***このブログについて***
書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。
ここの朝食は、やはりUSD3の差が大きく、マンダレーよりかなり劣る。パンがインドネシアで見た6-7センチ四方の薄くて小さい食パンである。もちろんおいしくない。卵は一つ、フルーツはバナナだ。パンは2枚でおかわりなし。しかし私達、だんだんせこくなるなあ。一円一銭を争う旅になってきた。
自転車を借りる。100Kyat/日。インド製の座高の高いチャリで、私にはちょっと怖かったが、まあなんとか乗る。Niang UからOld Paganまでの道をえっちら走り、いくつかの仏塔を見る。どれも美しいが、なにしろ2500個ぐらいあるので、どこから手を付けてよいやら全くわからない。とりあえず目についたものから手当たり次第に見物してゆくのみである。
ヒル、道端のビルマめし屋でひるごはん。ベジタリアン100K、ノンベジ150Kとのことで、それぞれ一つづつ頼んだ。そしたら出てくるわ出てくるわ、皿が13皿、スープが2杯、ご飯が山盛り。食べきれない。しかしあとから来た日本人が値段を確認せずに注文してふたりで550K払っていたので、客によってお勘定が違うというのはもしかするとビルマのめし屋では一般的な習慣なのかも知れない。ようわからん。
めし屋の向かいの、Ananda Payaに行く。11世紀の木製の、9.5mもある仏像(珍しく立ち姿)が四体あった。しかし、ここで私が嬉しかったのは実は仏塔でも仏像でもなく、またしても「リス」なのであった。遺跡の周りの木から降りてきて、そのへんをたかたか走り回っていた。可愛いグレーのリスだった。
自転車で走り回ったにもかかわらず、昼食を食べすぎたため、夕食をとる気が全くおこらず、木瓜(パパイヤ)を買ってきて食べて寝る。なんと寂しい大晦日であろうか。しかも相棒、またしても体調よろしくなく、薬を飲んで10時ごろには就寝。
朝9時のバスでマンダレーを発つ。くそう、なんてこったい補助席ではないか。しかも背もたれの具合が悪く、もたれると後ろの人とぶつかりそうになる。
目的地はNyaung-U、Pagan観光の拠点となる町である。何度かの休憩&タイヤ交換の後に、夕方6時前にようやく到着。輪タクは50Kyatで宿まで運んでくれた。マンダレーの宿でオランダ人女性が教えてくれた宿に入る。New Paganから来たと言ってUSD10のBagan Area入場料を逃れる。これも他の旅行者から教えてもらった方法である…・部屋は各部屋で、窓が二面にあるダブル。こんなに安いんなら、もっと早くマンダレーから引っ越してきても良かったな。
しかしうまくいかないもので、マンダレーと違って安くてウマいメシ屋が見つからない。結局田舎なので、印僑・華僑がおらんのだ。インドメシ屋は安いし、中華屋はウマいが、ビルマめしはどうものう…。
屋台に毛の生えたようなめし屋に座り、150Kもする鶏と白ごはん二つを頼んだら、値段を確認してから注文したにもかかわらず360Kを請求され(マンダレーの中華屋でたらふく食べてもそんなに払ってない)、白々しく大げさに驚いてみたら客中の視線を浴びた女主人は流石にきまりが悪かったのが、即座に210Kに要求を下げた。それでも安くないと思うぞ。
相棒のバックパックには鍵がかからない。私は以前からそれが心配だった。相棒も気にかかっていたらしく、鎖を使って鍵をかけられるように、デイパックに簡単な改造を施すことにした。五ヶ所にベルトを輪っかにした舌を取り付けてもらい、そこに鎖を通して南京錠を掛けられるようにする。改造は30Kyat、一メートル強ほどの鎖を60Kyatで購入。
玉器市場(Jade Market)があるというので、二キロほど歩いて見物に行く。香港と違って店どころかアーケードも何もなく、道端に男たちが固まって立っているだけだった。近寄ると、白い紙の上にいくつかの翡翠を乗せたものを手のひらの乗せて、通行人に見せるともなく見せつつ、石をいじくる。石は、素人の私がどうこう言えるものでもないのだが、色が薄かったり、透明ではなかったり、日々が肉眼で見えたりなどして、あまり香港人好みではなさそう。言い値はだいたい40000Kyatぐらいから。
夕食は昨夜の店の「インドか日本かイギリスかわからないカレー」。なにしろおいしくて、そしてたったの40Kyat(30円)なのだ。
このホテルは朝ごはんがいい。インドネシアの朝ごはんは申し訳程度だったが(ビスケットのように小さくて薄いトーストが二枚、お茶、バナナなど、運が良ければ卵がつく)、ここでは立派な焼き立てトーストが三枚(追加可)、ジュース一杯、お茶かコーヒーが二人でポット一杯、ミルクは別にミルク入れに一杯、卵は二つで、調理方法は注文できる(ボイルドエッグ、5分、とかね)。果物は日替わりで、冷たいオレンジ、パパイヤ半分、バナナ2本など。バターは自家製と思しきやつが小皿にでん!と盛られてくる。ジャムも、アプリコット、いちご、オレンジなどが日替わり。
今日はビルマおやつを食べ歩いた。小さい揚げパンみたいなのや、コメの粉を練ってあげたやつ、もち米を竹の筒に詰めて蒸したあと、5-6センチの長さに切ってやはり揚げたもの(これは白米のと紫米のと両方ある)、などなど。しかし実は一番美味しかったのは、「なすび・じゃがいも・苦瓜の天ぷら」なのであった、
本日の私のひらめき。バックパックやデイパックのほころびを、道端ミシン屋さんに直してもらえば、私が繕うよりずっとうまくて丈夫ではないか!私っておりこう!!!
