***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2011年12月24日土曜日

day 02 New Delhi から寝台列車で Ahmedabad

起床。風呂。ニューデリー駅までぶらぶら歩いてみるも、ロクなめし屋が無く、ホテルに戻って食事。おいしくない。ああ、一食損した。ABFとIBFが150rps、ホットチョコレートが50rps、ラッシー60rps。

ホテルのレストランの外の席から見る朝のパハルガンジはこんな感じ。




ホテルはこちら。この一帯で間違いなくもっともよい宿であった。もちろんパハルガンジ(←安宿街)なのでタカが知れてます。




向かいには寂れたモスクがある。




さて、今夜の夜行でアフメダバードに向かうのでチェックアウトし、荷物を預け、オートでコンノートプレイスへ。20rps。祝日ということで、観光局はオフィスだけは開けていたけれど職員は一人だけ。デリーの地図をもらって、列車の予約を確認してもらう。RACステータスのままだったが、100%寝台はあると太鼓判を押された。国立博物館への道を聞くとメトロ(地下鉄)で二駅先という。乗ってみたかったので行ってみる。コンノートプレイスのあるラジブ・チョウク駅は乗換駅で、一方の線はそうでもないが私たちが乗る線はものすごい混雑だった。

メトロ下車。地上へ出ると通行人は誰も国立博物館の場所を知らず、仕方なくオートに乗る。結構あった。今日はいろんな学校の遠足日らしく、可愛い小学生~中学生ぐらいのインドの子供が、前の同級生の方に手を掛ける「電車」のポーズで長~いイモムシになっていた。

博物館!私の大好物のガンダーラ美術がたくさんあってヨダレだらだら。






その他の時代のももちろんある。技術的には後世のほうがもちろんすばらしい。しかし私はガンダーラ様式のヘレニズムなバタくささと、どっさりもっしりした感じが大好きなのよ。いやもちろん、ガンダーラ美術にだって繊細な表現はありますがね。例のFasting Buddhaとか。(ラホール美術館所蔵ののやつ、我が家の主寝室にはコレのポスターが。) ちなみに断食をしてる時点ではまだ悟りを開いていないので、ブッダと呼ぶのは間違い。Fasting Siddharthaと呼ぶのが正しい。

閑話休題。華麗なインド彫刻。




そしてインダス文明の部屋もあり、どの教科書にも載ってる「踊り子」とか、メソポタミアの神官の顔みたいなののとか、インダス文明といえばおなじみの、まだ解読されてない印章などがあった。








遅めの昼食を博物館のカフェで。カレー3種、スープ、しろごはん、サフランライス、ナーン、野菜、果物などのあっさりしたビュッフェ。100rps。おいしかった。

オートを拾ってインド門へ行く。↓インドの幸せな中産階級の記念撮影を横からぱちり。




今日は祝日なので、周囲を歩行者天国にしてなにか行事があるらしい。めっちゃ男前なインド国軍将校さん。膝下の白いすそよけがたまりません。



ぴし!




ビーチボール売り。




ビンロウ売り。




サツマイモをふかしたものにライムを絞って食べるようだ。




なんか揚げ物っぽうものが載ったお盆を頭に乗せて持ってきた露天商。




おおきな馬だか驢馬だかのぬいぐるみ売り。





インド人は色が黒く、彫りが深く、鼻が高い。一方わがムスコは・・・。すべてにおいてその対極である。おそらくムスコの顔は、インド人ににとってはめちゃ くちゃ珍しいのであろう。この日を皮切りに、ムスコは(デジカメとカメラ付き携帯を持っている)あらゆるインド人の被写体となった。

「おたくの息子さんと写真を取らせて欲しい」

インド滞在中に何度この言葉を聞いたかわからんぐらいである。そして北インドでは他人の子供に親愛の情を込めて「my son!」と呼びかける習慣があるらしく、ムスコはあちこちで声をかけられていた。これがその記念すべき一枚目。





夕刻、インド門を離れてパハルガンジに戻り、荷物をピックアップしてニューデリー駅へ。ああ、駅・・・。たまらん・・・。ウットリ・・・。




昔は掲示板に紙を張っていた寝台列車の割り振り番号表が、液晶掲示板になっていたのにはオドロイタ。三人分の寝台番号を確認する。無事取れていました。

乗車。載って始めて知ったことだが、おやつ、夕食、チャイ、朝食などなど、すべて料金に含まれていました。いい列車だったのね!




日記を書き、本を読んで就寝。