***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2010年12月31日金曜日

day07 大晦日を離島で

8時起床。本日は大晦日。本日の予定は離島ツアー。9時のタクシーで船着場(Reef Fleet Terminal)まで。着いてびっくり、夫がデイパックを忘れてきている。着替えその他が一切そこに!仕方がないので夫だけ取りに帰らせた。夫、無事帰還。

10時10分乗船。この船ではなく、後から来た大きい方の船に乗った。



10時半、グリーン島に向けて出航。温かい飲み物とクッキーの配給があり、Upper deckの前のほうの席に首尾よく陣取り、一休み。船は11時過ぎにはグリーン島に到着した。私たちはここで降りるが、この船はこのままさらにouter sea, Great Barrier Reefへ向かう。



11時半、底がガラスになっているグラスボートに乗って珊瑚礁見物。母は海に入れないので、これは乗ってよかったと思う。各種魚、さめ、エイ、海がめ、巨大イソギンチャクのようなスパゲティ・コーラル、いろいろ見られて楽しかった。しかし私は船に弱いので、この手の見物は30分が限界だ。

上陸するとなんと大雨。オープンエアながらしっかりした屋根のあるレストランに急いで座る。BLT, ポークリブ、白身魚のソテー、チップス。どれもちゃんとした料理で、BLTが意外な旨さ。

ビーチへ出てパラソルをデッキを借り、終日スノーケリング。大きな海がめ、法事のときに住職さんに出す座布団より大きなエイ、一抱えほどのナポレオンフィッシュ・・・。ビーチエントリーなので正直、珊瑚はそれほどでもなかったが、海の生き物は楽しかった。ま、母を残して別のポイントにも行けんし。小僧がスノーケリングに慣れてくれたのが収穫。使えるなら、今持っているおもちゃではなく、ちゃんとしたものをダイブショップで買ってやろう。

小僧よりちいさな日本人の男の子がいっちょまえにスノーケリングの器材をつけて、「いやー!帰らない!もっと見る!」と泣き叫び暴れていたのがたいへんかわいらしかったです。よっぽど楽しかったのね。

4時半の船で帰還。出発前に海の上からまたしても海亀、そしてけっこう大きなサメを見た。スノーケリング中にあのサイズにサメを見たら、人間には害がない種のだとわかっていてもパニックになるだろうなあ。

小僧、超元気で船の上でアイスのでかカップを食しつつ、ケアンズ帰還。船を下りるときにくっくりと虹が出ており、素敵な一日の締めくくりであった。しかし降りると大雨。市街地をぶらぶらする予定であったのだが、母が雨の中は歩きたくないと言うので、タクシーで宿へ帰った。





帰宿すると雨は小降りになっており、部屋のベランダから見えるプールで子供が遊んでいるのを見た小僧、濡れ濡れの海パンをはきなおして走っていった。


すぐに自己紹介をしたらしく、たいへん仲良く遊んでいるようなので帰ってくる可能性はないと考え、外食を断念。スーパーへ肉を買いに行く。羊肉ステーキ、ジャガイモのソテー、焼きトマト、野菜サラダをよういし、レバノンブレッド(全粒粉のケバブの皮)で夕食。

プールへ小僧を迎えに行く。いっしょに遊んでいたまっくろ兄弟はJohnとRon、オーストラリア人であった。(アボリジニではなく、メラネシア系ではないかと思う。)

ケアンズではアボリジニやメラネシア系をそのまま「ブラック」と呼んでいたのを何度か聞いたが、それがポリティカリーコレクト的に正しい呼称かどうかは不明だ。その後シドニーのオーストラリア博物館の展示でこの両者を包括した呼称を見たが、失念した。メモっておけばよかった。その後のお出かけで知ったが、ケアンズではブラックの家族をけっこうあちこちで見かけた。シドニーよりずっと多かった。そのかわり、チャイニーズがローカル・観光客ともにシドニーよりずっと少なかった。ブラックとホワイトの夫婦・家族、またはミックスだろうなという人もけっこういた。ケアンズのタクシー会社はWhite&Blackだかその反対だかいう名だったが、それがこれに由来しているのかどうかも謎。

