朝食をまた別の店で取る。麺を注文。やはり5元。しかし今朝は肉が入っていた。どんどんさもしく、セコくなってゆく私たち。
店で例のノン・キウかナンボックかという件を尋ねると、この二つの地点は10キロほどしか離れておらず、同じトラックで行けると言うことだ。但し現在は河の水位が高く、ルアン・プラ・バン行きのボートはナンボックに着岸できないのだそうだ。だからナンボックを通過して、ノン・キウまで行きなさいということであった。ちなみにノン・キウまでは3500Kipとのこと。こういう事前の料金調査は大切である。
8時乗車。昨日のカップルもいる。ご主人がジョージ(ほんとはゲオルグ)、奥さんがクリス。私がトラックの車種を確認して「トヨタだ。」と満足げに言うと、ジョージの方に「やっぱり日本人は日本製品を信用してるんだね」と冷やかされ、「そんなことないですよ。ドイツ車だってエクセレントだし、私のカメラなんかほらカール・ツァイスレンズ搭載。」と、社交辞令を返す。
ところでこの二人も新婚旅行なのだそうだ。濃ゆい新婚旅行やなあと、自分らのことを棚に上げて感心する。
発車は例によって客が一杯になった9時ごろ。雨がひどく、幌はきっちりおろしっぱなし。つづらおりで穴だらけの山道なので酔ってしまい、かなり苦しい。それに寒い。昨日相棒が買ってくれたレインコートがなければ風邪をひいていただろう。
2時間半ほど走ったところで、道が見事に流れていた。ぬかるみの深さは大人のひざ(白人標準)から太もも(ラオス人標準)といったところ。車が入れる深さではない…。見ると、ぬかるみの向こう側でもトラックが立ち往生している。運転手同士の会話で、どうやら客をまるごと交換することに話が決まったらしい。
というわけで、靴を脱ぎ、ひざ上まで泥に浸かってぬかるみを渡った。皆いさぎよく入って行くが、私は破傷風とかを考えてぐずぐずし、結局靴下をはいたまま渡ろう!と自分を納得させ、渡った。気持ち良いような悪いような、非常に変な気分でござる。ここまでのトラックに2000Kip支払った。
さて、さっきより小さいトラックにさっきと同じ人数が乗ったため、きっちきちのきっちきち、えらい無理な状態で一時間。山道を抜けて盆地へ出たが、今度はぬかるみではなく泥水が人のふとももぐらいまで溜まっている。それがどこまで続いているのか、終わりが見えない。どうするんだろうと思ったが、トラックはそろりそろりと水溜りを渡り始め、子供がうれしがって泳いでいる横を抜け、本来水田であったのではないかと推測されるところを大人が船に乗って渡っている横を通って、やっと路面が見えることろまで出た。もう大丈夫だ!
と、思いきや、同じようなところをさらに二箇所、そろりそろりと通り抜けねばならなかった。しかしOK!
一時半ごろ、トラックはノン・キウに到着。このトラックに1500Kip払い、見事に小さい村(っていうか家が5軒ぐらい…)で下車。念の為トラックに確認したが、やはりルアン・プラ・バンにはこのトラック(というか陸路)ではたどり着けないとのコト。
川べりに小さなあずまやがあり、外国人3人が船待ちをしている。しかし、船が着岸できるような施設がきっぱりさっぱり何もない。ただの草の生えた斜面。雨でぬるぬるどろどろの。どんな船がくるんや?
船待ちをしていた彼らによると、船はこの二日間大雨で水位が非常に高く、流れが急で危険なため、なかったそうだ。なんてこと!
