***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2015年12月31日木曜日

Day07 ローマ観光

本日の予定はコロッセオ→バチカン→サン・ピエトロ寺院→サンタンジェロ→ローマ市内→スペイン広場、疲れたら帰る、疲れなかったら新年カウントダウン、以上です。

朝食後にメトロでコロッセオへ。すでにチケットがあったのでさっさと入れた。外側から見たまんまの内側、という感じ。こんなものが残っている国に住むというのはどういう気分なのであろうか。ぐるりと一周し、スーベニアショップへ名残惜しげな一瞥をくれてから、バチカンへ移動。

こちらは事前にネットで予約をしてあり、並ばなくてもいいのであった。駅から少しだけ歩いてバチカン美術館へ入場。例のらせん階段があった。美術館のあとは定められた参観ルートをゆく。システィーナ礼拝堂天井画!!! どこに目をやっても、ああこれ進研ゼミで予習したやつだわ、みたいな感想。審美眼に欠ける人間はしょうがないですな。昼食は美術館付属のカフェテリアで食べた。

午後遅い時間に外へ出て、さて次はサン・ピエトロ寺院…と思ったら、大晦日の本日は閉館日なのであった。なんてこと! 

ということは私の人生でサン・ピエトロ寺院に入るチャンスはこれで永遠に失われたのです。合掌。

サンタンジェロを渡ってローマ市内へ。サンタンジェロ城の前では、カソリック団体の参拝のみなさんがコーラスで歌っていて、ちょっと聞き惚れた。

ローマ市内をぼちぼち歩き、エスプレッソを飲み、歩き、ジェラートを食べ、ガゼッタ・デロ・スポルトを買って解読に励み、また歩き、しているうちにもう夕食時。いかにも観光客向けなカフェで適当なものを食べて飲んで、本日は終了。カウントダウンは待たずに、部屋に帰って寝ることにする。明日は午前中の列車だしな。

2015年12月30日水曜日

Day06 フィレンツェ→ローマ

朝9時20分の列車は5分遅れでフィレンツェ駅に入ってきて、8分遅れで出発した。ローマ到着は12分遅れ。まずまずの運行なのではないかと思うが、日本の基準ではだめなんでしょうなやはり。列車はエコノミーの料金でファーストをキャンペーンで買ったチケットだった。それほど違いのある席だとは思わなかったが、前席との間の余裕が心持ち広かったかも。

ローマ・テルミニ駅はTermination(終着駅)だからそういう名なのかと思っていたら、駅前にローマ皇帝の名がついた浴場(テルマエ)跡があるかららしい。

駅を出て今夜の宿へ向かうも、今夜は民泊でチェックインは二時からなので、連絡だけ入れて駅付近の見どころで時間をつぶす。道すがらのケバブ屋で軽食。こういう安いものがおいしい私の舌よ。浴場跡を探すも入り口が見つからず、脇の教会に入る。これは当たりで期待よりもずっと良かった。更に横に博物館があり、入ろうとするとフル荷物を見た警備員に犬を追うように追われた。

やはり荷物付きでは動きにくいので、早いが宿へ向かう。今夜の宿は看板も出していない完全な民泊で、全く普通のアパートメント。電話をすると全く英語が通じず、しばらくすると若い男性の声に替わった。別のところに住んでいるのですぐ行くとのことで、10分ほどで若い男女とおじさんがやってきた。背の高い男性がダビデ、女性がヴェロニカ、年配の全く英語を話せないおじさんがオーナーでジュゼッペさんだった。残念、マルコ三連発ならず。ヴェロニカがジュゼッペさんの娘、ダビデがボーイフレンドとのこと。

二間の部屋を頼んであった。手前の部屋にセミダブル、奥の部屋にダブルベッドが置いてあった。息子を手前の部屋に、私と夫が奥の部屋。どちらも緑豊かな内庭に面していて、静かで優雅である。イタリアの家は内装の趣味がとてもよいほか、水回りの出来がい香港よりずっと優れているという意外な印象。あと、当然ながら冬期の暖房完備なのがよろしいですね。

さてお出かけ。地下鉄Policlinico駅まで歩き、コロッセオまで乗る。出るなりコロッセオで迷いようがなくてナイス。フォロ・ロマーノは反対側。チケットを買おうとすると現金なしのカードのみ。そして「あと10分で閉まるから買ったらダッシュしろ」と無体なことを言われる。ダッシュするもフォロ・ロマーノの入り口がいまいちよくわからない。なんとか発見し、ほぼ最後尾で入場。合計24€だったのでひとり8€かと思ったら、よく見ると大人12€で息子は無料にされていた。アジア人は幼く見えるようだ。