当然ながら、アボリジニは砂漠の民だけではなく、熱帯雨林の森の民もいれば、海辺で漁労を生計の種としていた民もいる。このへんを下調べしてきていれば、多分今回のたびは私にとってもう少し興味深いものになっていただろう。

2010年12月30日木曜日

day06 ケアンズへ移動

8時起床。なんとか3人とも移動できる程度には体調を取り戻している。朝食に冷蔵庫のすべてをさらえ、10時にチェックアウト。小僧をプールへ追いやり、ロビーの大きなソファでうたたね。昼食をバーで簡単に済ませて、空港へ。しかし飛行機が遅れており、待合室で4人とも爆睡。ようやく飛行機に乗り込んで、砂漠に別れを告げてケアンズへ。

当初の目論見では明るいうちに到着して市内をぶらつくつもりであったが、ホテルについて荷物を置いたら夜8時で当然日が暮れている。宿代の節約のために市の中心から2キロほど離れたキッチンつきの宿を取っており、周りは真っ暗だ。機内食をしっかり完食したこともあって空腹感はないので、外食はやめて小僧と母をホテルに残し、またしても近所へ買出しに出かけた。

「徒歩10分ほどのところにコンビニエンスストアが」と宿のフロントは言ったが、行ってみると我が家の近所のどのスーパーよりでかい店であった。但し、酒類は置いていなかった。オーストラリアって、リカーライセンス厳しいのか。サンドイッチとサラダとヨーグルトの簡単な夕食。寝る。

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翌朝撮った写真。


小さいベランダ付き。プールが見える。


樹木性の羊歯が植わっており、新芽が蕨そっくり。でも巨大。

2010年12月29日水曜日

day05 カタ・ジュタ観光

本日のツアーは午後からなので、朝は小僧のプール日。部屋で簡単な朝食をとる。


シャトルバスでさらに別のホテル(Pioneer Hotel)まで遠征。そこならビールを買えると聞いたからだ。バーで飲んでもいいのだが、母と夫は賑やかなところが苦手で、部屋で飲みたいそうである。


THE OUTBACK PIONEER HOTEL (Outbackとはオーストラリア内陸部をさす)


が、残念。Pioneer hotelでは、州の法律で12時までは売れませんと言われた。おまけに小僧が「このプールちっちゃいから、昨日のプールに行きたい」とゼイタクをぬかし、仕方なくSails in the Desertまで移動。しかし本日はXXXのため(聴き取れんかった)、public useは無しと断られ、結局Desert Gardensまで戻る。こういうのを中国語で白走了一趟と言う。


プールサイドの木のこずえでは、小鳥の恋のシーズンだった。




小僧と夫をプールに残し、昼食の支度。セロリとハムのスパゲティ、焼きトマト、ジャガイモのソテー、大量の生野菜、ミルク。小僧と夫が時間通りに帰ってきたので、昼食。手早く片付けて出発。




3時半にピックアップに来たのが香港のミニバス同じバスで、クーラーの効きがよろしくなかったが、大きなバスのツアーの半額なので文句はない。AAT Kingsのドライバーが「いかにもオージー」なタイプばっかりだったのに対し、このドライバーはひょろっと細くて長袖を着ていて、顔に日焼け止めを何度も塗り、運転席の窓に洗濯バサミでタオルを吊って、日除けにしていた。こういう人だってそりゃいるよなあ。