そこで二箇所破れている私のデイパック、一箇所破れている相棒のバックパックを持って市場に行き、なんと30Kyatできれいに修理してもらった。りんごひとつ分のお値段である。
修理を待つ間、市場横のお茶屋でビルマ茶を飲む。激甘激濃のロイヤルミルクティーだ。ちっちゃいカップで飲むこの濃厚なお茶は、乾いた気候に合ってばつぐんにウマい。ものすごく薄い、なんとかチャパティに似たおやつは温泉せんべいに似た味がした。かまどで30秒ぐらいでカリカリに焼き上げてくれるので、香ばしい。
夜、道端インド人の店でビリヤーニとポテトカレーを食べる。このポテトカレーがまた、日本のカレーそっくりの味で私は驚いた。日本のカレーはイギリス風らしいので、イギリスの植民地であったビルマに残る、イギリス風カレーということなのだろうか?
相棒はココナッツライスを頼み、これが彼的には大失敗。わたしが名前から予想したとおりの味である。ビーフジャーキーも食べてみた。まあまあ。私の体調は完全に回復したが、代わって相棒の体調がよろしくない感じに。
旧都Amanapuraへの日帰り旅行。トラック改造バスで30分、1.2kmの木造橋を見にゆく。基本的な橋桁は200年前の木材で、しかも作った当時からして新しい木材ではなく、遷都後の旧王宮の廃材を利用して作ったという。湖を横断して、手すりなしの木橋を、対岸まで歩く。床は木材をきっちり詰めてあるわけではなく、それぞれ2-3センチずつ隙間が空いているので、下を見るとなかなか怖い。途中いくつかの四阿があって、アイスクリームやバナナなどを売っていた。
マンダレーに戻り、いつものごはん屋に行く。LPではShan料理を紹介されていて、確かに看板にはShan Dishとか傣族菜(中国の傣族はShan/Thai/Lao、どれに近いのだろう?)とか書いてあるが、どうみたって華僑経営の中華である。オヤジも従業員も中国語だ。
つまり我々にはとても美味い。しかも、通っているうちにどんどん安くなってきたので可笑しい。外国人には120の皿が、私達には80だと気付いたら、以前には200と言われてそのときには食べなかった豚足が、今日頼んだら120だった。そして野菜も今日から80から70に下がった。
今日は、以前からやってみたかった「トラックの荷台のステップ立ち乗り」できてちょっと嬉しかった。次は荷台の天井にチャレンジしてみたいものだ。
6時起床、7時に船着き場に向かい、集まってきた人々と共同でボートをチャーターして、Mingunへと向かう。ビルマ最大の仏塔跡がある遺跡である。イラワジ川を遡ること一時間、イラワジカワイルカが見られればいいなーと思っていたが、そんな幸運はなかった。マンダレー対岸のMingun到着。
仏塔は完成すれば高さ150mの巨大パコダになる予定であったが、LPによると王の死により中止、中文ガイドブックによると予言者が塔の完成とともにビルマは滅びるだろうと予言したために中止、記載の差はあるがとにかく中止されて、今は土台の方形部分だけが残っている。しかしまあ、なんと巨大な台座であろうか。この台座部分には1800年台の地震のためにひどい割れ目があちこちに走っており、それがまたいっそう諸行無常的で見ものなのであった。観光客用の階段は、この割れ目に沿うように作られている。上まで登ると、頂上からの長めもまた素晴らしい。
Mingunのもう一つの見どころは、世界で二番目に大きな鐘。一番大きな鐘はモスクワにあるが、それは割れているそうなので、割れていない鐘としてはこれが世界最大だそう。この鐘は90トンあるそうです。
この鐘も、仏塔を作ろうとした王が作ったものだそうで、よくよくでかいものが好きな王だなあ。予言の「国が滅びる」というのも、こういうのが国力を疲弊させると隣国とかに攻め込まれますよ、という警告であるかもしれず、王の死とはそれを心配した即金なり王族なりが、王を暗殺しちゃったのかも知れない。妄想妄想。
帰りに市場で巨大な西瓜を買い、二人で交代でふうふういいながら持って帰ってきた。西瓜には解熱効果があるため、なかなか下がらない私の微熱が下がるようにとの相棒の配慮か、単に自分が食べたかったのかどちらであろう。
果たして熱は下がった。
どうも具合がよろしくなく、引き続き薬を飲む。鼻水がひどい。
相棒はここの市場がお気に入りのようだ。大きな市場がふたつもあり、売っているものも幅広い。ミャンマーではどうやらまだスーパーが普及していないため、すべての商品がとりあえず市場で売られているようなのだ。
