想である)

相棒が頭痛を訴えたので、薬屋で風邪薬を購入。1シート10ピースで25ペソ。中華ファーストフード屋で 炒麺を食べ、ジャスミンティーを飲んで帰る。帰りのタクシーは150ペソであった。

2000年2月5日土曜日

セブ島 ふつかめ

起床。食後9時半から1本目のダイブ。我々ペーパーダイバーは、O/Wサティフィケートを取って以来始めて、 しかも2年ぶりに潜るので、「お手柔らかに」とお願いする。おお、そういえばこの宇宙服のようなベスト、BCDって言うんだったなあ、ってな具合である。すべての手順を完全に丸忘れしているので、すべて他人にやってもらうという大名ダイバーであった。もっとも、フィリピンではタンクの運搬を始め、それが普通らしい。

無事、潜る。マクタン沖で崖にそって15m~18mまで降り、そのまま横に移動。大きな魚はまったくおらず、10~15センチ程度の小魚ばかり。しかしながら色は美しい。大きな壷型のさんごや、うちわ型の直径1m、厚さ5mmほどのきれいなピンク色のさんごなどがあった。浅瀬に停留、ゴンズイがたくさんいた。もっと浅いところはうにだらけ。31分間の短いダイブであったが、エア消費量が異常に多い相棒のエアが50Barを切っていた。相棒とインストラクターは、クラゲに両腕をやられてひどい発疹になっていた。

あがって昼。インストラクターは「ではよく休むように」と言ってくれたが、ちょこまかしいの我々は外に出た。雑貨屋で、マクタン島の中心、ラプラプへの交通を聞く。(関係ないが、ラプラプとかハロハロなどの、音の繰り返し名詞を聞くと、マレイ・ポリネシア系の国にいるんだなあと実感できてしみじみ和んでしまう。)この道にはジープニーは入ってこないそうで、トライシクル(サイドカーのオート輪タク)は一人15ペソで6人乗り。我々はラプラプでの待ち時間も合わせて往復100ペソで話をつけた。

にぎやかなラプラプマーケットで椰子水(15ペソ、これはちょっと高い気がする)を飲み、上等のマンゴーをキロ45ペソ、九つで2キロで購入(これは安い)。街の飯屋でゴハンにスープを35ペソで食べて帰ってきた。

1時半、二本目のダイブ。20m地点に沈めてある飛行機の残骸ポイントで魚にエサをやる。手のひらより少し小さいぐらいの黄色と黒のシマシマの魚が大量によってきて、我々の手から食パンをかすめてゆく。ついつい「ピラニア・・・」とか連想してしまう。中に、蛍光の青い魚と、鮮やかに赤い魚がときどき交じっており。うち赤い方の魚が私の薬指の皮をかすかに食いちぎっていった。

二本目のダイブは34分。わたしのエアは70近く残っていたが、相棒は50を大きく割っていた。いつもこうだが、どうしてなのだろう。

シャワー後、250ペソもふんだくるホテルの車で道教寺へ初詣に行く。本日は旧正月である。 高級住宅街、その名もビバリーヒルズにある道教寺に初詣に行く。ビバリーヒルズ地区へ入る道にはチェッ クポイントがあり、入るとプール付きの豪邸が立ち並んでいた。門番が軍服のような制服を着て立っていたり する。香港のピークやらミッドレベルでも、領事公邸クラスでないとこんな門番は立ってないなあ・・・。

道教寺は山の中腹にあり、セブ市街を見下ろす夕景が美しい。脇に天后宮があったので、しっかりお参りをし た。タクシーでマクタンへ戻る。150ペソで行ってくれというと、この時間だと帰りの客を拾えないから170にし てくれと言われ、承諾する。(メーターでは100そこそこである。)セブからマクタン島への橋を渡りきったところで、鶏の丸焼きの屋台が並んでおり、相棒、車を止めさせて買いに行く。小ぶりのが90ペソなり。

ホテルまで入らず、公道の雑貨屋兼飯屋で下車、典型的フィリピノ家庭料理(と思われる)ものを食す。皮付 きの豚肉と野菜の清湯(にぎりこぶし大の豚ブロックふたつ入り)、いわしの甘辛煮つけ、 いんげん豆ととうがらしの炒めもの、いかの醤油煮つけ、白ゴハン、サンミゲル、赤バナナで152ペソなりなり。