運転席後ろから見たカタ・ジュタ。



カタ・ジュタのWelpa Gorgeへ。2.6キロの谷を歩く。青空に赤い岩肌のコントラストが美しいが、何しろ暑い。本日も40度。私は灼熱のインドやらパキスタンを旅した経験から、結局こういうときは肌をなるべく隠して、頭から布をかぶっているのが楽チンだとわかっているので、クロップドパンツに風通しのよい長袖シャツ、棉のショールを頭にかぶって巻いていた。要はイスラム圏の女性のチャドルが一番合理的。そして濃いサングラスはマスト。

本日も空は青い。


谷にはささやかながらも緑があり、二箇所ほど泉があった。この荒涼たる光景の中で、なんと心が安らぐことだろう。しかしやはり母はへとへとのようで、やはり一時間コースにしておいてよかった。

谷から入り口を望む。



灼熱である。



きっかり一時間後にバスに戻り、乗車。カタ・ジュタを一望するLookoutへ。全貌を見渡せた。カタ・ジュタとは、現地語で「たくさんの頭」という意味だと言う。そしてウルルは「水のある場所」だそうだ。




ウルルへと移動。夕陽を受けたウルルは赤く染まり、凹凸に迫力のある陰影がくっきりと現れていた。その陰影は刻々と色と形を変えて私たち観衆を楽しませた後、日が完全に没すると同時にふっとかき消えた。後に残ったのはなにやら平坦な赤い岩だ。スポットライトが落ちたような、印象的な幕切れだった。













私がこの岩を目にすることは、この一生で多分もう一度はないだろう。



ミニバスに戻る。乗客はいろいろだ。兄妹がオーストラリアに留学中の台湾人家族。台湾話で話していたのでそれと知れ、写真を頼まれたときに夫が閩南話で返事をしたらものすごく驚いていた。イタリア人一家。パパママ3歳の男の子+祖父母。移民的な感じはしないが3歳の男の子が英語交じりなので、どこかの駐在員かと話してみると大当たり、香港在住だそうだ。


宿に帰り、夕食をカジュアルなGekko Cafeで。オーストラリアのビールを飲む。






が、部屋に帰ると母も小僧も夫も暑さにやられて具合がよろしくなく、夫に至っては風呂にも入れずにそのままベッドへ。おまけに「寒気がするからクーラーやめて」とまで言われ、夫の寝ている居間と私たちのベッドルームのクーラーは同一制御、砂漠の夜は気温が下がるとはいえ、それなりに寝苦しい夜をすごす。夫と母は薬を飲んで苦しそうな寝息で眠り、小僧は暑い暑いと転げまわり、私は扇子で小僧を扇ぎ、散々な一夜なり。

2010年12月28日火曜日

day04 ウルル一周!

4時のwake up callで起床。無事ツアーバス上の人となる。申し込んだのは大手ツアー会社のAAT Kingsの英語ツアー。日本語ガイドが付かん分、安いので・・・。で、ほんとにアイアイティーって発音するのね。職員は漏れなく全員さわやかなクロコダイルダンディーという感じでした。

暗い中を出発。夜明け前にSunrise Lookoutへ。暖かい飲み物をサブレの配給を受け、日の出を待つ。刻々と色の変わる岩肌の光が美しい。







日が昇ったところで移動。ウルル(エアーズロック)の登り口へ。実はウルルへの登山は決して奨励はされていない。ここは現地アボリジニにとっては重要な聖地であり、観光客の登山は歓迎されているわけではないのだ。また登山にはリスクもあり、転落して怪我をしたり亡くなったりした観光客や、登山時・登山後に心臓発作を起こしたケースなどもある。そもそも私は高いところが苦手であるし、しんどいことは大嫌い。おまけに「アボリジニにとっては重要な聖地で登山は歓迎されていない」とか聞くと、わりと素直に納得してしまうほうである。しかし「死ぬ前にエアーズロックに登らなくては」は、歳とって何故か健康&運動マニアになった母の念願であり、母が登るならお付き合いはしようと思っていた。しかし・・・

