昨日盛り場を歩いていて思ったが、琉球って呑み助には多分とっても危険な場所…。

さて本日は(歩けないので座って過ごせる)一日ツアー。まず唐人墓。明らかな閩南樣式なのは台湾の師傅が作ったからか。

裏の寄付金者名簿を見ていて気づいたことは、金額の単位が弗であること。たくさんの学校が寄付金を出してくださっていること。学校の数が意外と多いこと。

金額の単位が弗である件を隣りに立っていた人たちに話しかけてみたが、私が何を言っているかわからなかった模様で、多分「弗」という字も知らないのであろうし、私(や息子)と同程度の好奇心&発見を喜ぶ心というのを大多数の人に求めてもしょうがねえんだろうなと、上から目線で思ってしまった。(偉そう)
さて次は川平湾。追加料金を払ってグラスボートに乗り、珊瑚と魚とシャコ貝を見物。先っぽが青い枝サンゴ、じゃがいもそっくりなサンゴ、岩みたいな被覆性のサンゴ等、なかなか面白かった。乗ったのはこの船じゃないんだけど、ベタな名前なので撮ってみた。

丘の上にたいそうフォトジェニックな祠があり、写真を撮ってから名前を見ると、観音堂。しかし近づいてみるとしめ縄が張ってあるのである。天后宮にはだいたい天后娘娘と觀音娘娘が一緒に祀られてるのと同じようなもんですかね。



ポーザーおばさんの食卓というレストランで昼食。「ポーザー」を漢字で書くと包丁で、料理をする人という意味だそう。
この時の中国・香港人の反応が微妙でおもしろかった。ただのうみっぱた(川平湾)での滞在時間が一時間あったのに対し、「昼食時間は35分」とバスガイドさんが告げた途端、静かな衝撃が広がっていたのだ。(昼めしにたったの35分…)(ざわざわ…)(ざわざわ…)という感じ。きっとカルチャーショックだったのだろう。
ハンバーグと沖縄そばとゴーヤともずくとミミガーとチキアギー(つけ揚げ・さつま揚げのこと)


食後に再乗車。バスの中の「石垣島に小学校は何校あるでしょう」クイズで、皆さん3校とか5校とかおっしゃってる中で、私が二十校はあるんじゃないかなと言わなかったけど思ったのは、さっきの寄付金名簿に小中合わせてその位あったので、返還前にそれだけあったなら、少子化の今でももうちょっとあってもおかしくなかろうと思ったから。ほぼ当たり。21校だそうです。中学が十数校で、高校が三校。
それからバスガイドさんの三線弾き語りを聞く。お上手!声も素敵。文化だなあ。よく知られた新曲ではない安里屋ユンタの原曲と、恋人と引き裂かれて黒島から石垣に来て、死んで野底岳(ぬすくマーペー)となった女性の嘆きを歌ったつぃんだら節、最後は香港・中国人にサービスで「花」。
さて天然記念物で八重山の固有種である一属一種のヤエヤマヤシの群生を見物。根元が子泣き爺みたい。ヤシには年輪がないので、幹の輪上の筋で樹齢を数えるとか。ヤシとは言え、身はマッチの先っぽぐらいの大きさであった。



バスは島の最北端へは向かわず、首のようにくびれた部分の東にある丘、玉取崎展望台に登ってこのツアーは終わりになる。ビューポイントからの眺望。

島の北部のくびれた部分は、一番短いところで西から東まで200mしかなく、昔は太平洋側が荒れると東シナ海側へ、またその反対へと、刳船であるサバニを担いで陸地を越えたそうだ。そこでその地名を船越(ふなくやー)という。
陽光が差すと海が真っ青に輝きいかにも南国なのだが、香港から来た身には風が冷たいので、脳がバグを起こす…。普段みなみのしまに住んでいるので、石垣島はきたのしま…(意味も無く損した気分)

ふと下を見ると「売地」という札が立っててビックリした。買えるの、ここ。

このパイナップルみたいなのはアダンという植物。食べられないことはないが、別に美味くもないらしいです。熟れるといい匂いがして、コウモリの大好物らしい。スナフキンはこの植物は香港にもあるというが、私は見たことない気がする。

ツアー終了。バスターミナルで解散。焼き肉はもう食わぬと誓ったのに、また食ってしまったのだ。それもたらふく腹いっぱい。

