***このブログについて***
書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。
1997年4月12日土曜日
アジメーリー門でお買物
本日は空きの日。朝は相棒が牛乳を二リットルも買ってきた。南インドのコーヒーでカフェオレにして飲む。朝のベランダは日が当たらないのですごぶる気持ちが良い。風が程よく吹く。昼前からHawa Mahalに出かけ、折よくラジオの修理屋を見つけたので短波ラジオを修理してもらう。私のバレッタのネジがひとつとれていたのもついでに修理してもらって、20Rps。
アジメーリ門へゆき、政府経営の土産物屋をひやかす。どれも安くない。市価の1.5~2倍ぐらいか。相棒が玉に似た素材の象の彫刻に興味を持ち、手にとって見たらばりばりにひびが入っていた。中国人の感覚で言うと、いくら彫りが良くてもこれでは台無しである。200Rpsほど。私はドゥパッタ(ショールのような布)を探した。コットンの大判のものが125Rpsだが、同じサイズのシルクのドゥパッタが140Rpsなのと比べると割高な気がする。でもシルクのはドレッシーすぎて旅行中の服には合わない。サンガネール染めの超かわいいサリーも欲しくてたまらなくなるが、何に使うというのだ。模様がひとつながりなので途中で切るのも惜しいし、カーテンやテーブルクロスには薄すぎる。
店をひととおりじっくり見て、何も買わずに出たので店員が鼻でフンと笑った。相棒が朝の牛乳の飲み過ぎでおなかが賑やかになったというので、急いでリクシャで宿に戻る。間一髪で間に合ったそうである。正露丸をのませて一休みと思ったが、日が差す時間になると部屋は暑くてとても休んでいられない。昨日のThali屋で昼食、駅を行って空調の効いた予約オフィスで涼を撮る。ジャイプルでこの暑さなら、ジョドプールやジャイサルメールはどうなるのだろう。
駅前で飲んだ冷やし過ぎシャーベットペプシが激ウマなり。再びアジメーリー門まで遠征し、土産物屋をいくつか冷やかし、ついにドゥパッタを一枚買う。黒地に白のフラワーモチーフ。75Rps。パキスタンでは頭を隠していたほうがよさそうな気がするので、やはり一枚は必要。Hawa Mahal方面へ歩いていると、二人の若者に話しかけられた。曰く「ボクらはネパーリーで…。」昔、広州で三人組の男女に「僕らは北京大の学生で…」と話しかけられたことを懐かしく思い出す。もちろん相手にはしない。相棒二人に「そっかー、この通りはスリが多いから注意しろよ、あっ、後ろに!」と二人が振り返った隙にさっさと別の方向へ歩き出した。
政府直営店で125Rpsのドゥパッタを買う。これより気に入った柄は市場では見つからなかった。140Rpsのサリーはインド人にとってもたいへんお買い得感があるらしく、三人組のおじさんが20枚まとめて買っていた。
少し離れたところにある銀細工の専門店、相棒は象の置物に惹かれて店に入ったのだが、私はイヤリングに釘付けになった。暗いオリーブグリーンの縞の入ったオニキス、硬貨ぐらいあるサイズの平たいティアドロップ型で、周囲を厚めの銀細工が取り囲んでいる。銀は92.5%。かなり大きいが、地味な色合いなので派手ではない。店員の状況を見てこれはと思い、試しにに値段を聞いてみたら250Rps。あっと思った。そこまで下がれば買おうと考えていた値段ぴったりだったから。
この店はかなり大きな間口で立派な店構えなのだが、三人の店員のうち英語ができるのは一人だけだった。ということは、外国人を主要顧客にした土産物屋ではないはず。その英語が話せる店員は地元の女性客にかかりきりになっており、他の二人は値段すら英語では言えないので、接客中で悪いなとは思ったが値段だけ聞いてみたら、返ってきた答えがこれ。思うに、上客の前でふっかけられなかったんだと思う。言い値で買った。
上客の買い物が終わった店員と、少し話をした。基本的に卸売の店で、銀製品は量り売りなのだそうだ。外側一面に蔓草の彫金のある純銀のグラスがUSD40ほど。安くはないが彫金は見事だ。バングルも少しあり、細工も良かった。買い物らしい買い物を二ヶ月もしていなかったのに、昨日のスカート以来ばたばたと立て続けにほしいものが現れた。南インドではハイダラバードで見たダブル・イカット(縦と横双方の糸で模様を織り出す絣)以外には欲しい物があまりなかったが、北インドにはいろいろとある。
駅へ。二等寝台のチケットしか持っていないくせに、堂々と一頭の待合室に座り込み、夜10時発の列車を待つ。デリー発の列車で、距離から見てそんなに遅れないだろうと見積もっていたら、ほぼ時刻通りに到着した列車はそのまま駅に停車25分、出発したはいいがちょっと進んでは蹴っつまづくようにして止まり、後ろに下がり、またこころもち進み、蹴っつまづき・・・と繰り返しているうちに、駅から出ることもなくそのままなんと三時間。大丈夫なのかこの列車。脱線せんか?客も皆始めはがやがやしていたが、出発を待ちきれずにみんな寝台を下ろして寝てしまった。
夜中の二時頃目を覚ますと、列車は何事もなかったかのようにスカスカ走っていた…。