***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2013年12月31日火曜日

day 11 ベトナム最終日

起床。宿の朝食を取らずに、とりめし屋に鶏を食べに行く。旨いとは思うのだが、香港の物価と比較すると安いとは思えない。茶碗メシに鶏が数切れ乗って35K、ということはHKD14か。

店を出て小僧の友達土産を買う。折りたたみの立体切り絵カード20Kx8枚、60Kx1枚、35Kx1枚。ちょうどHKD100ほど。チェックアウトし、荷物を預けてまたしても西湖ほとりのビル三階にある、眺めの良いHighland Coffeeへ。日記をまとめたり、写真を整理したり、今回の旅の話をしたりして二時間過ごす。

残りのベトナム・ドンでバゲットとコーヒーを買う。Mocaが250gで90Kx3パック、バゲットは一本5Kx3本。残りのドンは6Kとなった。HKD2ちょっと。

二時、予約していた車が来た。どこかのホテルの名前がついており、トヨタのヴァンの新車。小型タクシーを予想していたのでオドロキ。乗り心地は非情によく、渋滞に巻き込まれることもなく、45分で空港到着。チェックインはまだ始まっておらず、さっき食ったばかりなのもう腹をすかせた小僧がバゲッドをかじりながらカウンターの空き待ちをしていたところ、白人の家族に指差して笑われた。そういうことをするヤツはなに人であろうと間違いなく程度の低い連中なので気にしない。

チェックイン開始。小僧の学校の先生が一人旅をしていた…。ここでセキュリティチェックを甘く見て荷物を預けなかったら、パスポートコントロール後に痛い目を見た。三人とも蜂蜜の瓶が通らず、イミグレにパスポートを預けてもう一度チェックインカウンターへ。

行きと同じくむちゃくちゃマズイ機内食。小僧は私のぶんまで食べた。到着。帰宅。今回はなんだか感激のない旅行であった。やっぱ旅行は一人が最高。百歩譲って夫と二人。思春期の年齢に達した子供を連れて行くもんではないわいな。

2013年12月30日月曜日

day 10 ハノイ帰還 大食らいの日

七時半頃、ハノイに到着。来た時は裏門から入ったが、今回は正面玄関から出てサクッと緑の小型タクシーをつかまえる。ホテルまで50K、チップに10K。部屋が空くのが10時頃になるということで、ホテルに荷物をおろし、先に朝食をとりに出かける。Highland Coffeeで朝食兼ばらまきみやげの調達。250gのコーヒーを計20パック買う。朝食とまとめて1200Kほど。

昼食を例の小綺麗なレストランで。鴨とごはん+レモンジュース(私)、魚とごはん+ビア・ハノイ(夫)、スパゲティ・ポロネーズ+OJ+アイスクリーム(息子)で405K(HKD160)。

雑貨屋でヨーグルトを買う。6K~7K程度。豆乳の大瓶が20K。こちらはあまりおいしくなかった。ハノイには道端でお茶やコーヒーを飲ませる店が多かった。サイゴンではあまり見なかった気がするのだが、どうだったっけ。

道端茶屋に座り、甘いジャスミンティーにライムを浮かべたものを注文する。一杯10K。ヒマワリの種も10K、蝦片(揚げたえびせん)20K。ちょっとしたおしゃべりと時間つぶしにはいい。

することもなく、再びBackpacker Hostelへ一杯飲みに行く。Saigon Beer 30K、Sambucca 60K、OJ 30K。Margarita 110Kを頼んでみたが、こちらはスパゲティとちがってイマイチ。バジルがのってなくてガッカリだった。

小僧目当てのプレミアの試合が終わったので移動。マルゲリータはほとんど全部小僧が食べたので、私と夫は道端店で牛肉と鳩を食う。Biere Larueという見慣れないビールを飲む。あまりうまくない。しかしここの鳩は上等であった。全部で282K。小僧はさらにポップコーンの屋台へ行き、夫は蟹の屋台へ。それぞれ5Kと150K。

日が暮れてきた。夕方から道端に机と椅子を並べて、田螺と浅蜊の屋台が出ている。初トライ。田螺が大粒で泥臭さが全くなくておいしかった。浅蜊も香港のと違って油の臭みが全くない。どちらもレモングラスと生姜をたっぷり入れた鍋であっさりゆがいてくれる。浅蜊の鍋にはパイナップルスライスが入っていて、スープを飲んでみるとかすかな甘味が意外なとりあわせであった。

また別の道端飲み屋へ移動。Tiger Beer(大)が15K、豚肉のすり身揚げ50K、揚げ豆腐に塩胡椒で35K、コーク15Kなど。席を立とうとすると、道端で空き缶を回収している老婆がさっと小僧のコーク缶を取り上げつつ、ミネラルウォーターの瓶を忘れているのを指摘してくれたので、礼にいくばくか渡す。本日はコレにて終了。明日はハノイを離れる。そして私の一生でこの地を再訪することは、おそらくもはやないであろう。


