前のほう。
後ろのほう。
前に並んだ親子(両親はチベタン服、娘さんは普通の服)が、お供えのヤクバターを売りに来たラサの商人と普通話でやり取りしていた。どこから来たのかと尋ねると、青海土族だった。あとで調べたら土族の言語はアルタイ語系で、チベット語とはまるでちがうのだった。彼女は北京の大学の大学院で化学を専攻中だとか。ご両親は見るからに少数民族の農民という感じなので、彼女は完全に二つの世界を生きているわけだ。
待っている間に売り込みガイドから「門票を買うのに身分証が必要だ」と散々脅されたが(それであわててホテルに取りに帰った中国人もいた)、あがってみると必要なかった。だが水の持ち込みが禁止だった。蔵族の焼身自殺と頭のおかしい漢族の放火の両方を警戒しているのだろう。観光時間は一時間に制限されていると聞いたが、それは繁忙期の話らしく、二時間以上たっぷり拝観できた。
夫は福建人らしく天后拝みである。(ちなみに私は天后と誕生日が同じなので、たいへん大事にされております) そして天后は観音が本地に垂迹したものと考えているきらいがあり、観音拝みでもある。私は家が真宗なので阿弥陀仏を拝むほか、縁ありてたいていいつも弥勒仏のペンダント(18Kで臍にダイヤがはまっているというキッチュなやつ)を下げているので、弥勒も拝む。その御三仏は数限りなくあった。
歴代ダライラマの遺体を安置した宝塔などもあった。英語のガイドがダライ・ラマ六世のことを、「He was a ...(ちょっと言いよどむ) funny person.」と説明していてちょっと笑った。ダライ・ラマ六世はいろいろあって還俗し、ラサの女性と浮名を流した詩人である。私はその詩を最初中国語で読んだが、旅行後にネットで調べると素晴らしい日本語訳(中国語からの重訳ではなく、チベット語からの訳)が出ていたなので、早速買うことにした。
夫が昨日飲んだバター茶がおいしかったという店に行き、昼食。私は咖喱飯(カレーライス)、夫は雪域飯(雪国ごはん?)。咖喱飯はかすかにマサラ味のするヤク肉のスープをかけたごはんだった。ごろごろのヤク肉のかたまりがいくつかと、うすもも色の大根の漬物の千切りがたっぷり載っていて、お味は上々。肉好きの夫がうらやましそうな顔をしたのでわけてやった。夫の雪域飯は、ベジタリアン・フライドライス的な感じ。お味もあっさり。
デプン寺へ。タクシーだと下まで20元、山の上まで42元。2元っつーのは何かと言うと、車両の入山料。山の下から中腹の寺まで歩くと一時間近くかかりそう。そこで体力を消耗すると、お堂をめぐる体力が残らない。素直にタクシーで上がった。またしても百年分ほど仏を拝む。これでもう前世の分と来世の分も済ませた、というぐらい。
この浮世離れした絶景に見惚れているさなかに夫の携帯が鳴り、俗臭芬々たる広東語にて次回納入品の価格交渉が始まった。場にそぐわんことおびただしくて笑うしかない。
さてその夫は弥勒大仏の部屋で手首数珠を買った。普段はつけないが、旅行の時には何かしら身につけている。赤い紐を通した貨幣型丸穴の玉(6歳の息子にかけて中国旅行中、寝台列車での就寝中に紐が切れて紛失)、德欽で買った天眼珠とターコイズ、オーストラリアで買ったサメの牙、インドで買ったビーズ、そして松賛林寺の数珠。本日は数珠を弥勒仏に開眼してもらって、数珠代こめてたったの20元(漢族の寺では開眼費用だけでも1000元とかへーきでします)。まちがいなく夫の宝物となることでしょう。
塔の中に収められている経文の虫干し。
赤ん坊を背負った女性。
これでゲルク派六大寺院拝観は総本山ガンデン寺を残すのみ。(デプン、セラ、ガンデン、タシルンポ、ラブラン、タール) だがガンデン寺は今回参拝予定無しで、次回(いつだ)となる。だがどこを訪れても、仏教大学としての寺の役割は、大きく弾圧を受けているのだろうなと、寒々と感じざるを得なかった。チベットの寺が内地の漢族の寺のように、文化と実生活から乖離した観光の場所となることが、当局の意向なのだろうなと。
