タール寺は傾斜地に小型の建物がいくつも緩やかに分散して並んでいるタイプの寺だった。これまでに見たことにあるラブラン寺(甘肅省夏河)や、ソムツェリン寺(雲南省中甸)とは形式がやや違っていた。門票80元にはたまげたなあ。ポタラ宮でも100元なのに。それと今旅行記をまとめてて気が付いたが、ろくな写真とってないな・・・。
こんなんとか。
もうすぐタール寺でファイブスタークラスのトイレをご利用できますよ皆さん!
こんなんとか。
お寺の消火活動はお坊さんにおまかせ!
さてチベット仏教の寺でのお賽銭の出し方は漢族の寺とは違い、数限りなくある仏像や祖師の像の前でその都度なんらかを置く。中国語で「お賽銭を置く」ことを「點油(油を足す)」と言うのだが(南方方言なのかも)、ここでは文字通りヤクバターを捧げている人が多い。門前町で売っている魔法瓶に入った溶けたヤクバターを油皿に注いでいる人もいれば、自宅から持参したとおぼしき固いバターを粉々にしたものを、スプーンですくって油皿に足している人もいる。現金の場合には賽銭箱ではなく、皿のようなものにむき出しに置いていた。漢族の寺ならあっという間に盗まれそう。そしてなんのためにそうしているか見ていてわかったが、お賽銭のおつりを取ったり、両替をすることが許容されているのであった。なるべく多くの仏像にお賽銭をお供えしたい、しかし小銭がない、というときのためのパーフェクトなソリューションですね! そしてそれは「佛の前で人は悪さをせん」という性善説および現実に日々実証されている事実に基づいているわけだ。夫は感動していた。
私がタール寺で最も印象に残っているのは中心となる建築物(金頂?)の内部で壁沿いに座り込み、読経を誦げる巡礼たち。あまりの荘厳さに、夫もその横に座り込んで手を合わせた。私は立ったまま父の形見の数珠を手に掛け、合わせた。しばらくそこで巡礼者たちに混じってチベット語の読経の響きを耳で受け取りながら、魂が浄化されるような喜びを味わったのが、私におけるタール寺のすべてである。
ふと顔を上げると、回民(イスラム教徒)の老夫婦が観光にやってきた。善良そうなお年寄のふたり。もちろん手を合わせたりはしないものの、控えめな、しかし好奇心溢れる目で寺の中をあちこち見やっている。その様子に’私の方こそ好奇心を抑えきれなくなり、じっくり見つめてしまった。気がつくと彼らを見つめているのは私だけではなく、私の隣のチベタンの老人もまた興味津々の目で二人を追いかけていた。私たちは同時に同じ対象を追っていることに気づき、顔を見合わせた。老人は破顔大笑し、うんうんと頷いた。わかっとる、わかっとる、という顔で。わしらのタール寺は素晴らしいからなあ、ケチらずどんどん見せてやればよろしい、とでも言いたげな、自慢気とすら言える顔つきだった。老人は読経に戻り、私もまた目を閉じて頭を下げた。
来てよかった。
バスで西寧へ戻る。行きのバスは車掌(中国の場合、中距離のバスは承包(請負制)で、夫が運転手、妻が車掌というか客引き&運賃徴収係という組み合わせでやっていることが多い)がいるバスだったのに、帰りのバスはワンマンバスで、かなりたってからそれに気づき、二人で慌てた。何とはなれば、さっきのタール寺で小銭をお賽銭に使い果たしてしまい、ふたりとも100元札しかもっていないからである。走行しているうちに降りる地点につき、心の中でごめんなさーいと叫びながら下車。無賃乗車をしたのはこれが人生二度目でござるよ…。(一度目は大学生のころ、バスで万札しかなくて回数券を八千円分買おうとしたら、運転手さんが学生が無理すんナと言ってそのまま下ろしてくれた。)
東関の清真寺へ戻る。タクシーの運転手から、西寧ではパンツェン・ラマが華国鋒に似ているから血縁関係があるとい風聞があるという話などを聞かされた。しかし華国鋒自体、毛沢東の隠し子説があったほどの容貌だから、それって三段論法で言うとパンツェン・ラマは毛沢東に似ていることになるよなあ…。三人ともたしかにふくよかさんタイプ。しかしパンツェン・ラマはダライ・ラマとはまた違ったやり方で中国の影響下におけるチベットの幸福を追求しようとし、最終的にはおそらく暗殺されたであろう人物なのであるが。
清真寺の裏通りには市場があり、野菜や果物を載せた大八車が集まってきていた。こういうところを歩くのは大好きだ。ナゾの漢方薬店で、熊の手を売っていた。
左上の棚の赤いバケツに「前立腺」って書いてあるな。(中文では「前列腺」)
ここの主食はこの大型のパンらしい。あと小麦粉製品いろいろ。
なんだかぐるぐる麺の揚げたの。揚げ菓子みたいな味だろうか?
回族の店ではイスラム教に関する小冊子と、チベット仏教徒用の数珠を同時に売っていた。こういうおおらかさは好きだ。
荒物屋にカメラを向けると、ひょうきんな表情で答えてくれた店主に名と住所を聞き、写真を送る約束をする。そうするともう列車に乗るにはいい時間だ。
夕食に漢方餃子という珍しいものをちょろっと食べ、宿へ帰る。この手の宿は旅行者が座って寛げる場所をたくさん作ってあるのがよろしい。ソロツーリスト同士が知り合うのはこういう場所。20年前の私と夫とかな。
お茶を飲みつつ出発までの僅かな時間を過ごしていると、駅まで行く香港人の団体のバスにあと2席空席がある、一人10元でどうだと声をかけられた。乗る。20数キロ離れた西寧西駅まで、夕方の混雑で車がなかなか進まずハラハラしたが、なんとか到着。ここからが大問題なのであるが、中略して結論を言うと入れた。一応保険をかけてゴルムド行きの捨てチケットを買っていたのだが、その必要はなかった模様。
入ったらこっちのもんなので、悠々と待つ。ウヒヒ。
完全にパジャマ姿にサンダルで、リュックを背負った10代後半ぐらいの女の子がいて笑った。準備良すぎ。列車は50分遅れで到着し、9時近くにやっと乗車。待合室からホームへの検札はおざなりだったが、列車に乗る際のチェックは我々が乗った寝台車(硬臥)の場合はやや厳しく、スーツケースを持った香港人は身分証と荷物の検査をかなり厳重に受けていた。私たちは面倒くさそうな列車員に追い払われるように乗車。乗ってしまえばこっちのものさ。
乗車後の換票も身分証の確認なし。念の為にトイレに行くふりをしてその場を離れたが、いてもまず問題はなかっただろうと思われる。相客は徐州の若い夫婦者バックパッカー、西寧からゴルムドに出張に出るビジネスマン、里帰りしていた西寧から現住所のナチェに帰る漢族の女性。いずれも私が中国人ではないとは思いもよらない模様。ここまで予定通り。正直ここまでは何も心配していませんでした。次は宿。これは十中八九バレるだろうと思っている。
10時半消灯。すでに海抜3000mを超えておりまする。