***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2002年3月31日日曜日

無事の航程に感謝


目が覚めると雨。荷物の整理をしてるーにミルクをやっていると、だんだん小降りになってきた。るー、パパイヤ匂いのうんこ。9時ごろに雨がやんだので、散策に出かける。宿のすぐそばに観音廟があり、無事の航程を感謝し、帰途の安全を祈願して丁重に拝む。

裏の公園でるーを少し歩かせてから、チャイナタウンへ朝食に出かける。相棒、もはや我慢できなくなったらしく、飲茶屋へ入る。帰ったらいくらでも食べられるのに…。果たしてたいして美味くない。551の蓬莱とみまごうばかりのサイズの肉まんがあり、香港では見ないサイズなので注文してみたら、これはおいしかった。

相棒と私の職場の土産用に、肉乾(はちみつを塗って焼いたやわらかいジャーキー)を購入。300gのが4袋、500gのをひとつ。500gのは自宅用だ。でへへ。干しマンゴーとするめも買った。シンガポール航空のフライトアテンダント制服布で作ったるーパジャマを探すも、どれもこれも大きすぎる。相棒は福建語TVコメディのVCDを2枚、私は「小さい靴」というイラン映画のが投売りに出てたので購入。全然シンガポールみやげとちがうやん。3枚で10ドル。残っていたマレーシアリンギットをシンガポールドルに替えると、もう時間だ。


チェックアウト。まあまあの宿であった。 タクシーで空港へ。チャンギ国際空港は本当によくできた空港だ。堅苦しさの全くない、くつろいだイミグレーション、にもかかわらずきわめて効率よく合理的なデザインと運営。香港空港の無機質さに比べるとやはり私はシンガポールに軍配をあげてしまう。






るーは空港を暴れまくり。走り回り、免税店に突進し、階段があれば登り、降り、清掃用ワゴンが通ると自分も押したがり、電動カートが有れば自分も乗りたがる。疲れ果てた私は空港内のおもちゃ屋で、つまらんおもちゃを9ドルも出して買ってしまった。これでおとなしくしてくれ、頼む…。おもちゃをもらったるー、大興奮でおもちゃをもって走り回り、挙句にところかまわずおもちゃをぶんなげる始末。あかんやん、るー。

やっとこさ登上時間。行きと同じ機体でおなじアテンダント。席もほぼ同じ。行きはもらえなかった子供用おみやげをもらう。ウォレスとグルミットのウェストポーチに、トランプと色鉛筆と鉛筆削りとぬりえ絵本と迷路のおもちゃが入っていた。るーには早すぎ…なのでママがもらってあげよう。うはははは。旅の終わりに誕生日プレゼントもらっちゃったよ。あとはるー、到着までおとなしくしててくれ…ってあかんか、やっぱり。


支出まとめ。
エアチケットHK$4,060(JPY69,233)
フェリーHK$1453(JPY24,781) 
シンガポールでのタクシーHK$269(4,584)
ティオマンでのボートチャーターHK$483(8,236)
交通費総計HK$6,265(JPY106,883) 

ホテル一泊平均HK$242(JPY4,118)
宿泊費総計合計HK$1,932(JPY32,945) 
おみやげ HK$420(JPY7,162)
食費その他 HK$1,485(JPY25,323)
出費総合計HK$10,228(JPY174,412) 

るーを0.1人として一人HK$4,870(JPY83,053) 以上だホイ。中級レベルの旅行であった。

2002年3月30日土曜日

明日は帰国だ


朝から大雨。なんてこと。どうやってシンガポール行きフェリー乗り場までたどりつけばいいのだ。道がないので小船を出してもらうより他は無いのだが。ううう。

荷物の整理をして、るーを遊ばせる。昨日の宿より広いテラスでよかった。空がだんだん明るくなってきて、12時過ぎ、雨はほぼあがった。チェックアウトして船を出してもらう。飛行場へむかうアメリカ人夫妻とまとめてもらったので、屋根のある大きい方のボートになった。信じられないほど透明な水の上をボートはかっとばし、フェリーピア到着。

そこはベルジャヤ・ティオマン・リゾートというファイブスターホテルの敷地内で、前は素敵なビーチである。泳ぎ足りないままに海パンはきっぱなしの相棒は早速走っていった。(で、そのまま海パンはいたままシンガポールに帰った。) 私は荷物とるーとともに取り残され、炎天下にはしゃぎまわるるーを追いかけて死ぬ思いをし、とうとうるーを座らせる必殺技「かっぱえびせん」を乗船前から繰り出さざるを得なかった。えびせんぱーんち!えびせんきーっく!えびせんすくりゅー!えびせんぼんばー!ぎゃらくてぃか・えびせん!

