起床、しかし体が異様にだるい。ここ二日間の成り行きを考えるとまあ妥当か。3月24日には濃すぎる茶の飲み過ぎで二時間ほどしか眠れず、よく3月25日には空港ロビーの石張りの床で二時間ほど仮眠したのみ。その後ソファで一時何ほどまどろむもすぐ搭乗。飛行機で寝ればいいのに苦手の英語の雑誌を食い入るように読み、ビールを飲んできっちり酔っ払う。軽い頭痛をかかえたままバスの乗り、二時間半のバス旅の中、やはり一時間ほど眠る。到着後にミールスを食べてインドに帰ってきた!と実感し、シャワーを浴びて夜九時に倒れ寝、起きたら翌朝八時で、低血圧の一番ひどい時のように頭がぼうっとし、体が自分のものではないような感覚だ。
相棒は朝食を仕入れに出かけ、私はのろのろと起きだしてベランダの籐椅子に座る。いい眺めである。目の前にはインド洋、左手には背の高い尖塔を持つ真っ白な教会が建ち、さらに左へ目をやると、ごつごつした岩の岬が海の方へ突き出している。手前は漁村と椰子の木。海は明るい青。
私の印象に残るスリランカとインドの違い。
(1) スリランカでは野外の用足しを見なかった。12日間の滞在で2回だけ、一度は5歳ぐらいの子供だったし、もう一度は漁師が浜辺で尻を洗っているのを目撃、しかし落し物は見当たらなかったので海の中で済ませたかと思われる。インドでは砂浜や岩の上に落し物が異臭を放っていて、夕暮れの散策の興を削いでくれることおびただしい。都市、農村、漁村を問わず、一日必ず数度は現在進行形のやつを目撃し、かつ歩いている最中にも大小両便の確かな痕跡を嗅ぐことしょっちゅうなのであるが、スリランカでは全くなかった。なお、暗闇の中でどこならともなく漂ってくるこういう臭いを、中国語では諧謔を込めて夜来香(夜に芳香を放ちつつ咲く白い花の名)と呼ぶ。
(2) スリランカの車は、道を横断したがっている歩行者を見ると停車する!オドロキだ!日本や香港ですらこんなに停まってくれないと思う。インドや中国では横断したがっている歩行者を見るとアクセルを踏むのがデフォルト。
(3) カレーが辛い。とんでもなく辛い。今まで食べたどこのカレーより辛い。しかも具が少ない。ゆうべ久しぶりにTamil Mealsを食べて幸せだった…。しかも私の大好きなバナナの葉っぱの上にごはんをどさり式。おかわりも自由だったし、白米そのものもおいしかった。
というわけで、(1)および(2)においてスリランカが先行したにも関わらず、軍配はインドに上がるのであった。(なんの勝負だ)
さてさて、インド最南端、聖なるクマリの岬を見物に行く前に、ここを離れる切符の手配。列車駅でゴア行きの直通はないのかと聞く。無い。最も便利なのはバンガロール乗り換えだと。またバンガロールか。ま、いいや、じゃそれくださいと言うと、なんと明日も明後日もウェイティングリストが100番以上になっていて、席がまわってくる確率は随分と低そう。といって、この距離をバスで行くのはツライ(列車でも22時間)ので、何か別の方法はないかと相談すると、Trivandrum発バンガロール行きの今日の便ならあいてると教えてくれた。でも今日ってのはなあ。昨日そこから来たのに、今日またもどるのは馬鹿馬鹿しいし、だいたいまだカーニャクマリの見物を済ませていない。明日は?と尋ねると、明日夜Madurai発なら取れるというので、やた!それだ。まだ行ってない街だし、Maduraiの目玉Meenakusi寺院は見ておきたかったのだ。いいぞいいぞ。
Maduraiまではバスで7~8時間、朝のバスの乗れば観光の時間はありそうだ。Madurai発Bangarore行きの二等寝台を買い、バスターミナルへ向かう。ホテルかと思ったほど綺麗な建物でびっくり。実際、二階はリタイヤニングルームのようだ。Madurai行きのバスは午前中なら半時間おきにあり、8時発のスーパーエクスプレスとやらを買った。
出る足を確保したので観光に行く。博物館のエントランスフィーがたったの1Rpsで、えらいなあインド。岬は風が強く、満月の直後だけあって波が高く、海底の砂を巻き上げていて海が濁っている。岩だらけの海岸で泳げるような場所はなく、海パンを穿いてきた夫はガッカリ。海岸沿いに砂浜を探して歩くも、どこも例によってうんこビーチ。
部屋から見える白い協会まで歩く。周囲はクリスチャンの漁村であるらしく、いずれの民家もみすぼらしい風情であった。白くそびえたつ教会とは好対照だったが、まさにインドのこういった民を救いにきたのがインド現代のキリスト教であるわけで。インド聖地における異教徒の村。余所者が言及するには重すぎる歴史があるに違いない。