団山は美しい農村であった。門票(チケット)20元ナリを支払って村に入る。ひとんちの庭にずかずか入り込んで写真をとりまくる気まずさを、解消してくれる20元である。
村の入り口。

「打倒叛徒劉少奇!」などのスローガンが残る民家を見物。現在は完全に農村であるが、この村の張一族は清朝のころ、錫鉱山の開発と交易で大繁栄した時期が あり、収入をつぎ込んで家を建てたのだそうな。それで、この小さな村に、精緻で豪勢な民家がぎっちぎちに並んでいるのだそうである。





この村の住民のほとんどが張姓だが、司馬第の主人だけはそうではない。毛沢東と同姓の毛さんだ。張一族には積年の恨みがあるようで、張家より毛家のほうが古い、毛家の建物は明朝創建だ、ガラスは民国時代にドイツから輸入したんだ、うちは代々文人で、農民じゃない、などなど、ととどまる所無く繰り返した。村の入り口で徴収する20元は張姓の家だけで分けるので、毛家には家の維持修復費用は一銭たりとも回ってこないのだと言う。だから、ここ司馬第だけは4元を徴収しているのだそうだ。


村の中心広場(四方街)の商店。「高举毛泽东思想伟大红旗」

どこに売ってんのこの門將。おみやげに欲しいw


纏足の老婆が村の宗祠廟にちょこなんと座っており、写真を取らせてくれと言い出せなかった気の小さい私である。さよなら団山村。
回去建水,在香滿樓吃一頓很豐富的午飯,炒一碟本地蔬菜(不知此名),本地米糕炒臘肉片(又是!),建水馳名的汽鍋雞。吃完便到汽車站,買了3點半到開遠的,班車蠻多,幾乎每15分鐘都有。汽車準時出發了汽車站,卻在路邊左往右走拉客,這也是家常便飯。
町外れで、完全にコーカソイドの顔の青年が乗ってきた。学生らしく、全く日焼けしていなかったので、一瞬外国人観光客(よく見かけるイスラエル人とか)かと思ったぐらいだ。もみ上げから顎まで濃いひげがみっしりで、小僧が、「あ!ジョージ・ワシントンや!」と。日本語で言うてくれて助かったわ。
小型バスはさくさく走り、夕暮れ前に開遠到着。まずはバスターミナルで明日のチケットの手配。朝8時発のを入手。170キロの道程なのに、「在一般境況下,要大概五個小時左右」と言われてげんなりする。バスと路面状況が予想される。40元/席。
バスターミナル横の開遠大酒店へ。立派な押し出しなのに双人間80元、三人間90元と言われ、水準が想像できたので夫婦で少し黙り込む。が、日暮れも近いし明日は早く、子連れで今からうろうろしたくないので、一応部屋を見せてもらった上で妥協。
街の名+大酒店でこの水準とはなあ・・・。なまじ「大」が入っているところがリスク要因だったか。(←いちいちウルサイ)
とりあえず荷を下ろし、開遠で最大の清真寺へ。学校が付属しているせいか、とても開放的な雰囲気である。以前にここを見学したとき、ムスリムの挨拶をして入ったら大歓迎され、回教徒ではなく見学希望の外国人だということをすぐに説明したが、それでもその歓迎の雰囲気は変わらなかった。今回もは普通の挨拶をして入ったが、それでも柔らかな歓迎の雰囲気は変わらず、長老のようなひとが二階の礼拝堂まで連れてあがってくれ、座って世間話に応じてくれた。
この地区は回族の人口が多いので、家庭を持つときに同じ回族の相手を探しやすい。異教徒との通婚はあまりないという。この回族学校は甘粛や青海の学校と交流があり、教師の何人かを定期的に交換しているそうだ。ここで成績のいい生徒はマレーシアやサウジアラビアに留学に出すのだそうだ。
モスクを辞し、街をぶらつき、回族レストランで蘭州拉面を食して本日の活動は終了。
ホテルに戻るも、どうも本日のホテルでは風呂を使う気になれず、顔と足を洗って体を拭いて、昼の服のままズボンも脱がずに寝た。老公對于汽車站旁邊的環境感覺沒有太大的安全感,因此開始了很多小動作,比如:
<バスルームの天井裏の検査>

<ドアが開かないように椅子と机でブロック>

街道沿いのトラックの音がうるさく、部屋には蚊がいて、あまりよく眠れず。明日の行程は長いので、バスで眠るとしよう。
息子ちゃん日記
モスクを辞し、街をぶらつき、回族レストランで蘭州拉面を食して本日の活動は終了。
ホテルに戻るも、どうも本日のホテルでは風呂を使う気になれず、顔と足を洗って体を拭いて、昼の服のままズボンも脱がずに寝た。老公對于汽車站旁邊的環境感覺沒有太大的安全感,因此開始了很多小動作,比如:
<バスルームの天井裏の検査>

<ドアが開かないように椅子と机でブロック>

街道沿いのトラックの音がうるさく、部屋には蚊がいて、あまりよく眠れず。明日の行程は長いので、バスで眠るとしよう。
息子ちゃん日記
きょうのあさ、ぼくはかぞくといっしょに團山というところまでいってあそびました。
それからばすにのって開遠まできました。開遠についたときにさきにしたことは、となりの酒店にとまって、それからもすくにいって、さいごに飯店にいって飯をたべました。酒店にかえったとき、ぱぱはここが安全じゃあないとおもうから、きいくるったみたいに、いすとつくえをどあのよこにおいてねました。