***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2010年12月31日金曜日

day07 大晦日を離島で

8時起床。本日は大晦日。本日の予定は離島ツアー。9時のタクシーで船着場(Reef Fleet Terminal)まで。着いてびっくり、夫がデイパックを忘れてきている。着替えその他が一切そこに!仕方がないので夫だけ取りに帰らせた。夫、無事帰還。

10時10分乗船。この船ではなく、後から来た大きい方の船に乗った。



10時半、グリーン島に向けて出航。温かい飲み物とクッキーの配給があり、Upper deckの前のほうの席に首尾よく陣取り、一休み。船は11時過ぎにはグリーン島に到着した。私たちはここで降りるが、この船はこのままさらにouter sea, Great Barrier Reefへ向かう。



11時半、底がガラスになっているグラスボートに乗って珊瑚礁見物。母は海に入れないので、これは乗ってよかったと思う。各種魚、さめ、エイ、海がめ、巨大イソギンチャクのようなスパゲティ・コーラル、いろいろ見られて楽しかった。しかし私は船に弱いので、この手の見物は30分が限界だ。

上陸するとなんと大雨。オープンエアながらしっかりした屋根のあるレストランに急いで座る。BLT, ポークリブ、白身魚のソテー、チップス。どれもちゃんとした料理で、BLTが意外な旨さ。

ビーチへ出てパラソルをデッキを借り、終日スノーケリング。大きな海がめ、法事のときに住職さんに出す座布団より大きなエイ、一抱えほどのナポレオンフィッシュ・・・。ビーチエントリーなので正直、珊瑚はそれほどでもなかったが、海の生き物は楽しかった。ま、母を残して別のポイントにも行けんし。小僧がスノーケリングに慣れてくれたのが収穫。使えるなら、今持っているおもちゃではなく、ちゃんとしたものをダイブショップで買ってやろう。

小僧よりちいさな日本人の男の子がいっちょまえにスノーケリングの器材をつけて、「いやー!帰らない!もっと見る!」と泣き叫び暴れていたのがたいへんかわいらしかったです。よっぽど楽しかったのね。

4時半の船で帰還。出発前に海の上からまたしても海亀、そしてけっこう大きなサメを見た。スノーケリング中にあのサイズにサメを見たら、人間には害がない種のだとわかっていてもパニックになるだろうなあ。

小僧、超元気で船の上でアイスのでかカップを食しつつ、ケアンズ帰還。船を下りるときにくっくりと虹が出ており、素敵な一日の締めくくりであった。しかし降りると大雨。市街地をぶらぶらする予定であったのだが、母が雨の中は歩きたくないと言うので、タクシーで宿へ帰った。





帰宿すると雨は小降りになっており、部屋のベランダから見えるプールで子供が遊んでいるのを見た小僧、濡れ濡れの海パンをはきなおして走っていった。


すぐに自己紹介をしたらしく、たいへん仲良く遊んでいるようなので帰ってくる可能性はないと考え、外食を断念。スーパーへ肉を買いに行く。羊肉ステーキ、ジャガイモのソテー、焼きトマト、野菜サラダをよういし、レバノンブレッド(全粒粉のケバブの皮)で夕食。

プールへ小僧を迎えに行く。いっしょに遊んでいたまっくろ兄弟はJohnとRon、オーストラリア人であった。(アボリジニではなく、メラネシア系ではないかと思う。)

ケアンズではアボリジニやメラネシア系をそのまま「ブラック」と呼んでいたのを何度か聞いたが、それがポリティカリーコレクト的に正しい呼称かどうかは不明だ。その後シドニーのオーストラリア博物館の展示でこの両者を包括した呼称を見たが、失念した。メモっておけばよかった。その後のお出かけで知ったが、ケアンズではブラックの家族をけっこうあちこちで見かけた。シドニーよりずっと多かった。そのかわり、チャイニーズがローカル・観光客ともにシドニーよりずっと少なかった。ブラックとホワイトの夫婦・家族、またはミックスだろうなという人もけっこういた。ケアンズのタクシー会社はWhite&Blackだかその反対だかいう名だったが、それがこれに由来しているのかどうかも謎。

当然ながら、アボリジニは砂漠の民だけではなく、熱帯雨林の森の民もいれば、海辺で漁労を生計の種としていた民もいる。このへんを下調べしてきていれば、多分今回のたびは私にとってもう少し興味深いものになっていただろう。