本日、強風のため登山は禁止となりました。



正直うれしかったです(笑

そして肉体的には多分こっちのほうがしんどいかも、というウルル徒歩一周に挑戦。一周10.6キロ、泉のある聖地などへの寄り道を含めると、約12キロ。徒歩一周にチャレンジしてしまうと、おそらく9時半にはここに戻ってはこられないので、あとの案内つきツアーを断念してしまうことになるのだが、帰りの足自体は10時半、11時半にバスがあり、確保されている。いくらなんでも11時半までには戻れるだろう。

本日の一枚。




しかし気温40度。暑ぐてたまんねがったっす。



いやー。各人1.5リットルの水を用意したけど、ほとんどなくなった。六時半から歩き始めて、10時過ぎに元の地点に戻りました。へとへとですが、いい記念でございます。10時半のバスで帰宿。夕べの作りおきのトマトソースで手早くスパゲティを作り、セロリを炒め、グリーンサラダを用意して昼食とする。うん、満足。夕食はまた肉を食べよう。

母と夫は肉体的にバテてしまい、昼寝。しかし、朝4時に起床して40度の気温の中を未舗装の砂の道を12キロ歩いたというのに、小僧の野郎ときたら体力が有り余っている。仕方がないので別のホテル(Sails in the Desert)にある昨日行ったのとは別のプールまで遠征。 私はプールサイドのカフェで居眠り。水を頼んだら$9(HKD72)もして密かに泣いたっ。

夕方、部屋に戻る。入れ替わりに夫が買い物に出かけ、肉、野菜、ミルクなどを買い込んできた。目を覚ました母と散歩がてらツーリストインフォメーションを訪れ、母の体力をかんがみて明日のツアーを申し込む。カタ・ジュタ三時間徒歩コースを考えていたのだが、一時間&ウルル日没コースに変更。ガイドがあってもなくても結局一緒なので、現地までの足だけの安いツアーに申し込んだ。

夜は肉。夫が焼いた。早めに就寝。小僧に付き合っていると私の体力が限界。

2010年12月27日月曜日

day03 ウルル(エアーズロック)へ移動

Wake up callをお願いしてあったが、鳴らなかった。ケバブの皮にクリームチーズを塗ったくって、ミルクティーで朝食とする。満足。チェックアウト時にWake up callのことを伝え、それ以外は満足な滞在でしたと付け加えた。空港へ。夕べスーパーで小僧のオヤツを仕入れるのを忘れ、空港で小さいサイズのポテチを買うと$3.30。HKD26って!(衝撃)

ウルル(エアーズロック)行きの直行便は9月の予約時点で満席で取れず、アリススプリング経由便。トランジット時に空港レストランで$5.5のChips(揚げじゃが)を子供用サイズと考えて注文すると、でかい皿にてんこ盛りで出されて再び衝撃。オヤツという量を完全に超えています。

アリススプリングの空港にはバッタがたくさんいた。小僧は捕まえて遊んでいた。これはこれから数日、小僧の日課となった。

ウルル到着は13:15。到着して初めて知ったのだが、ここはシドニーとは時差がある。一時間半。より香港に近い。空港のシャトルバスでホテル群(Ayers Rock Resort)へ。最初のストップはDesert Gardensで、私たちが泊まるEmu Walk Apartmentもここでチェックインする。




部屋は広々としていた。が、値段($339=HKD2,712)から期待して多用な期待していたようなゴージャス☆感はなく、フツーのアパートメントのようで私と母ややガッカリ。夫と小僧は単純に広さが嬉しそうであった。広いリビングダイニング(ソファセット+六人がけテーブル)と小さいベランダ、フルキッチン、クイーンサイズベッドの寝室、バスルーム。但しバスタブなし。砂漠だしな。

