***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2010年12月29日水曜日

day05 カタ・ジュタ観光

本日のツアーは午後からなので、朝は小僧のプール日。部屋で簡単な朝食をとる。


シャトルバスでさらに別のホテル(Pioneer Hotel)まで遠征。そこならビールを買えると聞いたからだ。バーで飲んでもいいのだが、母と夫は賑やかなところが苦手で、部屋で飲みたいそうである。


THE OUTBACK PIONEER HOTEL (Outbackとはオーストラリア内陸部をさす)


が、残念。Pioneer hotelでは、州の法律で12時までは売れませんと言われた。おまけに小僧が「このプールちっちゃいから、昨日のプールに行きたい」とゼイタクをぬかし、仕方なくSails in the Desertまで移動。しかし本日はXXXのため(聴き取れんかった)、public useは無しと断られ、結局Desert Gardensまで戻る。こういうのを中国語で白走了一趟と言う。


プールサイドの木のこずえでは、小鳥の恋のシーズンだった。




小僧と夫をプールに残し、昼食の支度。セロリとハムのスパゲティ、焼きトマト、ジャガイモのソテー、大量の生野菜、ミルク。小僧と夫が時間通りに帰ってきたので、昼食。手早く片付けて出発。




3時半にピックアップに来たのが香港のミニバス同じバスで、クーラーの効きがよろしくなかったが、大きなバスのツアーの半額なので文句はない。AAT Kingsのドライバーが「いかにもオージー」なタイプばっかりだったのに対し、このドライバーはひょろっと細くて長袖を着ていて、顔に日焼け止めを何度も塗り、運転席の窓に洗濯バサミでタオルを吊って、日除けにしていた。こういう人だってそりゃいるよなあ。

運転席後ろから見たカタ・ジュタ。



カタ・ジュタのWelpa Gorgeへ。2.6キロの谷を歩く。青空に赤い岩肌のコントラストが美しいが、何しろ暑い。本日も40度。私は灼熱のインドやらパキスタンを旅した経験から、結局こういうときは肌をなるべく隠して、頭から布をかぶっているのが楽チンだとわかっているので、クロップドパンツに風通しのよい長袖シャツ、棉のショールを頭にかぶって巻いていた。要はイスラム圏の女性のチャドルが一番合理的。そして濃いサングラスはマスト。

本日も空は青い。


谷にはささやかながらも緑があり、二箇所ほど泉があった。この荒涼たる光景の中で、なんと心が安らぐことだろう。しかしやはり母はへとへとのようで、やはり一時間コースにしておいてよかった。

谷から入り口を望む。



灼熱である。



きっかり一時間後にバスに戻り、乗車。カタ・ジュタを一望するLookoutへ。全貌を見渡せた。カタ・ジュタとは、現地語で「たくさんの頭」という意味だと言う。そしてウルルは「水のある場所」だそうだ。




ウルルへと移動。夕陽を受けたウルルは赤く染まり、凹凸に迫力のある陰影がくっきりと現れていた。その陰影は刻々と色と形を変えて私たち観衆を楽しませた後、日が完全に没すると同時にふっとかき消えた。後に残ったのはなにやら平坦な赤い岩だ。スポットライトが落ちたような、印象的な幕切れだった。













私がこの岩を目にすることは、この一生で多分もう一度はないだろう。



ミニバスに戻る。乗客はいろいろだ。兄妹がオーストラリアに留学中の台湾人家族。台湾話で話していたのでそれと知れ、写真を頼まれたときに夫が閩南話で返事をしたらものすごく驚いていた。イタリア人一家。パパママ3歳の男の子+祖父母。移民的な感じはしないが3歳の男の子が英語交じりなので、どこかの駐在員かと話してみると大当たり、香港在住だそうだ。


宿に帰り、夕食をカジュアルなGekko Cafeで。オーストラリアのビールを飲む。






が、部屋に帰ると母も小僧も夫も暑さにやられて具合がよろしくなく、夫に至っては風呂にも入れずにそのままベッドへ。おまけに「寒気がするからクーラーやめて」とまで言われ、夫の寝ている居間と私たちのベッドルームのクーラーは同一制御、砂漠の夜は気温が下がるとはいえ、それなりに寝苦しい夜をすごす。夫と母は薬を飲んで苦しそうな寝息で眠り、小僧は暑い暑いと転げまわり、私は扇子で小僧を扇ぎ、散々な一夜なり。