本日も草原を二時間の乗馬。2時間を甘く見るな。素人にはこれが限界だ。それにしてもモンゴル馬はちいさいくせに気が強い。言うこと聞かんし、たいへんな走りたがりで、走らせてもらえないと鼻息がふんふん荒くなって、目がだんだん白目がちになってくる。一頭が走り出すと周りの馬も皆つられて走り出す。モンゴル人は小学校に上がる前から馬に乗るそうだが、そういう育ちでないとこの馬はあつかえんよ。
一時間で行けるところまで行き、また一時間かけて帰ってきた。私のお尻は痛いだけで清んだが、肉の全く無い相棒のお尻はかわいそうである。馬を走らせるときには、腰をあげてひざで体重をささえるそうだが、もちろん我々にはそんな芸当はできない。モンゴル族の子供が見本を見せてくれた。彼が腰をあげてひとむちくれるや、白目を剥いた馬は弾丸となって一直線にすっ飛んで行った。ひょええ。
夕刻、フフホトに帰還。通達飯店にチェックイン。しばらく休んで香港へ電話をかけにいくと、相棒の英国海外属土籍の申請が通ったので、手続きの為にさっさとイミグレに来い、期限は7月6日から23日だ!という通達が叔母の家に届いており、23日ってあと5日しかないやん!
この時点で7月18日午後19時46分。
フフホトから直接広州へ向かう列車は無し。我々は当初西安へ戻り、西安から普快で桂林へ行き、陽朔でのんびり通達を待とうとのんきなことを話しておったのだが、とてもそんなことは言っていられない。フフホトからとりあえず北京へ出て、北京から特快で広州へ向かおうという相棒の意見と、そんなことをしていて間に合わなかったらどうするのか、飛行機に乗ろう、という私の意見が対立する。しかし、ここから広州への飛行機だって毎日あるわけではなし、じっとしてもいられないのでとりあえず相棒の意見を容れて北京へ移動することにする。
当日の夜8時に、9時37分の列車の寝台が取れただけで有り難いとしよう。264次普快 フフホト―北京 新空調軟臥は上臥が233元、下臥が243元であった。
列車に乗る前に、酒くさい公安(彼も乗客だ)に「どけ!」と突き飛ばされ、フル荷物だったのでよろよろした。列車に乗ると居丈高な女に「我々は二人連れだがコンパートメントが離れているのでくっついている君たちの席をよこしなさい」という笑うぐらい理不尽な申し出をされて、もちろん丁重にお断りをすると、列車員に向かって「我々は北京市政府の者だが・・・」と同様の要求を始めたので、我々も列車員の前でにわかに英語でしゃべってみたりして外賓であることを強調、事無きを得た。
しかし私の寝台に行くと全く知らん男がぐうぐう眠っており、これはいったいどういうことなのか誰か説明して欲しい。誰もしてくれないから自分でするが、こやつは根本的に寝台のチケットなぞ持ってはいないやつで、コネか袖の下で寝台車に入れてもらい、ずうずうしくもとりあえず空いてる寝台で寝てたと言うわけなのだ。その空いてる寝台というのが不運にもたまたま私の寝台だったというだけである。この列車は包頭発なので、多分包頭からここまで寝てたのだろう。我々が乗車してこなければどあつかましく北京まで寝てたはずである。
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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。