昨日の手作りアイスクリーム屋のアボガドアイスが大ヒット。いくつでも食べられそう。
今日はクリスマスなので、ホテルが宿泊客にクリスマスディナーを振る舞ってくれた。ステーキとチップス、野菜、パン、どれもおいしい、心づくしの晩餐だった。ごちそうさまでした。
クリスマスイブです。だからといって何があるわけでもなく、特別なことを言えば私が久しぶりに気道感染を起こし、喉が腫れ上がっていてつばを飲み込むのもつらく、黄緑色のねとねとの鼻水がつまっていて顔の上部前面が重く頭痛がし、歩くと振動のたびに歯が痛いという、それだけのことである。
しかし体はなんともないので、とりあえず抗生物質(タイの薬局ならどこでも勧められるアモキシシリン)を飲んで、午前は安静に。午後からマンダレーヒルに出かける。門票はUSD4もしくは400Kyatであったが、昨日のセコ作戦を本日もやってみた。成功。なお相棒はこの日Longyi(ミャンマーの民族衣装、男性も穿く巻きスカート)を穿いていた。腰が細いのでよく似合う。
丘をふうふう言いながら登る。山裾には何百もの仏塔を従えた大仏塔や、広大な王宮跡が広がっており、長めのよろしいことと言ったら無い。また、マンダレー盆地がみごとにぺったんこの盆地である地形も見て取れる。
落日は美しかった。登ってきたのとは別の道を降り、バスがなかったので通りかかった三輪で帰ってきた。ここの三輪タクシーは、自転車の横のサイドカーに、二人背中合わせに座る形式である。初めて見る形。
アイスクリームとばんごはんを食べて、本日は終了。
なんとも驚いたことに、バスは死ぬほど寒かった…。但しガラガラだったので、ゆっくり横になって眠れた。これは助かった。
朝の7時ごろにマンダレー到着、ホテルの集まった通りまでのトランスファーがバスチケットに含まれており、2-3軒見て歩く。ヤンゴンより安くてほっとする。ツインUSD8の宿に投宿。マンダレー市内から、郊外のマンダレーヒルまで一望できる明るい部屋で、壁は薄いがまあまあの広さであった。但しエレベーターなしの六階である。六階には広めのベランダが付いていて、洗濯を干すのに都合がよろしい。
シャワーを浴びて眠り。バスで風邪を引いたらしく、昼ごはんの後にもまた眠った。寒くて仕方がないので相棒の毛布を貸してもらい、相棒は買ったばかりの寝袋で寝た。
マンダレー行きのバスチケットを書いにゆく。LPではUSD10もしくは1000Kyatというあったが、言ってみるとUSD12もしくは1500Kyatと値上げ兼Kyatの為替レートが安くなっていた。しかしながら闇レートではUSD1=167Kyatなので、Kyatで払えば私達にとっては実質値下げなのである。このへん、経済がしんどい国は安定するまでしんどいねえ。
ビルマ最大のSwedagon Payaという、高さ90何メートルかの金の塔を拝みに行く。外国人用の門票USD5。タイだとこういうのは無料か10-20Bぐらいなんだがなあ。そこでせこい作戦をねり、これまで二日間で相棒が現地の人に現地人と間違えられまくっていることを利用して、私が二人分の荷物を持って係員の目を引きつけている最中に、相棒は現地人に無理やり話しかけてさもその連れのような顔をして入るという計画を立てた。大成功。ははっ。日曜だったので人がいっぱい。でもそれなりにいろいろ見るものがあり、拝むところもあって楽しかった。バチが当たらないように、よく拝んでおいた。
乗合バスは2K(1.4円ぐらい)で、路線上ならどこまでも乗せてくれることがわかった。これで横にベタッと広い市内をスカスカ移動できる。今日はどう見ても華僑とインド人だろうと思われる二人のおじいが、仲良く手をつないで道を渡っているのをみて和んだ。多民族都市っぽい空気を感じる街である。さて夕方五時、マンダレー行きのバスに乗車。
ビルマでは中国にならって、二重貨幣制を採用している。外国人が両替をした場合に手にするのはFEC(Foreign Exchange Currency)といい、国内貨幣であるミャンマーチャット(Kyat)とは紙幣がちがう。この2種は表向きは等価とされているが、闇マーケットでは違ったレートで取引されている。海外からの輸入品などはFECでしか購入できないため、常にFECの方が価値が高い。
ミャンマーのFECは中国で印刷しているそうで、活字以外は大きさも色もデザインも中国のとそっくり。本日は、これをローカル通貨に交換しにいく。チャイナタウンでFEC166、USD167と言われ、粘るがレートは変わらない。相場なんだろうな。とりあえず換える。
