***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2011年12月31日土曜日

day 09 クテゥブ・ミナールとジャンタル・マンタル

いやー、熱い湯って偉大ですね!グッスリ眠れました!

本日はデリー南郊の古都遺跡、クトゥブ・ミナールへ。がっつり両替を済ませ、パハルガンジからニュデリー駅構内の陸橋を越えて、線路の反対側へ。そこから地下鉄に乗る。ホテルからの最寄り駅は別の駅だが、乗換えがめんどくさいのでそうした。ま、私が鉄道のターミナル駅が大好きで、用もなく立ち寄ってみたいということもある。今思い出したが"Trains at glance"(インド鉄道局の全国長距離列車簡易時刻表)を買い逃して涙目だ。

南部に伸びる地下鉄は途中から地上に出た。列車にはケータイ&ノーパソ充電用のコンセントが複数あった。私が知る限り、日本以外の国ではモバイルデバイスの充電を出先(カフェとか)でちょこっとやらせてもらうのはごく普通のことなので、この方面では日本はかなり不便だ。

電車に揺られることほぼ半時間。クトゥブ・ミナール駅到着。遺跡までは2キロあるのでオートを拾う。30rps。門票は例によって250rps、ルピーがどっさりあるので、太っ腹でオーディオガイドを借りる。一台100rps。日本語を2台と中国語を1台借りた。

石造りのこの塔がクトゥブ・ミナールだが、見るものは他にもいろいろある。



外壁の装飾が美しいですな。


正面部分の装飾。


落雷を受けてしょっちゅう崩れ落ちたりしながら、数代の皇帝が引き継いで完成させたそうである。植民地時代にはイギリスから派遣されてきたインド総督が てっぺんにあずまやを付け足したりしたそうであるが、それはその後任の総督によってさっさとはずされたとか。はずされたあずまやは敷地内の別の場所にあり ました。




その隣のモスク跡。ここには何百年も錆びない鉄柱として有名な「デリーの鉄柱」がある。写真右下の棒。



柱にはサンスクリットの碑文が彫られています。


その訳文。



門のイスラム装飾の見事なことといったら!でも石に新旧があるので、これは多分修復済みですな。



回廊部分。こちらはインド風味。



やーしかし、ここでも小僧は善男善女の地元観光客の皆さんから被写体として引っ張りだこで、デジカメやカメラ付き携帯を持っている人がたくさんわらわらと集まっては小僧の写真を撮り出す場面があちこちで見られた。インドの衆、拙者の息子はそんなに妙な顔でござるか?



「是非ウチの子を抱いて写真を撮らせてくれたまえ!」という熱いリクエストにお応へしているところ。





その他の建築物。赤い砂岩と白い大理石のコントラスト、そしてそれを埋め尽くすレリーフ。







借りたオーディオガイドはたいへん役に立ったが、変なドラマ仕立てになっているのはちょっと閉口した。しゃべっているのも明らかに素人さんで、多分留学生とか、インドの文化庁的なところに出向中の公務員とかそんな感じ。こういうものは聞くのに時間がかかるし、外国語の固有名詞などは一度では覚えられない。もっと淡々と説明文を読み上げてくれるほうが助かる。もしくは紙を一枚配ってくれてもいい。


ふたたびメトロ(地下鉄)でラジブ・チョウク(コンノート・プレイス)に戻り、めっこをつけていた南インド料理やに遅いランチを取りにいくも、なんじゃこれは!というぐらい人が並んでいた。人気店だというのでお昼時をはずしたのだが、何の効果も無し。付近にレストランが無く、しかたがないのでKFCに入る。ここも満杯。気が付くと本日は大晦日、だから混んでいるのだろーか?


一食損した気分で次。ジャンタルマンタル(天文台)。ジャンタル・マンタルというのは、ヒンディでアブラカタブラ的な言葉だそうである。日本語では寿限無寿限無・・・みたいな感じですかね。

要は「天体観測用の天文儀器をそのまま建築物の大きさで作ってみました!」な場所。小僧大喜び。「なにこれ!わけわからん!!!」




ほんとはジャイプルにあるジャンタルマンタルが一番大規模で、世界遺産にも指定されているはずだが今回そこまで足を延ばす余裕がありません。

夕暮れのコンノートプレイスを、洋書屋を求めて歩き回る。人に聞きまくって発見。私と小僧で5冊の収穫。私はヒジュラの自伝、ラシュディの真夜中の子供たち、アショカ王の事跡に関する入門書。小僧はタンタン三話を一冊にまとめたハードカバーを2冊。


ホテルへ帰還。夕食を昨夜の店で取る。今夜はチキンビリヤーニとラムティッカ。そして大晦日なのでビール(インド産のキングフィッシャー)を飲みました。満足。




夜の投宿先。ライトアップしてます。

2011年12月30日金曜日

day 08 マトゥーラ博物館の至宝

激寒い部屋で起床。こんな環境でも熟睡できる自分を賞賛。本日のメインイベント、マトゥラー博物館へ行く前に朝食をとろうと下のレストランへ行くと、フロントが「レストランは休み」と言う。ルームサービスも無し。宿の前の看板の「レストラン併設」「24時間ルームサービス有り」という看板は引っこ抜いてしまえ。