台所が期待以上で、冷蔵庫も十分大きく、皿もフライパンも何もかもがそろっている。電子レンジも。つか、台所自体我が家の台所より広いです…。居間にエキストラベッドを入れてもらって、ここに夫。小僧と夫はさっそくDesert Gardensのプールへ泳ぎに行き、母は部屋で休憩。私は明日のツアーの確認と、スーパーの偵察。ツアーはOK。ここはそれぞれ趣を異にする5つのホテルが集まったホテル群で、広い敷地内に散らばったホテルをシャトルバスがつないでいる。スーパーは幸いにも部屋から歩いていける距離にあった。

スーパーはけっこう充実しており、酒類以外はなにもかもが揃っていた。酒類は現地のアボリジニ社会に対する影響が大きく、アボリジニへの販売は禁止されているという。ホテルのバーではもちろん飲めるが、持ち出し(店外への販売)ができるのはうち一軒のホテルにあるバーからだけだという。

とりあえず水を買って部屋に戻ると、夫と小僧も戻ってきたのでみんなでスーパーへ。夕食を料理することにして、本格的な買出し。何は置いても羊肉。ヨーグルト。パプリカ(赤・緑)、胡瓜、セロリ、トマト、スパゲティ、ひき肉、たまねぎ、全粒粉とナッツの食パン、バルサミコ酢、オリーブオイル、塩、等等。



買うにしたってこんなサイズの塩を買う必要は無かろう夫。結局、塩と胡椒は香港まで持って帰ってきた。真ん中のバルサミコ酢はスプレー式で、小僧が「サラダに虫除けスプレーかけてるみたいで変な気持ち」と。

母、土産屋で蝿よけネットを購入。頭からかぶるやつ。



小僧とパパはLookout(見晴らしのよい地点)まで日没を見に出かけた。








私と母は夕食の支度、なんでこんなとこまできておさんどん、と他人には思われるだろうが、私は普段料理がめったにできないので、これもまた余暇の楽しみなのである。



というわけで夕食はスパゲティボロネーズ(小僧用)、ヨーグルトに漬けた羊肉のステーキ、野菜サラダ、パン、紅茶。羊肉が予想以上にうんまく、食が進んだ。明日は4時起床なので早めに寝ることにする。

2010年12月26日日曜日

day02 シドニー市内観光



10時起床。雨。ホテルの窓から公園の向こうの聖マリア大聖堂を望む。



もう少し高い階だと、よく見えていい眺めだろうな。ホテルを出た並びにスタバ・サブウェイ・カフェなどがあり、カフェで朝食を取る。聞いていた通り、ミルク入りのコーヒーにLatteとかCappuccinoのほかにWhite Flatというのがあり、これが最も一般的なコーヒーなのだという。早速頼む。たいへんうまい。すばらしい一杯。

しかしながら4人で朝食を取ると$50を越えてしまい、うーんやはり朝食に毎度HKD400を支払うようでは二週間が続かないので、対策を考えねば。おまけにオーストラリアではクレジットカードの手数料を店側が負担しない場合も多く、払い手の負担となる。VISAとMasterが1.5%、AmexとJCBは3.5%とのこと。





シティホールとビクトリアビルディングの間を抜けて、ダーリングハーバーへ。水族館に行こうと思っていたのが、橋の向こうの海事博物館(Maritime Museum)沖に停泊中の軍艦が目に入るなり、小僧突進。






結局パパちんと軍艦二艘(現代の船と、木造のと)を見学しにいき、大喜び。私と母は外で座っておしゃべりしつつ、世界各地からの観光客ウォッチ。日本人意外とすくなく、最も多かったのは当然といえば当然ながら中国人。イタリア人30人ぐらいの団体が通り、どうも団体ツアーとかじゃなくて、全員親族のような感じであった。移民なのかも。

