時間が遅くなったらイミグレが込むのが分かりきっているので、チェックアウトしてすぐ広州東站へ。今度は深セン直行で75元。小僧の子供 切符を買おうとしたら、「今釣りが無いので買わんでいい。それにその大きさならヒザに乗せとけば切符はいらん」と言われた。直行列車は 正味一時間で深セン到着。北京同仁堂で相棒好みの漢方薬をどっさり買い込み、その近所の福建老板の飯屋で太子鶏、白灼蝦、 阿仔煎、菜心などを食して帰宅。ここの太子鶏、相棒が深センに行くたびに手土産に持って帰ってくるが、すんごく美味い。
がっつり食って食って食いまくった三日間であった。小僧に赤いジャケットを着せていたため、あちこちで「小妹妹」と呼ばれたが、 中国人の男の子は赤は着ないのかなあ。ウチは赤と紺のコンビネーションばっかり着せてるよ。
帰って久しぶりに新聞を見たら、「広州発現今冬最初沙士懐疑案」。どっひゃあ。広州に行ってたことは会社には内緒にしておかねば。
***このブログについて***
書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。
2003年12月25日木曜日
2003年12月24日水曜日
広州 ふつかめ
さて本日は本来の目的の大旗頭古村に出発。「中国古鎮遊」によると、広州汽車站から大溏行きのバスで途中下車とのことだが、省汽車站にも市汽車站にも大溏行 きがない。客運站はほかに何箇所もあるが、ひとつひとつ当たるわけにも行かないので、とりあえず三水行きに乗る。久しぶりの老爺車。小 僧、「あっちのきれいなくるまのるー!」と正直に騒ぐのであった。三水まで一時間弱。途中、高速道路沿いに譚秋という古鎮を見た。素敵だった。自前の交通があったらなあ。
三水で氾湖行きのさらにぼろっちいミニバスに乗り換えて40分、楽平鎮を過ぎて少しすると大旗頭村到着。村の前に小さな池があり、 溶樹が両端をふちどっていた。その下には石造りの腰掛が並んでおり、いい憩い場となっている。池の右には三階建ての塔、左は駄菓子 屋。村の正面には廟がいくつも並んでいた。
門票5元。ピカピカの自家用車で村の中まで乗りつけ、すんごくでっかいサイバーショットでばしばし妻子の写真をとりまくっていた中国人が村人にどう催 促されてもその5元を払わず、見ていた私たちは絵に描いたようなさもしさに苦笑せざるを得なかった。でも今の中国で金を掴んで成り上がっていこうと思ったら、 このくらいえげつない神経の持ち主でないと淘汰されるのも事実。やですね、どうも。
城壁に囲まれた村はすでに住居として は使用されておらず、農機具などの物置として使用されているようだ。門には見事な木彫りの装飾が残り、家と家の間には滑らかに磨り減 った石畳が敷かれていた。
一時間ほど見物してで帰途につく。村の前で広州行きのバスを止めた。本来乗る予定だった広州-大溏路線の反対方向。行きのバスよりさらにボ ロで、しかもところどころ舗装もされていない土の道を走るのでケツの皮の薄い相棒はさあ大変。でも私と小僧は爆睡しました。眼が覚める と広州で、沙面対岸の芳村汽車站が終点であった。路線バスで広州站(旧駅)前に。昔、中国旅行を終えて広州まで帰ってくるたびに食 べていた、懐かしの駅前の民航酒楼で昼食。改装して典型的な広東菜から中国各地菜なんでもありに変わっていて、その分味が落ちていた。それともこっちの舌が肥えたか。
この時点で人民元の懐が乏しくなり、両替に向かいの流花賓館へ。しかし両替所はつぶれていた。ホテルに聞くと中国大酒店まで行けというが、こないだ出張でここに泊まったとき、泊り客ではない日本人が両替を断られたの見たことがある。駅前には闇屋も多いが、信用ならんのでやめておく。なにしろ民航酒楼から流花賓館まで歩くだけでひったくりを2件も見た。香港とは違って、誰も犯人を追っかけない。公安も見てみぬ振り。相棒は小僧を抱え込み、私はカバンを抱え込んで歩いたが、なかなか気が気ではなかった。流花賓館からタクシーで動物園へ。郊外の野生動物園は次回にしよう。ごめんね小僧。
せっかく入った動物園だが、入るなり象が寝る時間。きりんさんなどを見る。「きりんさんねー。くび、ながいねー。ごはん、たべてるねー。くさいねー。」ま、そのとおりといえばそのとおりなのだが。
三水で氾湖行きのさらにぼろっちいミニバスに乗り換えて40分、楽平鎮を過ぎて少しすると大旗頭村到着。村の前に小さな池があり、 溶樹が両端をふちどっていた。その下には石造りの腰掛が並んでおり、いい憩い場となっている。池の右には三階建ての塔、左は駄菓子 屋。村の正面には廟がいくつも並んでいた。
門票5元。ピカピカの自家用車で村の中まで乗りつけ、すんごくでっかいサイバーショットでばしばし妻子の写真をとりまくっていた中国人が村人にどう催 促されてもその5元を払わず、見ていた私たちは絵に描いたようなさもしさに苦笑せざるを得なかった。でも今の中国で金を掴んで成り上がっていこうと思ったら、 このくらいえげつない神経の持ち主でないと淘汰されるのも事実。やですね、どうも。
城壁に囲まれた村はすでに住居として は使用されておらず、農機具などの物置として使用されているようだ。門には見事な木彫りの装飾が残り、家と家の間には滑らかに磨り減 った石畳が敷かれていた。
一時間ほど見物してで帰途につく。村の前で広州行きのバスを止めた。本来乗る予定だった広州-大溏路線の反対方向。行きのバスよりさらにボ ロで、しかもところどころ舗装もされていない土の道を走るのでケツの皮の薄い相棒はさあ大変。でも私と小僧は爆睡しました。眼が覚める と広州で、沙面対岸の芳村汽車站が終点であった。路線バスで広州站(旧駅)前に。昔、中国旅行を終えて広州まで帰ってくるたびに食 べていた、懐かしの駅前の民航酒楼で昼食。改装して典型的な広東菜から中国各地菜なんでもありに変わっていて、その分味が落ちていた。それともこっちの舌が肥えたか。
この時点で人民元の懐が乏しくなり、両替に向かいの流花賓館へ。しかし両替所はつぶれていた。ホテルに聞くと中国大酒店まで行けというが、こないだ出張でここに泊まったとき、泊り客ではない日本人が両替を断られたの見たことがある。駅前には闇屋も多いが、信用ならんのでやめておく。なにしろ民航酒楼から流花賓館まで歩くだけでひったくりを2件も見た。香港とは違って、誰も犯人を追っかけない。公安も見てみぬ振り。相棒は小僧を抱え込み、私はカバンを抱え込んで歩いたが、なかなか気が気ではなかった。流花賓館からタクシーで動物園へ。郊外の野生動物園は次回にしよう。ごめんね小僧。
せっかく入った動物園だが、入るなり象が寝る時間。きりんさんなどを見る。「きりんさんねー。くび、ながいねー。ごはん、たべてるねー。くさいねー。」ま、そのとおりといえばそのとおりなのだが。
2003年12月23日火曜日
広州 いちにちめ
相棒が「体もうなんともないからどっか行く」と言い出した。どっか行くってどこよ。いまから行ける所って大陸ぐらいしかないやん。
ここ数年、陜西人民出版社がいい旅行の本を出している。なかでも「中国古鎮遊」というガイドブックはお勧めだ。そこに広東省の古い鎮 (町や村)の紹介がいくつかあり、500年ぐらい歴史のある三水市楽平鎮大旗頭村に出かけることにした。それだけだと地味すぎて小僧が かわいそうなので、できれば蕃禺の野生動物園をプラス。とりあえず広州に宿を取ることにして、一泊するか二泊にするかはそのとき決めよう。シャツとパンツと靴下をさささとデイパックに詰めて、さくっと出発。
というわけで小僧、初中国。回郷証は持ってないので、菊パスで過関。意外と順調。すぐに広州行き急行(途中石龍停車)で広州東站 へ。70元。小僧は35元。安いところに泊まってその分いいものを食おうと意見がまとまったので、230元のOriental Silk Hotel(三星級)とやらに投宿。早 速タクシーで白天鵞へゴー!。99年の旧正月にここに泊まったときのメシが印象深い、二階のレストランへ。香港の中級レストランの値段 で、とってもデリケートなお味。がつがつ食う。なに食ってもうまい。そんでまた内装の古び具合がおもっくそ私の好みで、こんな内装の家に住 みたいと切に願う。
食後、沙面を歩く。沙面賓館とやらを除いてみると、夜景の見える部屋が280元、それ以外が250元。改修済みで部屋は十分にキレ イ。沙面に泊まりたいなら次回はここもいいかも。沙面の向かいに大きな中薬(漢方薬)市場があり、嗅いだだけで病気が治りそうな匂いが あたりに充満していた。楽しく見物(主に相棒)。その横の通りが寵物(ペット)市場になっており、犬、猫、うさぎ、カメ、金魚、熱帯魚などを 楽しく見物(主に小僧)。
