***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

2012年4月11日水曜日

day 13 またしても短い旅が終わった

朝である。帰りたくないのう。

朝食に白粥を売る店がなく、仕方なく私は蘭州拉麺、夫は刀削麺を食す。食ってるうちに「最後やから」と夫となんとなく意見が合い、羊の肉を一斤注文。朝から。最後だからがんばってヨーグルトも食べた。朝だし。

昼の便に間に合うように空港に到着するも、遅れて3時過ぎの離陸となった。私は恒例、空港で本を買う。空港での買い物はボッタクリの餌食になるようなものだが、書籍だけは違う。定価販売である。ベストセラー的などこででも買える本も多いが、ご当地ビール的な本を拾えるのが楽しみ。今回は青海人民出版社のを2冊と、四川人民出版社のを1冊、そして北京の国際文化出版から出ているダライラマ6世の伝記小説を買った。パルコルの新華書店にもいい本はいっぱいあった。チベット自治区の地図帳しか買えなかったが。地図はいい。見てると死にそうになる。ああ、ゆっくり時間のある人生がほしいなあ。


チベットに魅せられた女性の旅行記と、チベット仏教の概説書。こういうのはわりとニュートラルに楽しく読めると思う。

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ダライラマ6世を主人公にした小説。(←恋人が農奴でした) 四川省出版の現任ダライラマ猊下伝記は、何がどう書かれているのか今から大変楽しみ。(おいしいものは最後まで取っておくほう)

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小説のほうの本の日本語訳(途中まで)をネットで見つけた。 http://mikiomiyamoto.bake-neko.net/dalai6%20index.htm



地図帳はたまに広げてにへにへ見るのがいい。しかし現実この地図のすべての領域は自由にアクセスできんわけで、けったくそ悪い話である。四川省のでも買ってきたほうが良かった。カム地方どうかな。

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あとは特に書くことは何もない。来たときと同じように西安で降ろされ、また乗り、深圳到着して香港に返ったらもう11時。気温29度でセミ鳴いてまんがな・・・。あすは出社でバタリと眠りたいところだが、PCに写真を移して夫婦で夜中までニラニラ楽しんだ。

離開、是為了再來と言いたいところだが、私の人生にその機会はあるかな。機会は転がってくるもんではなくて、作るもんかな。どうだろう。



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だがやはり結論が出ないのは、ラサ到着時の特警とホテルに来た公安が私を見逃した理由だ。私たちはいったん泳がされ、最初の一日二日は尾行がついていたのではないかという疑念は今もぬぐえない。そんなに暇じゃねーよと言われれば返す言葉もないが。

私がふと何かを感じたのは、セラ寺で話しかけてきたチベット人の男と、シガツェでの夕食時に隣のテーブルに座った蔵族と漢族の二人連れの若い娘だ。前者は私の中国語が北方人のもののように聞こえる(つまり香港人の中国語ではない)と言った。後者とのおしゃべりの時には、蔵族の娘ばかりが喋っていて漢族の娘は寡黙だった。公安の捜査対象は暴動の芽と暴動を見る目、つまりチベット独立主義者と外国人ジャーナリストだ。私がジャーナリストであると真剣に疑われた場合には、なまじある程度の中国語ができることが下手に裏目に出たりするのかもしれなかった。万が一を考えて、私は休暇期間を明記した勤務先の在職証明と、夫との結婚証明を複数通用意していた。危ない橋を渡らないことにしたせいで(十分渡っとるがな)何一つ問題を起こさず帰ってこられたが、20数年前からうすうす予感していた通りかの地は私を惹きつけてやまないので、次いつ再訪できるか、いま空調の聞いたオフィスでそればかりを考えている。

でも私は自由に旅をしたいのよね。そのための障害は二つ。言葉と身分。チベット語、勉強してみようかな。身分については超ウルトラ必殺技(昔ムスコが開発した『必殺バリア攻撃』みたいなやつ)を、真剣に考慮中。めっちゃ諸刃の剣。(→これを書いていた時点では特區護照を取得できんか、その方法を真剣に考えていたのだが、やっぱどう考えても日本国籍を放棄せざるをえん状況に追い込まれるリスクがあるのであきらめた。ええなあ、小僧。両方持ってて。)