少し離れた場所にあるもうすこしましな宿にいく。朝食をとれるかと聞いてみるとOK。たっぷり食う。博物館が開くのは10時半。インド時間なので30分ぐらいの後ろ倒しがあるやもと懸念し、10時ぐらいまでそこでコーヒーを楽しむ。それからサイクルリクシャーを拾って博物館へ。案の定開いておらず、向かいの公園を散策。学校が休みらしい男の子たちがドッジボールをしていた。小僧もまぜてもらった。



博物館前の露天チャイ屋でひといき。もはやどこにおいても、懐かしい素焼きの杯は見られない。いくらインドの手間賃が安いと入っても、プラスチックのぺらぺらカップの方がずっと安いからだろう。しかし素焼きは投げればいずれは土に返った。プラスチックではそうもいくまい。




じゃーん。カニシカ王が我々をお出迎えだ。



美しきかなグプタ様式の釈迦像よ。



頭部が失われておりまする。破壊されたか盗まれたか。



どこかにこのように頭部単体で残っていることを願うが、それはないのかな。この頭部はかなり有名なはず。どっかで見たことあるぞ。



今回印象的だったのはこれ。クベラ(宮毘羅)、つまり金毘羅(こんぴら)さん。財富の神様だそうでございます。いよっ、太っ腹!グプタ朝はクベラ信仰が盛んだったようで、クベラの像がみたことないぐらいたくさんありました。一方ヴィシュヌやシヴァは影が薄く、クベラに次いでたくさんあったのはスルヤ(太陽神)。現在の民間信仰でスルヤってのもあまり聞かないので、神様にも流行り廃りがあることがわかります。



時代が下がるほど、技巧が発達してきます。



小僧と私が気に入ったのはこれ。頭部が欠けているのが惜しいが、シマリスのレリーフ。写実的。



一方うちのおっちゃんが気に入ってたのはこれ。シヴァリンガ。写実的・・・




いやしかしワシはガンダーラ仏のどっしりモッサリしか感じがやはり好きだ。たまらん。これ悟り開く前やんなあ。ええなあ。



母のわきの下から生まれるシッダルタ。大昔にデリーの国立博物館で似たものを見た記憶がある。もっと細かい彫りだった。でもこれも悪くない。



断食するブッダ。定番。



これってギリシャ神話のアトラスだよね?ヘレニズムだな~~~




奥にテラコッタのコーナーがあった。型とその産物が並べてあった。おもしろい!


くっきり。



そしてそのテラコッタのコーナーで最も感動したのがこちら。素焼きのかかとこすり。



裏に首飾りを加えた孔雀の型押しがあります。何が感動したって、コレと全く同じもの(裏の孔雀は無いが)が、あちこちの道端で売られてた!



で、コレってグプタ朝後期のものだそうなのですよ。グプタ朝は西暦320年から550年ごろ。1500年ほど同じものを使っているのねインド人・・・買って帰ってこなかったことが悔やまれる・・・



小僧はこれも気に入っていた。ガネーシャと乗り物のねずみちゃん。



博物館の中庭。



いやー、堪能したわ。これだけのためにインドに来たとしても惜しくなかった。うっとり。




さて移動。マトゥラーへはバスで来たので、プチ鉄としては是非列車にも乗ってみたいところ。で、辛抱強く並んだ。とりあえず乗車券ゲット。しかし座席指定では無い。一人50rpsほど。バスの半額。オソロシイ。


プラットフォームでデリーへ行く列車を待つ。二時間ぐらい待った・・・。私たちの持つ二等座席の列車で席を取ることは完全に無理なので、列車員に断って寝台車に乗車。追加料金は90rps。適当に空いている場所に、先客に愛想笑いをしながら座らせてもらう。

ほどなくさっきの車掌さんが来て、追加チケットを切ってくれる。周りの乗客と話をする。窓際の商人はデリーの人。出張先から帰るところ。隣の団体は南インドからの観光客。読んでいた新聞がドラヴィダ系のまるまっこい文字だった。列車はきわめて高速でサクサク進み、乗ってしまえばバスよりずっと乗り心地がいい。

小僧が眠ってしまうと、窓際のデリー人が自分の寝台(上)を勧めて、この列車がデリーのどの駅に到着するかを教えてくれた。この人は面倒見よく、南インド人たちに駅についてからどう動けばいいかをことこまかに教えていた。私も注意事項のご相伴にあずかる。なんと駅にはプリペイドのタクシー&オートがあり、そこを利用すればぼられることはないそうだ。助かりますねえ。