真夜中の12時ごろ、ハサミを鳴らす特徴のある金属音が聞こえた。聞き覚えがあり、窓から外を見下ろすと、昼間にひまわりの種でライム茶を飲んだ時に、道のはす向かいで客待ちしていた自転車屋台の老人その人だった。あらかじめ焼いてあった肉をハサミで薄く切り落とし、生野菜と混ぜて薬味とソースで食べる小食らしい。一日あのように営業してどれほどになるのかと考えると、粛然としてしまうわけだが。ベトナムでは若い男が靴磨きの用聞きに回っているのもよく見かけた。中国沿岸部ではこの十年でほとんどみられなくなった光景だ。

2013年12月29日日曜日

day 09 Pac Haの日曜市

本日のイベントはPac Haのサンデーマーケット。也就是今回のベトナム旅行最大のイベントなり。6時起床、6時半に朝食をサクサクと済ませ、7時出発のはずがバスが遅れて9時出発に。二時間遅れたぶんのしわ寄せはもちろんマーケット見物の時間短縮である。10時にラオカイ到着、ここで荷物を降ろし、12時にパックハー到着。1時から昼食とのことで、見物時間が一時間しか無い。悲しくなってしまった。

マーケットに集まってきているのは花苗族ばかりのようで、美しい服飾。小僧には水牛市場がおもしろかったようです。水牛というのはぼーっとしているようだが、ちょっと目を話すとじりじりと角合わせを始めるので、そのたびに主人に容赦なく蹴っ飛ばされていた。



包子があったので買ってみたら、酒粕の饅頭であった。5K。よもぎ餅みたいなあんこ入りの餅を煎(油を引いた鉄板で焼いた)ものも5K。米の酒が10K、これはどぶろくではなく、沈殿・濾過を経た透明の酒で、甘みもほとんどなかった。麺などを食べさせる店で、麺の具の豚肉を50K分買い、楽しく食す。

とはいうものの、中国側に比べて総じて物価が高いという印象が否めない。ま、ツーリストプライスをぼったくられているのかもしれんが。マーケットの面積の三分の一ぐらいは観光客向けの土産物が並んでおり、やや興ざめではあったが、とはいえ交易の主体はあきらかに近隣から集まった苗族であり、水牛、鶏、仔犬、お香、はちみつ、薬草、米酒などなど、自宅で生産したものを自分で売りに来ている。ここでの自由時間が一時間しか無いのは残念なことだが、ツーリストも結構多いし、同様のマーケットであれば雲南・貴州・広西あたりで田舎を巡ったほうが’楽しいかもという気もした。

昼食をとり、二時半ごろ出発。四時半ごろにラオカイの中越国境で写真タイム。対岸に「中国河口」という表示が見えていた。豆腐花を10Kで買って食す。うっま!

駅前のホテルで列車のチケットを受け取り、発車までの時間を夕食とりつつ過ごす。中越戦争の説明を母と父から個別に受けた小僧、「パパの説明とおかーさんの説明がぜんぜん違う…」まあそうだろうな。一応おかーさんの説明のほうが世界標準だ。

列車は九時発のSP4、二番目に速い列車らしい。同室になったのはハノイの大学で刑法を教えているという女性で、ラオカイ在住の教え子たちがたくさん見送りに来ていた。ほとんどが警察に就職したのだという。一人はモン族、ひとりはザイ族で、ほかは京族(ベトナム族)だそうだ。ポリタンクいっぱいの米酒と、段ボール箱2つ分の野菜を持たされていた。

その女性にハノイ名物チャカというという魚料理を教えてもらった。一人前200Kほどで、西湖の近所に名物レストランがあるそうだ。Cha ca la vong - No.14 La vong Street

歯を磨きに洗面所へ行くと、行きの列車で一緒だった日本人家族に再会。明日の飛行機で日本に帰るそうで、ハノイ駅から空港へ直行だそうだ。







2013年12月28日土曜日

day 08 Sapa周辺村めぐり

9時、朝食をとってSapa周辺の村めぐり散策に出発。合計12キロ程を歩くことになる。途中、黒モン族の村2つ(Y LINH HO、LAO CHAI)と、ザオ族の村(TA VAN)をひとつ経由する。昨日と同じ黒モン族の女の子が案内してくれた。下りばかりが続くので楽ちんな行程だ。

モン族は中国では苗族に相当し、人口も多く、幾つもの支族に分かれている。Sapa周辺に住むのは黒モン族、明日行くPac Ha周辺に住むのは花モン族。黒モン族は黒をベースにした民族衣装に緑の刺繍を施し、緑のターバンをかぶった女性が多いが、年配の人は黒の円柱形の帽子の人もいた。花モン族は衣装全体にピンクや赤主体の細かい刺繍をいっぱいに刺している。