予習していればよかったのだが、よくわからないおのぼりさんのまま見る。足場が悪いので、良い靴を履いてくる必要あり。山登り用の靴でよかった。閉場までねばり、追い出されるようにして出る。チケットは二日間有効なので、明日の午前をコロッセオに充てるつもり。

さて、フォロ・ロマーノの裏から出ると出たところがヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂とヴェネツィア広場があり、そこからVia del Carsoを北上して、アントニウス帝の円柱があるあたりで夕食。うまくもなくまずくもなく…と私は思ったが、夫はこの夜の夕食が一番気に入った模様。夫の舌は中華には安くはないが、非中華にはまったく効かない。まあでも、モッツァレラと生ハムの前菜はよかった。タンパク質の補給にもなったし。

レストランから歩いて程なくするとトレビの泉である。人でいっぱいだった。私は人混みが苦手なので群衆の外側で待ち、夫と息子だけが硬貨を手に降りていった。何を願ったのかは知らぬ。

この泉のすぐ東側にはイタリア国立パスタ博物館(香川県立うどん博物館、みたいな語感である…)があるので、もし私の人生にローマを再訪する機会があれば、是非行ってみたいところ。

一キロほど歩くと地下鉄バルベリーニ駅。ローマ・テルミナで乗り換えて宿へ戻る。トリプルで探した宿の中で一番安かったのがここのバスなしだったが、正月なので張り込んでバス付きの部屋にしたのだった。そうすると結構高くなって財布にツラかったが、部屋自体は素敵~だったのでヨシとしよう。

ローマの地下鉄のチケットの裏には、色んな絵が印刷してあって楽しい。ローマの鉄っちゃんたちもコンプリート目指して何度も買ったりするものだのだろうか。

今のところ困ったなあと思うのは食べ物で、中華を食べ慣れた身としては火を通した葉もの野菜をもりもり食べたくて仕方がない。あと肉。テイクアウトできる食べ物は炭水化物系ばかりで、これでは体がおかしくなってしまう。そして毎回ちゃんとしたレストランでご飯を食べられるほどの予算はないのであった。

2015年12月29日火曜日

Day05 フィレンツェ観光

本日はフィレンツェ観光の日。まずはドゥオモのクーポラに登る。日頃運動していない身にはめっちゃしんどかったです…。それと、高いところが怖い人は登っちゃだめ。私とか。

しかし眺めは良い。9時半から並んで入れたのは10時40分。その価値はまああった。まずは球形のクーポラを内側から参観して、それから内側の天井と外側のドームの隙間に設けられた階段と通路を通り抜けて上部へと向かう。晴れの日でよかった!

降りてくるとすでに12時近かった。昼食に向かう。昨夜、宿の向かいにお客でいっぱいだったレストランがあったのを見ていたのだ。昼のセットメニューが6.5€、8.5€、11€と格安だった。ローストポーク、チキン、ブロッコリの粒をまぶしたニョッキ、マッシュポテト、チーズのダンプリングなどなど。

食後はウフィッツィ美術館へ。何しろ短い滞在日数であり、並ぶ時間がもったいなかったので旅行前に予約していた。大人8€、子供無料、予約費用4€/人で計28€。私は満足したけれど、息子と夫はどうでもよかった模様。

カフェでお茶。当然といえば当然ながら、エスプレッソ美味し。立ち飲みのBancoというのは安く、座って飲むと倍ぐらいする。BancoはBank、つまり岸と関係ある語なのであろうか。

さて名所である橋を渡る。小さいアクセサリー屋が多い。私は香港の貴金属店、とくに地元民向けの店のショーウィンドウで欲しくなるようなものを見ることが殆ど無いのだが、ここでは欲しいものだらけであった。しかしそろそろこのを世を去る前の身辺の整理を考える歳になってきたので、捨てられないようなものは買わないことにする。本以外。そもそも物欲もほとんどなくなった。

さて夕食の時間となり昼の店に行くもいっぱいで入れず、そのへんのテキトーな店で食べて50€、うまくもまずくもなし。宿に帰り、風呂に入って寝る。明日はローマ。


2015年12月28日月曜日

Day04 ベネチア→フィレンツェ&ピサ

八時半に朝食をとり、九時半にはチェックアウト。一泊98€で98 x 2泊 =196、プラス3€ x 三人 x 2泊で18€、合計214€のところを210€に。

駅まで最短ルートで到着、時間はまだかなりあるので駅付近の教会を二軒見たあと、小僧リクエストによりバーガーキングで小腹を満たしてやる。セット7.9€ + ケチャップ0.1€。駅のトイレは1€。