船に乗ると同じような月齢の子が2人ほどいた。どちらもオーストラリア人で、中華系オーストラリア人のママに、一方のご主人はオーストラリア白人、もう一方はインド系。む、よく考えるとるーもハーフか。将来言うんかい。「俺、ハーフやし。」どの口が言うねん。この口か。ひねったろか。今ひねっといたろか。そして17ヶ月だと言ったらでかい白人パパに「う~ん、Big boy!」と言われるるーのでかさよ。ほんとはFat boyと言いたかった…なんてことはな

だろうな。

美しい夕焼けとともにシンガポール・タナメラ・フェリーターミナル到着。タクでホテルへ。もう日が暮れてしまった。夕食はチャイナタウンの屋台街で。私は薄餅とサテー(マレー風味の串焼肉)、相棒は羊肉スープと揚げ豆腐。鬼畜な両親が先に満腹してから、おっとり刀でるーミルクを探すも、いつも飲んでるやつがなく、同じブランドの廉価版しかない。るー、飲むかなあ? 明日の飛行機内用のかっぱえびせんとあわせて購入。

るーが突っ込んでいったみやげ物屋の店員にいきなり「あんた何人だ?」とマンダリンで聞かれた。「どこだと思う?」と聞き返すと、「中国のどこなんだ?」と。香港だと答えて立ち去ろうとすると、私がるーに話し掛けている日本語をしっかり聞いていたらしく、香港にそんな「語言」があるのか?としつこく聞いてきた。私のベタな大阪弁を、中国のどこかの方言だと誤解したらしい。珍しくショージキに答えてなごんでみた。

果物をどっさり買い込んで宿に戻った。甘い、ねっとりしたジャックフルーツ。パパイヤ、黄色いのと赤いの。メロンはマレーシアのとオーストラリアの。このオーストラリアのメロンがほっぺたが落ちるほど甘く、るーに食べさせるとおいしがっておいしがってぱくぱく食べた。どんどん食え。もっと食え。パパイヤもやわらかいなりに歯ごたえのある食感がおもしろいらしく、ひときれほとんど全部食べてしまった。食え食え。

食って寝た。明日は帰国だ。

2002年3月29日金曜日

ティオマン最後の日


朝8時ごろ、次の客が到着したからなるべく早くチェックアウトしてくれと頼まれてむかっ。ベイベエ連れになんてこと言うんだ。昼寝の場所が必要なんじゃわいとゴネて居座りつつ、今夜の宿が空き次第移ることにする。


宿が空いたので移動。


















今夜の宿はバルコニーが広く、椅子のほかにハンモックがついているというラブリーさだ。さっそくるーを昼寝させる。小さいので網の両脇が余ってしまい、押さえていないとるーが完全に中にくるまって繭状になってしまう。それはそれでかわいいが。















そんでもて目の前が海!
美しいビーチ!!!


さて暑い日中は昼寝で過ごし、夕方からボートをチャーターしてスノーケリングにおでかけ。コーラルアイランドといういかにもな名前の離島に行くのだ。ちび連れで行くので屋根つきの大きなボートをチャーター。送迎だけではなく3時間程度借りっぱなしにしたので、RM150と高くついた。小さいほうのボートだと
RM100。チャーターではない場合、コーラルアイランド往復がRM30 、モンキーベイ往復一人RM20、ティオマン島一周一日ツアーが一人RM35。


るーに海パンをはかせ、水とおやつを持ってさあ乗船。宿のオヤジが自ら運転するようで、私たちに「友達を乗せていってもいいか?」と言い出した。私は相棒と顔を見合わせ、「その「友達」とやらからもカネを取るんなら、私たちはこのボートをチャーターしたんだからお断りする」と言いかけたところ、水中メガネと浮き輪を抱えてやってきたのは彼の奥さんと姪と3人の子供たち。それって「友達」じゃなくて「家族」じゃん!子供とるーは毎日遊んでいるうえ、おもちゃを貸してもらったりもしているのでもちろん快諾。

というわけでアイランドホッピング。かっとばして20分程度、ここがベストスノーケリングポイントだと島沖の岩場に船をとめてくれた。確かに珊瑚は見事で、3-4mの水深に見事な枝サンゴの群生が見え、ダイビング中の船も何艘か停泊している。たがここだと子供たちは船から下りられないし、女性2人も島の人なのになんと泳げないようで、救命ベストを着込んでいる。ビーチ近辺に珊瑚礁があるならビーチに行ってくれとお願いし、美しいビーチに付けてもらった。

