***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2010年4月5日月曜日

昆明→香港

朝食を緑豊かなカフェで。小僧待望の「自助餐」は、ほどほどに豊富でよかったです。中国人も外国人も食べられるものが、一通りそろっていた。何人かの外国人バックパッカーを見たが、数は往時とは比較にならない。中国はもはや安上がりに旅行できる国ではない。

タクシーで雲南省博物館へ。パンジーの咲き乱れる花壇が美しい。




博物館を遠めに見やって目がハート型に。「滇越鐵路百年史大型展覽」ですと! 


プチ鉄な私大喜び。が、入り口に走りこんで大ショック。今日は月曜。博物館は休館である。ばかかばかばかー!中国の博物館は月曜はもれなくお休みなのに、なんで忘れてたの!ばかばかばかー!

今日は朝からここをじっくり見て、午後から鉄道博物館行って、時間があれば昆明市博物館に寄って、博物館三昧な日を過ごそうと思っていたのに・・・。私のばか。ショック。

仕方が無いので新華書店に行く。本を買う。私の興味の偏りが良くわかる。小僧は簡体字が読めないのどれもいらんというが、そろそろ簡体字でも読めるよう練習をしたほうがいいかしら。

   影印原本鄭和家譜校注
   羌戎老察記 -30年代西部人文探訪-
   宗教建筑
   親歷廈門解放
   雲南文史博覽
   普洱文化通覽
   拉薩舊史(1944-1949)
   難忘的這八年(1975-1982)
   三倍茶
   寺道之旅


ホテルへ戻り、荷物をピックアップして空港へ。旅の終わりはいつも気分が優れない。日程の制限の無い旅行をするチャンス、私の一生にまたあるのかな。

空港で、飛行機で、帰りのバスで、本を読みもって帰宅。また短い旅が終わった。


息子ちゃん日記
きょうのあさ、ビュッフェのあさ飯をたべました。それからはくぶつかんにいってみたら、てつどうの故事なのにしまっていました。おかあさんはてつどうがすきなのに、星期一はやすみのひでした。おかあさんがしょっくだといいました。それから新華書店にいって書とDVDをかいました。さいごにくうこうにいって、ひこうきのって香港にかえりました。

2010年4月4日日曜日

丘北→昆明

起床。白稀飯(白かゆ)をさらりと食して、出発。バスは廈門金龍車、かなりできのいい車であった。

09:37 丘北発
09:58 龍譚塞
10:12 丘北県境を通過
10:50 維摩
10:54 炭房
11:10 小稼衣
11:18 平遠街
11:28 阿三龍
11:42 賦落江
11:55 鎖龍寺
12:10 昼食休憩
12:30 休憩終了
12:37 大法車
12:41 下河口
12:57 弥勒県境に入る
13:15 八隊
14:03 石林県境に入る
14:25 路南
14:39 半載河入口
14:55 宜良
15:10 陽宗
15:20 松茂
15:23 小團山
15:24 王家營
15:27 科技園
15:35 兩面寺
15:40 昆明長途汽車東站

高速ではない道を走る区間で、荷物満載トラックに邪魔をされたが、6時間で昆明到着。昆明長途汽車東站でバスを降りる。えらい山の中にあるように見えたが、タクシーで茶花賓館まで20元ぐらいと、南站よりかなり近かった。運転手(女性)によれば、一番行きたくないのが北站で、道がまだ開通していないのにオープンしたものだから、未舗装のガタゴトの土の道を、延々と行かねばならんのだそうだ。

茶花賓館到着。わが青春のホテルである(やや嘘)。20年前に始めてここに泊まった。その後も何度かここで荷物を降ろし、20年後の今日は子連れで泊まる。我還有幾個20年呢?




1階のレストランが居心地よくしつらえられている。朝食はここでビュッフェ(小僧待望)である。


部屋をふたつ見る。200元のと260元のと。「あと100元のと120元のとがあるけど、あんた方は多分気に入らないと思うよ」と断言され、見ず。「條件肯定差一點而了。」とのことである。260元の部屋は、ダブルベッドとシングルベッドがあり、家族三人にちょうどいい。そしてソファセットがあって部屋が広々していた。最後の夜だし、こちらにする。




昆明ホテルの裏で遅い昼食。入り口に大きな酒甕があり、干し肉がたくさん吊ってある店にする。塊のまま干したものを臘肉、細く裂いて水分を飛ばしたものを干巴と呼ぶそうだ。羊の腸も干してあった。炒臘肉、たけのこ炒め、鶏腎とアスパラガス、炒飯などを食す。