歩きつかれた小僧が眠ってしまったので、人民路の養生堂へ。上に穴を開けたココナッツにうずら一羽を丸ごと沈めて燉した、名物の一品 を楽しく欣賞。うまっ。たったの10元ですよコレが。日も暮れたし、小僧が重いので宿に帰って休憩。それから歩いて近所の王府井百貨へ。8階に王府井酒家があ る。ひらめは我が家では比目魚とか左口魚とか呼んでいたが、広東では多宝魚と呼ぶようだ。一斤多のを清蒸に。帆立のにんにく蒸し。小僧に何が食べたいか聞く と「えびごはん。」と断言。昼もはーがう(蝦餃)三つ食ったろジブン・・・。半斤白灼蝦、空心菜、大根をパイ皮でくるんで揚げたもの。工夫茶 で粒粒鉄観音。食べすぎで口から出そう。
ここ数年、陜西人民出版社がいい旅行の本を出している。なかでも「中国古鎮遊」というガイドブックはお勧めだ。そこに広東省の古い鎮 (町や村)の紹介がいくつかあり、500年ぐらい歴史のある三水市楽平鎮大旗頭村に出かけることにした。それだけだと地味すぎて小僧が かわいそうなので、できれば蕃禺の野生動物園をプラス。とりあえず広州に宿を取ることにして、一泊するか二泊にするかはそのとき決めよう。シャツとパンツと靴下をさささとデイパックに詰めて、さくっと出発。
というわけで小僧、初中国。回郷証は持ってないので、菊パスで過関。意外と順調。すぐに広州行き急行(途中石龍停車)で広州東站 へ。70元。小僧は35元。安いところに泊まってその分いいものを食おうと意見がまとまったので、230元のOriental Silk Hotel(三星級)とやらに投宿。早 速タクシーで白天鵞へゴー!。99年の旧正月にここに泊まったときのメシが印象深い、二階のレストランへ。香港の中級レストランの値段 で、とってもデリケートなお味。がつがつ食う。なに食ってもうまい。そんでまた内装の古び具合がおもっくそ私の好みで、こんな内装の家に住 みたいと切に願う。
食後、沙面を歩く。沙面賓館とやらを除いてみると、夜景の見える部屋が280元、それ以外が250元。改修済みで部屋は十分にキレ イ。沙面に泊まりたいなら次回はここもいいかも。沙面の向かいに大きな中薬(漢方薬)市場があり、嗅いだだけで病気が治りそうな匂いが あたりに充満していた。楽しく見物(主に相棒)。その横の通りが寵物(ペット)市場になっており、犬、猫、うさぎ、カメ、金魚、熱帯魚などを 楽しく見物(主に小僧)。
歩きつかれた小僧が眠ってしまったので、人民路の養生堂へ。上に穴を開けたココナッツにうずら一羽を丸ごと沈めて燉した、名物の一品 を楽しく欣賞。うまっ。たったの10元ですよコレが。日も暮れたし、小僧が重いので宿に帰って休憩。それから歩いて近所の王府井百貨へ。8階に王府井酒家があ る。ひらめは我が家では比目魚とか左口魚とか呼んでいたが、広東では多宝魚と呼ぶようだ。一斤多のを清蒸に。帆立のにんにく蒸し。小僧に何が食べたいか聞く と「えびごはん。」と断言。昼もはーがう(蝦餃)三つ食ったろジブン・・・。半斤白灼蝦、空心菜、大根をパイ皮でくるんで揚げたもの。工夫茶 で粒粒鉄観音。食べすぎで口から出そう。
2003年6月16日月曜日
バンコク快楽道中 よっかめ
起床。
宿から眺めるバンコク旧市街区。
空港へ。私たちは普通客待ちのタクシーは使わない。できるかぎり流しを拾う。ホテルの入り口を出たら従業員が客待ちタクシーに合図した。いやだなあと思いつつ乗車。発車後30秒で早くも最初のメーターがあがったので、降りるから停めろと告げた。運転手は慌てまくってメーターを止めてしまい、空港まで300Bで行くから乗っててくれという。「じゃあ、高速2回とも乗って高速代はそっちもちね」「おーけーおーけー」。最終日まで油断も隙もならん。
空港でタイのタイガーバームのような塗り薬を購入。15B。帰宅後にフタのゆるいこの薬をポケットに入れたまま洗濯、すべての洗濯物が大変かぐわしくなってしまったのが今回の旅の締めでございます。虫除けに効くだろうか。
宿から眺めるバンコク旧市街区。
空港へ。私たちは普通客待ちのタクシーは使わない。できるかぎり流しを拾う。ホテルの入り口を出たら従業員が客待ちタクシーに合図した。いやだなあと思いつつ乗車。発車後30秒で早くも最初のメーターがあがったので、降りるから停めろと告げた。運転手は慌てまくってメーターを止めてしまい、空港まで300Bで行くから乗っててくれという。「じゃあ、高速2回とも乗って高速代はそっちもちね」「おーけーおーけー」。最終日まで油断も隙もならん。
空港でタイのタイガーバームのような塗り薬を購入。15B。帰宅後にフタのゆるいこの薬をポケットに入れたまま洗濯、すべての洗濯物が大変かぐわしくなってしまったのが今回の旅の締めでございます。虫除けに効くだろうか。
2003年6月15日日曜日
バンコク快楽道中 みっかめ
起床。することがないのでまだ行ったことのない国立博物館へ。去年行ったカンボジアの国立博物館が素晴ら しかったせいである。一回りして出てきて、「けっこうゼンゼンたいしたことないやん」と憎まれ口を叩きそうになっ たところで気が付いたが、20以上ある展示館のうち、最初の一つを見ただけでした。すみませんでした。
んー。カンボジアの場合はあれはインテリがほとんど粛清されたという国情のせいもあり、海外の学者がプロデ ュースしたんだと思う。そういう出来、そういうつくりでした。ガイジン向けテイスト。タイのはタイ人学者の手によ るもののようで、そこはかとな~いダサさは隠せない。
タイの美術品には木製が多く、クメール美術と違って石像物をほとんど残していない。インドシナ半島がインド文化の影響を色濃く受けて、クメール文明がコーチシナのあちこちに遺跡を残すような文明圏を誇った中世以降がタイの時代である。好みの問題ももちろんあるが、華麗で繊細な文化だが、圧倒されるような重厚さには欠ける。要は、スコタイもアユタヤもすんばらしーけどさ、アンコールワットにはかなわないと、単なる見物人はそう思うわけですよ。別にタイ文化やタイの歴史を貶めているわけではなく、単なる好みの問題で。
それと、新設の王室の歴史コーナーがでかくて詳しかったにもかかわらず、タークシン王が潮州系とか、前国王(現国王の兄)は寝室で銃殺死体で見つかったとかはゼンゼン触れられていませんでした。(当たり前か) 日本人の私の感覚だと「始まりがこれだけ最近やとありがたみが無いのう。」とも思ってしまう。だって徳川さまより新しいしさー。きゃー、ごめんなさーい。
川べりの市場をうろうろ。イカ足の串焼き、一串20B、パパイヤ一袋5B、ジャックフ ルーツ一袋8B。タクシーでTha Thienの船着場まで行って対岸のワット・アルン行き のフェリーに乗る。しかし、タクシー乗りやすくなったなあ。初乗り35B、以前だっ たら次の角まででもそんな値段じゃ行ってくれなかったよ。
ワット・アルンでは瓦を奉納した。一枚100B。ワット・アルンの塔は、私にはものすごく中国くさい印象がある。基壇に中語風のモチーフが使われていたり、周りに中国風の石像が配置されているせいももちろんあるが、それよりも全体にびっちりとはめこまれた陶器の使い方がタイくさくないのだ。タイの寺院建築では、色ガラスを平面的にびっちりはめ込んだモザイクが多用さ れるが、この塔は陶器やその破片を立体的にはめ込んでモチーフを形作っている。今回眺めているうちに納得がいったのだが、この陶器の使い方が、中国南方、特に福建南部から広東北部にかけての寺院建築の屋根の部分の装飾とよく似ているのだ。(広東の寺院建築は重厚で、また違った印象である。)
塔の横に、装飾の無い中国式の屋根を持つ回廊があり、木製の椅子が並んでいたのでさっそく座らせてもらう。風通しがよく、ゆっくりくつろいだ。昔々、まだとても若かった頃に、ここではないバンコクの別の寺院で同じように座り込んでいて、寺院で露宿しているらしき薄汚れた老婆が集まってきた野良猫にエサをやっているのを見て泣いたことを思い出す。野良猫はすべてなんらかの片輪だった。
当時私はある名で呼ばれていて、それは当時私が片思いを寄せていた男が、漫才師の名前から私につけやがったあだ名だったのだが、私はその名をとても気に入っていた。その名は中国語では宿無しを指す。そしてひとりの老婆が、私の実家の近くの小さな祠に白い犬と一緒に住みついていて、やはりその名で呼ばれていた。私はそれを運命の符号のように感じていた。つまり私は、遅かれ早かれ宿を定めぬ者になるのだと。
「自分が何者であるか、そしていったい何をしたいのかが判らず苦しむ青年期に、(苦しまない青年もいるが)、或る種の男たちは放浪の旅に出る。」