身體下地獄,眼睛上天堂,靈魂回故鄉・・・

(からだは地獄にあり、まなこは天上を見あげつつ、たましいは故郷に帰りゆく・・・)



チベットはそんなところでした。

2012年4月10日火曜日

day 12 ささやかなる鯨飲馬食

夜中に上の寝台から何かが落ちてきた。懐中電灯が灯り、中寝台の香港人が下を照らしている。夫が半分寝ぼけた声で聞いた。「何落としたんや。」←おもいっきり広東語。(ノ∀`)あちゃー、というのはこういう時に使わずしていつ使うのだ。

「i-phone落とした。i-phone。液晶割れてないかな。」「探したるから電灯よこせ。」「悪いな。」「別に。」厦門人とか言うというてその広東語はないやろキミ・・・。落とし物は無事見つかり、再び皆で眠りに戻った。



起床。明け方i-phoneを落としたのとは別の、例のスルドイ男が夫に単刀直入に聞いた。

男: 「どこの出身?」(広東語)
夫: 「厦門。」(広東語)

茶噴くかと思った。いやあ、青蔵高原は絶景だなあ。今日は天気もいいし。快晴で空が青いよね。

男性と夫は何事もないように世間話を続けた。広東語で。たいそう盛り上がっているので私はもう知らん。朝ごはんはカボチャ入りの白粥、三種類の漬物とマントウふたつ、ゆでたまごで10元だった。列車は遅延なしに10時頃西寧に到着、周囲の皆さんとにっこり笑って挨拶し、下車。

私: 「最終的な設定は、厦門出身の香港人が里で嫁をもらった、かね?」
夫: 「落とし所はやはりそこでした。つーかチベット出たからもうええやん。」

駅の外に出るのにプラットフォームをくぐる階段を一旦降り、それから登っていて、夫と同時に気がついた。フル荷物なのに全然しんどくない!酸素が濃いって素晴らしいですね、皆さん!

タクシーの運転手に東関清真寺付近の三星級ホテルに行ってくれと依頼。メーター25元で止まったのは伊来頓かな、そんな名前のホテルで400~500元。ちと高いので、歩いて探すことにする。酸素濃いし。十字路に出てぐるっと見渡すと見覚えのある場所。青蔵鉄路に乗る前に、良さげな宿だなあとめっこをつけていた宿がすぐそこに見えた。ラッキー。

入ると日本のビジホ風で、簡素ながらも極めて清潔。表通りに面していない高層階の静かな部屋をリクエスト。145元の部屋は窓が狭かったので窓の大きい部屋をリクエストしたら、窓だけではなく部屋自体もゆったりした角部屋を見せられて、178元。異論なしの大満足。

こんな部屋。

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部屋は言うに及ばず、バスルームにまで暖房があった。久しぶりにゆっくりシャワー浴びよう・・・
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まずは腹ごしらえ。夫待望の手抓羊肉。脖子、つまり首の肉指定。1斤食べた後店を移動して新疆風味のラグメン。腰のある麺が私の大好物だ。そして表面に黄色い脂分の浮いたヨーグルト。絶品。


おなかがひとごこちついたところで、なんとなく観光に出かける。南山寺へ。市の中心を少し離れた丘のてっぺんにある漢族の寺。札は漢字と蔵字と満州文字で出ていた。蔵文でお経を書いてあるらしき黄色い布がめぐらされていたりするし、新しいお堂のご本尊の開光供養式の写真を見ていると、チベット仏教僧もたくさん列席していたりして、普通に交流がある模様。

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さらに省博物館へ。新築のすごくでかい建物で目が期待でハート型になったが、建物の半分はなんと証券取引所。そんなもんが同じ建物に同居とは、なかなかない発想である・・・。規模は思ったほどではないものの、展示物は何しろ中国なので見ごたえあり、展示自体も新しくてセンスが良い。見る価値アリです。