ザオ族は中国では瑶族だ。黒の衣装に赤のターバンや襟飾りをつけていることが多い。中国文化の影響が他の民族よりも大きく、漢字を使った正書法があると聞いた。


まずは車道を歩いてチケットオフィスまで。そこから脇の山道に入り、谷を下ってゆく。景色はよろしいが天気に恵まれず、霞がかかっていて、クリアだとは言いがたい眺めであった。景色自体は雲南や広西の田舎とそっくりだ。谷の両側が棚田である。


昼食を黒モン族の村で。鶏肉、キャベツ、目玉焼きが白ご飯に乗ったプレートランチ。おやつはバナナ。ザイ族の村から車道に上がり、車で街の中心にまで戻ってきた。

街なかを歩く。銀行で両替してから、常設市場の中の乾物屋ではちみつひと瓶150K、蜜たっぷりの蜂の巣250K/キロ、375Kを350Kに値切って購入。しいたけ半キロ250Kも。小僧がおみやげ屋で120Kのパイプを70Kに値切りたおして買った。寒い上に湿度が高く、吐く息が真っ白なのでタバコを吸う真似ばかりしていて、欲しくなったのだという。

ぶらぶらと外を歩いていると、道端で少数民族の女性たちが同じようなはちみつを売っている。蜂の子がぽちぽちと詰まっている蜂の巣をひとかけら買って味見をした。50K。採取の際に燻して蜂を散らしたらしく、ひどくスモーキーな味だった。蜂蜜の方は小ぶりのひと瓶が70K。

赤ん坊を背負ったLao Chaiの黒モン族の女性があきらめずにずっと一緒に歩いてくるので、根負けして絵はがきセットを買う。50K。これはベトナムで印刷しているのか、中国側で印刷しているのかどちらだろう。

寒さに負けてレストランに入り、早めの夕食を取る。ジビエがあるという店で、猪と鹿を頼んでみた。正直良くわからない。小僧は食べ慣れないものは全くダメなので、マルゲリータを頼んだが、なぜか真ん中に卵がひとつ落としてある謎のピザが来た。Bia Lao Cai、マンゴージュースで435K。ピザはうまかったが、マンゴージュースは酸っぱくて渋かった。Bia Lao Caiもイマイチ。

腹7分目ぐらいの気分で宿に戻り、もういちど食事をしに食堂へ降りる。糖度の低そうな米と野菜と少量の肉というメニューなので、健康には良かろう。体を温めるために(口実)Tiger Beer(大)30Kなぞを飲む。

食後に再び街に出て、Love Marketとやらを見物することにする。要は歌垣で、歌ったり踊ったりして配偶者を見つける場が観光になっているというわけ。昼間におしゃべりをしたところでは、みなさん16歳ぐらいで結婚し、数年のうちに第一子を設けているようなので、13歳、14歳ぐらいになると結構真剣に相手を探し始めるのだとか。そう小僧(←13歳)に話すと、衝撃を受けていた。

このクソ寒いのに大した人出があるわけもなく、観光客の方が頭数が多いほど。10人ほどの黒モン族の少年たちが、大きな篳篥(ひちりき)のような管楽器を持って踊っていた。観光局のようなところのアレンジなのだろうなと思う。一人が踊りだすと他の少年たちも一斉に踊りだし、最後にはぐるぐる回って終わる。

女の子がひとり、傘を広げて意中らしい男の子の前に立ち、傘を回しながら自分も回り始めた。男の子が女の子が回るのに合わせて篳篥を吹くと、見物の歓声も高まった。小僧はけっこう可愛らしいところがあり、羨ましそうにそれをみて「いいなあ、いいなあ」と言うておりました。

一時間ほど見て、帽子が回ってきたので小銭を入れて帰ってきた。帽子を回していたのが全然関係なさそうなベトナム人で、集まったものを無造作に少年たちに渡して機嫌よく去っていったので、あの帽子って少年たちが自主的に回したもんではないような気がする。

ホテルに帰るとバスルームのお湯は全く出ず、今日の分は終わってしまったらしい。本日は風呂無しで就寝。蜂蜜の瓶を洗濯物でぐるぐるまきにして荷造り。明日は荷物を預けて、パックハーのサンデーマーケットを見に行くのだ。

2013年12月27日金曜日

day 07 Sapa到着

列車は遅れている。朝、コーヒーを売りに来る。ベトナムコーヒーのはずもなく、砂糖とクリープ入りのインスタントコーヒーが20K。7時ごろ到着。外にでるとホテルの札を持ったお迎えが来ていた。前の列車に乗っていた客と一緒にVanにつめ込まれて、Sapaまで登りの山道を一時間ほど。