バンコクの老婆は白い犬の老婆と同じ顔をしていた。そのころの私は、自分がそこで年老いて最期を迎えてもいいと思える場所を探していて、そこではじめて、最初の候補地を見つけたと感じたのだ。せつなかった。そのとき同行していた親友のSは、声を殺して泣いている私を見てそっとその場を去り、私に私だけの時間を与えてくれた。彼女がその後彼女自身の事情で心を病み、負い切れなくなった私がこちらから連絡を絶ったのは、私が家族の誰にも告げずに日本を出た後のことである。日本を出るとき、船に乗る私を見送ってくれたたった一人の友人は彼女だったような気がするが、記憶は彼方で霞んでいて、もはや思い出せない。
彼女とは20代のごくごく初めに上海の安宿で知り合った。実は同じ大学で、向かいの研究室の学生だと知ったのは、知り合ってかなりたってからだった。彼女から借りたままの本は今も処分しきれずに私の本棚にあり、抜けない棘のように時折私を刺す。
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さて、アジアのケータイは便利ですね、日本以外。私のケータイはアジアのほとんどの国で使えます。で、ワット・アルンでまったりしながら、バンコク在住の友人に電話をかけた。彼女は所要でバンコク郊外にいたのだが、6時半にスクンビットのアソークでお待ちあわせ。本日は日本食を食べるのよえへえへ。私の「中華以外」、相棒の「タイ料理以外」という要求をすりあわせると、この選択が妥当だったのだ。日本人と中国人でインド料理屋でもないような気もするし。
そうと決まれば待ち合わせまでの時間を有効活用。フェリーで対岸まで戻り、鈍行フェリーでバンランプーへ。全くのお昼抜きというのもなんなので、安いご飯が大好きな私が主張して道端ご飯。私は筍と鶏のめちゃくちゃ辛いカレー、相棒はもやしとにらをあっさり炒めた唐辛子抜きのおかずの上に、焼き魚を載せてもらっていた。テーブルの上にあるのはタイ明治が発売している牛乳。金色のラベルの4.3牛乳がいちばんおいしい。
そしてタイマッサージ。二時間260B。でれでれになって出てくると、相棒が相棒がタイ式三角枕を買いたいという。サイアムスクエアで見たときは 1,000~2,000Bぐらいであったが、ここでは550B、500に値切って買いました。HK$100 ぐらい?じゅうたんと同じえんじ色にした。相棒は床にねっころがってテレビを見た いらしいです。
でかい枕をかかえ、身動きが取れなくなったのでタクシーで宿へ。待ち合わせはア ソークのウェスティンホテル。ロビンソンデパートメントが隣接しているというの で、早めに行ってぶらぶらすることにする。タクシーでサイアムまで、そこから BTS。ほんとはタクシーでアソークまで行くつもりだったのだが、死にそうなおじいさんの運転手がものすごい徐行運転で走るのでたまらなくなって途中下車。しかし数回タクシーに乗って大体の相場がわかった。これが後に役にたつことにな る。
ロビンソン。相棒が皮のサンダルが欲しいという。4年前にこれもやっぱりバンコク で買って、はいてはいてはきたおしたやつがもうボロボロ。600Bぐらいではきよいの がみつかり、相棒は満足そうであった。黒のモカシンも買っていた。900Bぐらい。私 も探してみたが、いい感じのはどれもこれも1,500~2,000Bぐらい。だったら香港と かわらないのでやめておく。香港は靴が安いのだ。
おまちあわせ。「単身赴任中に太った」と言っていたのでデブを探したが、相変わら ずタイ人とみまごうばかりにほっそりした女性が歩いてきた。この小柄な女性が、私 の知人の中で最も辛辣な女のうちの一人だとは、相棒はわかってないだろう。プ リックは小さいほど辛いのである。ホテル裏の日本料理屋へ。食った食ったよ食いま した。
友人Aは新婚早々決まった隣国への単身赴任を2年間で無事終了し、BKKへ帰って きたとたん今度はご主人が異動になり、結局入れ替わりに単身赴任していったのだそ うだ。不憫な夫婦である。飛行機代で金が貯まらんとぼやいていた。その孤閨を守る Aさんに相棒からリクエスト。女の子が踊ってるとこに行きたいんですと。それを歪 曲して、「花電車が見たい」と告げたのは私である。私が見たかったの。
(花電車ってなに?というお問合せを受けたので書いておこう。花電車とは、本来はパ レードの日などに路面電車がきれいに飾り付けをして、ゆっくり運行するのを言いま す。そこから転じて、「見せるだけで乗せない」芸、ストリップなどで女性の局部を 使った芸を指す隠語になりました。つまり、吹き矢を飛ばしたり、毛筆をはさんで字 を書いたり、ゆで卵を産んだり、りんごをいれて割って出したりする芸のことです。 大昔、サントリーが正月の新聞広告に使った「寿」の字が、実はこの芸を見た後で紙 をもらってきた開高健(当時宣伝部の社員)のいたずらだったという随筆を読んだこと があります。無茶しますね。)
さて友人Aはう~んとひと唸り。「長いこと行ってないから、上はともかく下までと もなると、今はどこがボラれへん店か分からん…」
そっかやっぱりボラれるか。「だって下まで出すのは非合法やから。」なるほど。で も行きた~い。無理難題。私たちのやり取りを聞いていた相棒が「如果不方便就不要 去ら」。自分でもよく言うフレーズなのだが、それをとっさにうまく訳せなくて困っ た。字義だけでいうと「不便だ」「都合が悪い」といった意味なのだが、この場合は しっくりこない。完全な訳に思い至ったのは帰港してからである。「もしアレ やったら別にエエし。」Does it mean "uncomfortable"? と聞いていたAさん、 つまりそういう意味だったんですよ。
結局友人Aが職場の人にまで電話をかけてくれた結果では、上だけ出す一階の安全な 店は教えてくれたが、下まで出す二階の店は危険だからと教えてもらえなかった。そ のとき私が考えていたのは、「とっときの場所はきっと惜しがって教えてくれないに 違いない。」 私という人間のさもしさがよくわかります。
「このへんにもソイ・カウボーイとかそういう店が集まる通りははあるんだけど、で もまあ、観光客だしパッポンに行きましょうか。」ということで、シーロムへ。香港 の女人街や廟街とほぼかわらん夜店を抜けて、「ボラれない」「安全で」「健全な」 Go Go Barへ。わー、きれいな女の子が香港で言う「三点式」の衣装で、カウンター の上で踊りまくってるー。てんごくみたいー。ぱらだいすー。
きわきわのビキニの女の子が棒につかまって腰をくねらせているのを見ながらクロス タービア。た、たまらん…。相棒に、「手ェ握るぐらいやったら怒らへんから、女の 子呼びなさい」と言ってやるも、「間違えて人妖(おかまちゃん)を呼んでしまったら と思うと怖くて呼べない…」とヘタレなことを言う。友人Aに見分け方を聞いてみ た。
「顔からは絶対見分けがつかない。体つきも実はアテにならない。確実なのは足のサ イズ。こればっかりは小さく出来ないから」 なるほど~。とは言うものの、この店 の女の子はみんなごっついハイヒールのロングブーツを履いていて、サイズが良く分 からない。結局ちょっとぽちゃっとめの女の子の番号を相棒に告げて、「あのコは ゼッタイ女の子やから」と何の根拠も無く断定してやった。そしたら相棒が言うこと には「ど、どこまで触ってええのん・・・?」それは妻に許可を求めているのか、店 の規定を聞いているのかどっちやねん。
これも友人Aに聞いてみた。「こういう店の建前は、すべては女の子の自由意志によ り決定される」です。だから、触らせたかったら触らせればいいし、お持ち帰りされ たくなかったら断ってもいい。この自由意志に基づく擬似恋愛システムが、若い年齢 層の白人男性に受けるんですね。」言われてみれば、客は白人ばっかりである。日本 人は?「日本人は普通、置屋に行く。そのほうが手っ取り早くて安いから。」なるほ ど。
擬似恋愛なあ。これほどあからさまな「選び選ばれる」場で、恋愛もへちまもない気 がするが、下半身に血が行ってしまった男性は阿呆である。
女の子を呼んだ。ストレートのロングヘアに小麦色の肌、八重歯のかわゆいマンゴー ちゃん。相棒を「弁当持ちでめし屋に入ってきた間抜け」にするのはか わいそうなので、私は友人Aといちゃいちゃすることにする。そしたらマンゴーちゃ んが私のことをすっごく気にしてくれるのだ。やっぱり接客業のプロなのだなあ。 「あなたはとてもCuteね」「あなたこそとってもcuteよ。だから席に来てもらっ たのよ」「でもあなたは色が白いわ」うーん。タイ人はみんなそれを言うなあ。(※ 他に誉めるところがないため) 「何か飲む?」「じゃあ、コーラを頂きます」 こ の飲み物代は彼女の収入になる。台上で踊って、客の席についているだけでは彼女た ちの収入はゼロである。客が飲み物を勧めてくれるか、連れ出してくれるかしないと 稼ぎにならない。気、付けよ相棒。
