
朝食に米線。霧が深すぎるので車をチャーターする気になれず、街をぶらぶら。農貿市場で少数民族の服装を見物。ここにいるのはハニ族とイ族だそうである。狗肉がポピュラーなようで、市場の奥に屠殺場。小僧の背中を、すうっと別の方向に押しやった。
街は羊腸のごとくうねうねと山を登る急傾斜な道なりに、かろうじて開けた集落で、これもまた急斜面に建つ観音寺への階段を上ると、88年におこった大規模な地崩れの修復記念碑があった。地崩れで三分の二の住民が家を失ったため、鎮政府は行政の中心を、ここから20キロ下の南沙に移したのだそうだ。というわけで、単に「元陽」と言うと、そちらの南沙を指す場合がある。こちらの旧市街のことを、なぜ「新街鎮」と呼ぶのか不思議だったが、地崩れで流された後に新しく築いたメインストリート「新街」のある鎮、だから「新街鎮」なのだな。納得。

我が家は3人なのでオート三輪では厳しく、できるだけ新しいタクシーを選び、300元を250元に値切って乗る。運転手兼ガイドの石氏は24歳、父がイ族、母がハニ族だそうだ。家の中では普通語で、学校も漢族の学校に通ったので、普通語>ハニ語>イ語だそう。
まずは壩達(坝达)梯田へ。見事ではあるがやはり霧が深い。壩達と多依樹の二箇所のチケットは合わせて60元。次にいく老虎嘴は30元。石氏によると、この入場料の収益金の使われ方は中国のお上のやることとしては上出来なほうで、この地区の農家の建て直し補助金になっているのだそうだ。というわけで、ただいま道路沿いの農家は棟上ラッシュ。日干し煉瓦の家をどんどん取り壊して、焼きレンガの家にせっせと立て替えている最中である。自己資金に余裕のある家は、さらに外壁にタイルを貼ったり、内壁に漆喰を塗ったり、住みやすい家に改築中。

道沿いの村にも「温飽(*)達成プロジェクト実施村」の碑を見かけたし、世界遺産申請中なので対外的に見栄えをよくするためにがんばっているんだろうな。(*)…中国では生活レベルを「貧窮」→「温飽」→「小康」→「富裕」の4ランクに分ける。「温飽」とは文字通り、暖かい場所に住めて飢えない、という意味である。してみると、このあたりは現時点では「貧窮」線上にあるとみなされているわけだ。石氏に聞くと、貧しい家は10~12歳で娘を嫁に出すことも、珍しくないという。「貧しい家」を、かれは「日子比較不好過的」と表現した。胸が詰まった。
大魚溏という村で食事。ハニ族料理を試す。ゼンマイと哈尼豆豉の炒め物。放し飼いの鶏。野菜。哈尼豆豉は広東豆豉よりずっと醗酵が進んでいて、咸魚のように臭かった。夫は納豆のようだといいながら食べていた。ハニ族は泥鰌は食べるが、青蛙は食べないそうである。
街に帰り、坂と階段の多いメインストリートを一時間ほど散策し、夜は四川夫婦の店で夕食を取って就寝。
一 層 一 層 又 一 層