***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2024年11月26日火曜日

香港へ

朝食をやよい軒で。夫は焼き鯖定食に唐揚げ追加、私はカキフライと迷った末にちゃんぽん単品。












食後にチェックアウト、徒歩で駅まで戻って、首尾よくステラおばさんのクッキーの店を発見し、2400円分ぐらい買った。クレカの優待で無料(←重要)で利用できるプレミアムラウンジに行くつもりでとっとと空港に移動するも、LCC用のT2(第二ターミナル)からはラウンジには行けず、プレハブみたいな待合室でクッキーを食べながら本を読む。まあ、我々の旅だしな。

日本への旅はこれで一旦おしまいにするつもり。



2024年11月25日月曜日

名古屋へ帰還

私はもう一度ほっけ定食を食べたかったのだけれど、夫が歩きたがらず、ホテルの下のコンビニで30円引きのおにぎりを2つづつ食べて朝食とする。これはこれでごちそうなんだけど。(低い要求が幸せの秘訣)


















10時のバスに乗車して名古屋へ。名古屋→富山と同じ場所で休憩、ここで瓶入りのひるがの高原牛乳を飲んだが飛騨高原牛乳ほどはおいしくなかった。ちらりと見えているのはおそらく白山ではないかと思われる。


















さて今夜の宿はなるべく安いところを求めたことも有り、駅から1.5km、オフィス街の中にあって、観光客的には周りの見どころが何も無い。やよい軒があったので、遅い昼食とする。私はカキフライ定食、夫はほっけ定食。ほっけが好きなら朝食べればよかったのに。やよい軒はごはんとお漬物がおかわり自由なのが、夫の気に入ったようだ。


ぶらぶら歩いていると、証券会社の隣に射精産業があって嫌な気分になる。日本だねえ。(丸三証券の隣にファッションヘルス巴里)











栄まで歩いて三越やモンベルなどを見るも、食指が動いたものはなく、デパ地下の食料品店街はおもしろいけれど、お腹はまだいっぱいである。宿へ戻る。ロビーに居心地の良い場所が設えられていてソファがたくさんおいてあり、コーヒーとお茶が飲み放題で、漫画が本棚にたくさんおいてあった。ちょろっと座って部屋に戻る。夫はまた昼寝。やっぱ年を取ったなあ。私の定年後にも、もう長い旅行や難儀なところの旅行はできないかもなあ。

私は本を読み、夫はうんと長い昼寝をして、夜遅くにまたしてもやよい軒へ行く。夫はチゲ定食、私はまたしてもカキフライ定食。だって大好きだけど自分ではできないんだもん…

満腹で寝る。体に悪すぎ。




2024年11月24日日曜日

高山まちあるき

宮川朝市へ行く。橋のたもとの食堂で朝ご飯を食べる。焼き魚定食の魚はホッケでした。うんまい。お味噌汁は関西には無い濃さカラさ(関西ではしょっぱいことをカラいと言います)だった。


















今日は昨日とは打って変わってピーカン照り。





















このイチョウの木は葉の裂け目が深くて珍しい形。




















街の南のはずれの神明神社へ行く。階段を登ると紅葉と銀杏が盛りを過ぎていて、風にはらはらと散っていた。



















川べりの柳の木が手すりをのみ込んでいる。



















この日は気温が2℃ぐらいと(香港人の我々にとっては)とても寒く、川のそばのイートインで温かいものを飲んでほっと一息ついた。



















飛騨国分寺の大イチョウ。行基のお手植えで樹齢1250年ってあるけど、日本におけるイチョウの歴史を鑑みると多分それは嘘だな。




















ゆく当てもなくぶらぶらと歩く。よく保存された町並みが見事なものであるが、人は多いしキレイすぎるしでやや麗江ぽくて、観光客というのは勝手な要求が多いものですな。いくつかある造り酒屋には甘酒がなく、味噌の醸造をしているところにあったので、それを飲んで本日は終了。一杯150円ナリ。













2024年11月23日土曜日

金沢→白川郷→高山

朝食をがっつり吉野家で。11時のバスで出発。12時すぎに到着するも、祝日なので一般車が駐車場前で渋滞していて、高速降りたところからバス降り場までの1kmに30分以上かかった。

ようやく下車、まず展望のいい丘に登る。近道の階段を行くも、登りきったところにギャッというような札が出ていた。



















深刻度が昨日のヘビの比ではない! こんなんどうしたらいいの!

