そしてトップレスターイム!じゃーん。台上の女の子がいっせいにトップをはずしました。さきっぽに星型とかハート型とかのきらきらシールを貼って隠しているのが余計そそります。おっぱいがいっぱいだあ。
気が付くと友人Aがビールに口をつけていない。「なんか水っぽくない?」私は全然 気が付かずにぐいぐいらっぱ飲みしていました。しかも二本目。友人Aは「前の客の 飲み残しに水を足して次の客へ」疑惑について言及したかったのだと思います。が、私 は目の前で踊る女の子に気を奪われて上の空。Aの真意に気が付いたのは、二軒目で Aが私の分もオレンジジュースを注文したときでした。しかし相棒はオレンジジュー スを返してシンハビアを注文しておった。
二軒目は水着じゃなくて下着。ブーツじゃなくてサンダル。あああ、かわいいなあ、 かわいいなあ、かわいいなあ。相棒に「女の子を呼びなさい」と女の子かそうじゃな いのかようわからんスレスレの子を指名してやって、私は友人Aといちゃいちゃする ふりをして女の子に見とれていました。するとどうでしょう。目の前で踊っていた白 い下着のかわいい子が好意的に誤解をしてくれたらしく、私の目をじっと見つめて微 笑みながら、下の布を膝まで下ろしてくれたのです。
うっわー。脳内オルガンが天上の和音をちゃらりらら~と奏でるとともに、 私の中の"野郎"がとんでもない勘違いをいたしました。「このコはボクのことが 好きなんやあ」 擬似恋愛システムの有用性について納得がいったのはそのとき です。そっか、こうやって誤解して行くのね。
しかし同時に私の中の女の部分が、キレイに手入れしてるなー、見習わんとアカンなー、と冷静に見ておったのも事実ですが。相棒に教えてやると、ヤツは席に呼んだ女の子に連れ出し費用のリサーチをするのに忙しく、全く見てなかったことが分かりました。わはは。タイミングの悪いやつだなあ。ちなみに最初は3,500Bだったのが話してるうちに2,000Bまで下がったそうな。この他に店に連れ出し代500B。時間が惜しければ上に部屋があり、使用料は45分で400B。この場合も店への連れ出し代は必要。
相場を知らんのでなんともいえませんが、思ったより女の子の取り分は悪くないです よね。友人Aが言うには、かわいい子で月30,000Bから50,000Bぐらいの収入になる とのこと。コンスタントに一晩一人の客がついてそのくらいかあ。一方、大卒の初任 給は10,000Bぐらいとのことなので、前々から私が思っている「購買力と物価を考え ると1B=HK$1ぐらいで考えると正解」の法則(長い)はだいたい正しそう。
とか考えていると、刺青だらけのマッチョな白人二人が隣のテーブルにつきました。 そのとたん、店中の女の子がそのテーブルに殺到。殺到しただけではなく、それぞれ が上をまくりあげたり下を下ろしてみたりして、この世にこんなにあからさまな誘い 方もあったのかというような客引き合戦を展開。擬似恋愛システムもなにもあったも のではありません。でもマッチョーズにしたら天国。客が女の子を選ぶと同時に、女 の子もポテンシャルな客を冷静に見極めているわけで、女連れで入った相棒はかわい そうでした。
女の子には名残が尽きないが、やかましくてしんどくなってきたのでスタバみたいなコーヒー屋へ席を移動。友人Aの近況を聞く。
先に書いたとおり単身赴任に出ているAのご主人の実家は、実はけっこうな田舎に ある。その実家で放し飼いの鶏を大量に飼ってみたところ、やけに順調に増えてし まった。しかし、鶏というのは意外と繊細な生き物で、雷が落ちただけでもビックリ して死んでしまうやつがいる。そういう鶏は病死ではないので最初は喜んで食べてい たのだが、飼ってる数が増えるに連れて、次第に家族と使用人では食べきれない量に なってきた。
そこで思いついたのがワニである(このへんがタイ)。ワニを飼ってエサにすればいい し、育ったワニも売れるし一石二鳥!(やっぱりタイ)。さっそく子ワニを購入してき て育てたところ、エサがよかったらしくみるみる大きくなって、檻が手狭になってき た。檻を増設し、移そうとしたのだがさあ大変、移送中に一匹が脱走。シャレになら んので探しまくったのだがみつからない。子供が襲われたりしたら大変なのでご近所 にも警告を発しまくったが、なぜか皆さんのんびりしてらっしゃる。どうも騒ぐまで もなく、とっくにご近所さんの腹の中に収まってしまっていた模様(さすがタイ)。そ してすっかりでかくなってしまったワニ、しかも90匹ぐらいがうじゃうじゃいるとい う(いくらタイでも…)。
「香港にワニ肉を売りさばけるようなマーケット、知らん?」即答が難しい問題だ。
しかしもう夜中です。友人Aは明日出勤、こちらも7時起床で空港なので、名残は付 きないがおひらきとする。お疲れ様でした。
風呂上りの私を見て相棒、「その体では一晩中踊っても客はつかんなあ。」 ほっとけ。
んー。カンボジアの場合はあれはインテリがほとんど粛清されたという国情のせいもあり、海外の学者がプロデ ュースしたんだと思う。そういう出来、そういうつくりでした。ガイジン向けテイスト。タイのはタイ人学者の手によ るもののようで、そこはかとな~いダサさは隠せない。
タイの美術品には木製が多く、クメール美術と違って石像物をほとんど残していない。インドシナ半島がインド文化の影響を色濃く受けて、クメール文明がコーチシナのあちこちに遺跡を残すような文明圏を誇った中世以降がタイの時代である。好みの問題ももちろんあるが、華麗で繊細な文化だが、圧倒されるような重厚さには欠ける。要は、スコタイもアユタヤもすんばらしーけどさ、アンコールワットにはかなわないと、単なる見物人はそう思うわけですよ。別にタイ文化やタイの歴史を貶めているわけではなく、単なる好みの問題で。
それと、新設の王室の歴史コーナーがでかくて詳しかったにもかかわらず、タークシン王が潮州系とか、前国王(現国王の兄)は寝室で銃殺死体で見つかったとかはゼンゼン触れられていませんでした。(当たり前か) 日本人の私の感覚だと「始まりがこれだけ最近やとありがたみが無いのう。」とも思ってしまう。だって徳川さまより新しいしさー。きゃー、ごめんなさーい。
川べりの市場をうろうろ。イカ足の串焼き、一串20B、パパイヤ一袋5B、ジャックフ ルーツ一袋8B。タクシーでTha Thienの船着場まで行って対岸のワット・アルン行き のフェリーに乗る。しかし、タクシー乗りやすくなったなあ。初乗り35B、以前だっ たら次の角まででもそんな値段じゃ行ってくれなかったよ。
ワット・アルンでは瓦を奉納した。一枚100B。ワット・アルンの塔は、私にはものすごく中国くさい印象がある。基壇に中語風のモチーフが使われていたり、周りに中国風の石像が配置されているせいももちろんあるが、それよりも全体にびっちりとはめこまれた陶器の使い方がタイくさくないのだ。タイの寺院建築では、色ガラスを平面的にびっちりはめ込んだモザイクが多用さ れるが、この塔は陶器やその破片を立体的にはめ込んでモチーフを形作っている。今回眺めているうちに納得がいったのだが、この陶器の使い方が、中国南方、特に福建南部から広東北部にかけての寺院建築の屋根の部分の装飾とよく似ているのだ。(広東の寺院建築は重厚で、また違った印象である。)
塔の横に、装飾の無い中国式の屋根を持つ回廊があり、木製の椅子が並んでいたのでさっそく座らせてもらう。風通しがよく、ゆっくりくつろいだ。昔々、まだとても若かった頃に、ここではないバンコクの別の寺院で同じように座り込んでいて、寺院で露宿しているらしき薄汚れた老婆が集まってきた野良猫にエサをやっているのを見て泣いたことを思い出す。野良猫はすべてなんらかの片輪だった。
当時私はある名で呼ばれていて、それは当時私が片思いを寄せていた男が、漫才師の名前から私につけやがったあだ名だったのだが、私はその名をとても気に入っていた。その名は中国語では宿無しを指す。そしてひとりの老婆が、私の実家の近くの小さな祠に白い犬と一緒に住みついていて、やはりその名で呼ばれていた。私はそれを運命の符号のように感じていた。つまり私は、遅かれ早かれ宿を定めぬ者になるのだと。
「自分が何者であるか、そしていったい何をしたいのかが判らず苦しむ青年期に、(苦しまない青年もいるが)、或る種の男たちは放浪の旅に出る。」
