***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2011年4月16日土曜日

day01 Phuketへ出発

4:30起床!11連休の始まりナリ。

5:00発の始発バスでせこく空港へ行くつもりであったが、バス停の表示をよく見ると五時のバスは4/20-4/26のみの特別運行。仕方なくタクる。30分で到着。小僧、早起きがたたったのかおなかがゆるゆるになり、トイレにこもること15分。その間に母が電光掲示板を調べてわかったことは、Thai Airwaysのチェックインカウンターはいつのまにか第二ターミナルに移っていたのであった。ちんたら歩いて移動。ものすごい列ができていたので静かに驚き、あわてて並ぶ。やっとこさチェックイン。けっこうギリギリであった。

搭乗するとシートには個別スクリーンが無く、キャセイが当たり前だと思っている小僧はガッカリ。親子三人でとりあえず爆睡。途中で機内食をしっかりたべて再び寝ているうちに、なんだかあっという間にバンコク到着。国内線への乗り換えの時間が一時間弱しかないのにここでパスポートコントロールを受けねばならず、いやもうマジで冷や汗をかいた。空港内を親子三人どたどたと小走りで移動中に、免税店で友人がタイで起業したブランドのバッグを発見、しかし手に取っていると夫に怒鳴られダッシュ継続。なんとしてでも帰りに買わねば!

無事に国内線に乗り継ぎ、プーケット到着。空港からタウンまでタクシーで500B。途中で旅行会社に寄られたが全く相手にせず、1時間弱でタウンに到着。地図を見てかつて何度か泊まった宿が名前を変えたかなと思っていたのだが、一本隣の通りだった。SINTHAVEE HOTEL。漢字名があった。「新他威旅社」だそうだ。下の写真の木製の看板を食堂の壁に掛けてあったが、昔は表に掲げてたんだろうな。




かつての宿は広いのがとりえだったので、こっちの方はチェックインして狭さにびっくり。これで1200Bは高いなあ。朝食つきなのは助かるが。最上階の9階に通されたので、見晴らしがいいのは気持ちがよかった。プーケット市街を南に一望する。






とりあえず荷物を置いて街歩き。香港の河粉より幅の広い米の麺。南方の味だ。スープが濃いのが香港とは違う。





未練がましくかつての定宿へ行ってみる。相変わらずの素敵なロビー。ここの部屋は、今泊まっているホテルの二倍ぐらいの広さのはず。フロントで値段を聞くと、エアコンとホットシャワー付きで550B。うーん失敗。歯軋り。550Bの部屋は15年前は350Bだったはずで、たいして値上げをしていない。長旅をしていたころに泊まっていたのはフロントのある建物ではなく、敷地内をかなり歩いたところにある別棟のエアコンなし、シーリングファンの部屋で、200Bではもちろん水シャワーしかなかった。広々とした部屋にはソファセットがあり、ちいさなベランダからは隣の敷地の緑の木々に囲まれた洋館が見えた。洋館はクリームイエローの南洋植民地様式(Sino-Portuguese style)で、屋根だけがタイ式の素焼きの瓦屋根である。私の記憶は視覚と強く結びついているらしく、色をひとつ思い出すとずるずると記憶がたどれる。


夫はかつての外国人居留地で古い洋館に囲まれて育っているので、洋館をみるとことに落ち着く気持ちがするそうである。夫の生家付近の洋館はこんな感じ。




なつかしのホテルのはす向かいの旅行会社で、南タイ人らしく明るく愛想のいい女性から明日のツアーと明後日の船のチケットを購入。ジェームズボンド島行きの一日ツアーが1000B/人、ピーピー島往復の船が550B/人。どちらも子供は無料。

市場をぶらっと歩く。マーケットはありきたりだが、やはり面白い。それから1キロほど離れたロビンソンまで遠征。距離はさほどではないのだが、何しろ暑い。十数年前はピカピカのデパートだったロビンソンは、それなりに古びていた。一階においしそうなパン屋さんがあったが、こんなところでパンでもないので買わない。夫が忘れてきたゴーグル、小僧の日記用ノートとペン、リステリンなど。あと水をミルク。昼食に海南鶏飯。タイの海南鶏飯はあっさりしててウマイ。タイ風海南鶏飯で有名な香港の勝利小厨のは、おいしいことはおいしいのだがもっとごってりした味付けである。

清水祖師。福建安溪から招来した、道教のような仏教のような廟である。清水祖師は僧であるが、道教的な神として祭られている。前回の訪問時にも、ここで長い時間をつぶしたことを思い出す。ハンセン病の痕が手足に残る老人と、普通話で世間話をしたのだ。今回も夫が御廟にいた老人たちと話を始めた。今日は閩南話なので私と小僧は話に入れない。プーケットは潮州系華人の多いタイには珍しく、閩南系がマジョリティなのである。老人たちの話す閩南話は、かなり廈門口音に近い訛りだそうだ。もちろん私や小僧にはまったくわからない。



ホテルへ戻り、荷物を置いて街の反対側へ。ホテルの隣の薬局で蚊よけを探す。タイ全土共通で、薬局の親父は華人である。「Mosquito repellent」も「怕蚊水」も無理なく通じた。タイでも薬局開設には薬剤師資格が要るのかな?レモングラスの香りのオイルスプレーを購入。昔、カナダのメーカーの(1)蚊よけ、(2)日除け、(3)保湿の三つの機能を持つという万能ボディィローションを使っていたことがあるが、あれよりかなりいい匂いである。香港でも買えないかな。

夫が90年に始めてプーケットに来たときに泊まったOn On Hotel。映画「ザ・ビーチ」にも出てきたホテルである。味のある安宿だ。





老街(大昔のメインストリート)をぶらぶら歩く。プーケット市街でもっとも古いタウンショップが残る味わい深い通りである。泰華博物館があった。残念ながら参観時間を過ぎている。これはあとで必ず来よう。簡体字で「欢迎」とある。隣の敷地のマンゴーの大木に、実がたわわになっていた。







夕方の果物マーケット。タマリンドの実。




小袋に分けられた鷹の爪、ではなくて、大きめの袋にいっぱいに詰められた大きめの唐辛子。どっさり!






一旦帰って、ホテルの廊下のベランダから、西を一望。




夕食を取るのに適当な店をホテル近所で発見できず、清水祖師の近所まで歩く。夫が探しているのは屋台風の福建とか潮州料理屋。以前は安安旅社のはす向かいにうまくて安い店があり、毎晩食べていた。昼間ロビンソンまで行ったときに、その店と同じような店先を見つけたので行ってみた。大当たりドンドンドン!

記憶の中にある通りの、苦瓜の輪切りにひき肉をつめて「燉」した一品!うまー、うまー、うまー!小僧には中華茶碗蒸し。野菜を炒めてもらい、小僧はチャーハン、大人二人は白ごはん。ごはんと苦瓜って、夏に合うよね~。ガツガツ食ってたら写真忘れた。これは香港に帰ったら作ってみよう。合計300Bほど。

一日目にしては充実したいい一日であった。