牛を咥えて飲み込もうとしている狼のデザインの金飾り。漢代。

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ササン朝ペルシャの銀貨。

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左は西夏、右は金王朝の印。

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両方とも清朝のもの。満州文字が彫ってあります。

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昼も夜も羊肉でアレだが、夕食はシシカバブ。かなりの分量を焼いてもらい、羊腰(腎臓)も6本焼いてもらった。うますぎる。但し回族の店なのでビールが飲めず、追加で焼いてもらった分は宿に持ち帰って食べることにした。帰り道にもちろんビールを買う。ラサビールは西寧でも売っていた。


シシカバブ屋のストーブ。あ~あ、あすの夕食は香港でか。

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2012年4月9日月曜日

day 11 青蔵鉄路再び

昨夜たらふく食ったせいで爆睡。四川菜館で白粥、包子、漬物をさらりと食す。パルコルへゆく。時間ギリギリまで、人々の姿を見て過ごす。それからホテル近くの小さな茶館で、バター茶、ミルクティー、チベット麺を食べて腹ごしらえ。この店は田舎の小学校に資金的な援助をしているようだ。

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チェックアウトし、タクシーを拾う。運転手はチベット族、普段は「倒車」をしているが、タクシー運転手の叔父が病気で車を動かせず遊ばせているのはもったいないので代わりに出ているそうだ。「倒車」とは、外地で中古車を買い付け、転売する商売だ。中古車市場の未発達な中国では、内陸部の都市で売買される車(特に海外ブランドの高級車)の多くは個人の倒車屋が沿岸部で買い付け、自分で運転して戻ってきた車である。この運転手は、四輪駆動の外車を専門に倒車をしているそうだ。北京で買うと道の良い青蔵公路を帰ってくるので3~4日で帰れるが、広州で買うと峻険な川蔵公路経由になるため、7~9日かかってしまう。上海には四輪駆動車のいい出物はあまりないのだという。彼は車と運転が好きで、旅が好きで、沿岸部の大都市ならほとんどどこへでも行ったことがあると言った。ただ香港はないのだと。中国籍の人間の香港旅行は、かつては厳格な制限がかかっていた。今ではそうでもない。都市戸籍所持者なら、深センで数日間のビザを申請すること可能なはずだ。北京や上海に比べてどうということのない街だけど、一度来てみたら?と私たちは薦めた。行ってみる、と若い彼は答えた。見聞を広めたいと。とはいえ、現在の情勢では蔵族に雙行証(香港への渡航許可)が出るのかどうかは正直わからない。

駅まで30元。列車は12:45発の重慶行きである。これは成都行きと隔日運行している。ラサ駅に入るのに二度身分証の審査があったが、何事も無くやり過ごせた。出る方は厳しくないのは当然だろう。

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あっさり乗車。中国の長距離列車は双方の終点の管区の鉄道局が交互に運行している。行きの列車は上海鉄道局の運行だった。この列車は重慶鉄道局の運行。ということは、駅弁はたいへん辛いはず。

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最後尾の車両だった。

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列車が動き始めた。ポタラが遠ざかってゆく。さよならラサ。

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さて気がつくと愕然。同車両の半分ぐらいが香港人。それも背包客(バックパッカー)的な若い衆ではなく、割りとフツーのおっちゃん連中。悪友たちと語ろうて旅行に出てきました、みたいな。行きに一緒だった香港人バックパッカーたちは、私が香港人ではないことに明らかに気づいていたが(隠せるもんではない)、皆さん英語を話すタイプの香港人でそれなりのデリカシーっつーもんがあり、こちらの大人の事情を黙っててくれたという状況があったわけだが、今回はけっこう無理かも。

案の定、夫が席を外すなり話しかけてきた。「美女!你那裡的?」

最近は小姐という呼びかけが避けられつつある現状とはいえ、美女と呼ばれて振り返るだけの勇気と面の皮があろうか。いやない。(反語) 那裡的?じゃねーよ!中国人相手に中国人のふりをするのは可能だし、香港人のふりをするのはもっとなんの問題もなく可能だが、香港人相手に香港人のふりをしても5秒でバレるっつーの。(それもこれも私の広東語能力が低すぎるため) 私は答えを少しずらし、「我們是西寧下車的(私たちは西寧で降ります)。」と答えた。するとオドロクべきことに、この香港人はあっさり私が西寧人だと信じたのだ。なんという人を見る目のない人間であろう。キミの目は節穴か。「你們西寧的、應該没有高山反応吧?」だとさ。