バンコクの老婆は白い犬の老婆と同じ顔をしていた。そのころの私は、自分がそこで年老いて最期を迎えてもいいと思える場所を探していて、そこではじめて、最初の候補地を見つけたと感じたのだ。せつなかった。そのとき同行していた親友のSは、声を殺して泣いている私を見てそっとその場を去り、私に私だけの時間を与えてくれた。彼女がその後彼女自身の事情で心を病み、負い切れなくなった私がこちらから連絡を絶ったのは、私が家族の誰にも告げずに日本を出た後のことである。日本を出るとき、船に乗る私を見送ってくれたたった一人の友人は彼女だったような気がするが、記憶は彼方で霞んでいて、もはや思い出せない。
彼女とは20代のごくごく初めに上海の安宿で知り合った。実は同じ大学で、向かいの研究室の学生だと知ったのは、知り合ってかなりたってからだった。彼女から借りたままの本は今も処分しきれずに私の本棚にあり、抜けない棘のように時折私を刺す。
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さて、アジアのケータイは便利ですね、日本以外。私のケータイはアジアのほとんどの国で使えます。で、ワット・アルンでまったりしながら、バンコク在住の友人に電話をかけた。彼女は所要でバンコク郊外にいたのだが、6時半にスクンビットのアソークでお待ちあわせ。本日は日本食を食べるのよえへえへ。私の「中華以外」、相棒の「タイ料理以外」という要求をすりあわせると、この選択が妥当だったのだ。日本人と中国人でインド料理屋でもないような気もするし。
そうと決まれば待ち合わせまでの時間を有効活用。フェリーで対岸まで戻り、鈍行フェリーでバンランプーへ。全くのお昼抜きというのもなんなので、安いご飯が大好きな私が主張して道端ご飯。私は筍と鶏のめちゃくちゃ辛いカレー、相棒はもやしとにらをあっさり炒めた唐辛子抜きのおかずの上に、焼き魚を載せてもらっていた。テーブルの上にあるのはタイ明治が発売している牛乳。金色のラベルの4.3牛乳がいちばんおいしい。
そしてタイマッサージ。二時間260B。でれでれになって出てくると、相棒が相棒がタイ式三角枕を買いたいという。サイアムスクエアで見たときは 1,000~2,000Bぐらいであったが、ここでは550B、500に値切って買いました。HK$100 ぐらい?じゅうたんと同じえんじ色にした。相棒は床にねっころがってテレビを見た いらしいです。
でかい枕をかかえ、身動きが取れなくなったのでタクシーで宿へ。待ち合わせはア ソークのウェスティンホテル。ロビンソンデパートメントが隣接しているというの で、早めに行ってぶらぶらすることにする。タクシーでサイアムまで、そこから BTS。ほんとはタクシーでアソークまで行くつもりだったのだが、死にそうなおじいさんの運転手がものすごい徐行運転で走るのでたまらなくなって途中下車。しかし数回タクシーに乗って大体の相場がわかった。これが後に役にたつことにな る。
ロビンソン。相棒が皮のサンダルが欲しいという。4年前にこれもやっぱりバンコク で買って、はいてはいてはきたおしたやつがもうボロボロ。600Bぐらいではきよいの がみつかり、相棒は満足そうであった。黒のモカシンも買っていた。900Bぐらい。私 も探してみたが、いい感じのはどれもこれも1,500~2,000Bぐらい。だったら香港と かわらないのでやめておく。香港は靴が安いのだ。
おまちあわせ。「単身赴任中に太った」と言っていたのでデブを探したが、相変わら ずタイ人とみまごうばかりにほっそりした女性が歩いてきた。この小柄な女性が、私 の知人の中で最も辛辣な女のうちの一人だとは、相棒はわかってないだろう。プ リックは小さいほど辛いのである。ホテル裏の日本料理屋へ。食った食ったよ食いま した。
友人Aは新婚早々決まった隣国への単身赴任を2年間で無事終了し、BKKへ帰って きたとたん今度はご主人が異動になり、結局入れ替わりに単身赴任していったのだそ うだ。不憫な夫婦である。飛行機代で金が貯まらんとぼやいていた。その孤閨を守る Aさんに相棒からリクエスト。女の子が踊ってるとこに行きたいんですと。それを歪 曲して、「花電車が見たい」と告げたのは私である。私が見たかったの。
(花電車ってなに?というお問合せを受けたので書いておこう。花電車とは、本来はパ レードの日などに路面電車がきれいに飾り付けをして、ゆっくり運行するのを言いま す。そこから転じて、「見せるだけで乗せない」芸、ストリップなどで女性の局部を 使った芸を指す隠語になりました。つまり、吹き矢を飛ばしたり、毛筆をはさんで字 を書いたり、ゆで卵を産んだり、りんごをいれて割って出したりする芸のことです。 大昔、サントリーが正月の新聞広告に使った「寿」の字が、実はこの芸を見た後で紙 をもらってきた開高健(当時宣伝部の社員)のいたずらだったという随筆を読んだこと があります。無茶しますね。)
さて友人Aはう~んとひと唸り。「長いこと行ってないから、上はともかく下までと もなると、今はどこがボラれへん店か分からん…」
そっかやっぱりボラれるか。「だって下まで出すのは非合法やから。」なるほど。で も行きた~い。無理難題。私たちのやり取りを聞いていた相棒が「如果不方便就不要 去ら」。自分でもよく言うフレーズなのだが、それをとっさにうまく訳せなくて困っ た。字義だけでいうと「不便だ」「都合が悪い」といった意味なのだが、この場合は しっくりこない。完全な訳に思い至ったのは帰港してからである。「もしアレ やったら別にエエし。」Does it mean "uncomfortable"? と聞いていたAさん、 つまりそういう意味だったんですよ。
結局友人Aが職場の人にまで電話をかけてくれた結果では、上だけ出す一階の安全な 店は教えてくれたが、下まで出す二階の店は危険だからと教えてもらえなかった。そ のとき私が考えていたのは、「とっときの場所はきっと惜しがって教えてくれないに 違いない。」 私という人間のさもしさがよくわかります。
「このへんにもソイ・カウボーイとかそういう店が集まる通りははあるんだけど、で もまあ、観光客だしパッポンに行きましょうか。」ということで、シーロムへ。香港 の女人街や廟街とほぼかわらん夜店を抜けて、「ボラれない」「安全で」「健全な」 Go Go Barへ。わー、きれいな女の子が香港で言う「三点式」の衣装で、カウンター の上で踊りまくってるー。てんごくみたいー。ぱらだいすー。
きわきわのビキニの女の子が棒につかまって腰をくねらせているのを見ながらクロス タービア。た、たまらん…。相棒に、「手ェ握るぐらいやったら怒らへんから、女の 子呼びなさい」と言ってやるも、「間違えて人妖(おかまちゃん)を呼んでしまったら と思うと怖くて呼べない…」とヘタレなことを言う。友人Aに見分け方を聞いてみ た。
「顔からは絶対見分けがつかない。体つきも実はアテにならない。確実なのは足のサ イズ。こればっかりは小さく出来ないから」 なるほど~。とは言うものの、この店 の女の子はみんなごっついハイヒールのロングブーツを履いていて、サイズが良く分 からない。結局ちょっとぽちゃっとめの女の子の番号を相棒に告げて、「あのコは ゼッタイ女の子やから」と何の根拠も無く断定してやった。そしたら相棒が言うこと には「ど、どこまで触ってええのん・・・?」それは妻に許可を求めているのか、店 の規定を聞いているのかどっちやねん。
これも友人Aに聞いてみた。「こういう店の建前は、すべては女の子の自由意志によ り決定される」です。だから、触らせたかったら触らせればいいし、お持ち帰りされ たくなかったら断ってもいい。この自由意志に基づく擬似恋愛システムが、若い年齢 層の白人男性に受けるんですね。」言われてみれば、客は白人ばっかりである。日本 人は?「日本人は普通、置屋に行く。そのほうが手っ取り早くて安いから。」なるほ ど。
擬似恋愛なあ。これほどあからさまな「選び選ばれる」場で、恋愛もへちまもない気 がするが、下半身に血が行ってしまった男性は阿呆である。
女の子を呼んだ。ストレートのロングヘアに小麦色の肌、八重歯のかわゆいマンゴー ちゃん。相棒を「弁当持ちでめし屋に入ってきた間抜け」にするのはか わいそうなので、私は友人Aといちゃいちゃすることにする。そしたらマンゴーちゃ んが私のことをすっごく気にしてくれるのだ。やっぱり接客業のプロなのだなあ。 「あなたはとてもCuteね」「あなたこそとってもcuteよ。だから席に来てもらっ たのよ」「でもあなたは色が白いわ」うーん。タイ人はみんなそれを言うなあ。(※ 他に誉めるところがないため) 「何か飲む?」「じゃあ、コーラを頂きます」 こ の飲み物代は彼女の収入になる。台上で踊って、客の席についているだけでは彼女た ちの収入はゼロである。客が飲み物を勧めてくれるか、連れ出してくれるかしないと 稼ぎにならない。気、付けよ相棒。
