***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年4月4日金曜日

エローラとダウタラバード

早々にチェックアウト。バスターミナルへゆくとなんてこと、バゲージルームがない。(インドではクロークルームと呼んでいたことが多かった。ストアルームとも言う。) あらま珍しい。急遽予定を変更し、アウランガバードにもう一泊することにする。昨日食事をしたホテルにチェックイン。円形の建物なので、部屋が角を切り落としたショートケーキ型、あるいは底辺が弓形になった台形。でも広い部屋だ。そしてとても清潔。50Rpsの差で昨夜の部屋とは大違いだが、その50Rpsがインドにおいてはとても大きいというのもまた事実。

早速荷物をおいてEloraへ出発。エローラの感想は…。感想なんか書いてもしょうがないなあ。もうすでに何度も思ったことだが、インド人何考えてるねん!というのが第一印象で、かつ最終印象だ。巨大な岩石をくり抜いて作った寺院、それ自体がひとつの巨大な彫刻。石自体は気泡を多く含む礫質で、彫りやすいだろうが風化もしやすい。細かい表現にはちと向いていない石質なので、かつては全体に厚い漆喰をほどこし、壁画を描いていたらしい。ところどころにかすかに彩色が残っている。どれほど壮麗な眺めだっただろうか。

多言はやめよう。

エローラから12キロ、アウランガバードとの中間にあるダウタラバード山城へ行く。山はまるでカステラかチーズケーキのように絶壁が垂直にそそり立っていて、周囲には堀も掘ってあるのでまさに鉄壁の守り。エローラで体力を使い果たした我々は登るのを断念、ふもとのミナレットと砲台に登ってお茶を濁すことにした。ちなみにこの日は金曜だったので、エローラ、ダウタラバードともに入場無料。ラッキー。

酷暑期のデカン高原、乾ききった日中を歩きまわったため、一人一リットルずつの水を用意してきたにも関わらず、のどカラカラ。アウランガバードへ帰るのを待ちきれず、通りすがりに見つけた酒の飲める店の駆け込んだ。インドでは飲酒というのは自宅か高級ホテルか、もしくはライセンスのある酒屋の中のPermit Roomという部屋に限られる。そしてそのPermit Roomというのがたいてい地下か、窓とカーテンを締め切った薄暗い小部屋であることが多く、なんだかとても悪いことをしているような気にさせられるのだ。

でもビールは飲む。出されたグラスがとても臭かったので、夫婦で瓶を奪い合うようにしてらっぱ飲みしていると、隣のテーブルでビールを飲んでいた親父が話しかけてきた。どっから来た、インドではどこを見た、などの話のうちは良かったが、そのうち「なぜその水をのむのか」とミネラルウォーターのボトルを指して言い出した。意図がもうひとつよくわからなかったので聞き返すと、「なぜ普通の水を飲まんのだ?インド人が飲んでいる井戸の水を。その水には味がない。井戸の水はもっとうまいぞ。それに井戸の水を飲めば力が沸く。」と、もっともらしいことを言い出すのだ。しかし私達には飲めません。中国人には生水を飲む習慣はないからと説明するも、オッサン酔っとるし話にならん。しまいには「飲んでみろ」と店員に水を持ってこさせたりする始末。酔眼で目の赤くなったオッサンにうんざりしつつ、もう一本飲む心づもりを変更して早々に切り上げて店を出た。営業妨害やで。

鉄道のアウランガバード駅で一時間並び、Jalgaon発Satna行き、明後日の二等寝台のウェイティングリスト4番と5番を買う。乗車までに果たして席は空くだろうか。