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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2019年6月29日土曜日

Day 07 廬山温泉と廬山部落

さて移動。またしても自強號。えへえへ。



そしてさようなら鐵道大飯店。洗濯機と乾燥機があったので、この宿を旅程の真中に挟んどくと着替えが半分で済んでいいかも。



いやあ~、明るい朝見てもやっぱええよな~台南駅の切符売り場。そして列車を待ちながら食うおにぎり。





台湾の台の字は、新旧どちらも許容されるのですね。香港の湾仔の湾の字みたいなもんか。





彰化で行けなかった扇形車庫に思いを馳せつつ、台中到着。本日はどこに行くかと言うと、



この6899番なのですわ。そして最終目的地はどこかというと…



じゃーん。こちら。ついったで拝見した香港在住の方の写真が素敵で、私も行ってみたくなりましたの。スナフキン夫に見せるとやつも乗り気に。まずは埔里まで行き、そこから廬山温泉行きに乗り換えです。自強号台中着8:40、バス台中発9:10、10時半ごろ埔里到着、温泉行きバスは11:25発でした。








いやその前に、台中→埔里のバスで見た「看不見的台灣」についても書き留めとこう。一部をチラ見しただけで、あまりの台湾みに目が釘付けになった。香港とはぜんぜん違う文化、風俗、人情。





正港與神同行!《看不見的台灣》
https://www.marieclaire.com.tw/lifestyle/movie/36557?atcr=66b619


鄭成功を祀る台南鹿耳門鎮門宮の宮守りが、鄭成功が「原住民に謝りたい」と告げる夢を何度も見る。鄭成功は台湾に攻め入ったときにこの鹿耳門の河口から水軍で入り、現在の台南と安平を攻め落とした際に、反抗する原住民を虐殺したのだとか。

台南鹿耳門鎮門宮主委:國姓爺託夢 願向原住民道歉
https://www.chinatimes.com/newspapers/20160811000598-260106?chdtv

鎮門宮和解法會 谷暮缺席
https://www.chinatimes.com/newspapers/20160815000447-260107?chdtv


鹿耳門鎮門宮は原住民を招いて謝罪のための法会を執り行ったが、この法会が逆に原住民(西拉雅族)の逆鱗に触れてしまう。鎮門宮の招いた原住民の宗教団体が(鄭成功に虐殺された)西拉雅族ではなく、服装や儀式・法器・用語も西拉雅族のものではなかったというのだ。

鎮門宮替鄭成功辦法會道歉 原民:找神棍團體亂搞
https://www.chinatimes.com/realtimenews/20160816004190-260405?chdtv

鹿耳門鎮門宮のフェイスブックが炎上(現代的ですね)、宮守りの男性は意気消沈してしまう。そこで西拉雅族の神である阿立祖をおろせる霊媒と、鄭成功をおろせる霊媒とその通訳者の三人が集まり、お互いに話し合って理解を深め、

《看不見的台灣》一窺通靈民俗,媽祖國姓爺阿立祖眾神明背後指導
https://www.marieclaire.com.tw/lifestyle/movie/36557?atcr=5592a0

かつ、おろしてきた神様同士で話し合わせて再度の法会を執り行うという、そういう映画でした。何を言っているのか分からないと思うが、私もなんなのこれ…と呆然と見ていました。神降ろしや託言など、香港ではすでにほぼ失われた土着さがなんとも言えず興味深く。

【有雷影評】《看不見的台灣》看得見的溫暖
http://loory.tw/2018-06-16-89/

これで原住民問題の何が解決するとかは思えず、映画自体も漢人(って言うのかなあ台湾でも)の方にフォーカスした内容でちゃうやんそれとは思うので、主な感想はこのなんとも言えないVery Taiwanな味。特に興味深かったのが普段は主に「九皇子」を下ろすという女性。

記者大膽問通靈阿姐:九皇子在嗎? 答案讓人大吃一驚
https://stars.udn.com/star/story/10091/3207165


いやほんで更に驚いたのがこの女性、口寄せとか霊媒が本業ではなく、普段は何やってるかと言うとなんと公務員なんですってよ!こうむいん!しかも裁判所! 平日の身分は「最高法院檢察署會計室主任」なのだそうです! この台湾みの味わい深さに私は完全にやられた…

【上報人物】神界接訊人 林寶貴第二人生
https://www.upmedia.mg/news_info.php?SerialNo=42742


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さてさてそれでは、南投縣の山の中に戻ります。左の埔里から、右の廬山温泉へ向かいます。



これはおやつの鴨腎、10元。バス待ちの間に、鶏を半隻買ってバス停で手づかみで食べました。



来たのは普通の大きなバスで、風光明媚な山道を登ります。





一時間ちょっとで到着。わーい、吊橋だあ。吊橋からみる両側が、他所の国に来てるとは思えないほどの既視感。ちなみにこの吊橋の定員は30人。









廬山温泉の元の名前はMheub(馬赫坡)で、霧社事件の指導者であるMona Rudoは、この部落の頭目であったそうです。







景色を眺めながら道を歩いていたら、ミニバスが通り過ぎていった。あれはひょっとして廬山温泉で客を降ろし、本道との分岐まで帰ってきて更に山の上の廬山部落までいくやつでは。


急いで時刻表を調べ、どうやらそうらしいと見当をつけ、かつその便が泊まりではなく折り返すというところまで確認してから、バスが戻ってくるのを待って乗車。廬山部落は温泉よりもだいぶ上の方にあった。





奥の方に見えている富士商店で、この村のお茶を半斤買いました。



バスの折返しの関係から、滞在時間はわずか15分。



霧社で途中下車して散策。海抜1,148m。日本人には複雑な感情を抱かざるを得ない地名です。






日の暮れる前に台中に帰ろうとバスに乗り、ホテルを検索するも、週末なのでどこも倍額。ぎゃっ。適当に妥協して投宿、第二市場でおいしくご飯を食べて、パン屋で見かけた牛乳を飲んで本日は終了。