そしてトップレスターイム!じゃーん。台上の女の子がいっせいにトップをはずしました。さきっぽに星型とかハート型とかのきらきらシールを貼って隠しているのが余計そそります。おっぱいがいっぱいだあ。
気が付くと友人Aがビールに口をつけていない。「なんか水っぽくない?」私は全然 気が付かずにぐいぐいらっぱ飲みしていました。しかも二本目。友人Aは「前の客の 飲み残しに水を足して次の客へ」疑惑について言及したかったのだと思います。が、私 は目の前で踊る女の子に気を奪われて上の空。Aの真意に気が付いたのは、二軒目で Aが私の分もオレンジジュースを注文したときでした。しかし相棒はオレンジジュー スを返してシンハビアを注文しておった。
二軒目は水着じゃなくて下着。ブーツじゃなくてサンダル。あああ、かわいいなあ、 かわいいなあ、かわいいなあ。相棒に「女の子を呼びなさい」と女の子かそうじゃな いのかようわからんスレスレの子を指名してやって、私は友人Aといちゃいちゃする ふりをして女の子に見とれていました。するとどうでしょう。目の前で踊っていた白 い下着のかわいい子が好意的に誤解をしてくれたらしく、私の目をじっと見つめて微 笑みながら、下の布を膝まで下ろしてくれたのです。
うっわー。脳内オルガンが天上の和音をちゃらりらら~と奏でるとともに、 私の中の"野郎"がとんでもない勘違いをいたしました。「このコはボクのことが 好きなんやあ」 擬似恋愛システムの有用性について納得がいったのはそのとき です。そっか、こうやって誤解して行くのね。
しかし同時に私の中の女の部分が、キレイに手入れしてるなー、見習わんとアカンなー、と冷静に見ておったのも事実ですが。相棒に教えてやると、ヤツは席に呼んだ女の子に連れ出し費用のリサーチをするのに忙しく、全く見てなかったことが分かりました。わはは。タイミングの悪いやつだなあ。ちなみに最初は3,500Bだったのが話してるうちに2,000Bまで下がったそうな。この他に店に連れ出し代500B。時間が惜しければ上に部屋があり、使用料は45分で400B。この場合も店への連れ出し代は必要。
相場を知らんのでなんともいえませんが、思ったより女の子の取り分は悪くないです よね。友人Aが言うには、かわいい子で月30,000Bから50,000Bぐらいの収入になる とのこと。コンスタントに一晩一人の客がついてそのくらいかあ。一方、大卒の初任 給は10,000Bぐらいとのことなので、前々から私が思っている「購買力と物価を考え ると1B=HK$1ぐらいで考えると正解」の法則(長い)はだいたい正しそう。
とか考えていると、刺青だらけのマッチョな白人二人が隣のテーブルにつきました。 そのとたん、店中の女の子がそのテーブルに殺到。殺到しただけではなく、それぞれ が上をまくりあげたり下を下ろしてみたりして、この世にこんなにあからさまな誘い 方もあったのかというような客引き合戦を展開。擬似恋愛システムもなにもあったも のではありません。でもマッチョーズにしたら天国。客が女の子を選ぶと同時に、女 の子もポテンシャルな客を冷静に見極めているわけで、女連れで入った相棒はかわい そうでした。
女の子には名残が尽きないが、やかましくてしんどくなってきたのでスタバみたいなコーヒー屋へ席を移動。友人Aの近況を聞く。
先に書いたとおり単身赴任に出ているAのご主人の実家は、実はけっこうな田舎に ある。その実家で放し飼いの鶏を大量に飼ってみたところ、やけに順調に増えてし まった。しかし、鶏というのは意外と繊細な生き物で、雷が落ちただけでもビックリ して死んでしまうやつがいる。そういう鶏は病死ではないので最初は喜んで食べてい たのだが、飼ってる数が増えるに連れて、次第に家族と使用人では食べきれない量に なってきた。
そこで思いついたのがワニである(このへんがタイ)。ワニを飼ってエサにすればいい し、育ったワニも売れるし一石二鳥!(やっぱりタイ)。さっそく子ワニを購入してき て育てたところ、エサがよかったらしくみるみる大きくなって、檻が手狭になってき た。檻を増設し、移そうとしたのだがさあ大変、移送中に一匹が脱走。シャレになら んので探しまくったのだがみつからない。子供が襲われたりしたら大変なのでご近所 にも警告を発しまくったが、なぜか皆さんのんびりしてらっしゃる。どうも騒ぐまで もなく、とっくにご近所さんの腹の中に収まってしまっていた模様(さすがタイ)。そ してすっかりでかくなってしまったワニ、しかも90匹ぐらいがうじゃうじゃいるとい う(いくらタイでも…)。
「香港にワニ肉を売りさばけるようなマーケット、知らん?」即答が難しい問題だ。
しかしもう夜中です。友人Aは明日出勤、こちらも7時起床で空港なので、名残は付 きないがおひらきとする。お疲れ様でした。
風呂上りの私を見て相棒、「その体では一晩中踊っても客はつかんなあ。」 ほっとけ。
2003年6月14日土曜日
バンコク快楽道中 ふつかめ
起床。朝食のおかゆは中国風にコメから炊いたのではなく、タイ式に炊き崩れる前の雑炊であった。相棒はこれ を「胃にささる」と言って嫌っている。さて宿探し。中国大酒店から100メートルぐらいのところに新帝国酒店。すげ え名前。
部屋を見せてもらったらおもっくそ中国風。←ね?昔の中国の国営飯店風であった。大通りに面した部屋は広 くて気持ちがいいのだが、どう考えても夜中までやかましそう。奥の部屋は旧市街の眺望が魅力的なのだが、 部屋はやや狭い。どっちも580Bと、普段バンランプーで払ってる宿代からすると高すぎるので一旦保留。
LPでお奨めの宿をもう一軒あたってみた。むちゃくちゃ分かりづらいところにあり、たどりつけたのは僥倖としか 思えん。注文の多い料理店みたいな行き先指示の通りに、人とすれ違うのがやっとというような小道を抜けて到 着。River View G/Hという名前の通り、惚れ惚れするようなリバービューのバルコニー付き。隠れ家的で素敵。 しかしヤワラーからはちょっと離れすぎてるし、タクシーやトゥクトゥクを拾える道までかなりあるので、やはりパ ス。バストイレ共同で450Bというのも納得いかんし。
新帝国酒店にチェックイン。琺瑯びきの痰壺を見たのはいったい何年振りであろうか。琺瑯製品は大好きなのだ が、ステンレス製に駆逐されて、いまや中国で探すのはけっこう難しいのだ。つーか痰壺だってもうなかなか見 ないですよ。
じゃーん。
タクシーでサイアム地区へ。あの四面仏をタイ語ではなんというのかわからず、サイアムスクエアで下ろされてし まった。そこで初乗りBTS、バンコクに開通したスカイトレインで一区間。相棒はさっそく盆いっぱいの青マンゴー とジャスミンとマリーゴールドを買い、お線香をあげていた。おまけに六人舞まで奉納したので、不信心者の私 はびっくりであった。
昼食。名前にBangkokと入ってるホテルのビュッフェ。二人で199B+10%+7%。ひとりHK$30ぐらいだなあ。食 べすぎのおなかを抱え、BTSでシーロムへ。ロビンソンデパートでブラジャーを4つとパンツをふたつ購入。 2300B。トリンプとワコールとギラロッシュ。でもここでもサイズがなかなかなかった。800Bもしたトリンプのブラ、 試着するととんでもないミサイルおっぱいに。当社比20%アップぐらい。う~ん、一分銭一分貨だ。
ロビンソンデパートの近所に香港のガイドブックでベタ誉めしていたマッサージ屋があったので入った。すんごく キレイ。場所とキレイキレイ代で一時間350Bと、昨夜のちょうど倍なのだが、昨夜の店がマッサージャーのケー タイがうるさくて閉口したのとはうってかわって、ここでは店のほうから客に対してケータイを切ること、大声でお しゃべりしないことを求めてくる。香港人を客にするなら、賢明な措置であろう。昨日の店には父はともかく母は 連れて行きにくいが、ここなら両親共に大丈夫だ。
BTSで終点まで。チャオプラヤエクスプレスでバンランプーまで。と思ったのだが各停じゃないやつに乗ってしま ったのでバンランプーでは止まらず、乗り越して次の乗り場まで。そこからちんたら歩いてバンランプー、相棒が 大好きで大好きで忘れられないというさとうきびジュースの屋台へ。4年ぶりだがありました。みつばちがぶんぶ ん飛んでいる。相棒はコーラのびんに詰められた冷たいさとうきびジュース(1本6B)を6本も飲み、ジュース売り のおばさんに笑われていました。そして2002年のLPでは名前が変わっていた定宿を一目見ようと、懐かしい思 いで足を運んだらなんとそのままの名前で営業中でした。む!