さて今日のフィレンツェ行きは、ベネチアからローマへの列車を途中で下車することになる。列車予約時に思ったことだが、イタリア人にとって食事というのは大変重要なものらしく、食事の時間にかかる列車には空席が多い。ゆえにディスカウントの対象にもなりやすいと見た。軽食を持参して乗車し、列車で食べるとかは一応ありのようだ。

列車は7分遅れの13:37、フィレンツェに到着した。

宿は駅から一キロほど、ドゥオモの広場を通り抜けたところにあり、ロケーションは抜群であった。薄暗い階段を二階まで登った宿はドアを開けたところがフロントで、私達の部屋はすぐその脇だった。予約時にはバスルームのない部屋しか残っておらず、しかたなくそこを取ったはずなのだが、あてがわれた部屋にはシャワールームがあった。ラッキー!

部屋は十分に広く、ベッドも幅があり、居心地良さげである。道路ではなく内側の中庭に面していて静かなところもポイント高し。フロントで地図をくれて、めぼしい見どころ、スーパー、安めし屋などを教えてくれた。

さて荷物をおろして急いでピサへ向かう。駅へ戻る道すがら、テイクアウトのピザを買って歩き食べという行儀の悪いことをしながら急ぐ。駅で、自動販売機でピサ行き普通列車のチケット購入。飛行機のボーディングパスのように大きなチケットが出てきた。一人8.1€。

一時間ほどで到着。駅から二十分ほど歩いて橋を渡り、斜塔へ向かう。斜塔の横に大きな聖堂ほか幾つかの建物があり、敷地全体が壁で囲まれていた。ピサは昔、大学で有名な街であったので、もしかすると今より昔のほうが人口が多かったのかもしれない。

すでに夕暮れ近く、空気には霧が深い。私と息子は興味なしであったが(とくに私は高いところが苦手)、夫が斜塔に登るというのでおとなしく待ってあげることにする。斜塔ともう一箇所で18€というチケットを購入。まだ5時になっていないのに、6時からの入場チケットしか買えなかった。大聖堂や周囲の建物を見てまわった。ゴシックの大聖堂は中が素晴らしいよなあ。帰りの電車があるかどうかやや心配になったが、まあ大丈夫だろう。しかし日が暮れ始めた。

登って降りてきた夫を急かし、8時頃の電車でフィレンツェに戻った。夕食をレストランで。エトルリア風ローストビーフ、カルボナーラ、リゾット、トマトソース、ワイン、コーヒー、ティラミスで62.5€。ティラミスが絶品でござった。

部屋に帰る。朝食用に部屋に提供されている簡単なパック食品ではなんとも寂しいので、明日はどこかに食べに行こうかと思う。夫がガス入りのミネラルウォーターを気に入り、ごくごく飲んでいるが息子はだめみたい。大瓶が2€。

2015年12月27日日曜日

Day03 ベネチア観光

早朝四時前に目が覚め、六時過ぎに起床。朝食は8時15分からで、パンとチーズとハムとジュースとコーヒー。九時過ぎにリアルト橋を渡って、サンマルコ広場へ向かう。サンマルコ大聖堂の下の階はしまっていて、上層階に登る。金のモザイクドームを見物する。€3の大小同價。外に出て広場を眺めたりする。今日は日曜なので、しばらくすると下の階でミサが始まった。パイプオルガンと合唱の声が響いてきた。

二階展示室の「四頭の馬」をじっくり間近から眺める。二世紀から三世紀頃の作、もとはネロの凱旋門にあったというものがコンスタンチノープルの競技場に移され、その後十字軍の際にコンスタンチノープルを占領したヴェネツィア軍が略奪してきたもの。首の皺、顔に浮き出た血管、ものすごい写実である。

ドーム天井のモザイクは、西洋美術史の知識があればもっと楽しく見れるのだだろうが、私にわかるのはせいぜい聖アウグストゥス、グレゴリウス、ヒエロニムスぐらい。聖ゲオルギウスもいた。売店でポストカードを三枚と、栞を二枚買う。若いうちに来たかったなと、少し寂しく思う。そうするとまた違った人生になっているのだろうが。