ヤンゴン市内を流して歩く。もっと安い宿を探すも、どこもちょっと勇気がいるほど汚かったり、臭かったり。しかも別に安くなく、YMCAはいい選択だったようだ。
インド大使館でビザを訊く。USD20。タイよりやや安い。自分で申請できるとのことで、エージェントに支払う手数料も節約できるうえ、申請当日に即日受け取りなのだそうだ。3~4日待ちのタイより、かなりいい条件である。帰りにここでビザを取ろう。
ビーマンでカトマンドゥ行きをリコンファーム。
YANGON DUTY FREEという看板が街のあちこちにあり、入ってみると噂どおり酒が激安。もっとも、二人ともほとんど飲まないほうなので、移動中に割れても心が痛まないよう、USD8のロシア製ウォッカを購入。相棒は飲めばかなり飲めるが、ほとんど飲まない男である。
無事ネパールビザを受け取り、さてさてビーマン・バングラディシュ航空に搭乗である。
前回乗ったのは92年、成田-バンコクを友人のエアインディア半券(もちろん友人名義)を譲ってもらい、帰りにバンコクで買ったバンコク-成田往復。バンコク-成田便なのに、シンガポール経由でストップオーバー不可というスバラシイ条件。ボーディングパスに座席指定がなく、半信半疑で確認すると、自由席。搭乗すると座席と座席の隙間がまちまちで、前のほうは結構ゆったりなので、後ろがキツキツという、なぞの座席なのであった。当然だが機体は古く、乗客は大量の荷物を抱えたインド亜大陸系のひとびとばかりであった。
なお、このときの半券はエアインディアをくれた友人に返し、友人はシンガポールまで乗ってそこからオーストラリアへのワーホリに旅立った。テロ対策のセキュリティに厳しい今から考えると牧歌的な話だが、当時だって航空法かなんかの違反だろうと思う。
さて今回。曲がりなりにも先進国である日本に向かう機体には、なるべくマシなものを使っていたのであろうか。今回の機体はさらに古く、メンテが全く行き届いておらず、上の荷物入れのふたがほとんどまともに閉まらない。あっちを閉めれば振動でこっちが開き、こっちを閉めれば…の繰り返し。乗員と乗客の努力と協力でなんとか閉め終わり、ようやく離陸にこぎつけるも、離陸時の振動であちこちの荷物入れのふたがパタパタ開いてしまい、まるでドリフのコントである。洗面器落ちてきそうなやつ。機内はもちろん大爆笑。
機内食にオーセンティックなカレーを期待していた私たちはがっかり。パンとカステラとお茶と水であった。空腹をかかえてビルマ入り。空港で悪名高き強制両替、一人USD300のところを、私はUSD200に、相棒はUSD100に値切って通過。ワゴン(1USD)で市内へ。YMCAが意外にも一番安く、NON A/CダブルがUSD14、With A/CがUSD16。安いといってもタイの相場の2~3倍。NON A/Cが空いておらず、A/Cダブルに投宿。屋台で炒米粉を食べて就寝。ベット硬い。
相棒が「やはり寝袋は必要」と言い出したので、ロビンソンデパートまで買いに行く。私はZero Pointのを持ってるので。
以前から欲しがっていた680Bのがセールで544Bになっており、ほくほくしながらそれを買う。よかったね。私は私で銀と琥珀のピアスがどうしても欲しくなり、350Bのを290Bに値切って買う。なくさないようにしよう。
朝からネパールのビザを取りに行く。バーツのみ受付で700B。但し、2日かかるとこのことで、受け取りがビルマへ発つ日の朝になる。一つ間違えるとエライことなのでドキドキしちゃうが、結局頼むことにする。ネパール大使館は市の中心から離れていて、とっても不便な場所である。そしてバンコクの朝の渋滞は有名だ。どうなるのであろうこのいきあたりばったりぶり。
バスは朝6時ごろ、ホアヒンへ出発したのと同じバスターミナルへ到着した。New Merry V G/Hへ行き、140Bのツインに入る。預けてあった冬荷物もピックアップ。相棒ご贔屓の豆醤+油条屋で朝ごはん。生姜湯を掛けた豆腐花がうまいうまい。