2軒ある両方とも、そのままの名前で営業中でしたがな。っつーことはLPの記載が間違いなのね。大昔の名前 が残ってるのかなあ。でもここは少なくとも96年からこの名前な訳だし。うーん。記念に一階のオープンカフェで LEOビアを飲んできました。
それからこれも何度も行ったマッサージ屋で、今回はオイルマッサージ。ここは普通 のタイマッサージが2時間260ドルと安い店なので個室はなく、大部屋にマットをずらりと並べてあるだけです。と ころでオイルマッサージはタイマッサージと違ってすっぱだかにならねばならず、ここでぱんついっちょのガイジン 女性を何度か見たことがありますがそれを忘れていました。
といってもそれなりに気を使ってくれて、他に誰もいない大部屋に通してくれたのですが、しかし相棒のマッサー ジャーは男性です。でかいパンツをはいてきててよかったとしみじみ思いました。オイルマッサージはタイマッサ ージのように手足やひじを使わず、手のひらと指だけで強くマッサージするため、マッサージャーへの負担が大 きく、また当たりはずれも激しいのです。今回は当たりでした。体がとろけそうでした。ここのオイルマッサージは 一時間200ドルでした。
ヤワラーへ帰り、夕食。今日はシーフードバーベキュー。
じゃーん。
香港ではあまり見ない、はさみの大きなかに、300B。
これも香港では見ない、はさみの長いえび、4匹で100B。はさみの長い青いえびは香港でも売ってるが、安いし あまりおいしくない。タイのこれは美味かった。
ライムと葱頭スライスのから揚げを載せて食べる大きな牡蠣。ひ とつ30B。最初、泥臭い味なんじゃないかと思って二つしか頼まなかったら、意外なうまさなので5つ追加。巻貝 を一皿、160B。廈門では血貝という二枚貝、40Bⅹ2皿。シンハビア、しめて910B。
屋台で買い食いをしたいのだが、口から出そうなぐらい腹がいっぱいで断念。相棒が会社と顧客におみやげをと いうので、東南アジア中に支店のある中国味はちみつポークジャーキー屋でどっさりお買い上げ。前回のシンガ ポールでも同じ店で買ってたはず。なんでも同じ味だがタイで買うのが一番安いのだそうだ。大きな方が一袋 75Bは、確かに安いと思う。おいしいしなあ、これ。
風呂入っておとなしく寝ました。おっとその前に洗濯をしました。旅先での手洗濯。これがわびしくて結構好きな のよ。
部屋を見せてもらったらおもっくそ中国風。←ね?昔の中国の国営飯店風であった。大通りに面した部屋は広 くて気持ちがいいのだが、どう考えても夜中までやかましそう。奥の部屋は旧市街の眺望が魅力的なのだが、 部屋はやや狭い。どっちも580Bと、普段バンランプーで払ってる宿代からすると高すぎるので一旦保留。
LPでお奨めの宿をもう一軒あたってみた。むちゃくちゃ分かりづらいところにあり、たどりつけたのは僥倖としか 思えん。注文の多い料理店みたいな行き先指示の通りに、人とすれ違うのがやっとというような小道を抜けて到 着。River View G/Hという名前の通り、惚れ惚れするようなリバービューのバルコニー付き。隠れ家的で素敵。 しかしヤワラーからはちょっと離れすぎてるし、タクシーやトゥクトゥクを拾える道までかなりあるので、やはりパ ス。バストイレ共同で450Bというのも納得いかんし。
新帝国酒店にチェックイン。琺瑯びきの痰壺を見たのはいったい何年振りであろうか。琺瑯製品は大好きなのだ が、ステンレス製に駆逐されて、いまや中国で探すのはけっこう難しいのだ。つーか痰壺だってもうなかなか見 ないですよ。
じゃーん。
タクシーでサイアム地区へ。あの四面仏をタイ語ではなんというのかわからず、サイアムスクエアで下ろされてし まった。そこで初乗りBTS、バンコクに開通したスカイトレインで一区間。相棒はさっそく盆いっぱいの青マンゴー とジャスミンとマリーゴールドを買い、お線香をあげていた。おまけに六人舞まで奉納したので、不信心者の私 はびっくりであった。
昼食。名前にBangkokと入ってるホテルのビュッフェ。二人で199B+10%+7%。ひとりHK$30ぐらいだなあ。食 べすぎのおなかを抱え、BTSでシーロムへ。ロビンソンデパートでブラジャーを4つとパンツをふたつ購入。 2300B。トリンプとワコールとギラロッシュ。でもここでもサイズがなかなかなかった。800Bもしたトリンプのブラ、 試着するととんでもないミサイルおっぱいに。当社比20%アップぐらい。う~ん、一分銭一分貨だ。
ロビンソンデパートの近所に香港のガイドブックでベタ誉めしていたマッサージ屋があったので入った。すんごく キレイ。場所とキレイキレイ代で一時間350Bと、昨夜のちょうど倍なのだが、昨夜の店がマッサージャーのケー タイがうるさくて閉口したのとはうってかわって、ここでは店のほうから客に対してケータイを切ること、大声でお しゃべりしないことを求めてくる。香港人を客にするなら、賢明な措置であろう。昨日の店には父はともかく母は 連れて行きにくいが、ここなら両親共に大丈夫だ。
BTSで終点まで。チャオプラヤエクスプレスでバンランプーまで。と思ったのだが各停じゃないやつに乗ってしま ったのでバンランプーでは止まらず、乗り越して次の乗り場まで。そこからちんたら歩いてバンランプー、相棒が 大好きで大好きで忘れられないというさとうきびジュースの屋台へ。4年ぶりだがありました。みつばちがぶんぶ ん飛んでいる。相棒はコーラのびんに詰められた冷たいさとうきびジュース(1本6B)を6本も飲み、ジュース売り のおばさんに笑われていました。そして2002年のLPでは名前が変わっていた定宿を一目見ようと、懐かしい思 いで足を運んだらなんとそのままの名前で営業中でした。む!