そうこうしているうちに、今渡ってきたばかりの橋の真ん中が外れて回りだした。船を通すという実用が目的なのか、観光用のショーなのかははっきりしない。




小僧、パパちんに引きずられるように出てくるも、私が「もうちょっと行ってきてええよ」と言ってやると、弾丸のように走って船に戻っていった。チケットもぎのお姉さんに、「僕は一回でたけどまだ見たいので、もっぺん入れてください」と交渉している姿が見えた。こういう努力は惜しまんやつ。私は腹と鼻の両方のぐらいが思わしくなく、旅行前のオーバーワークもあってちと疲れ気味。先進国は外出先の公衆トイレが綺麗なので助かりますね。

さてお次は水族館。鮫がいっぱい!ふわふわクラゲ。すっぽんはpig nosed turtleと言うのか…。ジュゴン。花模様の鮫とエイ。鮫の卵を初めて見た。黒い殻つきで、でかいムール貝のようであった。ユニコーンのようにあたまから角の突き出た魚。








満足して水族館を出て、ハーバーを見渡せるレストランで昼食。



大きなエビの甘辛炒め。ホタテのリゾット。チーズとトマトとパプリカのサラダ。イカのフライ。スパゲティ・ボロネーズ(小僧用)。チョコアイス(小僧用)。しめて$100なり。


タクシーを拾ってオペラハウスまで。



着いてから気がついたが、写真をとるなら対岸からだ。仕方が無いのでぐるっと一周。夕暮れの散歩は気持ちがよく、公園に沿った道を歩いて聖マリア大聖堂まで歩くと、日が暮れた。徒歩でホテルへ帰還。まあまあの一日であったといえよう。

この二日間のの感想。空港内の職員は白人が多かったが、接客業についているのは移民が多く、タクシー:北京人・どこか東欧系、ホテルフロント:広東人、コーヒーショップ:インド系、コンビニ:イタリア系、昼食のレストランはオーナーは白人系オーストラリア人だったが、ウェイターはいろんな人がいた。オーナーは観光客らしき客が来ると出身を聞き、その国出身のウェイターをよこしていた。私たちのテーブルには背の高いハンサムな日本人の男の子が来た。どのウェイターも見た目のよい若い男の子ばかりで、たった一人いたチャイニーズらしき女の子は、宝塚の男役のようなきりりとした短髪であった。

オーストラリアのチップというのがナゾで、接客業の給与がアメリカのように極端に低いわけではないので、これまで基本的にはなかったらしいのだが、最近の都市部のレストランではある程度をおくことが一般的になりつつあるという。一応10%置いてみたが、相場というか基準をはっきりさせてくれ!と言いたい。飲み物はカウンターでのニコニコ現金払いであった。

夜のホテル。することもなくテレビをつけてみた。クリケットが人気のスポーツであることは知識としては知っていたが、実際にテレビ中継を見ると全然じじむさくない編集の仕方なのでオドロイタ。アメフトかサッカーのように若向けの編集である。クリスマスデイの一戦でオーストラリア対イングランド、背が高く男前で育ちのよさそうな白人ばかりが出ていて、激戦を繰り広げていた。いやー、クリケットって激しいスポーツにもなりうるんですね。私の中ではゲートボールとおんなじ場所にあったので、正直すまんかった。


昼食が遅く、夕食を外で取る気になれなかったので、母と小僧をホテルに残してお買い物。ケバブの皮みたいなパン(後でLebanian breadという名だと判明)、ハム、トラウト(鱒?)のスモーク、ベイビースピナッチ(生食できる若いほうれん草)、バターの代わりのクリームチーズ、ミルク。しめて$16程度。スーパーをぶらぶらするのは楽しかった。



小さいバターが見つからずに代わりに買ったクリームチーズがクラフトの味気ないやつだった以外は、どれも満足なお味であった。ミルクが香港で飲んでいるUHTでないのでおいしい!