おっちゃんたちは4人でラサに来たが、三人に高山反応が出て死にそうなところにホテルのエレベーターが壊れて三階まで徒歩で上がらねばならなくなり、もう完全にギブアップして十日間の予定を3日で切り上、さっさと帰ることにしたのだそうだ。だが広州行きの切符が買えず、重慶まで出てそこで乗り換える予定。持ち物などを見ても、どう見ても旅慣れしている人たちではなかった。なんでいきなりチベットに来る気になったんだろう…。

不在の相棒を「連れか?」と聞かれたので、夫だと答えた。こういう見た目の西寧人の夫婦というのも、あんまりおらんと思うけどな。

夫が返ってきて会話に加わった。適当な世間話をしながら、私は夫にだけ見えるように日記帳に「這班人以為我們是西寧人(この人達、私らを西寧人だと思てんで)。」と書いた。夫は私の顔を見ないままに、小声で「厦門」と口を動かした。オッケー、私たちは厦門人だという設定にチェンジである。

今回の列車は列車番号が大きい。つまり、列車の運行の優先順位が高くない。そのせいであちこちで急行退避があった。

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しかし来るときに乗った上海管区の列車に比べて駅弁の出来がかなりよろしく、たいへん嬉しいなり。そんなに辛くなかったし。自分とこの味付けは他所の人には辛すぎと自覚してて、唐辛子と山椒を控えてくれているのかもしれない。

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夕方5時頃ナチェ到着。ゴルムドは夜中の二時だそうだ。

桑錯那湖を抜けると安多。4702m。私達が乗った14号車は最後尾であり、線路を真ん中にしたいい写真がとれた。追突されたら真っ先にお陀仏なわけだが。(ここへ乗せるために画像の質を下げたら線路の線が潰れた)

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夫が手洗いに立った隙に、さっきの香港人の中で一番スルドそうな男が声をかけてきた。「美女!あんたの里にもこういう風景はあるんだろう?」 この人は私が青海人だというのはさすがにおかしいと気づき、カマをかけてきたのだった。夫と話をあわせておいてよかったなあ。「我老鄉呀?我們是廈門的,福建哪有這樣的風景。(私の里?私たちは厦門人よ。福建省のどこにこんな風景が。)」男性は一瞬で納得したらしく、さっと話を引っ込めた。

青蔵鉄路にも各停列車ってあるのだろうか?小さな駅がいくつもあった。行きに撮りそこねた唐古拉(タングラ)駅を撮るべくスタンバイ。首尾よく成功。海抜5067m。

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もういちど上出来の駅弁を買ってたいらげ、9時過ぎ、まだ明るいうちにこてんと寝てしまった。タングラをすぎれば青海省。合法的に中国に滞在している身に戻ったわけだ。さようなら、私のチベット。

夜中に目が覚めた。列車の進行方向に赤みがかった大きな月がかかっていて、地平線のすぐ上で煌々と輝いていた。空を見上げると満天の星がさんざめいていて、星の一粒一粒がくっきりと大きかった。上体を起こして体をひねり、星空を見上げていると、向かいの寝台の夫が「もう寝ろ。」と言った。おとなしく横たわり仰向けに窓を見上げると、そうするほうが星空がよく見えた。そこではじめて、夫が私と同じ空を見ていたことに気がついた。

2012年4月8日日曜日

day 10 ポタラ宮とデプン寺拝観

7時半起床。8時に四川菜館で朝食をかきこみ、ポタラ宮の入り口に並ぶ。入場制限があって早い者勝ちなので。

前のほう。

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後ろのほう。

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前に並んだ親子(両親はチベタン服、娘さんは普通の服)が、お供えのヤクバターを売りに来たラサの商人と普通話でやり取りしていた。どこから来たのかと尋ねると、青海土族だった。あとで調べたら土族の言語はアルタイ語系で、チベット語とはまるでちがうのだった。彼女は北京の大学の大学院で化学を専攻中だとか。ご両親は見るからに少数民族の農民という感じなので、彼女は完全に二つの世界を生きているわけだ。