旅行会社を何軒かまわり、ラングーン経由カトマンドゥ行きのBimanをリクエストするも、以前の5700Bより少し上がっていて、5850-5900Bとなっていた。プラス、以前は南部のチッタゴン経由だった空路がラングーンから直接ダッカへ向かう路線に変更になり、それに伴いダッカでの一泊が二泊に変更になったという。トランジットビザで泊まれるホテルの宿泊費のうち、一泊は航空会社が持つが、もう一泊は料金上乗せで+500Bだと言う。バンコクからカトマンドゥ直行だと他にも航空会社はあるのだが、ミャンマーは以前からずっと行きたいと思っていた国で、しかも現在、以前よりずっと旅行しやすくなっているという話なので、しょうがないですね。予約。
荷物を整理し、バスターミナルへBangkok行きのチケットを買いに行く。368Bの政府バスは夕方5時半発、4時のと5時のは570BのVIPバス。五時半のを買った。すっかりおなじみのプーケット市内に別れを告げるべく、そぞろ歩く。前から欲しかった水筒を買うも、水を入れてみると漏れ漏れで大失敗。しかし18Bだし文句も言えまい。
今日もエビの日。15センチ大のが9匹、昨日のよりずっとおいしい。しかし現金なもので、キロあたりの値段が倍以上するのであった。
五ヶ所ぐらい破れていたぼろぼろのパンツ(ズボンではなく下着)を繕う。パンツを繕うのは生まれて初めてである。四箇所破れているデイパックを、三ヶ所まで修理する。残りの一箇所もなんとかしたいが、なにかあて布が必要だ。相棒のジーンズの尻ポケットのほころびを繕ってやる。財布を入れて歩くせいで、四角く破れている。ジーンズは布が厚い上、裏がせないポケット部分だったので、四苦八苦して繕った。指がへとへとである。
肩ゴリゴリで眠ったせいか、枕元に誰かの裸足が横たわっているという不気味な幻想のような夢を見、次の瞬間金縛りで息もできなくなった。うんうん言ってるうちにやっと解けたので、はあはあ息をつきながら寝直す。私は金縛りを心霊現象だとは考えておらず、単なる生理現象だと思っているが、しかし何であろうがしんどくて苦しいことは嫌である。
昨日のイカの日に引き続き、本日はエビの日。12センチぐらいのを13匹。これも焼いて食べた。うまいうまい。相棒は午後にはアジに似た魚を買ってきて焼いていた。これもウマい。何匹かは卵を持っていた。西瓜を買う。1kg8B。
朝から相棒がイカを1kg買ってきた。いくら安いからと行って1kgもイカを買ってどうする。手のひらサイズが9匹だ。屋台のイカ焼きを二人で9本食えないでしょうが。ちなみに65B。相棒が持ち歩いている電熱で、焼いて食べる。
プーケットには潮州人が多いので、相棒が子供の頃食べていたのとよく似た福建省のお菓子が売られている。いろいろ買って食べてみた。どれも甘い。でかいザボンが25B、三角形のよくわからん果物が1kg30B、、みかんは25B。
ビルマ、ネパール、インドへ渡る前に、薬の買いだめをする。かゆみ止め、鼻炎の薬、タイガーバーム、上気道感染用の抗生物質など。コンタックを売っていたのでそれも買った。
晩御飯を屋台で食べて、久しぶりに映画を見にゆく。101匹ダルメシアンズの実写版。ずたずたに来られていて一時間ちょっとしか無いせいもあろうが、期待ほど面白くなかった。まあ、字幕なしのタイ語だし。締めのあたりで悪者が肥溜めに落ちたり、密閉された護送車の中でスカンクが一発やらかしたりするところは、往年のドリフターズ並みの下世話さで、ちょっとディズニーにしてはシモの方に寄りすぎたんじゃないですかって感じ。ダルメシアンの仔犬は本当に可愛いが、芸をさせるのはやはり無理がある。特撮も浮いてていまいちであった。
朝のバスでプーケットを目指す。はず、が、バス停にはTrang行きのバスしかなく、取り合えずそれに乗って北上する。Trangまでひとり35B、チケット売りは二人いて、先輩と後輩らしい。先輩が後輩に指図して私達にチケットは渡されず、70Bは先輩のポケットに入った。あーあ。
Trangでプーケット行きのエアコンバスを捕まえる。140B。やはり高い。しかし速い。
プーケットタウンではおなじみTavong Hotelの2247号室へチェックイン。百貨店向かいの屋台へご飯を食べに行き、おかず三品と白ご飯二つで70B、果物を買って帰り、洗濯をして寝る。
シュワルツネッガーはコメディのほうがあってるような気がするな。Eraserはシリアスすぎてもひとつだった。ヒロインが白人ではなかったので、新しい観客層開拓か?ってな感じだ。しかし、二人の間に恋愛感情みたいなものはついに生まれなかったように見えたので、それはそれでリアリティあってよろしい。