さて隣のドゥカーレ宮へ移動。入場料は€18/Singolo、€11/Studenti。見ごたえはもちろんあり、こってりたっぷりの絵が続く。ドゥカーレ宮から運河をこえるて隣の獄への橋を渡ると、天国から地獄である。冬なので余計に牢獄が寒々としていて、ロンドン塔より怖かった。

気がつくと二時過ぎ、お腹がすいたのでレストランを探す。スパゲッテリアというコテコテな名前の店で、ピザ二枚とラザーニャとアラビアータを食す。息子、腹が減っていたのね。この観光地で€36、HKD300なら安いんだろうなあと思う。しかしこういうものばかり食べているとタンパク質が不足してしまう。考えねば。

サンマルコから見える対岸の教会はゴシック様式、中で祈祷が始まっていて、パイプオルガンの音が響いてきた。わあステキ。(文化を共有しておらず知識もないのでこの程度の感想しか湧いてこない)夕暮れの道を楽しく歩いて宿の付近まで戻り、そこから夜闇の中を駅までの道を予習する。案の定迷う。駅の付近でコーヒーやらワインやらホットチョコやらを飲み、今度は最短距離で帰れるよう再び道を探す。

帰りにスーパーマーケットらしきところに入る。トマトが安い!そこからやはり道に迷い、親二人が右に曲がろうとして道を小僧が左に進んだら、そこが宿だった。ヴェネツィア、迷路すぎだ。

宿は申し分ないほどきれいで、暖房もよく効いて暖かく、夜も朝も静かで大変よかった。ただ最初に宿を探すのが難しいので、初回は水上バスでS.Tomaに着くのが正解だと思う。

今日はよく歩いて足が疲れたので、風呂上がりに足の裏をよく揉んでふくらはぎを念入りにマッサージし、トドメに靴下を穿いて足の裏に小さいカイロを貼って寝た。非常に具合がよろしい。


2015年12月26日土曜日

Day02 ミラノ→ヴェネチア移動

本日はVeneziaへの移動日なのである。11時間ほどもぐっすり寝たので、時差ボケもなくすっきり目覚めた。朝食はコンチネンタルで、温州人の老板がおいしいコーヒーを入れてくれた。

出発。建物の中は十分に暖かくしてあるのだが、一歩外に出るとやはりとても寒い。駅でラテを飲んで乗車。








定刻通りの出発。車窓からの景色を楽しみにしていたのだが、霧で何も見えない。車掌さんが検札に来たが、黒の制服は襟と袖口にぱっと明るい赤のパイピングで、同系色のネクタイがなんとも言えず小粋なうえ、老眼鏡のフレームをまたおなじ赤で合わせてあってお洒落なこと、禿頭がなんとも言えずチャーミングな車掌であった。

途中でトンネルを抜けたあたりで一瞬とてもよく陽が差したが、風景はまたしてもすぐきりに戻った。

定刻通りにベネツィア・サンタ・ルチア駅到着。水上バスは7.5€で60分間有効、San Toma船着き場まで30分ほど。思ったより寒くて凍えそうな気候である。

心配していた宿はあっさり見つかり、事前にメールで貰っていたパスワードで玄関ドアを開け、中にはいった。


玄関のテーブルに今夜の客の名を書いた紙が折って立ててあり、広げると「アタナの部屋は階段登った左」とあった。オリエンテーリングかRPGみたいでおもしろい。

部屋はまだ清掃中だったので、荷物だけ置かせてもらってすぐにお出かけ。昼食を食べてから、路地を抜け、橋を渡ってサンマルコ地区へ。日の落ちる前にサンマルコ大聖堂にたどり着けた。壮麗。入るのは明日にする。ぶらぶら歩いているうちにゆっくり日が暮れた。




広場のカフェでコーヒーとホットチョコを飲んでから宿へ帰りかけるも、すっかり道に迷ってしまい、さっき通った道を正確に逆行することでなんとか宿にたどり着けた。聞いていたとおりの迷宮だ。

昼に€60も使ってしまい、おまけにたっぷり食べたので、夜は安上がりにピザで夕食とする。一枚€3.5、本場のピザはクリスピータイプが多いのかと思っていたら、その店のピザはどれもこれももっちりふわふわタイプであった。お腹がふくれた。

宿に戻ると宿主がいて、チェックイン。大変物静かなタイプの男性で、名はマルコ。次のフィレンツェの宿主の名もマルコだということはわかっているので、もしローマもそうだったらマルコ三連発である。

風呂に入って洗濯して就寝!

