***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年2月8日土曜日

インドは濃ゆい

昨夜相棒のベッドで枕を上げたとき、ピーナッツの殻が残っていて、「誰や! ベッドで花生食ったやつは! 人間のやることとは思えん!!!」と相棒はカンカンに怒っていたのだが、やはり人間の仕業ではなかった模様。夜中、ビニール袋ががさごそ鳴る音で目が覚め、同時に悟った。ねずみだ。相棒は大胆にごーすか寝ているのだが、私はビニール袋が カサ と鳴るたびに目が冴え、まんじりともせず。

朝、涅槃仏を拝んで2キロほど散策。もういちど中国寺へ行ってみると、今日は100ルピーの部屋が空いているという。みせてもらうと、今泊まっているところより「少し」きれいだ。トイレが別で、全く離れたところにあるのが却ってありがたい。移ることにする。

ミャンマー寺に戻り、宿代としてのドネーションはどこに払えばいいのかと寺の作男に尋ねると、本堂二階の賽銭箱を示された。いくばくかを入れて荷物を中華寺に移し、めし屋で昼食をとっていると、ミャンマー寺のインド僧がやってきて、お布施はしたのかという。賽銭箱に入れたよと答えると、あれとこれとは別、宿泊の布施は自分に払ってもらわないと困ると言い出したので、ちょっと笑ってしまった。僧衣にもポケット付いてんのか。

この僧はゆうべ仏像を売りつけに来たときも、焼き物の仏像を「まだ旅は長いから、割れ物はちょっと」と婉曲に断ると、「割れやすくないよ、これは」と言って仏像を床に打ち付けてみせたのだった。やっぱりインドは濃ゆいなあ。

荷物も移してるのであっさり断る。スリランカ寺の仏塔に登って読書。すると塔の下にインド人がたくさん集まってきて、私を指してなにやらどうこう言っている。もしかして女性は登ったらアカンのか。しかし非難しているような口ぶりでもない。ようわからん。

一旦退散することにして、中華寺へ散歩に行く。今日はご住職がいらした。ベトナム系アメリカ人の女性で、中国語は全く話せなかった。