バスはSadaoを通過して、順調にHat Yai到着。Cathey G/Hはもひとつふたつみっつよっつぐらいイマイチだったので、別のところを探すべくウロウロしていると、私達の手のLPを見た白人が寄ってきて、宿を探してるんならいいところがあるよと教えてくれた。行ってみると新興振旅館という華人宿で、確かに広くてクローゼット、ソファ、鏡、コンセントといるものは何でも揃っていて、タオルケットもあり、真っ白なタオルも二枚提供されて、シャワールームもピカピカ清潔、これで150Bは確かに安い。
難点は唯一空いていた部屋がエレベーターなしの六階であるというところだ…。しかし、高い階なので窓を開けても騒音がなく、空気の通りがよろしい。うるさくて汚かったCahteyも150Bだったことを考えると大ヒットなので、さっさとチェックインしてシャワーを浴びて、でかいベッドでコテンと寝てしまった。何しろバスの上では映画、ごはん、マレーシア通関、免罪店、タイ通関といろいろやることがありすぎて、ほとんど眠らせてもらえなかったのだ。
生理中の私は相棒が目を覚まして買い物に行ったり買い食いに行ったりしている間もこんこんと眠り続け(私は生理のときはいつも十時間は眠る)、ようやく目を覚ましたら夕方六時だったので我ながらびっくり。今日まる一日は一体どこへ行ってしまったのであろうか。
夕食をとって今日は終わり。もっとびっくりしたのはごはんを食べたあと、またしっかり眠くなり、夜10時には寝ちゃったことだ。どうなっておるのだ。
11時半のバスでKLへ。二時間で到着。バスターミナルでHat Yai(ハジャイ)行きのバスを探すと、夜の10時半発、朝の8時着で30RMというやつがあったので、それを買い、荷物を預ける。
中華街をウロウロして過ごす。百貨店をぶらつき、本屋をはしごする。中文書籍の品揃えが結構豊富だ。しかし、香港・中国の本は当たり前だが香港で買うよりずっと高いので、買わない。台湾の本の品揃えが香港より良さげなのがおどろきである。星の王子様の中文版11RM、550円ぐらいか。ソフィーの世界などもあった。でも本を買うと荷物が増えるしなあ。マレーシアリンギットも、もうあまり残っていない。
星州日報を買って読む。1RM。これはシンガポールの星州と同じかと尋ねると、シンガポールの新聞のマレーシア持ち込みは禁止なんだよ、と。香港のだいたいの新聞を中国に持ち込めないようなものか。しかしちがうのは、香港の新聞は過激で下世話な路線だが、シンガポールの新聞はどれも大公報のような記事ばかりであった。シンガポールででちょっと意外だったのは、私はシンガポールは香港と違って福祉の行き届いた国だと思っていたのだが、物乞いこそ見ないものの、オープンエアのレストランなどではティッシュを買ってくれと回っている老人や体の不自由な人を結構見た。年金的なものは無いか、不十分だったりするのだろうか。
とうとうお金がなくなり、夕食はマクドナルド。それも二人分頼むだけの現金がなく、ビッグマックセットを二人で分け合って食べた。
KLからHat Yaiのバスは初めて乗る1-2シート(横に3つしか無い席)のVIPバスだった。30RM(1500円ぐらい)したもんな。でも夕食はついていなかった。テレビでシュワルツネッガーのEraserをかけてくれたので、眠るまで退屈せず。
生理痛で歩行困難。寝ても起きても腰が痛いので、それでも寝たり起きたりしながら本を読む。獄医立花登シリーズの1と2、林真理子、ノンノと、あるものをさらえるように読んだ。夕方から歴史公園、Tan Tun Cheng St.などを歩く。この通り、私が今まで歩いた中華街の中では最も印象深いものであった。いつかこの通りにある僑生会館(BABA HOTEL)に泊まってみたい。BABAとは南洋生まれの華人のこと。
八時起床。9時40分にバスターミナルへ行き、10時に乗車。11時にはジョホールバルの税関を通過したあと、半時間ほどでマレーシア側の長距離バスターミナルに着くも、ターミナルはタイのそれのようにはよく統一されておらず、各旅行会社がそれぞれ窓口を持って自分の会社のバスチケットを売っている、という形式。私達は一時半のチケットを買った後に、12時半に別の会社のバスが出ることを知った。ううう、ミスった。なおマラッカまで9.8RM。
約三時間でMalaca到着。スタダイス(赤い洋風建築群)の有名な街である。バスターミナルの客引きにもらったチラシと、行こうと思っていたゲストハウスがまたしても同じだった。路線バスでそこへ行き、最後のトリプルをツイの値段にしてくれるというので、喜んでチェックイン。18RM.
