早朝5時、バスはモスクの前に停まり、女性ばかりが全員降りていった。トイレ休憩か?私もモスクに入っていいの?しかし同時に、ボリューム全開で音楽をかけるのはやめて欲しい。
6時、バスは再び停まって朝食。食欲が湧かず、バスで眠り続ける私たち。再び走り出すバス。夜はあんなにエアコンをかけまくるのに、昼間はなぜ落とすのだろうか。やや暑い。12時、バスは昼食のために停車し、我々は始めてパダン料理を食べた。チキンカレー、大ヒット。ブロイラーではなく、放し飼いの鶏の味だった。バスの長旅、これぐらいしか楽しみが無いですな。
一時間の昼食休憩の後、バスは再び走り出した。運転手(色黒の坂田明)に、いつジャカルタに到着するのか尋ねると、かたくなに「夕方6時」と言う。そんなはずは無いではないか・・・。30時間で付いたとしても、夜8時や。
さて、その夕方6時に我々がどこにいたかというと、ようやくスマトラの南端である。ここからフェリーに乗る。バスから降りてフェリーに乗り、バスがフェリーに積み込まれるのを確認した。フェリー出発は7時半。
フェリーの上で、華人が話しかけてきた。ジャカルタの治安について尋ねると、「華人はあまりバスには乗らないからね」とのお答え。狙われやすいんだそうだ。夜中にジャカルタ到着にあたり、腕時計ははずしておいたほうがいいだろうとの忠告を受けた。そういえば、その二人の華人も時計はしていない。バスターミナルには警察があるが、夜中の市内は治安が非常に悪いので、どうせ出国の際にジャカルタに立ち寄るなら、バスターミナルから次の目的地に直接出発したらどうかとも勧められた。ふむ、それも一手か。バナナチップスを一袋もらった。
フェリー上でバスに乗り、隣の席の客に質問。ジャカルタにはバスターミナルが三つあるが、どれも市内から10キロ以上は慣れている。市内へ移動するとして、タクシー代の相場はいくらか。隣席の客は、10000ルピアぐらいだが、夜中は危ないから乗るなと、ナイフで首を切るジェスチュアをしてくれた。朝を待って乗れ、とのことだ。特に、私たちが目指すJalan JakusaのあるMONAS(記念塔)付近は強盗が非常に多いとのことだ。難儀だなあ。
フェリーは10時ごろジャワ島に到着。ここからジャカルタまでは約二時間。私はぐーすか眠ったが、相棒は緊張で眠れなかったそうだ。危ないのはバスを降りてからなのだがら、今は寝ればいいのに。
真夜中の12時、バスはようやくターミナルに到着。ここで夜明かしをする人でいっぱいだ。警察署に行き、「タクシーでJalan Jakusaまで行きたいんだけど…」と言ってみると、二人の警官は黙って私たちの顔をじーっと見ている。慌てて「夜明けを待って、朝になってからね?」と付け加えると、「それはグッドアイデアだ」とうなづいた。やっぱそうか。
そこで、POLISI(インドネシア語で「警察」)の前のベンチで夜明かし。タクシーの運転手がうるさくよってくるのを「明日!明日!」と追い払いつつ、ここまで書いた。
バスは結局34時間かかったことになる。いままでの記録は昆明からシーサンパンナまでの26時間。時間は今より短かったが、リクライニングでもなんでもないバスの、直角の硬い背もたれにもたれてのタブだったので、今回よりずっとつらかった記憶がある。
荷物を枕にしてベンチに横たわった。眠いから、朝まで仮眠を取ろう。
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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。