ホテルにつくと、荷物を預けて朝食。この先列車に乗って帰る日の夕食までの食事は、飲み物以外はすべて料金に含まれている。朝食は簡単なビュッフェ式で、ただし野菜や果物は少ない。少しでもビタミンの足しにしようと、飲み物を頼む。レモンジュース35K、OJ35K。

部屋の用意ができるまでの時間を、Tac Tac村への散策をして過ごすことになる。Tac Tac村への入場料はパッケージに含まれているそうな。ホテルから付けられてたモン族のガイドの女の子について行く。モン族らしい他の女の子・女の人がたくさんついてくる。子供を背負っている人が多い。

料金を払い、村に入るときに、ついてきていたやや違った風の服の子が、「私はこの村の人間じゃないのでここから先には入れないの」と言って帰っていった。藍染めの道具や、水力を利用した鹿威しのような粉搗きを見る。村を抜けて滝まで歩く。同じ道を引き返さず、ぐるっと廻る形で村の入口へ戻る。よく出来た散策コースであった。

ホテルへ戻り、昼食。十数種類のセットメニューが用意されており、ひとつを指定する形式。味はこんなもんかという感じ。昼食後に、バイクで山の向こうの滝のある自然公園まで行くオプショナルツアーに参加。自分で運転するならUSD5、のせてもらうならUSD9。自然公園の入場料は30K。

オートマしか乗れないので、後ろに乗せてもらう。手が冷たくて死にそうなり。なかなかスリルがあり、小僧はたいそう面白がっていた。先週降ったという雪が、まだ峠の道の両脇に残っていた。自然公園の遊歩道は手入れが悪いのか、それとも先週の雪で崩れたのか、滝へ到着するまでの道はあちこちが崩れていた。山登り用の靴を穿いてきたのは正しかった。滝自体にはさほどの感銘は受けず。


日が暮れるまでまだ少しあるので、街なかを見に行くことにする。街の真ん中の広場で若者たちがサッカーに興じていて、これってうちの近所の公共ピッチと全く同じ、寄り合い草サッカー。夜はしんしんと更け、気温はぐんぐんと下がっていくというのに、小僧はサッカー観戦から離れない。寒がりの母は付き合うのがツラかった。

ホテルに戻り、夕食。昼食と全く同じセットメニューから、別の料理を選んだ。Tiger Beer(大)30K、ホットチョコレート30K。日が暮れると死ぬほど気温が下がり、扇風機型の電熱ヒーターを150K/日で借りる。あとで知ったが、USDで借りたほうがオトクであったようだ。

2013年12月26日木曜日

day 06 ホーチミン博物館 一柱寺 など

朝食のテーブルでいっしょだったのがケベコワの女性二人。寒冷地も寒冷地からきてるのに、寒すぎてSapaをあきらめたという。ベトナムが寒いとは思ってなかったらしい。サイゴンから入ってベトナム30日の旅、私よりやや年かさかと思われる二人であった。

旧市街を歩き、詰め物が外れた歯をせめて守ろうとリステリンを購入。みかん一キロ50K、道端で飲むスイーツ2杯x1.5K。

ホテルに帰ってチェックアウト。同じ部屋を30日の分も押さえた。洗濯物が出来上がっていたので受け取る。一キロUSD1。この宿はビジネスライクな対応が好みで良かったです。夫婦で性格が悪いので、あんまりフレンドリーなところは居心地悪いの。

昼食を、Little Black Duckという2ヶ月前に出来たばかりのレストランで食べる。多分ここは最初に泊まったホテルの親戚ではないかという気がする。ホテルオーナーの妹がレストランのオーナーとか、そういうの。

アイスチョコシェイク65K、コーヒー30Kx2、スパゲティボロネーズ100K、豚三枚肉の土鍋焼80K、鴨肉炒飯80Kなど。そこそこのお味ではあったが、料理が出てくるのが遅いので、イラチの香港人家庭としてはなかなかツライ。お勘定のときに手作りクッキーを何枚かくれた。

が、盛りがお上品すぎて食べ足りず、すぐ横の道端屋台で揚げ豆腐とさつま揚げ。一口サイズに切ったものに各種ハーブを添え、ニョクマムにライムを絞ったものにつけて食べる。油がよく、豆腐はからりと揚がっていた。うんまい。

タクってホーチミン博物館まで38K、緑の小型タクが安くて良い。チケット25Kx2枚、学生はまたしても無料。中はなんというかなんとも言えない展示物で、おもしろいといえば面白かった。共産圏といっても中国とまたいろいろテイストがちがうのね・・・。




すぐ横に一柱寺。猫がいた。



外に出るとサイレンをやかましく鳴らしながらゆっくり走ってくるパトカーがいるのでよく見たら、後ろに十数台のベンツが続いていた。要人の移動らしい。後ろがすごい渋滞になっていた。