宿には日本語の本が何冊かあった。ASIAN JAPANESEの二冊目があったのでさくっと読む。
窓を開け放して眠ったため、Fanの部屋なのにたいそう寒かった。起床して今夜の宿代を払うと、昨日両替した分がもう殆ど残っていない。無駄遣いは一切していなくて、シャンプーと歯ブラシを買ったぐらいなのになあ。やはりシンガポールの物価は先進国だ。
昨日の両替屋ヘ。店が開くまでをセブンイレブンで買った新聞を読んで過ごす。両替後にMRTに乗って動物園へ向かうも大雨。MRTを降りてバスに乗り換えるともっと大雨。私達にとっては贅沢な出費である入場料を無駄にしたくないので、入り口で小止みになるまで待ち(ならんかったら入らない)、二時前ごろ、小降りになったのをみはからって入った。
Singapore Zoological GardenはOpen Zooとして有名で、檻や柵をほとんど見えるようには作っていない。危険ではない動物はできるだけ放し飼いにする方針で、孔雀なんかはそのへんをいっぱい歩き回っている。小さいサルもいる。丹頂鶴もいた。それと、動物園のいたるところに小川や滝があり、水の流れる音がとても気持ち良い。
インドネシアでは見に行かなかったKomodo Dragonもここで見た。ホッキョクグマやアシカ、マナティ(超かわいい♥)、ピグミーカバ、クロコダイルなどは、半分水槽になっている部屋の中で買われていて、きれいで透明な水を通して、ガラス越しに泳ぐところを見られるようになっている。ホッキョクグマはかっこよく、アシカは目立ちたがりだ。ガラスのてっぺんに乗ったりしているので、その気になれば脱走できそう。マナティーはきっと、オランウータンと好朋友になれるタイプだと思う。
3-4mぐらいあるクロコダイルの腹は牛よりでかくてぞっとする。普通のカバは2000kgを超えるのに、ピグミーカバは180kgしかない。とてもちっこいかわいいカバ。しかも泳ぎが苦手なのだそうだ。
雨にもかかわらずとても楽しめた。天気のよい日にまた来たいなあ。
起床、荷物をまとめてフロントに預け、両替できる場所を探してうろうろする。どこもHKD100=SGD18未満であって、よろしくない。諦めずに歩き、$18.10のインド人の両替屋を発券して両替。そのあたりでおいしくご飯をすませ、バードパーク、鶏専門の動物園へと向かう。よくできていて、たいそうおもしろかった。オウムのコレクションがすごい。
どうも、言葉が便利すぎて外国という気が全然しない街である。
一日中歩き回り、へとへとになって帰ってくる。宿の主人が確保しておいてくれたFanの部屋のドミトリーに移り、眠る。
五時半到着予定が少し遅延して、六時半。歩いてJalan Jaksaへ行き、10000Rpのこれ以上無いと言うぐらいの狭いツイン、もちろんバス・トイレ共同にチェックイン。荷物置き場もないほど狭い。シャワーを浴びて一休みし、シンガポールまでのチケットを買いに行く。一番安いAir India、Pakistan Air、Bimanの三社はすでに満席だった。メッカ巡礼の季節なのだそうだ。仕方なく、QantasをUSD85で買う。T/Cで支払った。
インドネシアルピアの手持ちがほとんど底をついた。カップラーメンと牛乳とピーナッツと水を買って6500Rp、空港までのバス代が8000Rp、空港税が50000Rpで、そこまで払うと私達の手元には紙のお金が一枚も残らず、見事に使い切ったのでありました。
スカルノ・ハタ空港は巨大で豪華な空港でした。私は初めて乗る、発展途上国ではない国の国際線にわくわくだ。これまで乗ったのがAir India、Biman、中国民航、ましなところでDragon Air、KAL、GULFだ。カンタスはオーストラリアの会社だからなあ。あ、でもそういえばルフトハンザに乗ったこともあるんだった。しかもなぜかアップグレードされてビジネスクラスだ。あれはなぜだったのだろう。
カンタスのサービスは良いとも悪いとも言えない感じでした。よく言えばめちゃめちゃ明るくてフレンドリー、はっきり言うとめっちゃラフ。若い女性FAというのがひとりもいなくて、若い男の子と年配女性ばかり。やることやったらずーっと仲間内でおしゃべりしているうちに、ジャカルタからシンガポールへの短いフライトは終わった。
大量のインドネシア人乗客の乗機が遅れたせいで(国内線乗継遅れ?)、到着も一時間遅れ。すで日が暮れている。空港バスの乗り場に向かうと、白人のおばあちゃんが私達に”Japanese? Koriean?"と声をかけてきた。そしてLee Travellers G/Hの地図と住所を印刷した紙をくれて、ここのベッドは安いわよと勧めるのだ。白人の、しかもおばあちゃんの客引きというのも珍しい。Lee Travellersは正にたまたま私達が行こうとしていたゲストハウスなので、16番バスで向かうことにする。ドミトリーはすでに埋まっており、一番安いツインは25$であった。近所もいくつか当たってみたが、Lee Travellersが一番清潔そうに見えたので翌日のドミトリーを予約してそこに泊まる。ドミはFan部屋が$7、A/C部屋が$8であった。