櫻花ホテルは20年前にはオープンしたばかりのピカピカの日資ホテルで、中に小さなスーパーがった。そこで日本製の羽根付きナプキンを売っているのが女性の日本人留学生、旅行者に評判になり、留学中の街では入手できない留学生ばどは、ここでごっそり買い占めていた。ほかにも、ここでしか手に入りにくいものをいろいろ買い足すのが楽しみだったことを思い出す。

もはや5時、博物館に行くには遅すぎなので、ホテルへ戻ってくつろごう。くつろぎスペースもあることだし。

9時過ぎ、やや空腹を覚えたので下のカフェへ行く。フレンチフライズでもつまみながら一杯と思ったのだが、キッチンはもうクローズしたそうで食べ物はなし、大人はビール、子供はホットチョコレートで乾杯。明日は帰国だ。


息子ちゃん日記
きょうのあさ、ばすのって昆明にいくのに6時間かかりました。昆明についたとき、もう4時でした。酒店にとまってから、飯たべにいきました。飯をたべすぎたから、昆明飯店にいってうんちしました。ほてるにかえって、TVをずっとみました。それから10時ごろにれすとらんにいって、Hot Chocolateとびいるをのみました。ほんまはぽてとをたべたかったのに、なかったからたべませんでした。

2010年4月3日土曜日

普者黒

起床。バスターミナル前ででかい碗の米線を食べる。6元。明日の昆明行きのチケットを手配。112元、5~6時間。元陽とほぼ同じ。雲南省の交通状況は劇的に改善されているような気がする。

バスで普者黒へ。村の直前で葬列に出くわし、バスがそれ以上進めずに停車した。よほどの分限者の葬儀らしく、漢、壮、イの楽隊を先頭に、列がどこまでも続いている。





















なおこの↑の写真をとりまくっている間、相棒は「人の葬式の写真なんか縁起悪い!」とブツブツ文句を言うてました。すまんな外人のヨメで。私も一応それは気になったのだが、そういう常識に外れたことをしている時点で被写体の皆さんからガイジン認定されたらしく、撮影している間コドモからハローハローと声を掛けられっぱなしであった。なお、被葬者は漢族女性、86歳の大往生であったそうである。

馬車で観音洞へ。これは失敗であった。15元を払って入場すると、ぺらぺらと良くしゃべるガイドがつき、鍾乳洞のあちこちに置かれた趣味の悪い観音像を見物して回る。そしてお香売り場で30元~300元のお香を買うよう勧められるというわけだ。中国の観音はほぼ例外なく女性形なわけだが、豊満なおっぱいポロリのリアル系観音とかは、正直小僧に見せたくない感じであった。でかい「睡観音」とやらもあり、そもそも涅槃仏という仏像でがどういう経緯で生まれたかを考えれば、「観音が寝てたからどーなのか」と疑問に感じざるを得ない。そして阿弥陀仏の胸の卍がハーケンクロイツになっているのに気がついた時点で(感心なことに小僧もこれに気がついた)、形だけでも拝む気には全くなれず、お香を断ったら売り場のお姉さんにもんのすごい顔をされました。で、最近の中国の流行語をちょっと使ってみたくなりw、「你是哪個單位的?」と。何様だオレ。「哪里承包的?」とも聞いてみた所、承包ではない、政府の仏教協会の管理下だと言い張るのだが、う~ん、あまり信用する気にはなれんな。っていうか大人気ないですか私。

観音洞の右手の道から山に登るのにはチケットを買う必要が無いので、そっちだけにすればよかった。山に登る。村を見渡せるビューポイントが何箇所かあり、いい眺めであった。水田が緑の時期、菜の花が咲く時期、蓮の花の時期にはさぞかし美しいだろう。が、観光客もいっぱうだろうな。自前の足で高速を使えば、ここは昆明から4時間かからないだろう。飛行機なら30分(空港があるそうだ)。すでに中国のバスはアメリカのグレイハウンドバスのような状況になりつつあるのだろうと思う。飛行機に乗れない、車を所有しない層がバスを利用する。中国の貧富の差は極端だ。ロバ車とレクサスが同じ道をゆく。




小僧が大きいほうを催す。トイレなどどこにも無いので、道をはずれてその辺で解決させる。落ち葉を大量にかぶせてからふと上を見上げると、樹のこずえに枝を枝を組み合わせて、明らかになにか人為的にしつらえられたものがある。これってひょっとして少数民族の信仰に関するものではないのだろうか。冗談で「山の神さん怒ったはれへんやろうか?」と小僧に言うと、小僧、ふと胸元をまさぐって「あ!『玉』(yu4)がない!」と。ありゃ、迷惑料をまきあげられてしまったか。