2軒ある両方とも、そのままの名前で営業中でしたがな。っつーことはLPの記載が間違いなのね。大昔の名前 が残ってるのかなあ。でもここは少なくとも96年からこの名前な訳だし。うーん。記念に一階のオープンカフェで LEOビアを飲んできました。
それからこれも何度も行ったマッサージ屋で、今回はオイルマッサージ。ここは普通 のタイマッサージが2時間260ドルと安い店なので個室はなく、大部屋にマットをずらりと並べてあるだけです。と ころでオイルマッサージはタイマッサージと違ってすっぱだかにならねばならず、ここでぱんついっちょのガイジン 女性を何度か見たことがありますがそれを忘れていました。
といってもそれなりに気を使ってくれて、他に誰もいない大部屋に通してくれたのですが、しかし相棒のマッサー ジャーは男性です。でかいパンツをはいてきててよかったとしみじみ思いました。オイルマッサージはタイマッサ ージのように手足やひじを使わず、手のひらと指だけで強くマッサージするため、マッサージャーへの負担が大 きく、また当たりはずれも激しいのです。今回は当たりでした。体がとろけそうでした。ここのオイルマッサージは 一時間200ドルでした。
ヤワラーへ帰り、夕食。今日はシーフードバーベキュー。
じゃーん。
香港ではあまり見ない、はさみの大きなかに、300B。
これも香港では見ない、はさみの長いえび、4匹で100B。はさみの長い青いえびは香港でも売ってるが、安いし あまりおいしくない。タイのこれは美味かった。
ライムと葱頭スライスのから揚げを載せて食べる大きな牡蠣。ひ とつ30B。最初、泥臭い味なんじゃないかと思って二つしか頼まなかったら、意外なうまさなので5つ追加。巻貝 を一皿、160B。廈門では血貝という二枚貝、40Bⅹ2皿。シンハビア、しめて910B。
屋台で買い食いをしたいのだが、口から出そうなぐらい腹がいっぱいで断念。相棒が会社と顧客におみやげをと いうので、東南アジア中に支店のある中国味はちみつポークジャーキー屋でどっさりお買い上げ。前回のシンガ ポールでも同じ店で買ってたはず。なんでも同じ味だがタイで買うのが一番安いのだそうだ。大きな方が一袋 75Bは、確かに安いと思う。おいしいしなあ、これ。
風呂入っておとなしく寝ました。おっとその前に洗濯をしました。旅先での手洗濯。これがわびしくて結構好きな のよ。
2003年6月13日金曜日
バンコク快楽道中 いちにちめ
午前中は出勤、団体チケットのバラ売りを空港で受け取り、15:50のCXに搭乗。BKK経由カラチ行きで、乗客 の半分はパキスタン人だった。このままパキスタン行きたくなってきた。
タイ時間6時過ぎにドンムアン到着。イミグレよりもその前の体温検査&医者のサインに時間がかかった。エア ポートバスに乗ろうとして気が付いたが、この時点でまだどこに泊まるか決めてねえ。相棒がふかひれふかひ れと騒いでいるので、ヤワラー(チャイナタウン)に泊まることにしてホアランポーン行きのバスを探したが、いま出 たとこでしばらくないという。1番バスが来たのでそれで市内まで行くことにするがコレが大失敗。空港から市内 までの高速は二区に分かれているのだが、このバスは最初の区が終わったところで下に降りやがったのだ。そ して渋滞。100Bもするエアポートバスなのに。くくう。
渋滞がひどいので適当なところで下りてトゥクトゥクを拾った。相棒が突然カタコトで交渉を始めたので驚いた。カ タコトったって、「いくら?」とか「そりゃ高い」とか「XXバーツ」ってな程度のものだが。60Bを40Bに値切ってヤワ ラーへ。
乗り捨てるなり、そのままフカヒレ屋へずかずか入ってゆく相棒。1500Bもする紅焼魚翅湯はじめ、紅焼鵞掌、紅焼羊 肉、牡蠣と卵を片栗粉で練って香ばしく焼いたもの、などなど。美味いかといわれればそりゃ美味いが、はっきり いって私は道端の15Bのタイぶっ掛けご飯でも十分幸せだからなあ。
←ふかひれ。がつがつと半分以上食べてしまった後。
9時。宿探し。昔よくロビーで涼んだ(泊まったことはない)白蘭大酒店へ。一階の大部分を屈臣氏(香港資本のド ラッグストア)に貸してしまい、ロビーは二階に移っていた。部屋は700B-900B。長いこと客が入っていない匂い がしたのでパス。定期的に部屋の手入れをする余裕のないホテルが、無理をしてじゅうたんをひくとこうなる。あ っさり木やタイルの床にしておけばいいのに。
はす向かいの中国大酒店へ。ロビーはすごくいい雰囲気だったが、部屋見てがっかり。狭い。でも匂いはしない し、窓の外もまあまあ見晴らしがいいし、なにより相棒がマッサージマッサージとやかましいのでので泊まること にする。。850Bは高いなあと思って値切りにかかったら、そんなヒマがあったらマッサージと哀願されてしまっ た。手ごたえありだったのに。で、マッサージ。
2時間で350B。香港時間で言うと12時過ぎまで按摩されて、早寝早起きの私はマッサージを受けながらぐうぐう 寝てしまった。終わってから相棒が「マッサージャーのおしゃべりがやかましくて参った」とこぼすのだが、私は 爆睡しておりましたので全然わかりません。外に出ると、夜中でもヤワラーは賑やかでうっとりです。屋台で猪 血猪腰湯を食べて帰りました。
さてホテルはネットでの事前調査では「従業員はフレンドリーだがゴキブリがいる」ということであり、従業員はフ レンドリーだがゴキブリがいた。ちなみに一番安い部屋は16ドルでネット予約できますので、予約無しでBKKに 下り立つのは不安だがどうしてもチャイナタウンに泊まりたくてゴキブリが気にならないヒトにはお奨めです。もの すごく狭いターゲットですが。
タイ時間6時過ぎにドンムアン到着。イミグレよりもその前の体温検査&医者のサインに時間がかかった。エア ポートバスに乗ろうとして気が付いたが、この時点でまだどこに泊まるか決めてねえ。相棒がふかひれふかひ れと騒いでいるので、ヤワラー(チャイナタウン)に泊まることにしてホアランポーン行きのバスを探したが、いま出 たとこでしばらくないという。1番バスが来たのでそれで市内まで行くことにするがコレが大失敗。空港から市内 までの高速は二区に分かれているのだが、このバスは最初の区が終わったところで下に降りやがったのだ。そ して渋滞。100Bもするエアポートバスなのに。くくう。
渋滞がひどいので適当なところで下りてトゥクトゥクを拾った。相棒が突然カタコトで交渉を始めたので驚いた。カ タコトったって、「いくら?」とか「そりゃ高い」とか「XXバーツ」ってな程度のものだが。60Bを40Bに値切ってヤワ ラーへ。
乗り捨てるなり、そのままフカヒレ屋へずかずか入ってゆく相棒。1500Bもする紅焼魚翅湯はじめ、紅焼鵞掌、紅焼羊 肉、牡蠣と卵を片栗粉で練って香ばしく焼いたもの、などなど。美味いかといわれればそりゃ美味いが、はっきり いって私は道端の15Bのタイぶっ掛けご飯でも十分幸せだからなあ。
←ふかひれ。がつがつと半分以上食べてしまった後。
9時。宿探し。昔よくロビーで涼んだ(泊まったことはない)白蘭大酒店へ。一階の大部分を屈臣氏(香港資本のド ラッグストア)に貸してしまい、ロビーは二階に移っていた。部屋は700B-900B。長いこと客が入っていない匂い がしたのでパス。定期的に部屋の手入れをする余裕のないホテルが、無理をしてじゅうたんをひくとこうなる。あ っさり木やタイルの床にしておけばいいのに。
はす向かいの中国大酒店へ。ロビーはすごくいい雰囲気だったが、部屋見てがっかり。狭い。でも匂いはしない し、窓の外もまあまあ見晴らしがいいし、なにより相棒がマッサージマッサージとやかましいのでので泊まること にする。。850Bは高いなあと思って値切りにかかったら、そんなヒマがあったらマッサージと哀願されてしまっ た。手ごたえありだったのに。で、マッサージ。
2時間で350B。香港時間で言うと12時過ぎまで按摩されて、早寝早起きの私はマッサージを受けながらぐうぐう 寝てしまった。終わってから相棒が「マッサージャーのおしゃべりがやかましくて参った」とこぼすのだが、私は 爆睡しておりましたので全然わかりません。外に出ると、夜中でもヤワラーは賑やかでうっとりです。屋台で猪 血猪腰湯を食べて帰りました。
さてホテルはネットでの事前調査では「従業員はフレンドリーだがゴキブリがいる」ということであり、従業員はフ レンドリーだがゴキブリがいた。ちなみに一番安い部屋は16ドルでネット予約できますので、予約無しでBKKに 下り立つのは不安だがどうしてもチャイナタウンに泊まりたくてゴキブリが気にならないヒトにはお奨めです。もの すごく狭いターゲットですが。
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