薄力粉のように粒子の細かいビーチから、数歩ですぐに珊瑚礁。引き潮なのでサンゴでおなかをこすりそうである。気をつけて少し沖まで出た。ん~。ん~んんん~。あーもうイヤになってしまう。なにこのラブリーな枝サンゴは!ああ、2年ぶりなのでちょっと興奮しているのねワタシ。でも2年前のフィリピンはセブ沖でダイブだったのであんまりたいしたことなかったぞ。香港のサンゴはたいしたことないし、その前のピーピー島がよかったな~、ボートのチャーター代は安かったしな~、特大の石班を2条もモリで付いてもらったしな~、でもサンゴはこっちのほうが上かな~。

などとすっかりハイになりつつも堪能し、相棒と交代。ビーチ奥の日陰で遊んでいたるーを波打ち際に連れ出し、水につけて遊ぶ。ってるーを遊ばせているというより、あたしがるーで遊んでるのか。足元まで寄ってくる魚をひゃあひゃあ言いながら指差するー。ママの支えつきで背泳ぎを楽しみ、波打ち際のサンゴを拾ってはかんかん打ち合わせて喜び、波に足をすくわれてすってんころりんし、宿のおっちゃんが拾ってきた黒ナマコを不審そうにみつめ、触り、けっこう楽しんでくれたのであった。

さっきの沖合の岩場に未練があり、やはり行ってもらうことにする。オヤジがるーは見ていてやると言うので、相棒と2人で飛び込んだ。う~ん。お見事。もう日がかげってて太陽光の入角度が浅いのが惜しいが、それでも楽しめた。るーといっしょに楽しめるようになるにはあと10年かなあ。ダイブは15年。それまではこうやってちまちま楽しむか。 船にあがると、すっぽんぽんのるーはバスタオルにくるまれ、体格のいいおっちゃんに抱かれて
まったりしていた。全く人見知りをせんヤツよのう。帰って夕食とって本日は終わり。ティオマン最後の日はなかなかいい日であった。

2002年3月28日木曜日

人見知りってなんじゃらホイ?


の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ。



人見知りってなんじゃらホイ?


左から、1歳・3歳・4歳。



猫と俺。


ん~、水がウマイ。


疲れたらそのへんのハンモックでお昼寝。


こうやって三日が過ぎた。

2002年3月27日水曜日

A boy meets a boy.


の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ。


"A boy meets a boy."



浅黒い肌の彼と出会った。



年上の彼は積極的だった。(僕もヘソを出してこたえてみた。)



僕らはすぐ親しくなれた。



砂遊びをして遊んだ。



誰だ、ぼくらのことをむちむちブラザーズと呼ぶのは!?

2002年3月26日火曜日

の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ


の~んびりまったりゆっくりぼけぼけ。




 「仲間に入れてよ。」

「身長おんなじくらいだね。」


「あっちにだれか来たよ。」

「みんなで遊ぼう。」

 「それ、おいしい?」

「あげようか?」

 「ぱくっ。」

「なにこれっ、おいしいおいしいっ。はぐはぐはぐはぐっ。(人生初ポテチ)」


「そっちもちょうだい。」












などとしているうちに一日が過ぎます。

2002年3月25日月曜日

ティオマン島に移動


6時前に起床。タクでフェリーピアへ。船が出るのは8時半だが、イミグレを越える必要ありなので念のため。タク内でるーの朝ミルク。早すぎたのだろうか、フェリーピアの待合室ではしゃぎまわって全部吐く。自分が病弱な相棒が「風邪か!?」と血相を変えるが、何事にも鷹揚な母は「いつもに比べて早かっただけじゃい」と気にも止めない。果たして、乗船後にもういちどどっさり飲み、ぶりっとうんこをたれて元気一杯であった。








1時、ティオマン島に到着。神秘的な起伏を持つ島である。

フェリーの乗客が皆、五ツ星級リゾートホテル差し回しの迎えの車に乗るのを見送りながら、屋根もない、公園の遊覧ボートにエンジンつけただけのような船でエア・バタンビーチを目指す。一人RM20もしくは S$10も取られてしまった。岸を遠く離れた海上で何度もエ
ンジントラブル、けっこうはらはらした。いつもなら笑い話だが、今回はるーがいる。









さて目指していたABC(エア・バタン・コテージ)が混んでいて、RM45の狭い部屋しか空いていない。人気のバンブー・コテージはもちろん満室、隣のNazri IIでエアコンとホットシャワー付RM100の部屋を見つけるも、4泊分しか空いていない
のだと。週末からのイースターホリデーにシンガポールから大量に行楽客がくるのだなあ。それにしてもたった4時間でこんなところに来られるシンガポール人のうらやましさよ。