タクシーで湖のほとりまで帰る。50K。角のHighlands Coffeeでお茶。景色は良いが、空気は悪い。土産物屋で初のお買い物。シルク荒織のマフラーを100Kで4本買う。一本HKD40弱。

夜行列車に乗る前に夕食は済まさねばならず、あまり空腹でもないので例の鶏めし屋へ。鶏めし35Kx2、にゅうめんと鶏レバーのスープ30K、スープ無しの鶏フォー30Kなど。






さて出発。7:30-8:00ピックアップの車は八時過ぎにようやく来てくれた。さらにあちこち周り、客を満載して駅へ。正面入り口ではなく、裏口のようなところでチケットを受け取った。チケットは団体発行のものらしく、値段が書いていない。殆どの客は我々より一本早い9時頃発の列車で行ったが、私達はSP2というそれより50分遅い出発の便。四人コンパートメントで、ベトナム人ガイドの青年と同室であった。

珍しいことに日本人の家族が乗っていた。我が家と同じ3人家族、12歳の女の子連れで、奥さんのほうは中国語、英語、タイ語が話せるという。父親の方針で、子供の頃から語学を仕込まれたということだ。うらやましいお話です。

小僧がおやつを買うから小遣いクレというので100K札を渡したら、目の前にある小売り屋台ではなくホームの端にあるキオスクまで走りやがりまして、肝を冷やした。列車は10時前に発車。歯を磨いて寝る。

2013年12月25日水曜日

day 05 Hoa Lo Prison, 歴史博物館、革命博物館

起床。宿提供の朝食を下のダイニングで食べる。夫がそれでは足りず、宿の向かいに座っていた道端売りの老婆から、もち米に緑豆のマッシュを挟んで煎したものを一切れ10Kで買う。うまいが脂っこい。

ゆっくり歩いて湖畔を歩き、すっぽん池のすっぽん寺に入る。大人20K、学生10Kとあったが、何故か息子を見てチケットは買わんでいいと言われた。中に入るとなんか見たことない漢字がたくさんあり、あれは異体字なのか越字(チュノム)なのか謎。書いてある文言(漢文)は標準的ではないような気がしたのだが、それって和臭ならぬ越臭のする漢文だということだろうか。





それからぐるっと回って教会のあたりまで歩き、ハイランドコーヒーで軽くお茶。




タクってフランス統治時代の監獄跡まで30K。Hua Lu Prisonには火炉というぴったりな漢字が宛てられていた。ここでも息子は無料だと言われた。中で日本語学習中だというベトナム人に話しかけられた。



そこから歴史博物館までタクって20K、歴史博物館は二箇所の敷地に分かれており、ひとつは革命博物館とでも呼ぶべきもの。見応えあるのは本館のほうで、ベトナムの歴史を先史時代から全般的に展示していた。私の好きなチャンパ時代の石像のコーナーもあり、お得お得。

革命博物館は別料金。こちらは写真が多く、さほど見応えのある展示でもない。ここを見ている時に気づいたのだが、左下小臼歯の詰め物が撮れてなくなっている。朝、もち米を食べた時に、米に石が入っていた感触があり吐き出したのだが、どうやらあれが詰め物だったらしい。くっくー。旅先で歯の詰め物が取れるほど落ち着かず情けない気分になるものもない。とたんにさっさと香港に帰りたくなった。


が、帰るのは大晦日の夜で、翌日は正月、翌々日から出勤で、歯医者に行く余裕などどこにもないのであった。どうすべい。

さてタクって旧市街まで20K、昨日と同じ店でとりめしなどを食して合計200K、道端店でビールとピーナツなどを食して30K。Bia Hoiという地元ビールは一杯5Kという超お買得価格、(BarでTigerを飲めば30Kである)、しかしピーナツが20Kというのは納得いかんな。





今夜はこれ以上外で飲む気になれず、部屋でうだうだ。こないだまでとちがってなにしろ広い部屋なので、部屋自体の居心地が良いのである。だが9時過ぎに一人で外にでて街を歩き、一時間ほどうろつきまわって、とりあえずニベアとTempoを買って帰ってきた。ニベア45K、Tempo 1ダース53K。今日は簡単な朝食の他にはもち米の揚げ物と米の麺しか食べておらず、一方普段のデスクワークの生活よりはよほどちゃんと歩いているので、心地よい疲労と空腹感。


2013年12月24日火曜日

day 04 ハロン湾から帰還

クリスマスイブの朝、健康的に七時から朝食。半時間ほどで食べ終え、一人4ドルを払ってオプショナルツアーの猿島へ。手こぎボートに20人ほどが乗って岩に囲まれた内海へ行くと、たしかに猿がいて、観光客の投げるバナナやパンを受け取っては食べていた。ニホンザルと殆ど変わらない顔つきだが、しっぽが長い。