待っている間に売り込みガイドから「門票を買うのに身分証が必要だ」と散々脅されたが(それであわててホテルに取りに帰った中国人もいた)、あがってみると必要なかった。だが水の持ち込みが禁止だった。蔵族の焼身自殺と頭のおかしい漢族の放火の両方を警戒しているのだろう。観光時間は一時間に制限されていると聞いたが、それは繁忙期の話らしく、二時間以上たっぷり拝観できた。

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夫は福建人らしく天后拝みである。(ちなみに私は天后と誕生日が同じなので、たいへん大事にされております) そして天后は観音が本地に垂迹したものと考えているきらいがあり、観音拝みでもある。私は家が真宗なので阿弥陀仏を拝むほか、縁ありてたいていいつも弥勒仏のペンダント(18Kで臍にダイヤがはまっているというキッチュなやつ)を下げているので、弥勒も拝む。その御三仏は数限りなくあった。

歴代ダライラマの遺体を安置した宝塔などもあった。英語のガイドがダライ・ラマ六世のことを、「He was a ...(ちょっと言いよどむ) funny person.」と説明していてちょっと笑った。ダライ・ラマ六世はいろいろあって還俗し、ラサの女性と浮名を流した詩人である。私はその詩を最初中国語で読んだが、旅行後にネットで調べると素晴らしい日本語訳(中国語からの重訳ではなく、チベット語からの訳)が出ていたなので、早速買うことにした。



夫が昨日飲んだバター茶がおいしかったという店に行き、昼食。私は咖喱飯(カレーライス)、夫は雪域飯(雪国ごはん?)。咖喱飯はかすかにマサラ味のするヤク肉のスープをかけたごはんだった。ごろごろのヤク肉のかたまりがいくつかと、うすもも色の大根の漬物の千切りがたっぷり載っていて、お味は上々。肉好きの夫がうらやましそうな顔をしたのでわけてやった。夫の雪域飯は、ベジタリアン・フライドライス的な感じ。お味もあっさり。

デプン寺へ。タクシーだと下まで20元、山の上まで42元。2元っつーのは何かと言うと、車両の入山料。山の下から中腹の寺まで歩くと一時間近くかかりそう。そこで体力を消耗すると、お堂をめぐる体力が残らない。素直にタクシーで上がった。またしても百年分ほど仏を拝む。これでもう前世の分と来世の分も済ませた、というぐらい。
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この浮世離れした絶景に見惚れているさなかに夫の携帯が鳴り、俗臭芬々たる広東語にて次回納入品の価格交渉が始まった。場にそぐわんことおびただしくて笑うしかない。
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さてその夫は弥勒大仏の部屋で手首数珠を買った。普段はつけないが、旅行の時には何かしら身につけている。赤い紐を通した貨幣型丸穴の玉(6歳の息子にかけて中国旅行中、寝台列車での就寝中に紐が切れて紛失)、德欽で買った天眼珠とターコイズ、オーストラリアで買ったサメの牙、インドで買ったビーズ、そして松賛林寺の数珠。本日は数珠を弥勒仏に開眼してもらって、数珠代こめてたったの20元(漢族の寺では開眼費用だけでも1000元とかへーきでします)。まちがいなく夫の宝物となることでしょう。

塔の中に収められている経文の虫干し。

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赤ん坊を背負った女性。


これでゲルク派六大寺院拝観は総本山ガンデン寺を残すのみ。(デプン、セラ、ガンデン、タシルンポ、ラブラン、タール) だがガンデン寺は今回参拝予定無しで、次回(いつだ)となる。だがどこを訪れても、仏教大学としての寺の役割は、大きく弾圧を受けているのだろうなと、寒々と感じざるを得なかった。チベットの寺が内地の漢族の寺のように、文化と実生活から乖離した観光の場所となることが、当局の意向なのだろうなと。

