10時20分のバスで臨夏へ。ボロバスなので時間がかかるかなあと心配していたが、道が下りなので速い速い。結局あちこちで客を拾った割には3時間で臨夏についた。行きのミニバスは9元、帰りのでかバスは7.7元であった。
銀行で両替。中国銀行の壁に手書きのお知らせが貼ってあった。10元は蒙・漢、5元は蔵・回、2元は維・イ、1元はトン・ヤオ、5角は苗・壮、2角は布依・朝鮮、1角は高山・満。そうなのか。知らなかったよありがとう。
あんまりおなかも減ってないので、そのまま蘭州へ行く事にする、バスターミナルの待合室で、夏河で着こんでいた冬服を脱いでしまいこんでいたら、頭のおかしい人がやってきて、私のミネラルウォーターをゆっくり奪いとって飲み始めた。むちゃくちゃクサイ人であった。私と相棒はべつに相手をしなかったのだが、バスターミナルの服務員が何かカンカンに怒っていて、ほうきで彼をばんばんにぶんなぐって追い出していた。人間がああいうふうにぶんなぐられるのを見るのはなかなかないことである。
蘭州到着。郵電局から香港のおば宅へ電話するも、相棒の新しいパスポートはまだできていなかった。(後日談:この電話のなんと翌日に申請成功という知らせが入ったそうだ。タイミング悪し。)
蘭州飯店へ向かうべく、市内バス停を探していると、老夫婦が我々の様子をじっとみて、どこへ行くのかとたずねてきた。市中心か蘭州飯店と答えると、じゃあ、ミニバスを止めてあげよう、バス代は1元だからそれ以上払っちゃいけないよと、わざわざ通りに出てミニバスを止め、バスが蘭州飯店を経由するかどうかわざわざ車掌に確かめてから乗せてくれた。どういうことだ、ここは本当に中国か!?
車掌さんは固い補助席にバックパックごと座ってる私に柔らかい席を勧めてくれ、蘭州飯店についたら絶対に教えてやるから待てと念を押し、首尾よく蘭州飯店の向かいで降りた後も「蘭州飯店はあっちだ」と、何度も窓から指示してくれた。いったいどういうことなのだ!?
「文革前はこれが当たり前やったんや」と相棒が言うが、文革前はキミまだ学齢期じゃないでしょーが、見てきたようなことを言うな。だがしかし!変わりつつある中国なのだろーか。むむう、ものたりない。<なんやそれ。
ところで蘭州飯店はドミトリーをすっかり廃止しており、一番安い部屋がなんとUS$40。こんなド田舎で何が米ドル建てじゃボケ~と、さっきまでのいい気分をぶっとばしつつ別のホテルを探す。火車站前の迎賓飯店、外国人用のドミは無く、ツインでバストイレ付き、24時間ホットシャワー保証で80元。お湯の魅力に負けてチェックイン。
***このブログについて***
書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。