***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2002年3月30日土曜日

明日は帰国だ


朝から大雨。なんてこと。どうやってシンガポール行きフェリー乗り場までたどりつけばいいのだ。道がないので小船を出してもらうより他は無いのだが。ううう。

荷物の整理をして、るーを遊ばせる。昨日の宿より広いテラスでよかった。空がだんだん明るくなってきて、12時過ぎ、雨はほぼあがった。チェックアウトして船を出してもらう。飛行場へむかうアメリカ人夫妻とまとめてもらったので、屋根のある大きい方のボートになった。信じられないほど透明な水の上をボートはかっとばし、フェリーピア到着。

そこはベルジャヤ・ティオマン・リゾートというファイブスターホテルの敷地内で、前は素敵なビーチである。泳ぎ足りないままに海パンはきっぱなしの相棒は早速走っていった。(で、そのまま海パンはいたままシンガポールに帰った。) 私は荷物とるーとともに取り残され、炎天下にはしゃぎまわるるーを追いかけて死ぬ思いをし、とうとうるーを座らせる必殺技「かっぱえびせん」を乗船前から繰り出さざるを得なかった。えびせんぱーんち!えびせんきーっく!えびせんすくりゅー!えびせんぼんばー!ぎゃらくてぃか・えびせん!

船に乗ると同じような月齢の子が2人ほどいた。どちらもオーストラリア人で、中華系オーストラリア人のママに、一方のご主人はオーストラリア白人、もう一方はインド系。む、よく考えるとるーもハーフか。将来言うんかい。「俺、ハーフやし。」どの口が言うねん。この口か。ひねったろか。今ひねっといたろか。そして17ヶ月だと言ったらでかい白人パパに「う~ん、Big boy!」と言われるるーのでかさよ。ほんとはFat boyと言いたかった…なんてことはな

だろうな。

美しい夕焼けとともにシンガポール・タナメラ・フェリーターミナル到着。タクでホテルへ。もう日が暮れてしまった。夕食はチャイナタウンの屋台街で。私は薄餅とサテー(マレー風味の串焼肉)、相棒は羊肉スープと揚げ豆腐。鬼畜な両親が先に満腹してから、おっとり刀でるーミルクを探すも、いつも飲んでるやつがなく、同じブランドの廉価版しかない。るー、飲むかなあ? 明日の飛行機内用のかっぱえびせんとあわせて購入。

るーが突っ込んでいったみやげ物屋の店員にいきなり「あんた何人だ?」とマンダリンで聞かれた。「どこだと思う?」と聞き返すと、「中国のどこなんだ?」と。香港だと答えて立ち去ろうとすると、私がるーに話し掛けている日本語をしっかり聞いていたらしく、香港にそんな「語言」があるのか?としつこく聞いてきた。私のベタな大阪弁を、中国のどこかの方言だと誤解したらしい。珍しくショージキに答えてなごんでみた。

果物をどっさり買い込んで宿に戻った。甘い、ねっとりしたジャックフルーツ。パパイヤ、黄色いのと赤いの。メロンはマレーシアのとオーストラリアの。このオーストラリアのメロンがほっぺたが落ちるほど甘く、るーに食べさせるとおいしがっておいしがってぱくぱく食べた。どんどん食え。もっと食え。パパイヤもやわらかいなりに歯ごたえのある食感がおもしろいらしく、ひときれほとんど全部食べてしまった。食え食え。

食って寝た。明日は帰国だ。