時間はとてもゆっくりと過ぎる。私達がいますぐTAKSI(Taxi)に乗る気がないとわかったTAKSIの運転手たちが去ると、派出所前のベンチのあたりは静かになった。
農民の親父が話しかけてきた。彼は母、妻、娘の四人連れで、三人の女性に世話を焼かれっぱなしのなんだか可愛いオヤジであった。しかも当初私達が外国人だと気づいておらず、インドネシア語でどんどん話しかけてきていたのである。とてもおかしい。田舎の人なんだろうな。最後にまわりの人に注意されてようやく気づき、「おお~~~~!」と。
彼らがBundong行きのバスに乗るのを手を振って見送ると、私は荷物に手足を通して少し仮眠をとった。目を覚ますと、隣にとてもかっこいいムスリムが座っていた。いやいや、インドネシアなのだから皆さんムスリム(が多数派)だと思うのだが、どうも様子の違う感じの人達だったの。インドネシア人よりアラブ人に近いような彫りの深い顔立ちで、でも小柄であった。ウール地のような深緑色の布で、パキスタンの男性がよく着ているシャルワール・カミーズのような形に長めに仕立てたものを、しかしズボンなしで着ている。足は素足で革靴。長袖の袖口はきっちりしたシャツ仕立てで、立て襟の首から下は、胸元が途中まで開くようになっている。胸にはなにかのバッジをたくさん付けていた。帽子が硬い布の三角錐で、頂点に収束するようなしましま柄である。そして帽子の縁にはターバンを巻いていて、すそを背中側に長く垂らしていた。なんともいえずかっこいい。
連れの女性は三人とも、頭を覆うスカーフだけではなく、目からしたすべてを覆う布を別布で付けていた。服もマント型。
夜が明け始めた。一応POLISIに、もうTAKSIに乗っても大丈夫だと思うか?と尋ねに行くと、夜にはいた英語を話す警官はいなくて、別の警官がTAKSIは15000-17000Rpだけど治安に保証はできないから、バスにしなさい、バスは300Rpと、バス乗り場を教えてくれた。しかしバスはやはり怖いな~~~。私の荷物はどうってことないが、相棒のカメラバックは「カメラが入ってます!」と一目瞭然である。フル荷物移動の日は安全策を取りたい。ジャカルタのバスは5-6人グループでカバンを切る強盗だらけだと聞いたので、やはりタクシーに乗ることにする。
客引きをしているタクシーのたちがわるいのは全世界共通だと思われるので、ターミナルの外の通りで流しのタクシーを捕まえた。なんでインドネシアの運転手さんは坂田明(色黒)はかりなのであろうか。この坂田さんは制服を着ていたので個人タクシーではないと思われる。昨夜周囲の人にリサーチした結果だと、目的地までは10000Rpぐらいだという話であり、昨夜の客引きの運転手の言い値は20000Rpであったが、坂田さんはメータ通りの7800RpでJalan Jaksaまで行ってくれた。全く遠回りなしだ。その他にも荷物をトランクに出し入れする手伝いをしてくれたり、運転中の態度も友好的だったりでとても助かったので、10000Rp出しておつりを1000Rpだけ受け取った。そしたらとってもうれしそうに「てりまかしー(ありがとう)」、私達も「さまさまー(どういたしまして)」、そしてどちらともなく握手をして、「ばいばーい!」
さてJalan Jaksa到着が朝の6時半ごろ、宿はバンコクよりかなり割高で、めちゃめちゃ狭いダブルの部屋、シャワーとトイレ付きで20000Rp。チェックインして軽く朝食を取り、シャワーを浴びて眠ることにする。10時ごろ横になり、こんこんと眠り続け、起きたら夕方の5時であった。少しごちそうを食べようぜという話になり、鍋料理を食べに行く。海鮮セットと鶏セットで24000Rp。宿に戻り、相棒は洗濯、私は睡眠。
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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。