麺を一碗すすって、本日はこれまで。
目が覚めるともうすでに七時。13時間も寝たのか。ジャカルタ行きの夜行列車のチケットは33000Rpプラス手数料の1500Rp、二人で69000Rpだった。夕方四時乗車。インドネシア語ではビジネスクラスのことはBISNISと言うらしい。でもリクライニングシートじゃなかった。
スラバヤは中文名を泗水という。日本の熊本にも同じ地名がありますね。元は孔子の聖地を流れる川の名前です。ここは大都市なのでなんとショッピングセンターなどがある。行ってみた。殆ど香港と変わらないような店構え、しかしながら物価は恐ろしく高く、私達の結婚指輪と全く同じものが、ほぼ倍の値段で売られていた。
ウィンドウショッピングのあとにスーパーで実用的なお買い物、そして銀行に両替に行く。米ドル以外のT/Cは受け付けていなかったり、日本円はOKでもAMEXのみ(私達が持っていたのはトーマス・クック)だったりして、なかなかうまくいかない。この後のインドやパキスタンでは日本円はますます両替しづらいはずなので、今は米ドルを減らしたくないのだ。ジャカルタのほうがレートがいいことはわかっているので、結局香港ドルを少量替えることにした。
夕方六時、横になるとすぐに眠ってしまった。暑いからだな。
10時チェックアウト、行くところもなし、郵便局へ行った後に、昨夜のレストランに長っ尻。幸い客は私達だけだ。
11時半、相棒がSurabayaまでのチケットを買いに行く。事前のリサーチでは、旅行会社を通すと35000Rp、運転手に聞くと30000Rp、地元のおばちゃんに聞くと20000-25000Rpということであった。これまでの経験上、私も一緒に行くとあまり値切れないことがわかっているんで、相棒単独の挑戦である。私が金持ちに見えるとはとても思えないので、ようは女であるということで足元を見られているのでしょう。
さて相棒、エアコンバスをなんと23000Rpで買ってきた。でかした! これまでのルートでは、いろいろぼられてたんだろーなー。
二時乗車、二時半発、四時頃デンパサール到着、テレビでインド映画を見ながら過ごす。毎度のことだがインド映画を見ているとめっちゃむかつく。なんでかというと、出てくる女が全員弱いからである。ガッツのない、ひ弱な、やられっぱなしのヘタレばっかりであるからだ。インド人の考え方を反映しているからであろうが、心の底から怒りがたぎってくる。無性に暴れまわりたくなる。ひとりぐらい、麻宮サキとかヴィクトリア・イフィゲニア・ウォーショートスキーみたいな女はおらんのか。
その点香港の映画は総じて女がそこそこ強いのでよろしい。方世玉のお母ちゃんとか。私が鞏俐を好きなのは、彼女の演じる訳が物理的に武術が強いというわけではなくとも、意志の強さ、生命力の強さを感じさせる役ばかりであるからだ。それは鞏俐自身の個性がそうであるからだと思う。だから余計に、それを押しつぶしてしまう中国文化の恐ろしさが際立つわけですが。菊豆、覇王別姫、大紅燈、老婆橋、みなそうだ。ま、エンタメ映画と文芸物を同じ皿に乗せてもしょうがないですね。
バリ時間四時半、ジャワ時間三時半にSurabaya到着。毎度おなじみバスターミナルのWaiting Roomで夜明けを待つ。こんなに早く着くとは思わんかった。デンパサールから九時間かかってない。
Patas P1でJalan Pemudaへ向かい、Bomoe Dem Youth Hostelにチェックイン。めっちゃ狭い二段ベッドのドミが5500Rp、同じく二段ベッドのツインルームが12500Rpもするのであった。ツインに入ったが、上のベッドは雨漏りで湿っており、とても横になれる状態ではない。仕方なく、下のベッドに二人で寝た。Surabaya、二泊するつもりだったが明日出よう。
相棒がもうすっかりボケているらしく、「今日は11月31日じゃないのか?」だと。
水が戻ってきたので泳ぐ。砂浜で、四角い基盤を2つ重ねた上に丸いものが乗っかっている砂の城を作っていたら、小さい女の子が「あなたはボロブドゥールを作っているの?」と。ビンゴ!そのとおり! しかし、すぐに潮が満ちてきて、私のボロブドゥールはすぐにただの小山になった。
昼からまたしても雨。どこへも行けず、夕食をしかたなくすぐ隣の見た感じ最も高そうなレストランに入る。入ってびっくり、一番安いのである。しかも、一番美味しい。ううう、しまった、今まで入らなかったのは大間違いだ。
私は鶏肉、相棒はイカの料理を注文し、サイドディッシュに揚げ豆腐を二皿頼んだ。これと大瓶の水一本で11200Rp、高くなーい。