船に戻り、出発。カルスト地形の島々を眺めながらゆく。陽が温かい。午前にベトナム料理講座があり、春巻きだった。生ではなくて揚げるやつ。とはいえ、香港の戸は違って薄い薄い米の皮で巻く。巻いて揚げて巻いて揚げて終了。私達には特に珍しいものでもないが、西洋人には物珍しいのかもしれない。しかし、普通に世界中の中華料理屋で出てると思うけどね。

昼食もあっさりしたメニューだった。健康になりそう(シツコイ

たまたま身の回りの小物にマラドーナのストラップをつけており、アルゼンチン人の女性に見せたら引きつけを起こしそうなぐらいウケた。「フットボールに興味のないアルゼンチン人でも、この男は特別!」と、同行のボーイフレンドを呼びに行き、見せるとやはり大受け。「アルゼンチン人の男は1000人のうち999人までがフットボールをするからねえ…」

男性の方は大学で教えている人で、台北でカンファレンスがあったのでロンドン経由で2日かけて極東まで来たのだそうだ。これから一ヶ月半かけて、アジアのいくつかの国を回るのだそうだ。ベトナムの次はラオス。

女性のほうがベトナム通貨の桁数の多さに閉口しているとこぼす。そこで私が事前に用意してあったベトナム・ドン/米ドル/香港ドル換算表(クレジットカード大)を見せると、テーブルに集まっていた全員から嘆声が漏れた。そのなかで一人、一人旅のポーランド人男性がニヤリと笑い、財布の中から同様の換算表を、しかもご丁寧にパウチまでしたものを取り出したので、みなで大笑い。皆さん同様に困っているのだ。私はその換算表を念のため4枚用意してあちこちに分散させてあったため、一枚をアルゼンチン人女性に進呈した。

船は行きとは違うルートを航行し、もとの船着場に戻った。上陸し、帰りのバスをかなり待ってからハノイへ向かった。途中のおみやげ屋で洋書がえらい安かったので、てっきり古本だと思って買ったら海賊版だった。The Story of Pieと、LPのLaos。ハノイに帰るとほぼ夕暮れ。

新しい宿で、先日見たとおりの部屋に入り、荷物を解く。




夕食。鶏を看板料理にしていると思しきベトナム料理屋があり、写真と値段の明記された大きなメニューを壁に貼っていた。半隻鶏160K、とりめし35Kx2、緑豆の麺30K、にゅうめんのような麺30K。うまいことはうまいが、香港や中国と比べるとさほど安いという気がしない。

道端に田螺やしじみを食べさせる屋台が出ており、しじみを一碗注文して座ると、隣に座っていた北方人の団体から、英語でどこから来たかと尋ねられた。香港、と中国語で答える。世間話をしたが、仕事である程度香港人と付き合いのある人らしく、私の話すのを聞いて生粋の香港人じゃないだろうと言われた。中国生まれだろうと。香港人訛りがないのだそうだ。

一方、夫の中国語にはひどい香港訛りがあるそうで、横で黙って聞いていた息子が大笑い。私の中国語は五分も話せば語彙や文法でボロが出るのだが、発音はマシな方なようだ。

クリスマスの人混み。バイクでいっぱい。




食べたら、クリスマスで賑やかなSt Joseph教会へ。人がいっぱいで、キレイにライトアップされていて大変よかったです。




道に迷いながら歩いきまわり、途中見かけた道端の甘いモノ屋台で、腹の弱い夫は念のために湯圓を選択するも、私と息子は涼茶ゼリーやらナタデココやらあんこやら緑豆あんこやらを氷に乗せて、シロップで割って食べるというベトナム甘ものに挑戦。ウマー。

ようやく戻ったHanoi Backpackers' Hostelでビールを二本飲んで宿に帰ると、フロントで赤ワインを振る舞われてさらに祝日気分。

浴槽は清潔で、お湯は三人分たっぷりと出た。








2013年12月23日月曜日

day 03 ハロン湾へ出立

7時45分にドアを叩く音で起床。朝食だ。ピックアップは8:00-8:30の予定だったので、急いで準備し、朝食を済ませて下へ降りる。シンガポール人5人、中国人二人、アメリカ人一人とミニバスに乗り、また別のピックアップポイントに向かう。イタリア人・スイス人・アルゼンチン人・ドイツ人などが同じツアーのメンバーであった。

高速などはなく、二車線の下の道を四時間のバス旅で、一時頃到着。渡し船でクルーズ船に移った。船の客室はおそらく計30ベッド程度、最下層が客室、中層が食堂、上層がデッキになっていた。含まれる食事は昼・夜・朝・昼の四回。