明日はエアーズロックへ移動だ。この部屋は狭かったが十分に清潔で居心地よかった。That's all I need!と言いたい所だが、核家族三人ならともかく、プラス母となるとまたちょっと勝手が違うなあ。なお、とんでもなく背の高い建物で、最上階がホテルとサービスアパートメント滞在者用のプール&sitting placeになっており、すんばらしい夜景であった。雨が降ってなかったらね。

2010年12月25日土曜日

day01 シドニー到着

六時起床、七時出発、タクシーで空港へ。9時20分の便で出発。

現地時間9時20分、シドニー着。空港は閑散としている。小僧はもっとラスベガスかタニアのような繁華街というか歓楽街というか不夜城みたいなところを想像していたらしく、ショックを受けていた。そして、「なんだか悪い予感がする・・・」しません。

タクシーの運転手が北京人であった。89年に出てきたんだと。いろいろあった年だわな・・・。ホテルまで夜間割り増しその他で57ドル。ホテル、ちっこくてビックリ。AUD140もしたのだが・・・。クリスマスだからしょうがないか。クイーンサイズ+シングルの三人部屋に無理やり四人。私と母と小僧が一緒に寝る。バスルームはバスタブなしのシャワーのみ。

向かいのコンビニで水を買う。2.5Lで$9ということはHKD72??? やっぱ先進国はふだん旅行している国と違って物価が高いのう・・・。10時過ぎてぶらぶらする時間でもないので、おとなしく就寝。長距離フライトで尻も痛いし。

2010年12月24日金曜日

オーストラリア もくじ

day 01   2010/12/25   シドニー到着
day 02   2010/12/26   シドニー市内観光
day 03   2010/12/27   ウルル(エアーズロック)へ移動
day 04   2010/12/28   ウルル一周!
day 05   2010/12/29   カタ・ジュタ観光
day 06   2010/12/30   ケアンズへ移動
day 07   2010/12/31   大晦日を離島で
day 08   2011/01/01   元旦を高原の避暑地で
day 09   2011/01/02   ケアンズ最終日
day 10   2011/01/03   シドニーへ移動
day 11   2011/01/04   ブルーマウンテンズへの一日ツアー
day 12   2011/01/05   博物館巡りの日
day 13   2011/01/06   帰還

2010年4月5日月曜日

昆明→香港

朝食を緑豊かなカフェで。小僧待望の「自助餐」は、ほどほどに豊富でよかったです。中国人も外国人も食べられるものが、一通りそろっていた。何人かの外国人バックパッカーを見たが、数は往時とは比較にならない。中国はもはや安上がりに旅行できる国ではない。

タクシーで雲南省博物館へ。パンジーの咲き乱れる花壇が美しい。




博物館を遠めに見やって目がハート型に。「滇越鐵路百年史大型展覽」ですと! 


プチ鉄な私大喜び。が、入り口に走りこんで大ショック。今日は月曜。博物館は休館である。ばかかばかばかー!中国の博物館は月曜はもれなくお休みなのに、なんで忘れてたの!ばかばかばかー!

今日は朝からここをじっくり見て、午後から鉄道博物館行って、時間があれば昆明市博物館に寄って、博物館三昧な日を過ごそうと思っていたのに・・・。私のばか。ショック。

仕方が無いので新華書店に行く。本を買う。私の興味の偏りが良くわかる。小僧は簡体字が読めないのどれもいらんというが、そろそろ簡体字でも読めるよう練習をしたほうがいいかしら。

   影印原本鄭和家譜校注
   羌戎老察記 -30年代西部人文探訪-
   宗教建筑
   親歷廈門解放
   雲南文史博覽
   普洱文化通覽
   拉薩舊史(1944-1949)
   難忘的這八年(1975-1982)
   三倍茶
   寺道之旅


ホテルへ戻り、荷物をピックアップして空港へ。旅の終わりはいつも気分が優れない。日程の制限の無い旅行をするチャンス、私の一生にまたあるのかな。

空港で、飛行機で、帰りのバスで、本を読みもって帰宅。また短い旅が終わった。


息子ちゃん日記
きょうのあさ、ビュッフェのあさ飯をたべました。それからはくぶつかんにいってみたら、てつどうの故事なのにしまっていました。おかあさんはてつどうがすきなのに、星期一はやすみのひでした。おかあさんがしょっくだといいました。それから新華書店にいって書とDVDをかいました。さいごにくうこうにいって、ひこうきのって香港にかえりました。

