***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年8月20日火曜日

本日はVangViengへ行く…はず。

本日はVangViengへ行く日である。朝起きてTukTukでバス停まで行った。するとなんとびっくり!「バス」があるじゃないの。それも世界を駆ける日野バスだ。チケットはVanViengまで9000Kip、運転手は力強く「VanViengまで6時間、VienChangまで10時間」と言い切った。

さて私達は、バスは朝9時半出発ということを確認した上で、全然知らん都市に日が暮れてから着くのはまずかろうと、VamViengで途中下車することに決定。明るいうちに着けるだろうという観測である。

ところが。力強く言い切ったこの運転手、ものすごーく運転がへたくそで、何てことない道なのに30Kmぐらいのスピードでしか運転しないのであった。しかも発車のたびにギアをバックに入れ間違うというどんくさぶりで、私達の肝を冷やしてくれる。大丈夫なんかい。

道は霧がすごかった。高山を細々と走る道では、3m先も見えないほどの霧。不幸中の幸いは、車両が極端に普及していない国なので、対向車がほとんどない事だ。だからといってもちろん油断は禁物なのだが、とりあえず何事もなく通過、ひと安心。

道が大きく地崩れをおこしている個所を通過。写真参考→。そしてわたしはすっかりのしょうべんの達人だ。 さて、ところがバスは道の悪さと運転手の腕のせいで遅れに遅れ、VangViengに到着したのは夜7時ごろ。すでにまっくら。しかもバスは市内に入らず、川を隔てた対岸の、真っ暗な田んぼ道で客を下ろし始めたではないか。私達はこんな所で降りるのはまっぴらである。

で、やはり首都ViengTianeまで乗ることにした。これはまちがいだったのか正しかったのか。というのは、 VangViengを出て2時間ほどの場所でバスは夕食の為に30分ほど休憩し、そしてまた走りだし、10時前、客を下ろすために停車した後、どうにもこうにも動かなくなっちゃったのである。

相棒が言った。「バッテリーがあがっとる。」

なるほど。しかし民家の灯りが遠くにひとつ二つ見えているだけのこの野っぱらで、いったいどうするねん。電気が通っているのが御の字で、どう考えても電話はなさそう。

相棒が言った。「ギアをセカンドに入れて、後ろから押せば発信できる。ここは坂道だから都合がよろしい。」

うむ。そういえばそのようなことを自動車学校で習ったような気がする。大昔に。

そして運転手が言った。「SLEEPING!」

「え!?」と声を出したのは私だけで、人々は皆妙に嬉しそうに歌を歌い出したり、懐中電灯を取り出したりして、それぞれに寝場所を確保し始めた。あるものは床で、あるものはバスの屋根の上で。私と相棒はラッキーにも椅子の上で眠る事が出来たのであった。って、ラッキーなのか?

今日、宿とゴハンにありつけると思っていたので、りすぞうにやるものはなにもない。かわいそうだ・・・