だがチベットの寺は信仰の場所でありつづけるだろう。
寺を出た。客待ちの車を拾い、街なかまで40元で連れて行ってもらった。日差しが強く、夫は「日射病が・・・」と言いつつ茶館に入ってビールを注文。拉薩啤酒(ラサビール)。6元。私は青島よりうまいと思う。水がいいんだろうよ。
程よく休んだところで再び八角街(パルコル)へ。明日の正午にはここを離れ、もうあと一生来るか来られるかわからないのだ。
余所者がチベットに惚れ込む理由が心底納得できた。今回チベットの本拠地に行ってみて、しみじみチベタンてかっこいいなあと思ったもん。そもそも造形として威厳のある美男美女が多いし、男女ともに体格がよくて押し出しが立派で堂々たるもので、卑屈なところや媚を売るところが全くない。老若男女がみな民族自身の歴史や文化を感じさせる美しい装束を、しかも日常で着るための衣装としてきらびやかな宝飾品とともに身に纏い、凄惨な弾圧にもかかわらず自身の信仰を捨てずに、敬虔な祈りを捧げている。揺るぎないアイデンティティを持っている。そして彼らは人懐こく笑顔の温かい、排他的ではない民族だ。白人の頭の中の「醜いアジア人」をみごとに全部裏返したみたいなもんなのよね。おまけに現任ダライラマ睨下はまちがいなく傑物だし。
そのチベットは只今若い中国人バックパッカーで賑わう場所となっている。大学生の卒業旅行とか、チャリダーのツアーとか。かつての日本人における中国・インドとか、オージーにおけるインドネシアみたいな感じ。エスノ・ツーリズムに消費されてゆくチベットの痛々しさよ・・・って、自分も観光に行ってるわけで。おまえが言うな、ですわな。
(今思ったが自分がさんざんチベタンに似てると言われたと書いといて、「チベタンには美男美女が多い」はねーよな。そういうことじゃありませんから!私がいわゆる漢族とはちょっとちがう顔だちだということですから!ちょっといかつくて顔がでかい!体つきもごっつくて押し出しがいい!漢族の女性が普通しないようなでかいピアスを付けている!そういうことですから!)
八角街脇にいた靴磨き娘。うちの夫が歯にリテーナー(矯正後の歯列の移動を防ぐために透明のリテーナーを上下の歯全体にはめている)をはめ込むのを見て、彼女は文字通り目をまんまるにして口を開けて驚いた。そして清らかな邪気のない笑い声で笑った。
果物売りの少女。細い路地に荷台のついた自転車を止めて、みかんとりんごとバナナを売っていた。何度か買って、そのたびに世間話を少しした。夫が半分冗談半分本気で茶館でのお茶に誘うと、びっくりした顔でぶんぶん首を振ってから、やはり笑った。
パルコルから遥かにポタラを望む。巡礼と、武装警官と。それがラサの今の姿だった。
日が暮れ、ふたたびシシカバブを食べに行く。羊腰(腎臓)を二つ注文すると、「羊腰はおいしいけど手に入りにくいから、あんまり食べられるとこれを楽しみに来てくれてるお客さんに渡らんようになって困るんだよね~」と。そうか、私らは寿司屋で大トロばっかり注文する客のようなもんか。まあそれでも親父さんは二つ焼いてくれたので、おいしく食べる。ラサは木炭が高いとかで練炭で焼いており、夫はそれをシツコク気にしていた。これは夫だけではなく、昨日のラサ特警も気にしていたので、やはり中国人的には気になるところなのかもしれない。
夕食を北京東路沿いの別の四川菜館で食す。孜然牦牛肉(クミン風味のヤク肉炒め)と青菜豆腐湯。肉はでかい皿、スープは洗面器ようにでかい器で出てきた。白飯もどんぶりめし。食った食ったよ喰いました。やはり中華はいい。香港では「もう一生分食ったから中華は食わん。」とにくそいことを言いたれているが、さっさと日和った。
明日は寝台に乗るのでどうしてもシャワーを浴びておきたく、頑張って風呂に入った。寒いのと湯が熱くないのと水圧が低いのとの三重苦。チベット最後の夜。