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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年4月3日木曜日

アウランガバード到着


朝7時頃、何やら大きなバス停に到着。車掌が「Puneは次」と言うのでそのまま座って次のバス停へ向かう。そこがこのバスの終点だった我々がアウランガバード行きのバスを探していると、職員らしき男性が「ここからは出ない。ここへ行きなさい。」と、現地語で何やら書き付けた紙をくれた。ここから3キロ、リクシャで8~10Rpsだそうである。オートリクシャでそこへ行くと、案の定というかなんというか、最初に止まったバス停であった。うーん、無駄足。

だが首尾よく7時45分発のバスを捕まえ、乾いたデカン高原を突っ走ること5時間、バスは無事アウランガバードに到着した。Goaでも思ったことだが、南インドと違って看板やバスチケットの表記に英語が少なくなり、ヒンディーのみの表示が多くなった。バスやバス停の行き先表示、座席番号、道路標識など。我々にとっては不便この上ないし、多分南インド人にとっても同じだろう。また、英語も南寄りはずっと通じにくいので、少し込み入ったことを尋ねるときなどにはけっこう困ることがある。南インドでは、道端でヤシの実を売ってる農民でも英語は話せた。また、北インドの英語は南のよりも訛りが強いうえ、すごい早口でドドドドとしゃべるので、とてもわかりづらい。南インド人のように愛想が良いわけではないのも北インドだ。別に怒っているわけではないと思う。中国の北方人も、南方人に比べるとこんな感じだ。

バス停の向かい、ガイドブックおすすめのGreen Palaceとやらはダブルが150Rps、しかし満室。近所で何軒か当たるも、いづこもダブルで125Rpsと安いものの、あまりきれいではなく、もひとつ乗り気がしない。しかし妥協し、うち一軒に一泊することにする。シャワーは浴びたくないバスルームだ。狭くて汚くて臭い。

昼食をとりに出るが、めし屋の少ない街で、どこもホテル付属のめし屋ばかり。その内の一軒に入り、食事のついでん部屋代を聞く。ダブルで175Rps、悪くない値段だ。今の部屋よりマシだろうか。しかし、明日はバスターミナルにに荷物を預けてEloraを見物、夕方のバスでAjantaへ向かうつもりなので、泊まる用はないだろう。ちなみに食事は今ひとつだった。

食後にビビ・カー・マクラムというタージマハルに似た建物をを見に行く。ドーム部分と棺の周りだけが白大理石で覆われていた。中央の棺の部屋への明かり取りになっている透かし彫りの大理石板は見事。夕日の落ちゆくのを見て本日は終了。