3時までそこで待ち、あずまやに座っていたラオス人(キップ売りのお役人らしい)が「今日も船はなし!」と宣言したため、あきらめて村の宿屋に泊まることにする。宿屋といっても山小屋のようなもので、蚊帳を吊った狭い部屋に全員ごろ寝。それだけならまだしも、船待ちをしていた3人のアメリカ人+宿にいたオランダ人が明々白々にクスリをやっており、特にこのオランダ人、男性だがすべての爪をまっかっかにマニキュアしていて、変な服で、しかもめちゃめちゃ臭かった。ジョージとクリスはごくごく普通の人なので、すごーくイヤそうな顔をして、荷物を置くと、出ていった。
私は生理痛と車酔いで吐きそうだったので、薬を飲んで横になり、30分ほど眠った。アメリカ人3人(女性1男性2)、こんなとこでおっぱじめるのはやめてください。オランダ人、それを私たちにも勧めるのはもっとやめてください。
やっとれんので外に出ると、宿のおやじが売人らしく、ヤク中らしき現地人が宿の周りにいっぱい。
川べりの橋まで行くと、ジョージとクリスがいた。私が「あのゲストハウス、泊まりたくないよねえ」と言うと、クリスも「もちろん私たちもよ。だから船がこないかどうか、ずっとここで見てるの」と言う。私たちも橋の上から上流に目をこらす。と、6人ぐらいが乗れるサイズの細いボートが3艘、あずまやの前の岸に停泊した。あれは!
「あれ、スピードボートじゃないの? 水位が高いって言っても、運賃に色をつけたら出してくれるんじゃない?」「交渉してみましょう!」この時点で午後4時。案の定、スピードボートは私たちをルアン・プラ・バンまで乗せて行くことに同意した。しかしここで降りる客はほとんどいなかったから、席は限られている。急げ!その席取った!とジョージが叫び、私とクリスはチケットを買いに走り、男性二人は宿まで荷物をとりに走った。料金は一人12000Kip。
どろどろの斜面を滑り落ちるようにして乗船。ひとつの船には客が6人、船頭が一人の7人しか乗れない。乗客はペラペラでぐっしょり塗れたライフジャケットを着用させられ、ヘルメットをかぶらされた。そして気の毒なことに、あの3人のアメリカ人の席はついになかったのである。クリスが「I'm sorry!」と叫ぶ中、スピードボートは出発。ほんまに速いっ!目を開けていられないぐらいだ。
水位は普段より3mも高いそうで、あちらこちらに浮いている流木をあっちに避け、こっちに避けしてボートはかっとばす。コーヒー牛乳色にむんむんと濁った水は沸きかえるように流れ、渦を巻き、あるいは濁流となって轟々を音をたて、ボートはその上をすべるように突っ走る。めっちゃスリリング!つーか、単にとても危険。
私はずっと般若心経を唱えていた。
途中1箇所、広い水面一杯に流木がうずを巻いているところがあり、船頭が3人、あまりにも危険だと判断したらしく、乗客は全員ボートを降りて流木の無いところまで30分ほど歩かざるをえなかった。しかしそことて船をつけられる施設など何もない泥の斜面で、降りるのも大変、乗るのも大変、私たちはすでにドロドロである。
日が暮れた。
7時過ぎ、ルアン・プラ・バンの灯りが見えた。しかし船頭はそこまで行かず、手前の民家付近で停船。そこから乗客全員でトラックをシェアし、街の中心に入った。1000Kip/人であった。
ジョージとクリスはもともとルアン・プラ・バンに荷物を置いて、モン・サイまで飛行機でサイドトリップを楽しみに行っていたのだそうだ。帰りがこんなことになるとは思いもよらなかったと笑っていた。彼らが泊まっているのは一泊USD35の素敵なホテルだそうなので(新婚旅行じゃフツーそうだよな)、ゲストハウスをいくつか教えてもらって別れた。
街の真ん中のPongsub G/H、バス・トイレ共同の部屋が7000Kip。すっごく清潔だ。主人と奥さんは英語とフランス語ができるインテリであった。
今日はさすがにへとへと、夕食を取りに街へ出るも、田舎町のことで食べられそうな店が全く見当たらない。しかたなくゲストハウスのホームメイドヨーグルトを2瓶づつ食べて、本日はおしまい。
泥だらけの靴。
***このブログについて***
書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。