***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2000年2月5日土曜日

セブ島 ふつかめ

起床。食後9時半から1本目のダイブ。我々ペーパーダイバーは、O/Wサティフィケートを取って以来始めて、 しかも2年ぶりに潜るので、「お手柔らかに」とお願いする。おお、そういえばこの宇宙服のようなベスト、BCDって言うんだったなあ、ってな具合である。すべての手順を完全に丸忘れしているので、すべて他人にやってもらうという大名ダイバーであった。もっとも、フィリピンではタンクの運搬を始め、それが普通らしい。

無事、潜る。マクタン沖で崖にそって15m~18mまで降り、そのまま横に移動。大きな魚はまったくおらず、10~15センチ程度の小魚ばかり。しかしながら色は美しい。大きな壷型のさんごや、うちわ型の直径1m、厚さ5mmほどのきれいなピンク色のさんごなどがあった。浅瀬に停留、ゴンズイがたくさんいた。もっと浅いところはうにだらけ。31分間の短いダイブであったが、エア消費量が異常に多い相棒のエアが50Barを切っていた。相棒とインストラクターは、クラゲに両腕をやられてひどい発疹になっていた。

あがって昼。インストラクターは「ではよく休むように」と言ってくれたが、ちょこまかしいの我々は外に出た。雑貨屋で、マクタン島の中心、ラプラプへの交通を聞く。(関係ないが、ラプラプとかハロハロなどの、音の繰り返し名詞を聞くと、マレイ・ポリネシア系の国にいるんだなあと実感できてしみじみ和んでしまう。)この道にはジープニーは入ってこないそうで、トライシクル(サイドカーのオート輪タク)は一人15ペソで6人乗り。我々はラプラプでの待ち時間も合わせて往復100ペソで話をつけた。

にぎやかなラプラプマーケットで椰子水(15ペソ、これはちょっと高い気がする)を飲み、上等のマンゴーをキロ45ペソ、九つで2キロで購入(これは安い)。街の飯屋でゴハンにスープを35ペソで食べて帰ってきた。

1時半、二本目のダイブ。20m地点に沈めてある飛行機の残骸ポイントで魚にエサをやる。手のひらより少し小さいぐらいの黄色と黒のシマシマの魚が大量によってきて、我々の手から食パンをかすめてゆく。ついつい「ピラニア・・・」とか連想してしまう。中に、蛍光の青い魚と、鮮やかに赤い魚がときどき交じっており。うち赤い方の魚が私の薬指の皮をかすかに食いちぎっていった。

二本目のダイブは34分。わたしのエアは70近く残っていたが、相棒は50を大きく割っていた。いつもこうだが、どうしてなのだろう。

シャワー後、250ペソもふんだくるホテルの車で道教寺へ初詣に行く。本日は旧正月である。 高級住宅街、その名もビバリーヒルズにある道教寺に初詣に行く。ビバリーヒルズ地区へ入る道にはチェッ クポイントがあり、入るとプール付きの豪邸が立ち並んでいた。門番が軍服のような制服を着て立っていたり する。香港のピークやらミッドレベルでも、領事公邸クラスでないとこんな門番は立ってないなあ・・・。

道教寺は山の中腹にあり、セブ市街を見下ろす夕景が美しい。脇に天后宮があったので、しっかりお参りをし た。タクシーでマクタンへ戻る。150ペソで行ってくれというと、この時間だと帰りの客を拾えないから170にし てくれと言われ、承諾する。(メーターでは100そこそこである。)セブからマクタン島への橋を渡りきったところで、鶏の丸焼きの屋台が並んでおり、相棒、車を止めさせて買いに行く。小ぶりのが90ペソなり。

ホテルまで入らず、公道の雑貨屋兼飯屋で下車、典型的フィリピノ家庭料理(と思われる)ものを食す。皮付 きの豚肉と野菜の清湯(にぎりこぶし大の豚ブロックふたつ入り)、いわしの甘辛煮つけ、 いんげん豆ととうがらしの炒めもの、いかの醤油煮つけ、白ゴハン、サンミゲル、赤バナナで152ペソなりなり。

1キロほど徒歩でホテルへ戻る最中、95年に購入、その後の私の旅のほとんどに同行して 10数ヶ国を周ってくれたHi-techのトレッキングシューズがついに寿命を迎えた。 左足後ろからワニの口になってきて、ホテルまで持たず、ついに靴底が取れた。よく履いたなあ。 寂しいが満足だ。

部屋に帰り、丸焼き鶏をむしり食いながらTVを見る。TVはSONYだが、 いまどき珍しいリモコンなしのやつであった。