枕元にはこういう酸素供給口がある。
本来は管を接続して使うものなので、そのままでは酸素濃度の高い空気は出ていない。指でかちんと押し込むと、風音がして供給が始まる。青蔵鉄路に乗るひとで高山症状が心配な方は、この供給口を開けて寝ましょう。
夜が明けた。
海抜はすでに4500mを超えている。
空がしらじらと明るんでゆく。
雪が薄く降り積もっている。
粛々と朝メシを食う。白粥とマントウとゆでたまごと漬物で10元。
列車の中はこんな感じ。硬臥(二等寝台)のうちでは最上級に清潔なほう。
右にわずかに列車の頭が見える。
Tuo Tuo Heは長江の源流。(この"he"の発音がひらがなには如何とも直し難い)
野性のレイヨウがいた。
数キロごとに鉄道警察がいて、真面目に敬礼をしていた。
海抜は5000mに達しようかという数字。
だがそんな場所でもひとは放牧をして暮らしている。
向かいの寝台の徐州の夫婦は、ネパールへ抜けるルートを予定しているそうだ。カトマンズからポカラまで行き、また陸路で戻る予定だという。中国人バックパッカーというのは、10年ぐらい前から急激に増えた。豊かになったものだと思う。上海味の駅弁を2度買った。20元なり。夫が駅弁売りに「よくもまあこんな弁当で20元も取れるもんだ。」とあけすけな文句をいう。駅弁売りは全く気分を害した様子もなく、「この火腿(ハム)が高いんだだよ、このハムが。」と、私達が気味悪がって食べなかったハムを指して笑う。私たちはカモなのだから、おとなしく笑われておこう。駅弁売りは車両連結部でそっとあたりを見回し、集金のなかから赤い札を一枚抜いてポケットに入れた。サングラスを掛けたままトイレの順番を待っていた私の、顔の向きとは違う視線には気が付かなかったらしい。
ナチェで停車。街は列車の駅から遠くはなれていた。
この川はラサまで流れるのだろうか。
いつまでも見飽きない風景だったが、やがて集落を見ることが多くなった。
羊八井は温泉で有名な場所であるという。
雪山と草原と集落と。
道沿いの岩に彫られた壁画。
列車は7時半ごろラサ到着。助かる。まだ明るい。さあ、憧れの地に足を踏み入れよう。
(大幅に省略)
タクって市街まで40元(相場は30元)、めっこをつけていた平措という若い衆向けの宿へ行くも人気で満室、適当に歩いて入った宿でシャワールーム付き80元の部屋を見せてもらい、とりあえず一泊するかとチェックインしようとしたら、不接待港澳同胞(香港・マカオ人はお泊めできません)。
老板が数軒先にあるという親戚の経営する宿に連れて行ってくれて、一泊140元。三星級で、私らが泊まる宿としては上出来の部類。トイレは清潔な洋式で、シャワールームはガラスで囲まれている形式だった。ただし暖房はありませぬ。
夕食をとりに外へ出る。日が落ちて暗くなったラサ市街を歩きまわるも、ちょうどよさげなめし屋に行き当たらず、川菜館(四川料理の小さな店)で妥協することにする。麺が10元。宿に帰り、2日ぶりのシャワーを浴びる。一日目の宿ではシャワーが使えなかったし、昨夜は夜行列車だった。シャワーはちゃんと熱かったが、夜の部屋は死ぬほど寒かった…。服を着込んで寝た。いやー、ダウンジャケットを着て寝るとぬくいよね!