だがチベットの寺は信仰の場所でありつづけるだろう。

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寺を出た。客待ちの車を拾い、街なかまで40元で連れて行ってもらった。日差しが強く、夫は「日射病が・・・」と言いつつ茶館に入ってビールを注文。拉薩啤酒(ラサビール)。6元。私は青島よりうまいと思う。水がいいんだろうよ。

程よく休んだところで再び八角街(パルコル)へ。明日の正午にはここを離れ、もうあと一生来るか来られるかわからないのだ。




余所者がチベットに惚れ込む理由が心底納得できた。今回チベットの本拠地に行ってみて、しみじみチベタンてかっこいいなあと思ったもん。そもそも造形として威厳のある美男美女が多いし、男女ともに体格がよくて押し出しが立派で堂々たるもので、卑屈なところや媚を売るところが全くない。老若男女がみな民族自身の歴史や文化を感じさせる美しい装束を、しかも日常で着るための衣装としてきらびやかな宝飾品とともに身に纏い、凄惨な弾圧にもかかわらず自身の信仰を捨てずに、敬虔な祈りを捧げている。揺るぎないアイデンティティを持っている。そして彼らは人懐こく笑顔の温かい、排他的ではない民族だ。白人の頭の中の「醜いアジア人」をみごとに全部裏返したみたいなもんなのよね。おまけに現任ダライラマ睨下はまちがいなく傑物だし。

そのチベットは只今若い中国人バックパッカーで賑わう場所となっている。大学生の卒業旅行とか、チャリダーのツアーとか。かつての日本人における中国・インドとか、オージーにおけるインドネシアみたいな感じ。エスノ・ツーリズムに消費されてゆくチベットの痛々しさよ・・・って、自分も観光に行ってるわけで。おまえが言うな、ですわな。

(今思ったが自分がさんざんチベタンに似てると言われたと書いといて、「チベタンには美男美女が多い」はねーよな。そういうことじゃありませんから!私がいわゆる漢族とはちょっとちがう顔だちだということですから!ちょっといかつくて顔がでかい!体つきもごっつくて押し出しがいい!漢族の女性が普通しないようなでかいピアスを付けている!そういうことですから!)


八角街脇にいた靴磨き娘。うちの夫が歯にリテーナー(矯正後の歯列の移動を防ぐために透明のリテーナーを上下の歯全体にはめている)をはめ込むのを見て、彼女は文字通り目をまんまるにして口を開けて驚いた。そして清らかな邪気のない笑い声で笑った。


果物売りの少女。細い路地に荷台のついた自転車を止めて、みかんとりんごとバナナを売っていた。何度か買って、そのたびに世間話を少しした。夫が半分冗談半分本気で茶館でのお茶に誘うと、びっくりした顔でぶんぶん首を振ってから、やはり笑った。


パルコルから遥かにポタラを望む。巡礼と、武装警官と。それがラサの今の姿だった。
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日が暮れ、ふたたびシシカバブを食べに行く。羊腰(腎臓)を二つ注文すると、「羊腰はおいしいけど手に入りにくいから、あんまり食べられるとこれを楽しみに来てくれてるお客さんに渡らんようになって困るんだよね~」と。そうか、私らは寿司屋で大トロばっかり注文する客のようなもんか。まあそれでも親父さんは二つ焼いてくれたので、おいしく食べる。ラサは木炭が高いとかで練炭で焼いており、夫はそれをシツコク気にしていた。これは夫だけではなく、昨日のラサ特警も気にしていたので、やはり中国人的には気になるところなのかもしれない。

夕食を北京東路沿いの別の四川菜館で食す。孜然牦牛肉(クミン風味のヤク肉炒め)と青菜豆腐湯。肉はでかい皿、スープは洗面器ようにでかい器で出てきた。白飯もどんぶりめし。食った食ったよ喰いました。やはり中華はいい。香港では「もう一生分食ったから中華は食わん。」とにくそいことを言いたれているが、さっさと日和った。


明日は寝台に乗るのでどうしてもシャワーを浴びておきたく、頑張って風呂に入った。寒いのと湯が熱くないのと水圧が低いのとの三重苦。チベット最後の夜。