***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年3月30日日曜日

ハンピ遺跡


六時半に起床。昨夜の移動疲れでゆうべは風呂も入らずに死に寝したので、シャワーを浴びてしゃっきりする。相棒の起床後に、まずバス停からGoa行きのバスの時間を聴く。6時半、8時半、9時半の三本。鉄道駅は何キロ先かと尋ねると、一キロもないということだったので、リクシャに乗るほどのこともないなと歩き始めたらたっぷり3キロは先立った。くーっ。

そしてたどり着いた駅ではGoa行きの列車はないと言われ、無駄足ですごすごと引き返す。バスターミナルからHampi行きのバスに揺られること半時間、Hampi到着時には南インドの遺跡見物には最も避けるべきだと考えられる時間帯にさしかかろうとしていた。11時。腹が減っては歩けないので、Mealsを平らげてめし屋を出ると、南国の強烈な太陽がほぼ南中にさしかかっていまして…。なんて愚かな私達。


灼熱の太陽をいっぱいに浴びつつ、太陽熱を存分に吸収した岩の上を喘ぎつつ歩く。気をつけないとあっという間に熱射病だ。スカーフを頭からかぶる。相棒にも布を帽子がわりに頭に巻かせる。岩だらけの道を、あちこちに残る遺跡に寄り道し目をやりながら、ニキロほど歩く。やっとビッダラ寺院に到着。だんじり型の石造建築という面白い建物が、この寺院の一番の見もの。建物の脇に大きな車輪が付いているはず。だがそれらしい建物はない。む?あれはなんだ?バナナの葉のむしろで囲まれた工事現場を覗いてみると、案の定それがメインのし建築物であった。修復中とか。残念残念。しかし周囲の神殿の彫刻は素晴らしく、かすかに残る彩色が昔の栄華を偲ばせた。この神殿にかぎらず、Hampiの遺跡のほとんどが巨石を積み木式に、あまりかみ合わせなどもなしに積み上げるだけでできているようで、傾いたり崩れたりしているものが多かった。

川べりを歩いてバザールへ戻る。巨大なNandi(聖牛)像の横で一休み。このバザールは本来はNandiとゴプラム(南インド式の塔)の間を結ぶ石の回廊であったものが、周囲の住民が両脇の柱と柱の間に壁や仕切りをこしらえて自宅とし、前に店を出しているという愉快な門前町。ここから南に向けても幾つか見所がある。でかいガネーシャ像ともっとでかいラクシュマン(人獅子)像とか、ヴィシュヌ寺院とか、床に水を張ったリンが寺院とか。あたりの荒涼とした岩石だらけの風景はとても異様で、中国にはない風景だと相棒が言った。これは彼にとっては最大の褒め言葉のうちのひとつである。

山がすべて岩からできている。おそらく元はひとつの岩であった山が、過酷な気候のもとで風化し、こうなったのだろう。こんな場所でもひとは棲むのだなあ。夕方のバスを捕まえてHospetに戻る。よほど雨が降らない気候なのだろう。ホテルのレストランは中庭だった。羊肉のフライとビールを頼む。マサラ(カレー味のスパイス)を使っていない料理は久しぶり。満足の行く夕食だった。