***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2011年12月25日日曜日

day 03 Ahmedabad, モスク・ジャイナ教寺院・階段井戸

起きて朝食を食べたらほぼ到着。9時半。オートでホテルを当たるも、クリスマス当日でデリーからの行楽客で一杯らしく、一軒目二軒目で玉砕。三軒目でようやく部屋があり、三部屋見て文句はあるものの、時間が惜しいので承諾。1700rps。荷物を置いて市内観光。

 ジャマーマスジッドへ。各都市に同じ名前のモスクがあるので、これって固有名詞というよりは一般名詞なのではあるまいか。「大寺さん」みたいな。
 広い中庭に手足を洗うための水場を持つ建物で、モスク自体は古びた石褐色の石造りである。内部には300本以上の彫刻を施された柱が並んでおり、ドームの寄木細工のような寄石造りが美しい。
 外壁の彫刻。
 ドームの天井の彫刻。
 装飾の意味もあるだろうが、実際これだけの石造の建物だと重量分散の意味からも柱は必要なのかも。
 ミラフーブ。(モスク内部の窪み) 必ずメッカの方を向いていて、ここへ向かって礼拝をする。
中二階がある。女性が礼拝をする場所(ザナナ)ではないかと思われる。



グジャラートは凧揚げの盛んなところらしく、モスクの庭でも子供たちが凧を揚げていた。
















次にアフメド・シャーのモスクを目指す。ジャマーマスジッドもアフメド帝が建てたモスクであるがこちらは一般用、アフメド・シャー・モスクは皇帝の個人用だそうである。

しかしたどり着かない。誰に言ってもたどり着かず、結局たどりついたのはアフメド・シャーの墓、およびアフメド・シャー妃の墓、であった。妃の墓は人が住み着いて、はんぶん民家になっていた。

諦めて先に食事。食堂た立ち並ぶ路地に入る。








このナンを焼く店で食べた。うんまかった。ムスリムかと聞かれた。(夫はヒゲを伸ばしているし、私は外国人なのにスカーフで頭を覆っている) ちがうけど、ムスリムじゃなきゃ食べさせてもらえないの?と聞いたら、もちろんそんなことはない。大歓迎だと。

鶏の唐揚げ屋。むむむ、魅力的・・・。

食後も市場をさまよう。これはグァヴァだろうか?

女物を扱うセクション。デリーとちがってサリー姿の人ばかり。

腕輪。たくさんつける。

蓮の花。サリーの着方が違うような気がするので、部族が違ってたりするのかも。

真剣に腕輪を選ぶ、知的な女性。

ココナツと花。お供え用?

クリスマス用の飾り付け。けっこうおおらかなんだ。

グジャラート名物、たこあげ用のたこ糸。









アフメド・シャーのモスクへは結局たどり着けず、あきらめてオートを拾い、郊外のジャイナ教寺院を目指す。グジャラートはジャイナ教徒の多い州である。門の装飾が素晴らしい。




内部は撮影禁止。回廊に座って幸せなひと時を過ごしていると、裸に近い体の上に金糸の織り込みのある布をまとった聖職者がやってきて、私たちに10rpsの新札を一枚ずつ手渡した。今日は午前中にちょっとしたお祭りがあったのだそうだ。よろしければ祭壇前でお祈りをなさってくださいとのこと。開かれた宗教だ。


すこしカジュラホのミトゥナを思わせるような腰つき。


神殿の外に立っていた塔。

外戚のの装飾は神殿ほど手が込んでいない。でもそれもまたよし。石が少し赤い。

さーてここから郊外の階段井戸のあるダラ・ハリ村へ移動すべく、リクシャを止めてガイドブックを見せて説明するも、運転手は全く知らないという。そのうちわらわらと関係ない人が集まってきた。よくあることだ。

結局通りかかった別のリクシャの年配の運転手が場所を知っているというので、それに乗る。集まってきた人々も皆ナットクした表情で散る。

ダラ・ハリ階段井戸到着!帰りの足がとても拾えそうにない村なので、リクシャにはそのまま待ってもらう。

柱と装飾が美しい階段を降りてゆくと、空気がひんやりと涼やかになり、やがて最深部に二つの井戸が現われる。

井戸部分を下から見上げたところ。井戸穴の周囲に優雅な回廊がめぐらされているが、そこには入れない。

同じ部分を上から覗くとこうなる。

そう、これが見たかったの。

井戸の裏には寂れたモスクがあった。左がモスク、右がこのモスクを建て、井戸を掘らせたこの領地の女領主の墓廟だそうだ。

墓廟の台座の細かな石彫の装飾。

入り口から内部を見る。正面に安置された棺には、カラフルな布がかけられていた。もっとも、墓標は近所の村人の納屋になっていて、壁際には季節はずれの農機具などが置いてあった。

モスク正面の写真をとっていると、前を掃き清めていた老人が顔をあげ、手招きをした。

私達が近づくと、モスクの正面入口横の小さな木門を開け、上に登るように私達を促した。

「ドラクエやー、ドラクエやー!」

モスクの上から周囲を眺め、老人と記念撮影をし、反対側の階段から降りてきたところ。

老人は墓廟の屋上にも登らせてくれた。そこからモスク側を見たのがこの写真。





予期せぬ楽しいオマケ的な出来事であった。

リクシャに戻る。年配の運転手はさすがに年の功、アフメド・シャーのモスクの場所を知っているという。市街へ戻るとマーケットの人ごみを抜けて、迷う様子もなくぴたりと入口の前につけてくれた。私たちは事前に取り決めた額よりも心持ち多めに支払い、運転手はさも当然という顔でそれを受け取った。気持ちのよい取引である。


アフメド・シャーのモスク。ジャマー・マスジッドとはちがい、スルタン個人の礼拝用だとか。

”モスクに残されたアラビア語の碑文によれば、このモスクはにスルタン・アフメド・シャー一世によって1414年に建立されている。このモスクはグジャラートのスルタンたちにの個人的な礼拝の場として使用された。アフメダバードにおけるもっとも初期の建造物のひとつである。”


靴屋さん。
チャイを飲むためのカップ屋さん。

タンドリーチキン屋さん。

はい、我慢できませんでした。夕食はここで。