***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年4月6日日曜日

初めての一等寝台

朝8時のバスでJalgaonへ向かう。列車の名前はゴラクプル・エクスプレス。国境へ向かう列車か。北が近づいてきた。

バスターミナルから駅までオートで10Rps、駅で最確認したことは、やはり我々の寝台は無いという厳然たる事実である。ウェイティングリスト4番5番なら、なんとか回ってくると思ってたのに。現に今まではなんとななっていた。

朝食をすませ、薬局で相棒の薬を買う。咳止めシロップと点鼻薬。スイカを買い、駅の待合室で食べ、待合室のベンチにいた南京虫に5箇所やられ(鉄のベンチだから大丈夫だとなんの根拠もなく思ってました…)、しているうちにもしつこく何度も窓口へ行ってキャンセルが出てないかどうか確かめたのだが無駄足。このままだと中国の火車で言ういわゆる無座で乗ることになる。どうしようかなあ。

待合室で、輪切りにしたスイカをスプーンでほじりながら食べていると、インド人からどこから来た?と聞かれた。相棒が愛想よく「ネパール。」ばか。ネパール人はヒンディーとよく似た言葉を話すから、バレバレなのに。

と思ったが相手はそんなことを全く知らない田舎の人らしく、すっかり頭から信じこんで「インドはどうだ?」とお決まりの会話となった。そのスイカはウマイか?と聞かれたので、「うまいうまい。これはネパールにはない果物だ。」と答える相棒。「そうか、ネパールにはないのか・・・。その果物はそういうふうに食べるのではなく、こういうふうに切って…」と、スイカの食べ方を詳しく教えてくれるインド人であった。ありがとう。そしてスマン。

さて、列車の到着は遅れ、’本来2時のはずだったが3時半に乗車。ついに無座のままである。乗車時に車掌を捕まえ、空いている寝台はないかと尋ねたが、やはり無し。ここで相棒が「おれは一等寝台に乗る!」と宣言、AC 2Tier Sleeperの車両に乗り込んで車掌に差額支払いを申し出た。

二頭と一等の差というのは天地の差で、エアコンがあるかないか、寝具があるかないかなどの差異のほか、要は乗客が違う。そのときの財布の厚みで乗り分けるというもんではないという気がする。ある階級に生まれればこちら、別の階級に生まれればこちらと、生まれつきでほぼ固定されているのではないかな。

さて差額。払ってびっくり1558Rps。もとの二頭寝台が392Rpsなので、1950Rps/二人。実に5倍の差。すごいなあ。

食事も二等とちがって売りに来るものを適当に買うわけではなく、夕食の注文取りが来た。しかしその夕食を食べられるのが10時過ぎだとは。列車で調理するのではなく、駅でピックアップするという仕組みらしいのだ。運行が遅延していると、当然夕食も遅れるというわけ。

空腹をなだめながら待っていたのだが、披露に負けて9時頃眠ってしまい、一時間後にたたき起こされた時には揺れる列車の上で寝ぼけまなこに冷たいご飯と冷えきったチキンカレーを手渡され、夢うつつで食事をはじめるなりきっちり服の前を汚す。そういう時に限ってベージュのシャツを着ていたりするのだよ!

舌打ちしつつ、寝る。