チェックアウトし、タクシーを拾う。運転手はチベット族、普段は「倒車」をしているが、タクシー運転手の叔父が病気で車を動かせず遊ばせているのはもったいないので代わりに出ているそうだ。「倒車」とは、外地で中古車を買い付け、転売する商売だ。中古車市場の未発達な中国では、内陸部の都市で売買される車(特に海外ブランドの高級車)の多くは個人の倒車屋が沿岸部で買い付け、自分で運転して戻ってきた車である。この運転手は、四輪駆動の外車を専門に倒車をしているそうだ。北京で買うと道の良い青蔵公路を帰ってくるので3~4日で帰れるが、広州で買うと峻険な川蔵公路経由になるため、7~9日かかってしまう。上海には四輪駆動車のいい出物はあまりないのだという。彼は車と運転が好きで、旅が好きで、沿岸部の大都市ならほとんどどこへでも行ったことがあると言った。ただ香港はないのだと。中国籍の人間の香港旅行は、かつては厳格な制限がかかっていた。今ではそうでもない。都市戸籍所持者なら、深センで数日間のビザを申請すること可能なはずだ。北京や上海に比べてどうということのない街だけど、一度来てみたら?と私たちは薦めた。行ってみる、と若い彼は答えた。見聞を広めたいと。とはいえ、現在の情勢では蔵族に雙行証(香港への渡航許可)が出るのかどうかは正直わからない。
駅まで30元。列車は12:45発の重慶行きである。これは成都行きと隔日運行している。ラサ駅に入るのに二度身分証の審査があったが、何事も無くやり過ごせた。出る方は厳しくないのは当然だろう。
あっさり乗車。中国の長距離列車は双方の終点の管区の鉄道局が交互に運行している。行きの列車は上海鉄道局の運行だった。この列車は重慶鉄道局の運行。ということは、駅弁はたいへん辛いはず。
最後尾の車両だった。
列車が動き始めた。ポタラが遠ざかってゆく。さよならラサ。
さて気がつくと愕然。同車両の半分ぐらいが香港人。それも背包客(バックパッカー)的な若い衆ではなく、割りとフツーのおっちゃん連中。悪友たちと語ろうて旅行に出てきました、みたいな。行きに一緒だった香港人バックパッカーたちは、私が香港人ではないことに明らかに気づいていたが(隠せるもんではない)、皆さん英語を話すタイプの香港人でそれなりのデリカシーっつーもんがあり、こちらの大人の事情を黙っててくれたという状況があったわけだが、今回はけっこう無理かも。
案の定、夫が席を外すなり話しかけてきた。「美女!你那裡的?」
最近は小姐という呼びかけが避けられつつある現状とはいえ、美女と呼ばれて振り返るだけの勇気と面の皮があろうか。いやない。(反語) 那裡的?じゃねーよ!中国人相手に中国人のふりをするのは可能だし、香港人のふりをするのはもっとなんの問題もなく可能だが、香港人相手に香港人のふりをしても5秒でバレるっつーの。(それもこれも私の広東語能力が低すぎるため) 私は答えを少しずらし、「我們是西寧下車的(私たちは西寧で降ります)。」と答えた。するとオドロクべきことに、この香港人はあっさり私が西寧人だと信じたのだ。なんという人を見る目のない人間であろう。キミの目は節穴か。「你們西寧的、應該没有高山反応吧?」だとさ。
おっちゃんたちは4人でラサに来たが、三人に高山反応が出て死にそうなところにホテルのエレベーターが壊れて三階まで徒歩で上がらねばならなくなり、もう完全にギブアップして十日間の予定を3日で切り上、さっさと帰ることにしたのだそうだ。だが広州行きの切符が買えず、重慶まで出てそこで乗り換える予定。持ち物などを見ても、どう見ても旅慣れしている人たちではなかった。なんでいきなりチベットに来る気になったんだろう…。
不在の相棒を「連れか?」と聞かれたので、夫だと答えた。こういう見た目の西寧人の夫婦というのも、あんまりおらんと思うけどな。
夫が返ってきて会話に加わった。適当な世間話をしながら、私は夫にだけ見えるように日記帳に「這班人以為我們是西寧人(この人達、私らを西寧人だと思てんで)。」と書いた。夫は私の顔を見ないままに、小声で「厦門」と口を動かした。オッケー、私たちは厦門人だという設定にチェンジである。
今回の列車は列車番号が大きい。つまり、列車の運行の優先順位が高くない。そのせいであちこちで急行退避があった。
しかし来るときに乗った上海管区の列車に比べて駅弁の出来がかなりよろしく、たいへん嬉しいなり。そんなに辛くなかったし。自分とこの味付けは他所の人には辛すぎと自覚してて、唐辛子と山椒を控えてくれているのかもしれない。
夕方5時頃ナチェ到着。ゴルムドは夜中の二時だそうだ。
桑錯那湖を抜けると安多。4702m。私達が乗った14号車は最後尾であり、線路を真ん中にしたいい写真がとれた。追突されたら真っ先にお陀仏なわけだが。(ここへ乗せるために画像の質を下げたら線路の線が潰れた)
夫が手洗いに立った隙に、さっきの香港人の中で一番スルドそうな男が声をかけてきた。「美女!あんたの里にもこういう風景はあるんだろう?」 この人は私が青海人だというのはさすがにおかしいと気づき、カマをかけてきたのだった。夫と話をあわせておいてよかったなあ。「我老鄉呀?我們是廈門的,福建哪有這樣的風景。(私の里?私たちは厦門人よ。福建省のどこにこんな風景が。)」男性は一瞬で納得したらしく、さっと話を引っ込めた。
青蔵鉄路にも各停列車ってあるのだろうか?小さな駅がいくつもあった。行きに撮りそこねた唐古拉(タングラ)駅を撮るべくスタンバイ。首尾よく成功。海抜5067m。
もういちど上出来の駅弁を買ってたいらげ、9時過ぎ、まだ明るいうちにこてんと寝てしまった。タングラをすぎれば青海省。合法的に中国に滞在している身に戻ったわけだ。さようなら、私のチベット。
夜中に目が覚めた。列車の進行方向に赤みがかった大きな月がかかっていて、地平線のすぐ上で煌々と輝いていた。空を見上げると満天の星がさんざめいていて、星の一粒一粒がくっきりと大きかった。上体を起こして体をひねり、星空を見上げていると、向かいの寝台の夫が「もう寝ろ。」と言った。おとなしく横たわり仰向けに窓を見上げると、そうするほうが星空がよく見えた。そこではじめて、夫が私と同じ空を見ていたことに気がついた。