1キロほど徒歩でホテルへ戻る最中、95年に購入、その後の私の旅のほとんどに同行して 10数ヶ国を周ってくれたHi-techのトレッキングシューズがついに寿命を迎えた。 左足後ろからワニの口になってきて、ホテルまで持たず、ついに靴底が取れた。よく履いたなあ。 寂しいが満足だ。

部屋に帰り、丸焼き鶏をむしり食いながらTVを見る。TVはSONYだが、 いまどき珍しいリモコンなしのやつであった。

2000年2月4日金曜日

セブ島 いちにちめ

普段は3泊4日/午前出発-午後帰国/シャングリラ・セブというツアーで2,800ドル程度、しかしながら今年の旧正月はY2Kで年末年始の旅行を避けた層がどっと流れ込み、同内容のパッケージが6,000ドルと跳ね上がった。チケット単体では売れないと何軒もの旅行代理店に断られた我々は、仕方なく最も安いホテル(絵葉書参照)を使ったパッケージを購入せざるを得ず、はなはだ不本意であった。しかも午前出発-午後帰国便はすでに満席で、午後便にての出発となる。料金は一人HK$4,588であった。

出発。

11時前にチェックイン、PAL3030はセブ経由マニラへ向かう旧正月臨時便らしい。フライトは1時なので、富豪機場酒店(リーガルエアポートホテル)で飲茶。入ってびっくりのファンシイな内装。銅鑼湾の超悪趣味な富豪香港酒店とはおお違いだ。その悪趣味さが好きで通っているのだが。

テーブルクロスは白にえんじ、椅子の背もたれには黒びろうどに金で大きく漢字が刺繍してある。壁には西北地方の切り絵をモチーフにした大きなデコレーションが並べられていて、カーペットは黒地に暗い赤で絵巻物の雲のような模様が飛んでいる。従業員の制服は黒っぽい内着にチャイナカラーの上っ張りで、それは黒いシースルーに、一面に漢字を散らし書きしてあるのであった。要するに、「外人のシノワ趣味」なのである。外人の私には楽しめた。

味も値段もお手ごろで、オススメである。二人で6せいろ、180ドル程度。

搭乗。日本便以外でこれだけ日本人が乗っている便もめずらしい。セブへの観光客は年間通じて80%がアジア人、そのほとんどが日本人であるそうな。水平飛行に入るなり、前の日本人男性二人が 背もたれをいっぱいにリクライニングさせ、頭乗せの後ろ側で手を組んだ。ぶらぶらさせたり組み合わせたりしてる手の甲が、相棒の顔の前10センチである。「言ってあげようか?」と相棒に言うも、にやにや笑って 「いや、いい。しかし日本人てのはどうして教育程度も収入水準も高い男性に、 こういうことするタイプが多いのかね。」と、にくそいことを言う。

香港人が相対的に日本人よりお行儀が悪いのは歴然たる事実だが、香港生まれで大学を出て、大会社に勤めているサラリーマン階級なら、まず確実にこういうことはしないそうだ。 (ちなみに相棒は香港生まれでなく、大学も出ておらず、大会社に勤めている訳でもない。念のため。) 言っている間にも、隣の日本人男性が革靴を脱いだ足を直角に組み、靴下の足の裏を通路側、つまり我々の方にに大きく突き出して本を読みはじめた。相棒に返す言葉が無い。

到着。やはり暑い、ワゴンでホテルへ。ホテルはCostabella Tropical Beach Resortという名で、どえらい田舎にあり、ひっそりとした入り口からもよりの村落まで、私道をあるいて15分ほどかかる。タクシーなどを拾おうと思ったら、さらに15分ほど歩いて大通りに出る必要がありそうだ。

相棒が自分の分のビーサンしか荷物に入れていなかったことが判明。私は奴の分の着替えまで全部用意してやったというのになんて自分勝手なやつだ。

ホテルのダイブショップで明日の予約をする。我々はPADIのOpen Water Course Certificateを 「持ってるだけ」なので、きちんと英語のできるインストラクターを一人、我々二人を監視するためだけにつけてもらうことにした。一日2ダイブで一人70ドル。時間は好きに選べるので、午前一回午後一回にした。ホテル外では40ドル(器材なし)~50ドル(器材つき)程度でできるようだ。ただし、器材のチェックも自力でしなければならない。「持ってるだけ」ダイバーの我々には全くムリというもんである。

夕食をホテルのブッフェで。残念ながらおいしいものがほとんど何も無く、「香港人は幸せやなあ」と、相棒がしみじみ言う。ラテン音楽の生演奏があり、ずいぶんたのしかった。演奏者はみなまっくろけで、どうみても昼間は魚とかとってそうな風情であった。