山道を引き返さず、山の向こうに降りる形でふもとまで下ると、そこは観光公園の中だった。湖にボートが浮かんでいて、使用料を見て真剣にびっくり。120元~160元。今とまっているまともなホテルが一泊130元であることを考えると、恐るべき価格設定だ。ボートの隣で飲み物を売っていた女性と話をした。今はローシーズンで、全く商売にならんそうな。観音洞ってどうなの?と話を振ると、昆明の旅行会社の承包だそう。3人いる僧侶もニセモノだと言い切った。

村は約1000戸、漢、壮、彝、苗の4民族が住む。別に問題なく共存しているし、通婚も多いという。この観光公園は農民の土地を強制的に買い上げて作ったもので、買い上げ時の価格は1ムー7860元。農地を減らしたくは無かったが、拒否権はなかったそうだ。買い上げたのは観音洞と同じ、昆明の旅行会社。どうして民間の会社の事業にそんな強制力があるのかと一応聞いてみたが、あんたら都市民に農村のきまりはわからんよ、と笑われた。彼女が公園内でささやかな商売を黙認されているのは、ここがもともと彼女の土地だからだそうだ。

彼女の客だねになりそうな観光客がぜんぜん来ないので、村と、村人が信仰するお寺へのガイドを頼む。いくらで案内してくれるか聞いたら、笑って「気持ちで。」と。10元しか払えないけどいいかしら?と聞いたら、とくに異存はなさそうだった。

最初に家に案内され、家の中を見せてもらった。台所にぶら下がっている干し肉がおいしそう。コの字型に三方向に並んだ家のうちひとつが彼女の家族のもので、ほかの二つには親戚が住んでいる。真ん中のスペースで農作業をする。井戸もそこにある。私の父の実家は大阪近郊の農家だったが、よく似たつくりだった。収穫した水草を何にするのか聞いてみたら、魚に食べさせるとのこと。淡水魚を養殖しているのだ。ここいらでは、牛にはなるべくいいとうもろこしを食べさせるのだという。どうりで毛並みがよく、つやつやしてよく太っているわけだ。

観光用ではなく、村人が信仰するお寺は村のはずれ、私が先ほどあれがお廟なのではないかと思った通りのところにあった。池に面した洞窟のほとり。名を、観仙祠という。もちろん入場券などは無し。洞窟の中には老婆が3人いて、全く普通語が話せない。何を言っているのかほとんどわからないが、大歓迎されていることだけはわかった。本物の信仰の場でお香を上げるにはやぶさかではないので、お線香代を聞くと2元。くっくー。そして、大人の手の一掴みに余るような大きな束の線香を渡され、おばばさま自らに火をつけていただきました。観音、釈迦、弥勒、韋駄天、西遊記の各位、閻魔様、財神と、素朴なタイガーバーガーデンのような造形の、ありとあらゆる神様がごたまぜに神仏混淆されており、素敵でした。私と相棒と小僧でやや大目に點油(お賽銭)を出したら、たいへん大喜びをされ、次のXX(聞き取れず)で燃やしてあげるから、ぜひ名前を書けと、札のようなものを渡された。小僧に学校を名前と出席番号を書かせたことであるよ。勉学の神様のお目に留まることを祈る。

今日はいい一日だったなあ。

馬車とバスを乗り継いで丘北帰還。ホテルで夕食。外にBBQスペースがあり、夫がざりがにを注文。一匹2元ナリ。木炭でこんがり焼けて出てきた。全く土臭くなく、うまかったそうだ。特産の山のきのこは裏返して焼くと、かさの裏に水分が溜まり、その水分が絶品とかで勧められ、食べてみるとうんまいのなんの!石づきをとった脚まで柔らかく、ほくほくで、意外な収穫であった。雪花ビールで乾杯。



隣のテーブルには、日焼けした体格のいい男たちが陣取り、古装片に出てくるような大きな酒つぼをテーブルにすえ、大粒のたにしを肴に、割と静かめに茶碗酒を酌み交わしている。なにやら江湖なフンイキ。こうして丘北の夜は更けてゆく・・・。明日は昆明だ。



息子ちゃん日記
きょうのあさ、かぞくといっしょに普者黒にいきました。普者黒についたとき、さきに洞にはいってけんぶつして、それから青山という山にいきました。山をあるきつづけて終點についたとき、おなかがへったから飯店。さいごにばすていまでかえるとき、ばしゃにのってそれからばすにのって酒店にかえりました。