クリスマスイブの朝、健康的に七時から朝食。半時間ほどで食べ終え、一人4ドルを払ってオプショナルツアーの猿島へ。手こぎボートに20人ほどが乗って岩に囲まれた内海へ行くと、たしかに猿がいて、観光客の投げるバナナやパンを受け取っては食べていた。ニホンザルと殆ど変わらない顔つきだが、しっぽが長い。
船に戻り、出発。カルスト地形の島々を眺めながらゆく。陽が温かい。午前にベトナム料理講座があり、春巻きだった。生ではなくて揚げるやつ。とはいえ、香港の戸は違って薄い薄い米の皮で巻く。巻いて揚げて巻いて揚げて終了。私達には特に珍しいものでもないが、西洋人には物珍しいのかもしれない。しかし、普通に世界中の中華料理屋で出てると思うけどね。
昼食もあっさりしたメニューだった。健康になりそう(シツコイ
たまたま身の回りの小物にマラドーナのストラップをつけており、アルゼンチン人の女性に見せたら引きつけを起こしそうなぐらいウケた。「フットボールに興味のないアルゼンチン人でも、この男は特別!」と、同行のボーイフレンドを呼びに行き、見せるとやはり大受け。「アルゼンチン人の男は1000人のうち999人までがフットボールをするからねえ…」
男性の方は大学で教えている人で、台北でカンファレンスがあったのでロンドン経由で2日かけて極東まで来たのだそうだ。これから一ヶ月半かけて、アジアのいくつかの国を回るのだそうだ。ベトナムの次はラオス。
女性のほうがベトナム通貨の桁数の多さに閉口しているとこぼす。そこで私が事前に用意してあったベトナム・ドン/米ドル/香港ドル換算表(クレジットカード大)を見せると、テーブルに集まっていた全員から嘆声が漏れた。そのなかで一人、一人旅のポーランド人男性がニヤリと笑い、財布の中から同様の換算表を、しかもご丁寧にパウチまでしたものを取り出したので、みなで大笑い。皆さん同様に困っているのだ。私はその換算表を念のため4枚用意してあちこちに分散させてあったため、一枚をアルゼンチン人女性に進呈した。
船は行きとは違うルートを航行し、もとの船着場に戻った。上陸し、帰りのバスをかなり待ってからハノイへ向かった。途中のおみやげ屋で洋書がえらい安かったので、てっきり古本だと思って買ったら海賊版だった。The Story of Pieと、LPのLaos。ハノイに帰るとほぼ夕暮れ。
新しい宿で、先日見たとおりの部屋に入り、荷物を解く。
夕食。鶏を看板料理にしていると思しきベトナム料理屋があり、写真と値段の明記された大きなメニューを壁に貼っていた。半隻鶏160K、とりめし35Kx2、緑豆の麺30K、にゅうめんのような麺30K。うまいことはうまいが、香港や中国と比べるとさほど安いという気がしない。
道端に田螺やしじみを食べさせる屋台が出ており、しじみを一碗注文して座ると、隣に座っていた北方人の団体から、英語でどこから来たかと尋ねられた。香港、と中国語で答える。世間話をしたが、仕事である程度香港人と付き合いのある人らしく、私の話すのを聞いて生粋の香港人じゃないだろうと言われた。中国生まれだろうと。香港人訛りがないのだそうだ。
一方、夫の中国語にはひどい香港訛りがあるそうで、横で黙って聞いていた息子が大笑い。私の中国語は五分も話せば語彙や文法でボロが出るのだが、発音はマシな方なようだ。
クリスマスの人混み。バイクでいっぱい。
食べたら、クリスマスで賑やかなSt Joseph教会へ。人がいっぱいで、キレイにライトアップされていて大変よかったです。
道に迷いながら歩いきまわり、途中見かけた道端の甘いモノ屋台で、腹の弱い夫は念のために湯圓を選択するも、私と息子は涼茶ゼリーやらナタデココやらあんこやら緑豆あんこやらを氷に乗せて、シロップで割って食べるというベトナム甘ものに挑戦。ウマー。
ようやく戻ったHanoi Backpackers' Hostelでビールを二本飲んで宿に帰ると、フロントで赤ワインを振る舞われてさらに祝日気分。
浴槽は清潔で、お湯は三人分たっぷりと出た。
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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。