しかし道は文句無しに美しかったので遠回りの車道は歩かず、同じ山道をもう一度降りて村に戻る。




















村の中の用水路の水は完全に透明で、鯉と鱒(ニジマス?)が泳いでいた。




















美しい和製ホビット庄である(ごめんなさい)




















5時20分のバスを予約していたが、キャンセルして4時20分のに乗った。このキャンセル分がややこしくて、ちゃんとリファンドされるかは、来月とか再来月にならないとわからない模様。(後記:ちゃんと返ってきた)

高山の理髪屋、シニア・大人・中人・小人、中人てなんだろ。中高生かな。















ホテルは駅・バスタの真ん前である。祝日の土曜なのですんげえ高かった。ホテルから十分ほどのスーパーで生牡蠣を3パックと白川郷というにごり酒を買って夕食とした。飛騨高原牛乳ウマ~い! 













2024年11月22日金曜日

富山→金沢

朝食抜きで金沢へ移動。なぜならネットで評判を何度か読んだ金沢駅の魚がし食堂というお店でお昼を食べたいからだ。でもここは11時開店に並ばなければかなり待つそうで、かつ売り切れたらさっさとお昼は終了になるという話なので、遅い朝食として食べるつもりなのである。

今夜のお宿は駅近く。本館と別館がある中サイズのビジホの別館を予約したが、レセプションにいた腰の低い(低すぎな感じ)の中年男性は私服で、たぶん雇われではなく経営者かその一族だなって感じ。

荷物を置いて、まだ11時までには時間があるので駅とは反対側にある市場を見物。蟹がたくさん出ていたが、すごい値段なので私達が食べられる値段ではない。それと、夫は茹でる前に死んでいる蟹は食べないのですでに茹でられているやつは判別がつかんから買い食いする気にもなれないとのこと。

さいですか。知らんけど。

11時に間に合うように駅に戻り魚がし食堂に並ぶも、すでにウェイティングリストで18番目である。果たして第一輪に間に合わず、ちょうど私達の前でいっぱいになり、更に30分待つことになったのであった。












まあでも待った甲斐ありましたよね。これが2,000円。下品なまでの盛りである。














かたっぽが2,000円でもうかたっぽが2,800円なのだが、どっちがどっちかわかんなくなっちゃった。正直違いがわからなかったので次食べる機会があればどっちも2,000円のやつでいいんじゃないかなと思う。次来る機会って。あっ片方は大きな巻貝がついてたからそれかな。

それからバスで兼六園へ。残念今日は雨なのよ。天気予報によれば明日も。




































雨で残念だったー   池の奥にちろっと見えてるみよし庵水亭というところで抹茶を飲んだ。我々にとっては破格の贅沢だ。お抹茶に和菓子がついて750円だけどな。


























この奥のとこどす。

















こんなことまでやってて勝てるわけねーよな大日本帝国(こんなとこの松ヤニ集めて航空燃料にしてたって)



















武家屋敷街を歩いて宿まで帰った。



















宿に戻るとレセプションの人が随分横柄な爺さんに替わっており、これはさっきの中年男性の父親かなあ。どっちにしろ明らかに雇われではない態度のデカさである。チェックインして暖かい部屋に入ると夫がさっそく昼寝。

夕方、目を覚ました夫が喘息の吸入器を何処かで落としてきたと言い出した。ダウンジャケットのポケットに入れていたという。脱いだのは昼食の魚がし食堂と、午後に抹茶を飲んだ兼六園。ダメ元で駅の食堂へ行って聞いてみたが見つからず。諦めて閉店前の調剤薬局へ駆け込むも、気の毒そうに処方箋無しでは出せないと言われた。

駅のドラッグストアで市販薬を当たってみてくださいと言われ、マツキヨで勧められるままに大正製薬の漢方配合の粉薬を買う。ネットで評判を調べると、頓服のように飲めてまずまずよく聞くらしい。24袋入りで2,000円ほど。これが効けば、旅の間はもちそう。

この騒ぎのせいで今日は23,138歩、15.23km歩いた。

 

明日の移動中のオヤツの甘物