2015年12月25日金曜日

Day01 香港→ドバイ→ミラノ到着

24日6時半、山積している仕事をほっぽらかして退社。帰宅して風呂に入り洗濯をし、夫が用意してくれていた夕食を取る。8時過ぎに家を出て、8時20分ごろのエアポートバスに乗車。9時半到着。

各自手荷物とダウンジャケットだけ手元に出して、バックパックは預けた。チェックインカウンターでは菊パスと特区パスを出したのに、最初からがっつり普通話で応対され、私たちってそんなに全く香港人に見えないものなのだろうか。パスポートコントロールに入る前のチェックで息子が「まあ、うちのパパは怪しいよねえ」と私に言いながら係員にパスポートを渡すと、係員が「怪しくないですよ~」とまさかの返しで応じてきたので、参った。

さてチェックインカウンターではOverbooking気味なので、席バラバラでよければビジネスにアップグレードになるかもしれませんがよろしいですか?と。最終的なアレンジはボーディング時でないとわからないので、搭乗時のお楽しみ。(この会話、最初から最後まで普通話で変な感じ。香港もだんだん中国になってきた。広東語がサッパリ出来ない割に、寂しく感じる私である)

さて、少なからぬ期待とともに搭乗口に向かったのだがアップグレードはなかった。エミレーツは席も広いし座席も良いし、機内映画の種類も多いので特に問題なし。9時間でさくっとドバイ着。


ターミナルAは例によってたいへん広く、荷物はやっぱり預けておいて正解なのであった。オヤツを買ってみる。筒のポテチがUSD3、ペプシが1-2UAD?、マンゴーラッシーUSD7など。デーツのお菓子と、バクロワ?ヌガーみたいなナッツの入ったお菓子を売っていた。帰りに勝って帰ろう。缶のソフトドリンクはUAD1、ミネラルウォーターがUAD1.5、コーヒーがUAD3ぐらい。

さてドバイ発ミラノ経由NY行き便、A380に93人しか載ってません(って機長のアナウンスで言うた)。乗務員の皆様も暇で暇でしょうがないらしく、170センチの息子のところにクマのぬいぐるみとか赤いポシェットとか持ってきて、ニコニコ笑顔でプレゼントしてくださろうとするのであった。息子が流石に恥ずかしがって断ってた。席がたっぷりあるので、横になってぐうすか寝る。

飛行機は湾岸を北上してクウェート、イラク、シリアを避けてイランからトルコ上空を横断、その途中でイスファハンの南を飛んでる時に、右手に見事な雪山が見えた。ミラノにはほぼ定刻通りに到着。

入国カードも書くこと無くサクッと入国。ミラノ中央駅行きの鉄道駅は空港に直結しており、カウンターでチケットを買って黄色い機械で自分で検札するとすぐ乗れた。EUR12で49キロを50分ほど。


途中何度も結構長いこと停車したので、それがなければ30分ほどで着くのではないか。窓の外の風景はおもったほど目に美しくもなく、日本の都市郊外に意外なほどよく似ていた。ただし、グラフィティは日本よりずっと多い。

ミラノ中央駅到着。ターミナル駅はいい。常に好きだ。駅の正面出口にピアノが置いてあり、弾ける人が勝手に弾いていて、高い天井に音響が素晴らしかった。

駅から宿までは直線距離で1kmほどなのだが、少し迷った。ホリデーシーズンで店が閉まっているせいもあり、ずいぶん寂しくて夜には歩きたくない道である。到着。知ってたことだがオーナーは中国系で、温州人。地下鉄の乗り方を聞く。

Duomoまで出ると、まだ明るかった。広場に屋台が出ていて、バゲッドにお肉的なものを挟んだものを食べた。皆、ウチのバカ息子の半ズボンを見て笑っていた。








2015年12月24日木曜日

イタリア&ドバイ旅行記 もくじ(作成中)

Day 01  2015/12/25 香港→ドバイ→ミラノ到着
Day 02  2015/12/26 ミラノ→ベネチア
Day 03  2015/12/27 ベネチア観光
Day 04  2015/12/28 ベネチア→フィレンツェ&ピサ
Day 05  2015/12/29 フィレンツェ観光
Day 06  2015/12/30 フィレンツェ→ローマ
Day 07  2015/12/31 ローマ観光
Day 08  2016/01/01 ローマ→ミラノ
Day 09  2016/01/02 San Siroスタジアムツアー、ミラノ→ドバイ
Day 10  2016/01/03 ドバイ観光
Day 11  2016/01/04 香港着・出社&;登校