出発した船は昼食時間を含んだ数時間の航海の後、いくつかの島に囲まれた内海のようなところに作られた浮島の沖で停泊、一緒にくっついてきていた渡し船で浮島に渡る。カヤックのお時間。カヤックは二人乗り艇で、残念ながら私はあぶれた。シンガポール人家族の年配のご老人と二人、浮島でみなさんを待つ。夫と息子はずいぶんと遠くまで行ったらしく、最後の最後になってやっと戻ってきた。聞くと、トイレに行きたくなり、かなりはずれの方にある岩の裏側に回って上陸し、用を足してきたと。

さて、全員が浮島に戻ると、そこから程ない場所にある山洞へ。多少の階段を登って中に入ると、内部はずいぶんと広かった。内部を奥までぐるりと一周。どうみてもアレな岩にまっかっかの照明を当ててあり、小僧が喜んで写真を撮る。




本日のイベントはこれで終了らしく、洞窟の沖合に数えきれないほどのクルーズ船が停泊していた。我々の船も錨を下ろし、その場で夕食。昼食と代わり映えのしないメニューと味付けではあったが、健康的といえば健康的。ベトナムはお米がおいしい印象がある。普通のコメのはずなのだがもち米のような触感があり、香港ではあまりあたったことのない米だ。夕食には魚が一皿ついていた。さほどうまい魚でもない。




夕食が終わるとこの日はすることは何もなく、寝たり、レストランに座っておしゃべりを楽しんだり、デッキで星空を見上げたり。

2013年12月22日日曜日

day 02 軍事博物館など

起床。朝食はバゲット2本、卵料理二種、微かに塩味のついた濡米飯(もちごめ)に緑豆のマッシュをのせ、ピーナッツクランチを添えてバナナの葉にのせたもの、コーヒー2杯、レモンジュース。もち米の一品が素晴らしく良かった。この朝食は数種類ある中から前日に注文できる。




あるいて市場へ。農作物より、軽工業品の卸売市場という性格が強いようだった。つまり、我々にはあまりおもしろくない。テト(ベトナム旧正月)が近いらしく、中国と同じような年貨(正月用品)がたくさん並んでいた。

タクシーを拾い。軍事博物館へ行く。26Kドン。11時半で閉まってしまい、博物館内部は大して見られなかったが、屋外展示の各種戦闘機やら戦車やらがまずまず面白かった。




しかしながらそこから拾ったタクシーが雲助で、メーターを使わずに歴史博物館まで行くと400Kを要求してきたので、50K札を一枚渡してさっさと下りた。これでも払い過ぎ。エラ怒りで唾を吐かれ、息子がビビりまくり。

歴史博物館も果たして閉まっており、共産圏ではなぜこう公共施設を昼に閉めるのか。香港では昼に閉まっているのは町医者だけだ。

ブラブラ歩いてその辺の店でフォーを食べてみる。火の通った牛肉が50K、半熟のが40K。タクシーで宿まで帰る。メーターで15K。

フォーが息子の口に合わず、そのへんのカフェのようなところで息子だけ食べ足した。チキンバーガーを頼んだがどう見ても牛肉、49K。OJが22K。私と夫はコーヒー各20K。

別の店でさらにベトナムコーヒー、やはり20Kx2杯。Sapaへのツアーを探しに行く。Sinh Cafeと名がつく旅行会社が死ぬほどたくさんあり、もう本物がどれは全くわからない。本物のSinh Cafeツアーは泣いているだろう。そのうちの一軒にためしに入って聞いてみると、4泊5日でUSD160。Sinh Cafeを名乗らない別の店を当たり、接客中だったのでしばし待ってから同内容で値段を聞く。USD116で、行程と何が含まれていて何が含まれていないかをはっきり説明してくれた。こんなもんかという気がしたが、一旦座って考えることにする。




Hanoi Backpackers' Hostelという、よくできた若い外人向け宿の一階がBarになっており、プレミアリーグを見ながら考えた。タイガービア(小)30K、OJ45K、フライズ50K。決定。もとの店に戻り、支払う。



4時半と少し早いが、軽くベトナムごはんを食べてみる。もち米と鶏もも肉のチキンライス。生春巻き3本、生春巻きの輪切りにえびを乗せて甘辛いソースをかけたもの。コーヒーとソフトドリンクで125K。




現在泊まっている部屋が狭すぎて不自由なので、ハロン湾から帰ってきたら泊まる宿を探しに行く。一軒目がUSD140で笑う。二軒目、USD20の部屋は窓がなくカビ臭かったが、USD28の部屋は倍ほど広く、窓も大きくベランダも付いており、バスルームには個別の給湯器+バスタブありと、当方の要求をまんべんなく備えていたので、ここにする。