デリー到着。下車。駅に到着し、しばしの間旅の同行者であった名も知らぬ人々と別離の挨拶をかわすともなくかわすのが、こういう旅のしみじみと趣深いところである。夕闇の中、オートを探す。三人プラス荷物みっつ、93rpsという格安でパハルガンジまで移動。もとの宿へ投宿。

静かな奥の部屋が満室で、ややうるさい道路際の部屋。1200rps。湯が出ればもはやよい。

しかしそれより夕食である。今日は遅くにたらふく朝食を食べたとは言え、昼食抜きでクッキーなどのみであった。

じゃーん。このあたり一帯で一番高いレストラン。



ラムティッカ、ラムのスペアリブ、ラムビリヤーニと、羊肉大好き家族の面目躍如である。小僧の頼んだチョコレートシェイクが激うま。相棒のラッシーも濃厚でよかったです。

熱いシャワーを浴びて就寝。小僧、風呂は四日ぶり。

2011年12月29日木曜日

day 07 マトゥラーへ移動

本日はマトゥラーへの移動日。遅い朝食を例の店で食べ、アグラ・フォート前のバス停から出立。


田舎道であり、牛車などもいっしょに通行中。


















馬車も。
 





高架下で開店閉業中の安メシ屋台。




途中で通過した皇帝の墓。名前忘れちゃった。

















途中のバス停で止まると、お盆の上にみじん切りの野菜にスパイスをかけてライムを添えたものを売りに来た。衛生的にもちろん手を出す気にはなれんわけですが、野菜カレー、ダール(豆)のカレー、全粒粉のチャパティ、乳製品を適量と、折々にこういう生野菜を食べていれば、すごく健康的な生活ができそうですよね。



















マトゥラー到着。なんというか、田舎町。


















投宿先を決めるのにけっこう手こずる。当初の心積もりの宿がなんと4000rps近く、部屋を見せてもらうと狭い上に猛烈にカビ臭い。カビは喘息もちの相棒とハウスダストアレルギー持ちの私には何よりの大敵なので、ここには泊まれない。サイクルリクシャーに連れられるままに数軒当たる。満室だったり予算に合わなかったり。面倒になって妥協した宿が結果的には最悪でであったが、どうせ一泊だし寝られればいいかと深く考えず、荷物を降ろした。

ホテルの周りには何も無し。ヴィシュラム・ガートへ向かうことにする。 ガートとは水浴びをする場所。バラナシが有名ですね。天気が悪く、寒い中を歩く。どこまで歩いても目的の場所にたどり着かない。道すがら何度尋ねなおしても、道を間違えているわけでもなさそうだ。

一時間近く歩いてやっと到着。アグラでアグラ・フォートとタージ・マハルとファテープル・シークリを見た小僧には、なぜ苦労してこんなところに来たのかわけが分からなかろう。正直私にも分かりません。(←ちょっと嘘。メインイベントは博物館。)

ヴィシュラム・ガート。ボンベイから来たと言う背の高い上品なインド人観光客に、「こんなとこに家族連れでツアーでも無しに来る外国人観光客は珍しい。」と言われた。ここはインド人的にはたいへん重要な聖地であるので、手放しに賞賛の口調だったが、どうも褒められた気がせんな。




















水べりから寺院を見る。サルがたくさんいた。



















食事を取ろうと、川べりを覆うように発達し、入り組んだ旧市街のバザールに戻るも、歩けど歩けど食事が出来るところが見つからない!運悪くサモサ売りの屋台などにも全く遭遇せず、小僧がぶうぶう文句を言い出した。子供が空腹を我慢できないのは仕方の無いことなので、たくさんある寺院なども見物したかったのだが、あきらめてホテルに戻ることにする。

















サイクルリクシャーの運転手の背中ごしに撮ったバザールの様子。道は真っ直ぐではなくうねうねと曲がり、迷路のようである。






パパイヤ売りの少年。ハイジャック防止のために機内持ち込み荷物に刃物を入れられなくなってから、旅行にナイフを持って行かないことが多くなり、こういう果物を買うことが減った。

















あっ、食べ物発見。揚げ物だろうか?甘いものだろうか?




















 ピーナッツ売り。

















 日が暮れてきた。右にモスクが見える。リクシャワーラーは汗をかいている。




















毛糸の帽子を被った花屋。
















  
りんご売りの向こうには素焼きの壷売り。

















本日のお気に入りはこちら。リクシャワーラー(輪タクの運転手)




























さてホテル到着。レストラン併設のはずなので行こうとするも、閉まっている。客が少ないので開けていないのだ。あたりをうろうろするも、食事が出来そうなところが見当たらない。7時になったらホテル前の屋台がチキンティッカとナンを売るというので、それを待つことにする。

チキンティッカ(180rps)を空腹に任せて4串たいらげ、窯ではなく、うつ伏せにした中華なべの上で軽く焼くスタイルのナンを食べて就寝。部屋は寒く、毛布は薄いので、全員ダウンジャケット等を着たままのフル装備でくっついて寝た。旅行なんか修行なんかわかりません。