←とりあえず4泊をRM320に値切って部屋を確保。一泊RM80、HK$162、邦貨2700円。タイやインドネシアと比べるとやはり高いなあという感は否めない。




まあいい、とりあえず洗濯だ。

部屋はなかなかよかった。エアコンはリモコン付き、ホットシャワーとともになんとシャープ製。ベッドはダブルで、ソファとテーブルに鏡台もあった。コンセントがあって、るーミルクが作れるのも大助かり。特大のスーツケースを開けられるだけのスペースもあった。そして目の前が海。むふふ。のほほ。ひょへへ。










昼食は鯖のフライ、いかとたまねぎのいためもの。るーごはんはバナナミルクシェイク。魚の皿がテーブルに到着したとたんに、猫が足元にわらわらと集まってきて、生きて動いている猫を初めて見たるー、大興奮。宿の子も出てきて、るーと遊び始めた。遊べ、るー。社会性を身につけて来い。












ビーチ沿いの小道を散策。せせらぎやラグーンを越える木橋をいくつも渡る、気持ちのよい道であった。

















←バンガローがいくつもあったが、今夜の宿よりよさそうなところはなさそうだ。安いことは安そうだが、狭かったり、隣のバンガローとくっつきすぎていたり。見たところ一番よさそうなのはビーチ端の バンブー・コテージだが、ここを2ヶ月前に調べたときに
は、もう予約は一杯であった。次の機会があれば泊まってみたいなあ。












宿で50センチぐらいのトカゲを見かけ、「スリランカで見たやつより小さいなあ」などとぬかしていたら、散歩の途中の川べりで見てしまったのが、なんとびっくり2メートル。もっとか。













私:
「ぎゃー、草食やろなこいつー!」

相棒:
「おお?マレー人はトカゲは食わんのか?」

全く正反対の発想である。










で、でけえ…。こんなんが民家の周りをうろうろと…。
















さて夜。おむつをはずしてもらってすっきりおけつのさっぱりるーちゃん。さっそくママのひざの上でちっちをたれただけではあきたらず、たちあがってそのままうんこ。パパがシャワールームにかっさらっていったが、パンツの横からぽろりとおちた、モンキーバナナそっくりの黄色いにゅるっとしたやつに、わあわあ言うだけで手が出ない。見かねた私がためらいなく素手でつかんで便器に放り込むと、相棒は静かにショーゲキを受けたようだ。アホですかあんたは。私はるーのママなのよ。

2002年3月24日日曜日

シンガポール動物園へ

朝食は麺。

日曜で、航空会社もどこの旅行会社も休み。旅行会社が休みなのは、商売第一の香港では考えられん。ティオマン島行きの飛行機が予約できないので、やはりフェリーで行く事にする。子連れだからゼイタクしてみたかったのに。くっすん。

MRTとエアコンなしバスを乗り継いで、空港そばのタナメラ・フェリーターミナルへ。大人往復S$150+ターミナル使用料S$2、あかんぼ往復S$42の計SP$346。ををを、HK$1500近いではないの。けっこうするなあ。チケット購入し、明日の分のボーディングパスまで先に取ってしまってから、またしてもエアコンなしバス +MRT+エアコ
ンバスと乗り換えて動物園へ。っていうか全然ゼイタクしてない、あいかわらずのみみっちい旅行だ。おまけに昼食はKFC。動物園には他に選択はなかったのだ。

るーは始めてみる動物に興奮しっぱなしだったが、最後にゾウに至近距離でぱおーんと吠えられて一瞬固まったあと爆泣き。周り中の大人に笑われていた。私はオランウータンに再会できてうれしかったし、るーよりちいさいコビトカバの赤ちゃん(まるまるしていて、つるつるしている)にも会えてうれしかった。

←これは普通のカバ。だからでっかい。





ここにサルがいる↓





夕暮れ、チャイナタウンに帰って夕食。ちょっとは美味いものも食いたいが、一方が食べている間は一方がるーを連れてその辺を歩いておらねば成らず、ドアのある店ではだめなのだ。というのは口実で、なんとSP$2のハイナニーズチキンライス(海南鶏飯)を私が発見、指差すと相棒が突進。チキンライスを2皿と揚げ豆腐を注文。この安い鶏飯がしかもけっこう美味かったのでさらに一人分打包してお持ち帰り。今日の夕食はそれでも全部で550円…

またしても果物をどっさり買い、持ってかえって鶏飯弁当といっしょに夜食。シンガポール、英語と普通語が共通語なので、いつも香港で不自由な思いをしている私にとっては外国に来たとは思えないお気楽さ・お便利さである。