息子がプレミアリーグを見たがったので先ほどの外人向けBarに戻り、スパゲティボロネーズなどを食べさせる。90K。子供というのは食の許容範囲が狭いもんである。親の我々はビールやらBarcandyやらで息子の食事に付き合い、自分たちの食事は昨日の屋台へ赴く。ハト料理ほか計3品で286K。

宿に戻り、TVをつけるとNHKチャネルがあった。息子が久保田利伸を見て、「長友(インテル)かと思った」と。

ハノイは思ったよりずっと寒く、しかも宿の布団はとても薄いので、服を着込んで寝ないと寒くてやりきれない。私はスパッツをたくさんとフリースのズボンを持ってきているので、それを重ね履きして寝た。息子には私のぬくぬくダウンジャケットを着せ、布団を蹴っ飛ばして眠るのを防ぐため、私と息子が一緒に寝た。眠りが浅いらしく、一晩中布団のかけ直しで忙しかった…。

2013年12月21日土曜日

day 01 首都ハノイへ飛ぶ

当日朝から息子のバックパックを買いに行くという泥縄ぶり。そろそろ自分の全荷物を自分で担げる歳だ。國貨公司にはNikkoしかなく、45Lが700ドル弱、75Lが1000ドルほど。75Lはいくら何でも大きすぎ、かつ骨入りでかなり重い。新都城にバックパックにデイパックが付属した形のものがあり、フルオープンできて子供でも荷造りしやすそうなので、これにする。60Lほどで700ドル。

午後4時のフライト、2時15分に家を出るも30分過ぎまで空港バスが来ず、空港到着が3時20分、けっこう冷や汗を書きつつチェックイン。イミグレ前の荷物検査時に、私のビューラーが引っかかって手間取った。

今回利用はLCCの香港エクスプレス、機内食はものすごくマズイ肉入りパンで、私は食べられませんでした。息子が肉だけよけてふたつ食った。定刻通り到着、とりあえずUSD50ドル両替。夫がInformation Centreとやらで市内までのタクシー費用を聞いたらUSD25、黙って夫の袖を引き、事前に調べていたとおり、青い料金表示のある場所に並んでいるタクシーに声をかけると、350Kドンの公定価格であった。約US17。

空港は市内からエライ遠かった。住所をベトナム語で用意していた甲斐があり、ややこしい路地にある民宿の前にピタッと付けてくれて、高速代の別途請求やらチップの要求やらめんどくさいことを何も言ってこなかったので、20Kドンの心づけを添えた。

宿は予想通りのクオリティ。なにしろ一人USD6で朝食付きだ。ダブルベットとシングルベットが一つづつ、荷物の置き場もない部屋に、簡単なシャワー&トイレが付く。窓は大きく、ベランダには折りたたみ机と椅子があった。





時間が惜しく、旅行会社を回って比較することなく、宿の主人にハロン湾行きの手配を頼む。USD65とUSD130のパッケージがあり、当然ながら安い方にする。これ以上安いツアーも手配できるが、おすすめはしないとの事だった。USD65には飲み物と二日目午前のオプショナルツアー以外のすべてが込みで、食事・体験カヤック等は料金に含まれているとのこと。

荷物をおいて夕食へ。しかし方角がよろしくなかったらしく、一向にめし屋に行き当たらない。結局白馬祠横の汚い、しかしよく流行っている屋台で妥協。


炒飯2皿、ハト一羽、酸菜炒牛肉、ハノイビールで320Kドン。約HKD120と、あまり安い気がしない。


ぶらぶら歩く。女人街みたいに店が並んだ通りに出くわす。あとで聞くと土日しか出ない夜市だそう。宿に帰り、水を買う。1.5Lが20K。ベトナム人に嫁いだ広東人の女性が道端で調理済みのかにを売っており、夫が買う。100K。



サイゴンビア2缶とヨーグルトで80K。少しずつ現地での貨幣価値を把握。タバコ一箱は22Kとあった。これは買っていない。

夫と私は機嫌よくシャワーを使った。水は充分に熱い。めんどくさがりの息子はパス。しかしハノイは覚悟していたよりなお寒く、服を着込んで寝たが、私が窓側の位置で寝たので、体の片側だけ寒くて困った。



2013年12月20日金曜日

2013 北ベトナムもくじ


2013/12/21   Hanoi 首都ハノイへ飛ぶ
2013/12/22   Hanoi 軍事博物館など
2013/12/23   Halong Bay ハロン湾へ出立
2013/12/24   Hanoi ハロン湾から帰還
2013/12/25   Hanoi 歴史博物館・革命博物館
2013/12/26   Train ホーチミン博物館・一柱寺など
2013/12/27   Sapa  Sapa到着
2013/12/28   Sapa  Sapa周辺村めぐり
2013/12/29   Train  Pac Haの日曜市
2013/12/30   Hanoi 首都帰還 大食らいの日
2013/12/31   -   ベトナム最終日