2010年4月4日日曜日

丘北→昆明

起床。白稀飯(白かゆ)をさらりと食して、出発。バスは廈門金龍車、かなりできのいい車であった。

09:37 丘北発
09:58 龍譚塞
10:12 丘北県境を通過
10:50 維摩
10:54 炭房
11:10 小稼衣
11:18 平遠街
11:28 阿三龍
11:42 賦落江
11:55 鎖龍寺
12:10 昼食休憩
12:30 休憩終了
12:37 大法車
12:41 下河口
12:57 弥勒県境に入る
13:15 八隊
14:03 石林県境に入る
14:25 路南
14:39 半載河入口
14:55 宜良
15:10 陽宗
15:20 松茂
15:23 小團山
15:24 王家營
15:27 科技園
15:35 兩面寺
15:40 昆明長途汽車東站

高速ではない道を走る区間で、荷物満載トラックに邪魔をされたが、6時間で昆明到着。昆明長途汽車東站でバスを降りる。えらい山の中にあるように見えたが、タクシーで茶花賓館まで20元ぐらいと、南站よりかなり近かった。運転手(女性)によれば、一番行きたくないのが北站で、道がまだ開通していないのにオープンしたものだから、未舗装のガタゴトの土の道を、延々と行かねばならんのだそうだ。

茶花賓館到着。わが青春のホテルである(やや嘘)。20年前に始めてここに泊まった。その後も何度かここで荷物を降ろし、20年後の今日は子連れで泊まる。我還有幾個20年呢?




1階のレストランが居心地よくしつらえられている。朝食はここでビュッフェ(小僧待望)である。


部屋をふたつ見る。200元のと260元のと。「あと100元のと120元のとがあるけど、あんた方は多分気に入らないと思うよ」と断言され、見ず。「條件肯定差一點而了。」とのことである。260元の部屋は、ダブルベッドとシングルベッドがあり、家族三人にちょうどいい。そしてソファセットがあって部屋が広々していた。最後の夜だし、こちらにする。




昆明ホテルの裏で遅い昼食。入り口に大きな酒甕があり、干し肉がたくさん吊ってある店にする。塊のまま干したものを臘肉、細く裂いて水分を飛ばしたものを干巴と呼ぶそうだ。羊の腸も干してあった。炒臘肉、たけのこ炒め、鶏腎とアスパラガス、炒飯などを食す。



櫻花ホテルは20年前にはオープンしたばかりのピカピカの日資ホテルで、中に小さなスーパーがった。そこで日本製の羽根付きナプキンを売っているのが女性の日本人留学生、旅行者に評判になり、留学中の街では入手できない留学生ばどは、ここでごっそり買い占めていた。ほかにも、ここでしか手に入りにくいものをいろいろ買い足すのが楽しみだったことを思い出す。

もはや5時、博物館に行くには遅すぎなので、ホテルへ戻ってくつろごう。くつろぎスペースもあることだし。

9時過ぎ、やや空腹を覚えたので下のカフェへ行く。フレンチフライズでもつまみながら一杯と思ったのだが、キッチンはもうクローズしたそうで食べ物はなし、大人はビール、子供はホットチョコレートで乾杯。明日は帰国だ。


息子ちゃん日記
きょうのあさ、ばすのって昆明にいくのに6時間かかりました。昆明についたとき、もう4時でした。酒店にとまってから、飯たべにいきました。飯をたべすぎたから、昆明飯店にいってうんちしました。ほてるにかえって、TVをずっとみました。それから10時ごろにれすとらんにいって、Hot Chocolateとびいるをのみました。ほんまはぽてとをたべたかったのに、なかったからたべませんでした。