2002年3月23日土曜日

カンタスでシンガポールへ

日本への里帰りで、なんとか4時間以内のフライトならヨソ様にあまり迷惑をかけないでも済むんではないかと判断したため。他に候補に上がったのはプーケット・クラビ・パタヤ・ラヨーン・ホアヒン・コタキナバル・クチン・ランカウィ・パンコールなどだった。とにかく海に行きたかった。

最も安易なプーケットは、そのうち実家の両親などと合流していく機会がありそうなので今回はパス、コタキナバルとクチンは10連休が取れてしまい、シャングリラなんぞに泊まった日には予算オーバーなので見送り。結局、るー連れでどのくらい機動力があるかわからないので、とりあえず安易なところを第一地点とし、動けそうだったら我々好みの田舎へ行くという判断で、シンガポールからティオマン島へというルートになった。

飛行機はQF、カンガルーのマークのカンタスエア。ガルーダが最も安く、1200ドル台(この円安でも邦貨二万円ぐらいっスよ)と激安で私は食指が動いたが、なぜか相棒が強硬に嫌がり、1600ドル台のカンタスとなった。以前にジャカルタからシンガポールまで乗ったときの印象がよかったらしい。あの時はキャビンクルーが全員ポロシャツに短パンと、めちゃカジュアルな雰囲気で、それはそれで居心地よかった。

さてチェックイン。前が広めの席をリクエストしたが、もう無いと言われた。乗ってびっくり。ここは託児所かー!というぐらいあかんぼがいる。子供もいる。隣とその後ろはそれぞれふにゃふにゃの新生児ちゃん。とにかくそこらじゅう子供だらけで、イースターで里帰りのオーストラリア人+オーストラリア在住香港人たちと見た。この便はシンガポール経由でパースへ向かうんである。ちなみに乗務員はちゃんとした服を着ていた。

というわけでるー連れでもちょっと気がラク。とはいうものの、周りに迷惑をかけないように全力でるーの世話をしていたため、機内食は食べはぐった。(相棒はしっかり食っていた。)飛行機は2時44分に離陸、6時に着陸。なんと私は自分で予約した安ホテルの名前がどーしても思い出せず、空港の無料地図でめっこをつけてタクシーで乗りつけるという暴挙に。あはは、ビンゴ!タク代は空港からだと何かの費用がちょっと加算されて、S$19とちょっと高かった。

ホテルはSP$80のダブル。3階建ての小さな宿であった。部屋は狭いが清潔で、シンガポールではこんなもんが相場だろうと思う。裏が公園で結構静か。シンガポールでいつも小さな幸せに浸ってしまうのが水道水。美味いのだ。むかしむかしの日本の水のように。歯磨きをするたびに幸福感に満たされる。香港の水はひどいからなあ。シンガポールでは私は生水を平気でごくごく飲んでいる。ローカルもそうなのだろうか?

ささいなことだがホテルの便器。 SANITONというメーカー製である。サニタリーなマートンかい!とベタな突っ込みを入れてしまった私であるが、きっとそのまんまのベタなネーミング。(衛生的馬桶…)

さてこのホテル、チャイナタウンという場所柄、安い食事には事欠かない。 「お、これは福建菜(福建料理)?」と相棒が選んで入ったできあいメシ屋で、相棒は魚の切り身のフライ、たたき肉とピーナッツの炒め物、魚のすり身を蒸したもの、私がナスの水煮、豆とひき肉のいためもの、ひき肉とくわいを湯葉でくるんで揚げたもの、を注文したところ、すべてがバナナの葉の上にてんこもりになって出てきた。もちろん全部辛い。な~にが福建菜。相棒、とりあえず第一戦目は敗北である。

夕涼みにぶらぶらする人々にまじって我々もそぞろ歩き。串売りのパパイヤ・ジャックフルーツ・パイナップルを買い食いし、冷たい豆乳を飲んでから、小さいシャンプー&リンスを買って帰ってきた。私は今日32歳になった。いい誕生日だ。


←ホテル。ベッドの幅と部屋の幅がだいたい一緒。

相棒シャワー時にるー、うんこ。こぶりの鶏卵大のがふたつ、ごろっとでていたので、今日は固かったわねと思いつつおむつをはずしておしりを拭き、相棒と入れ替わりにシャワーなのでそのままおけつまるだしにしておいた。目を離していると妙な予感。っていうか妙なにおい。るーのいる方を見ると、うずらの卵大のやつがキレイな等間隔に、ぽとんぽとんぽとんと3つ落ちており、その先でるーがしっかり中腰でよっつめをふんばっていた。るー!産むなー!