***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年12月20日金曜日

ヤンゴン到着

無事ネパールビザを受け取り、さてさてビーマン・バングラディシュ航空に搭乗である。

前回乗ったのは92年、成田-バンコクを友人のエアインディア半券(もちろん友人名義)を譲ってもらい、帰りにバンコクで買ったバンコク-成田往復。バンコク-成田便なのに、シンガポール経由でストップオーバー不可というスバラシイ条件。ボーディングパスに座席指定がなく、半信半疑で確認すると、自由席。搭乗すると座席と座席の隙間がまちまちで、前のほうは結構ゆったりなので、後ろがキツキツという、なぞの座席なのであった。当然だが機体は古く、乗客は大量の荷物を抱えたインド亜大陸系のひとびとばかりであった。

なお、このときの半券はエアインディアをくれた友人に返し、友人はシンガポールまで乗ってそこからオーストラリアへのワーホリに旅立った。テロ対策のセキュリティに厳しい今から考えると牧歌的な話だが、当時だって航空法かなんかの違反だろうと思う。

さて今回。曲がりなりにも先進国である日本に向かう機体には、なるべくマシなものを使っていたのであろうか。今回の機体はさらに古く、メンテが全く行き届いておらず、上の荷物入れのふたがほとんどまともに閉まらない。あっちを閉めれば振動でこっちが開き、こっちを閉めれば…の繰り返し。乗員と乗客の努力と協力でなんとか閉め終わり、ようやく離陸にこぎつけるも、離陸時の振動であちこちの荷物入れのふたがパタパタ開いてしまい、まるでドリフのコントである。洗面器落ちてきそうなやつ。機内はもちろん大爆笑。

機内食にオーセンティックなカレーを期待していた私たちはがっかり。パンとカステラとお茶と水であった。空腹をかかえてビルマ入り。空港で悪名高き強制両替、一人USD300のところを、私はUSD200に、相棒はUSD100に値切って通過。ワゴン(1USD)で市内へ。YMCAが意外にも一番安く、NON A/CダブルがUSD14、With A/CがUSD16。安いといってもタイの相場の2~3倍。NON A/Cが空いておらず、A/Cダブルに投宿。屋台で炒米粉を食べて就寝。ベット硬い。